第二十七幕 毒を食らわば皿まで

 ミハエルの執務室の扉を開けると、予想に反してそこにいたのはミハエル1人だった。


「お、来たな? では例の話は承諾という事で良いのか?」


 嫌らしく若干下卑た笑みを浮かべるミハエルを無視して部屋を見渡すガレス。


「ふん……その女王とやら次第だな。勿体ぶらずにさっさと会わせろ」


 そんなガレスの様子に、ミハエルは珍しい物でも見たかのように目を丸くした。しかし一瞬の後にはすぐにその目が細められた。


「ふふ、お前がそれ程興味を示すとは意外だったな。では望み通りご対面と行こうか」


 ミハエルはそう言って笑うと、執務室の奥にある……物置き・・・の扉の前に移動した。



「さあ、シャンバラの女王、【ラン=リム=フェイ】様ご本人の登場だ!」



 そしてガレスが訝しむ間もあればこそ、引き戸になっている物置きの扉を全開にした!


「……!」

「……ッ!!」


 息を呑んだのは果たしてどちら・・・であったか。ガレスの見据える先には、手足を縛られて猿轡まで噛まされて物置きの床に寝転がっている1人の女性の姿があった。


 鮮烈な印象であった。


 やはり中原ではまず見られないような意匠の白と赤を基調とした独特の装束を纏い、長く艶のある黒髪は乱れて床に広がっていた。恐らく立てば腰まで届く長さではなかろうか。


 そして猿轡をされてはいたが、その顔は帝国人の女性とはまた異なる魅力を持った、異邦の美しさを体現していた。少なくともガレスにはそう見えた。


 異邦人の年齢は解りにくいが、恐らく二十代の半ばから後半程ではないかと思われる。両頬と額に、やはり帝国では見慣れない模様の刺青のような物が彫られているのが目を惹く。


 その女性は扉が開いて現れたミハエルとガレスの姿に、怯えながらも激しい警戒心と怒りを滲ませて睨み上げていた。燃え上がるような視線を受けたガレスは、何故か微妙に動揺した。


 あり得ない事だった。どんな敵相手でも一切怯む事無く、逆に敵を怖れさせ死をもたらしてきたガレスである。そんな彼が、しかも女に睨まれて若干とはいえ怯む事などあり得ない現象だ。


 だが理屈でどう否定しようが、ガレスがその女の激しい視線を受けて図らずも動揺した事は事実であった。



(馬鹿な……何かの間違いだ)


「……なるほど、謁見の間に来れぬ訳だ。あの側近共を買収したという事か。だが仮にも主権国家の元首をよく攫ってくる事が出来たな?」


 内心の動揺を押し隠して、極力平静を装ってミハエルに視線を戻す。ミハエルが相変わらず下卑た笑みを浮かながら肩を竦めた。


「ふふふ、それが意外と困難でもなかったのさ。この女は極力民衆の前に姿を現さない事で自身の神秘性を高めていたんだが、それが逆に仇になった。直属の護衛と政務を代行する側近を抱き込む事に成功したら後はもうこっちの物だ。女王の身内・・人質に取って・・・・・・、脅迫して人知れず連行してしまえば、もうそれだけでシャンバラが丸ごと手に入るって寸法だ。政治形態が未成熟な事の弊害だな」


「……ッ!」

 嘲笑うようなミハエルの言葉に女王は割れんばかりに歯軋りする。どうやら帝国語は解るらしい。ミハエルが女王の猿轡を外す。



「さあ、女王様? こちらがあなたのご夫君・・・となられるガレス様です。挨拶をなさって下さい」


「……クッ! 誰ガ……!」


 女王が初めて喋った。やはりシン=エイのような片言の帝国語であったが、意思の疎通という面では問題ないようだ。尤も当然だが、肝心の本人に意思の疎通を行う意思・・・・・・・・・・がない様子ではあったが。


 だがミハエルは全く余裕の笑みを崩さない。



「おやぁ? いいんですか、そんな態度で? あなたの妹君・・が知ったら悲しむでしょうなぁ?」



「……ッ!? イ、妹ニ……【ササ】ニ手ヲ出シタラ承知セヌゾッ!」


 女王が縛られた不自由な身体で詰め寄ろうとすると、ミハエルが彼女の顎を掴み上げた。


「グッ!?」


「……妹が大事ならさっさと言われた通りにしてくれませんかね、女王様?」


「……ッ」


 顎を掴み上げる手に容赦なく力を込め、それでいて顔だけは笑顔のまま促してくるミハエルに恐怖を感じたらしい女王の抵抗が止まる。


 ミハエルが手を離すと、女王はガクッと床に崩れ落ちそうになるが寸での所で堪えた。そしてやはり憎しみと怒りに満ちた目でガレスを見上げてくる。ガレスは再び心臓に妙な圧迫を感じた。



「オ、オ初ニオ目ニ掛カル! ワラワガ拘根国ノ女王ノ【ラン=リム=フェイ】ジャ! ド、ドウカ宜シクオ願イ申シ上ゲル!」



「…………」


 縛られたまま平伏する女王――ラン=リムの姿をガレスは物も言わずに見下ろす。そんな彼にミハエルが悪魔の誘惑の如く語り掛ける。


「……シャンバラは戦もなく肥沃な大地だ。中原には無い珍しい交易品も選り取り見取り。糞詰まり・・・・にあるスロベニア郡はどうしても物資や流通面で不利だ。それがシャンバラとの『同盟』で一気に解消するんだ。このメリットは計り知れない程に大きいぞ? これでマリウス軍とイゴール軍を同時に相手取っても不足はないかもな?」


「……!」


「それだけじゃない。この女の『神通力』は本物だ。こいつには人の傷を癒やす・・・・・・・不思議な力があるんだよ。シャンバラの女王になれたのも、その力を民衆に崇められての事だったのさ。俺も一度直に見たから間違いない。お前のその左目も……時間さえ掛ければこいつなら治せるかもな」


「……っ!!」


 ガレスの身体が震える。そしてその隻眼がクワッと見開かれた。しかしそれでもしばらく彼はラン=リムを見下ろしたまま何かを考え込んでいたが……



「……マリウスはイゴールとの再同盟を果たし、また何人か優秀な者も配下に加えたらしいな。奴自身は利き腕を失ったが、奴の軍は着実に力を付けてきている。ならば……こちらも対抗して『力』を得るのも悪くないな。毒を食らわば皿まで、か」



「……ッ!」


 冷たい目で自分を見下ろしながら呟くガレスに、ラン=リムが息を呑む。ガレスはそれを意図的に無視してミハエルに向き直る。


「すぐにこの女との『婚姻』の準備を進めろ。同時にボルハにも協力させて、シャンバラから搾れるだけの富を搾り取れ」


 正式に命令を下した。この瞬間、彼はシャンバラにとって地獄の悪鬼となったのだ。ミハエルが我が意を得たりとばかりに大きく頷いた。


「ははは、それでこそだ! 任せておけ、俺達の得意分野・・・・だからな! 手配は俺が全てやっておくから、ゆっくり新妻・・との親睦を深めていてくれ」


 喜び勇んだミハエルは早速諸々の準備を進めるべく退室していった。後には黙したまま睨み合うように互いを見つめる2人の男女だけが部屋に残された。



「……オ主等ハ人間デハナイ。畜生ニモ劣ル下劣ナ鬼ジャ。鬼ソノモノジャッ!」


 それは拉致同然に故国から連行され、卑劣な誘拐者達の道具として扱われる女王の魂の叫びであったか。真っ向から糾弾を浴びたガレスの胸の内に、再びあの重苦しい感覚が甦る。だが彼はその感情を表に出す事無く、露悪的に口の端を吊り上げる。


「そうだ。俺は人間ではない。煉獄の極卒、人を喰らう悪鬼そのものよ」


「……!」


「恨むなら自らの弱さを恨め。力無き者や愚かな者は踏みにじられ搾取されるのが世の常よ。俺は弱者ではない。俺は常に奪う側・・・なのだ!」


「オ、オ主ハ……」


 何かに憑かれたように叫ぶガレスの姿に圧倒されるラン=リム。だが一度堰を切ったガレスの激情は止まらない。


「俺はマリウス軍を滅ぼし、トランキア州を征服し、中原全土を残らず喰らってやる! その過程でどれだけの弱者が死のうが知った事か。俺を止められる者など誰もおらんわ! 俺こそが最強なのだっ!」


 咆哮したガレスは激情の赴くままに、ラン=リムを押し倒しその服に手を掛けていった……






 シャンバラの【女王】とスロベニア公ガレスとの『婚姻』。そしてシャンバラとスロベニア郡との独占的な取引の噂は瞬く間に、トランキア州、ひいては中原全土に広まる事となった。


 マリウス軍の軍師たるヴィオレッタは、ここに至って種々の妨害工作を隠れ蓑としたミハエルの真の目的がこのシャンバラとの『同盟』であった事に気付き臍を噛んだ。


 同時に、これ以上ガレス軍が力を蓄える前に決着をつけるべきだという考えを改めて確かなものとする。


 トランキア州の覇権を巡る決戦は間近に迫りつつあった……


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る