麗武人母娘

第十七幕 麗武人母娘(Ⅰ) ~母を訪ねて三千里

 セルビア郡の東に広がるハルファル県。その領県は横方向に長く伸びており、東の県境はレブラス森林地帯に接している。


 県都のハルファルがあるのは領土の大分西寄りであり、長く伸びた東の大部分は農業や林業で生計を立てる村々が点在するだけの、のどかな丘陵地帯が広がっていた。尤も最近は隣接するスロベニア郡のグレモリー県をガレス軍が制圧した事によって、のどかとも言っていられない状況になりつつはあったが。



 そんな昼下がりの丘陵地帯に伸びる細い街道を進む2騎の騎馬があった。1人は赤い髪に真紅の鎧姿の凛々しい女武人。もう1人はまだ十代半ば程の年端も行かぬ少女武者であった。


「ふぅ……。もう間もなく目的の村へ着くぞ。ここまでそれなりのペースで駆けてきたが疲れていないか、ミリアム?」


 真紅の麗武人――アーデルハイドは、そう言って若干気遣わし気な視線を同行者に向ける。並走する少女武者――ミリアムは、そんな義姉の様子に苦笑する。


「大丈夫ですよ、お姉様。これでもお姉様にしっかり鍛えられましたし何回か従軍もしてるんですから、このくらいはへっちゃらです」


 そう言って笑うミリアム。その軍馬の手綱捌きも慣れたもので、確かに無理をしている様子はない。


「それどころか折角のお姉様との2人旅がもう終わってしまうのが名残惜しいくらいです」


 薄っすらと頬を染めてそんな事を言う余裕まであるようだった。確かにアーデルハイドが太守の立場になって尚且つガレス軍への対応が忙しくなってからは、2人だけで出掛けられる機会などほぼ無かった。


 可愛い義妹からの嬉しい言葉に、女武人の凛々しい面貌が崩れてやに下がる。


「ふふ……可愛い事を言ってくれるなミリアムよ。勿論私も同じ気持ちだぞ? 全てが終わったら2人だけでゆっくり中原を旅行して回るのも良いな」


「それは楽しみですね! ……本当に早く平和な世の中になれば良いのに」


 顔を輝かせるミリアムだが、今の時勢を思い出して一転してその顔が憂いに染まる。アーデルハイドも同意した。


「うむ、そうだな。その為にもまずはガレス軍やイゴール軍との戦いに勝利し、このトランキア州を平定せねばならん。今回の旅はその一環でもあるのだ」


 まずは一つの州を平定できなければ、中原全体の平定など夢のまた夢だ。そしてトランキア州の制覇に於いて、今回の旅は非常に重要な意味があるとアーデルハイドは認識していた。



「その……ビルギット様、でしたか? どんなお方なんですか? お姉様の恩人で育ての親だというお話は伺いましたが……」


 ミリアムが尋ねてくる。そろそろ目的地が近いという事で気になりだしたようだ。アーデルハイドは改めて説明する。


「うむ……私がマリウス殿と並んで最も尊敬している人物だ。私にとって武芸と用兵の師であり、また代わりともなってくれた人だ。ドラメレクによって故郷と家族を失い呆然自失となっていた私の元に現れたのが、当時まだオウマ帝国の将軍であったあの人だった。私はその時あの人の慈悲によって拾われたのだ」


 アーデルハイドは遠い過去を思い返す。妹の死体を抱いたまま、そのまま生きる気力を失い餓死するばかりとなっていた自分に対して手を差し伸べてくれた人。自分に強く生きる術を教え込んでくれた人。


「オウマ帝国の長い歴史上でも片手で数える程しか存在しない女性将軍の1人で、過去にはあの赤尸党の乱などでも数々の武勲を立てられたお方だ。だが次第に腐敗していく帝国の在り方に失望して野に下られたのだ。人間としても将軍としても尊敬に値する、非常に優れたお方だよ」



 ビルギット・アーネ・セレシエル。それがこれから訪ねようとしている人物の名だ。



 かつて帝国に将軍として仕え、そしてミドルネームを持つ極めて稀有な女性である。茱教の教えが浸透し男尊女卑の風潮強い帝国中枢において、その二つの事実が彼女がどれだけ優秀であったかを物語っている。


 ミリアムの喉がゴクッと鳴る。


「そ、それほどのお方なんですね……。わ、私なんかがご一緒して本当に大丈夫だったんでしょうか……?」


 話を聞いて急に自信が無くなってきたのか、ミリアムが緊張して不安そうな様子になる。アーデルハイドは思わず笑ってしまった。


「ははは、いや、済まん。あの方の功績や実力ばかりを説明してしまったな。何も心配はいらんぞ? 性格的にはとても気さくなお人柄だからな。きっとお前とも気が合うはずだ」


「そ、そうなんですか?」


 少しホッとしたように緊張を解くミリアム。


「うむ、そもそもこうしてお前を同道させたのは、手紙にお前の事を書いたら是非一度会って話がしたいと返事が来たのも理由の一つなんだ。向こうが会いたいと言っているのだ。何も遠慮する事などない」


 元々義母がこのハルファル県で隠棲している事自体は知っていた。帝国に嫌気が差した彼女は、中枢から遠く離れたこの地を隠遁場所に選んだのだ。


 なのでディムロスで旗揚げをする事が決まった際、同じ州内という事もあり落ち着いたら一度挨拶に出向こうと思ってはいたのだ。だがハルファル領有前にガレスの出現とマリウスの奇禍によってそれどころではなくなり、こうしてセルビア郡全体を領有しハルファル太守となった後も、ガレス軍への対応や軍備の拡充などで忙しく手紙を送るのが精一杯であった。


 現在ようやく領内が少し落ち着いたのと、ガレス軍との戦に備えて人材確保の必要性を痛感したのはアーデルハイドも同じであり、そこで義母の事を思い出し、その推挙を兼ねてこうしてミリアムを同道して訪ねる事としたのだ。政務に調整を付ける前に、手紙でミリアムを連れて近い内に訪ねる旨だけは伝えてあった。


 留守に関しては、新参ではあるがそれなりに有能なアナベルが預かってくれている。元ムシナ太守の娘である彼女なら、アーデルハイドが不在でもしばらくの間なら問題ないだろう。



「そうなんですね。私にも会ってみたいと……。そういう事なら、私もお会いできるのが楽しみです!」


 朗らかに笑うミリアム。どうやら完全に緊張を解いてリラックスしてくれたようだ。だがアーデルハイドはここで少し複雑そうな顔になって頬を掻く。


「うむ、まあ、性格的には気さくだし間違いなく人格者ではあるんだが……。ただあの人にはちょっと困った趣味嗜好があってな……」


「え? こ、困った、ですか……?」


 戸惑ったミリアムに問われてアーデルハイドは増々情けなさそうな、それでいて苦虫を噛み潰したような表情となる。


「うむ、まあ……恐らく会えばすぐに解るはずだ。お前なら間違いなく条件に合致・・・・・しているだろうからな……」


「じょ、条件、ですか? ……何だか別の意味でお会いするのに緊張してきました」


 ミリアムがまた不安そうな、戦々恐々とした様子になってしまう。しかしこれは事前に警告・・しておかなければならない事だったので、こうなるのは致し方無いと言えた。アーデルハイドは乾いた笑いを浮かべた。


「ははは……まあ慣れてしまえばどうという事はないさ。慣れてしまえばな。……お? 見えてきたぞ。あれが現在の義母上の住まいのはずだ」


 アーデルハイドが指差す先……そこには街道から分岐した小さな支道が伸びており、その支道の突き当りに、野原を切り開いた敷地に建つ小さく武骨な造りの屋敷があった。数日間の旅を終え、目的地に到着したのだ。


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