第二十九幕 忍び寄る刺客
そして遂にガレス軍が動き出した。ガレスや他の武将達の性格を考えればミハエルはよく抑えていた方だろう。恐らくシャンバラとの同盟が成り、物資や流通の不足を解消するまではと抑えていたのだろう。
だがもうその必要がなくなり、ミハエルは獰猛な野獣達の檻を解き放った。檻から放たれた凶獣達はその本能の赴くままに手近な相手――この場合はマリウス軍に牙を剥いて唸りを上げながら襲い掛かった。
だが勿論ヴィオレッタもそれを見越して準備し、作戦を立てていた。後顧の憂いの無いガレス軍は当然全軍で攻め寄せてきている。マリウス軍もイゴール軍との同盟が締結された事によって一応後顧の憂いを断つ事は出来たので、
中央部分を険しいヴラン山脈によって分断されているスロベニア郡とセルビア郡を結ぶルートは二つ。西側のキュバエナとギエルを結ぶヨハニス街道、そして東側のハルファルとグレモリーを結ぶダンチラ街道だ。それ以外に大軍が進軍できるルートはない。当然両街道の県境付近にはそれぞれ堅固な砦が築かれている。
「ようし、お前ら! いよいよガレス軍と決戦の時だ! アタシらのケツばっかり狙ってるあの卑しい野獣共を1匹残らず退治してやろうじゃないのさ!」
西側、ギエルの街の外にある平野。集っている兵士達の前で青龍牙刀を振り上げて号令を掛けるソニア。それに応じて大地を揺るがすような気勢が上がる。5000以上の兵が集まっているだけあって物凄い迫力だ。
ファティマの情報網によって、ガレス軍は全軍を二手に分けて東西二つのルートからほぼ同時に侵攻してきているらしいと解っている。恐らく敵側もほぼ同数の兵力で攻め寄せてくるだろう。どちらの戦線が破られたとしても、セルビア郡は無茶苦茶に蹂躙される事になる。絶対に破られる訳には行かなかった。
だが逆にこちらが敵軍を打ち破る事が出来れば、一気にスロベニア領内に侵攻できる。ガレス軍、マリウス軍、両軍にとって落とす事のできない戦であった。
守りが性に合わないソニアは、こちらからスロベニアに攻め込む勢いで進軍を開始する。攻撃こそ最大の防御だ。
西のソニア軍の編成は総大将をソニアとして、彼女の旧友たるジュナイナとリュドミラの元々のギエル所属組に加えて、参軍にヴィオレッタ自身が付いていた。また彼女秘蔵の剣士であるオルタンスと、更にはヴィオレッタの要請でハルファルから援軍としてビルギットにも参加してもらっていた。
明らかにこの西軍に比重を置いた編成である。実はこれはヴィオレッタの意図的な作戦であり、東西で均等に戦力を分けるのではなく、一方に集中させる事で短期決着を狙う算段であった。
敵に合わせて戦力を均等に割り振れば、堅実ではあるが正面からの潰し合い、消耗戦となり、総合的な戦力で劣るセルビア側が不利となる。
逆に短期に一方の敵を瓦解させて戦局を有利に傾けてしまえば、結束が緩いガレス軍の性質上全軍が総崩れになる可能性もある。そうでなくとも大幅な士気の低下は確実だ。
東軍はアーデルハイドを総大将として、ミリアムとファティマ、そしてアナベルのみである。こちらは敵を撃破する必要はなく、西軍が敵を破って援軍に駆け付けるまでひたすら防衛と足止めに徹して耐え抜くのが任務だ。守りに長けた堅実な用兵を行うアーデルハイドは適任であった。
「さて……後はガレス軍がどう戦力を振り分けているかね」
進軍を続けて県境に差し掛かった西軍は哨戒を立てて夜営に入っていた。夜営地の中心にある指揮官用の天幕に主だったメンバーが集まり、最終的な軍議を開いていた。
軍議を主導するヴィオレッタが呟く。敵将の編成まではこちらに情報が入ってこないので不明だ。
「恐らく最大戦力であるガレス自身とギュスタヴは東西に分かれているはず。どっちが現れた場合でも正面から戦う必要はないわ。というより正面からぶつかれば無駄に犠牲が大きくなるだけよ。
「……!」
ソニアが奥歯を噛み締める。あの放浪軍討伐戦での苦い敗戦の記憶が甦る。あの敗戦によってソニア達はかけがえのない物を失ってしまった。二度と同じ轍を踏むつもりはない。
「でも具体的にはどうするんですか? 敵が向こうから突撃してくる以上、正面からぶつかり合いになるのは避けられないんじゃ……?」
リュドミラが疑問を呈する。ヴィオレッタは頷いてビルギットの方に顔を向ける。
「そう……だからこそ、東軍の守りを薄くしてまでビルギット殿に参戦頂いたのよ」
ビルギットに注目が集まる。彼女は苦笑しながら頷いた。既にヴィオレッタから打診を受けた段階で自らの役割は自覚していた。
「皆の話を聞かせてもらう限りそのガレスやギュスタヴって奴は相当の豪傑のようだけど、小規模な戦いならともかく、戦という物は個人の力だけで戦局が決まるような物じゃない。統率された兵の力がどれほど恐ろしい物となるか……そいつらに教えてあげるよ」
「……!」
歴戦の将軍であるビルギットの言葉は説得力があり重みが違う。若輩の女達は揃って息を呑んで、また自信に満ちた彼女の態度にこの上ない頼もしさを感じた。
「他に誰が随伴しているか分からないけど、ジュナイナとリュドミラはソニアの補佐としてそれ以外の敵に一緒に当たって頂戴。オルタンスは私の指示があるまで待機」
オルタンスは秘密兵器のような物だ。ここぞという場面か、もしくはソニア達の手に余るような敵がいた場合に、状況を判断しながら投入という形になる。彼女は何も言わずに静かに頷いた。
因みにヴィオレッタのもう1人の直属の配下であるキーアはここには居ない。東軍の方にも居ない。彼女には
作戦の最終確認を終えた彼女達は明日の行軍に備えて自分の天幕に引っ込んでいく。そして哨戒の兵以外の全員が寝静まった深夜……
(……喉が渇いたわね)
トランキア州のしかも南寄りの熱帯気候。寝苦しい夜に喉の渇きを覚えたヴィオレッタは、浅い眠りから目を覚ました。そして気付いた。
――天幕の中、寝台に横たわっていた自分を見下ろすように
天幕の外の淡い篝火の灯りに映し出された顔は下半分が覆面で覆われていた。衣装も黒ずくめだ。
「――――っ!!?」
ヴィオレッタが反射的に跳ね起きようとした時には、男の手が彼女の口を塞ぎその刀が彼女の喉元に突き付けられていた。
「動くな。暴れれば即座に殺す」
「っ!!」
冷たく押し殺した声音と、喉に押し当てられた刃物の感触にヴィオレッタは硬直する。
「お前がマリウス軍の軍師とやらだな? ミハエルがお前に会いたがっている。一緒に来てもらうぞ。騒いだり抵抗したら殺して構わんとの事だ。命が惜しかったら大人しくしていろ」
(……!! ミハエル……!?)
ヴィオレッタは驚愕に青ざめた。彼女は初めて会ったが、この男は暗殺者のタナトゥスとやらだろう。哨戒の兵が固めている夜営地の中心部にまで誰にも気づかれる事無く侵入して、こうして軍師たる彼女の喉元に刃を突きつける……。こんな事が出来る者は限られている。
ミハエルの狙いは明らかだ。軍師たる彼女を捕らえてマリウス軍の戦略的な弱体化を図る事。そしてあわよくば彼女を人質にしてこちらの動きを制限、戦局を優位に進めようという腹積もりだ。勿論かつて自分を陥れた彼女を直接
(くそ! やられた……!)
油断していたつもりはなかった。だが敵の情報をある程度知っていたのだから、こうなる事も予測しておくべきだったのだ。このタナトゥスは戦場で軍を率いさせるよりも、こういった使い方の方が真価を発揮する存在だ。当然ミハエルもそれを承知した上で作戦を立ててくるはずだ。それを予測できなかった。
彼女はまたしてもミハエルにしてやられたのだ。
タナトゥスは手際よくヴィオレッタを縛り上げて口に猿轡を噛ませる。そして軽々と肩に担ぎあげた。もし抵抗したり大きな物音を立てたりすれば、この男は言葉通り一切の容赦なく彼女を殺すだろう。ヴィオレッタはこのまま連れ去られると解っていながら全く動く事が出来ずにされるがままとなっていた。
この男の腕を考えれば、彼女を担いだまま夜営地を抜け出す事は簡単だろう。ミハエルとの読み合いに負けた絶望と諦念がヴィオレッタを支配していた。
タナトゥスは彼女を担いだまま、音も無く滑るように天幕の外に出て――
「――っ!!」
闇を斬り裂いて鋼の軌跡がタナトゥスの首筋を正確に狙う。タナトゥスは咄嗟にヴィオレッタを手放して飛び退った。その判断は正しかった。彼女を担いだままでは到底対処できない鋭い剣閃であった。
乱暴に地面に放られたヴィオレッタが小さく呻く。縛られているので受け身も取れなかったのだ。だがタナトゥスの手から離れる事ができた。彼女は首だけを回して今の剣閃を放った者を見上げた。そこには……
「……ガレス軍の手の者ですね? ヴィオレッタ様はどこにも連れて行かせません」
(オ、オルタンス……!)
二刀を構えて臨戦態勢となったオルタンスの姿があった。寝静まって哨戒の兵すら気付かなかった暗殺者の気配に彼女だけが気付いたのだ。
「ち……邪魔だっ!」
タナトゥスは黒塗りの刀を抜くと、まるで地を這うような低い姿勢でオルタンスに肉薄すると脚に向かって斬り付ける。
「ふっ!」
だがオルタンスは一歩後ろに下がりつつ、剣を突き立てるような軌道でタナトゥスの斬撃を受け流す。そして間髪入れずもう一方の剣を斬り下ろした。
「……!」
タナトゥスは目を見開きながらも、蛇のような独特の動きでオルタンスの斬撃を回避した。そのまま今度は刀を斬り上げてくる。だがオルタンスは身を反らすようにして斬り上げを躱すと、自らも一方の剣を斬り上げる。タナトゥスがそれを躱すと、その瞬間にはもう一方の剣が薙ぎ払われていた。
流石に回避しきれずに刀で受けるタナトゥス。けたたましい金属音が夜営地に鳴り響く。同様に一進一退の攻防が何度か繰り返され、その度に剣戟音が鳴り響いた。
その音を聞きつけた哨戒の兵がようやく気付く。俄かに夜営地が騒めき始める。ヴィオレッタは今がチャンスとばかりに大声を張り上げた。地面に放られた時の衝撃で運よく猿轡が外れていた。オルタンスと斬り結ぶタナトゥスに自分を害する余裕はないはずだ。
「賊よ! 賊が侵入したわ! 出逢え! 出逢えぇぇぇっ!!」
「……!!」
女性の甲高い金切り声が響き渡り、夜営地は完全に覚醒した。天幕からおっとり刀で兵士達が飛び出してくる。ソニア達の姿もあった。
「……ちっ」
これ以上ここにいれば今度は自分が包囲されて脱出が困難になる。タナトゥスは舌打ちすると素早くオルタンスから飛び退って距離を取った。そして身を翻すと一目散に夜営地の外に向かって駆け出していった。
「……っ! 追えっ! 逃がすんじゃないよ!」
ソニアが慌てて声を張り上げている。一緒にいたリュドミラが咄嗟に矢を放つが、タナトゥスはまるで後ろに目が付いているような挙動で矢を躱した。そしてそのまま陣の外に飛び出していく。大勢の兵士がタナトゥスを追いかけるが、恐らく逃げられるだろう。
だが余り高望みするべきではない。とりあえず自分がミハエルの手に落ちずに済んだだけで万々歳だ。ヴィオレッタは安堵の余り、ふぅーー……と大きく息を吐いてその場に横たわった。
「ヴィオレッタ様! ご無事ですか!?」
剣を収めたオルタンスが駆け付けてくる。彼女を抱き起すと後ろ手の拘束を解いてくれる。
「……っ。あ、ありがとう、本当に。あなたがいてくれなければ確実に連れ去られていたわ」
ヴィオレッタは心の底から礼を言った。この状況は想定していなかったが、オルタンスを勧誘し自分の直属として側に置いていた事が大いに役に立った。
「ヴィオレッタ! 一体何があったんだい!?」
ソニア達も武器を手にしたまま駆けつけてきた。そして地面に横たわってオルタンスに抱えられている彼女の姿に目を丸くした。
「……そうね。こんな時間で悪いけど緊急で会議を開くわ。ビルギット殿も呼んできてもらっていいかしら? そこで全部説明するわ」
「あ、ああ、解ったよ」
ソニアに目配せされたジュナイナが頷いてビルギットの天幕まで走って行った。それを見届けてヴィオレッタはオルタンスの手を借りて立ち上がった。服は土埃にまみれていたが気にしてはいられない。
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