第十八幕 麗武人母娘(Ⅱ) ~ビルギット・アーネ・セレシエル

 屋敷の敷地までやってきた2人は馬を降りた。ミリアムは目の前に建つ屋敷を見上げた。ガルマニア風の建築様式を取り入れた武骨な屋敷だ。


「……ここがビルギット様の御屋敷ですか。何というか武人らしい質実剛健な佇まいですね……」


 正直にそんな感想を漏らすと、アーデルハイドは何故か複雑な表情で頬を掻いた。


「ああ……そうだな。まあ、屋敷が武骨な理由はそれだけではないんだがな……」


「? それは……」


 歯切れの悪い返答にミリアムが訝しんで聞き返そうとした時――



ニーナ・・・ッ!」



 屋敷の玄関が開き、そこから1人の人物が飛び出してきた。地味な色合いの平服姿であったが、女性である。こちら目掛けて一直線に駆け寄ってくる。


 ニーナとはアーデルハイドのミドルネームだ。そしてこの帝国ではミドルネームで相手の事を呼べるのは、ごく親しい身内・・だけに限られる。つまりこの女性は……


義母上・・・! 息災そうで何よりだ!」

「……!」


 アーデルハイドも嬉し気に表情を緩めてその女性を迎える。最早間違い様がない。


(このお方が……)


 ミリアムは目の前までやってきたその女性をまじまじと見つめる。アーデルハイドとは対照的な青みのかかった長髪を背中で緩く束ねている。身長はアーデルハイドよりやや低いくらいで、女性としては平均より少し高いくらいか。


 年齢は……アーデルハイドの話やその経歴から考えて、少なくとも40代後半から下手すると50前後程であるはず。しかしミリアムの目には世辞抜きで、確実に実年齢より10歳ほどは若く見えた。



 アーデルハイドの返答に女性――ビルギットは苦笑してかぶりを振った。


「やれやれ……堅苦しいのは相変わらずみたいだね、ニーナ? そんなんじゃ未だに恋人の1人も出来てないんじゃない?」


「ぶっ!? ごほ! ごほっ! は、義母上……久しぶりに会って、第一声がいきなりそれか!?」


 虚を突かれたアーデルハイドが思わず咳き込む。それを見たビルギットが朗らかに笑う。


「あはは! 久しぶりだからこそだよ! ……ああ、こういうやり取り、懐かしいなぁ」


 言葉通り楽しそうな口調と表情のビルギット。帝国の歴史上片手で数える程しかいないという女性将軍、非凡な軍事の天才というイメージからは想像できないような気さくで剽軽な雰囲気であった。事前にアーデルハイドがとても気さくな人柄だと言っていたのを思い出した。


 それに勇気づけられてミリアムは一歩前に進み出た。


「あ、あの……ビルギット様」


「ん? ああ、ごめんごめん。君がニーナの言っていた――――――っ!?」


 声を掛けられたビルギットがミリアムの方に視線を移す。そして……何か大きな衝撃を受けたかのように固まってしまう。その目が限界まで見開かれる。


「お……おぉ……」


「ああ……やっぱり」


 信じられない物を見るような目でミリアムを凝視するビルギットの姿に、アーデルハイドは天を仰いで嘆息した。



 一方ミリアムは緊張していた事もあってビルギットの尋常でない様子に気付かず、そのまま自己紹介しようとする。


「お、お初にお目にかかります。この度ニーナお姉様と義兄弟の契りを交わしましたミリアム…………きゃあっ!?」


 ――ガバッ!!


 ミリアムの挨拶は強制的に中断され、可愛い悲鳴に替わった。ミリアムには何が起きたのか咄嗟には理解できなかった。




「か……か……か……可愛いぃぃぃぃぃぃっ!?」




 ……抱きすくめられていた。そして、頬すりされていた。それも母親が幼子にやるような普遍的な愛情表現のそれとは違って、もっと、こう……偏執的・・・なものを感じる所作であった。


「ひぇっ!? あ、あ、あの……その……えぇ!?」


「か、可愛すぎるぅっ! ニーナ! 何なの、この子!? こんなの反則でしょぉぉぉ!?」


 慌てふためき本能的に何か危険な物を感じて逃れようとするミリアムだが、ビルギットの拘束・・は緩む気配がなくそれどころか増々強くなる一方であった。少女とはいえ武官としての訓練を積んでいるミリアムが全く逃れられない強力さだ。


「可愛い、可愛いぃぃっ!! はぁぁぁ……! も、もっと……強く抱きしめさせてぇ!」


「ひっ! ひぃぃっ!? た、助けて、お姉様ぁっ!」


 冗談抜きに身の危険を感じたミリアムは涙目になって助けを求める。流石に双方・・の姿を哀れ・・に思ったアーデルハイドは、


「むぅ……この様子では言葉は届かんか。では致し方あるまい」


 溜息を吐きながら拳を固めた。そして……


「……御免っ!!」


 ――ドゴォッ!!!



 ……全力でビルギットの後頭部に拳を打ち付け、そのままの勢いで殴り倒した!



 無言で顔面から勢いよく大地に突っ伏したビルギットは、尻を上に向かって突き出したような無様な姿勢のまま動かなくなった。……気絶したようだ。



「……ふぅ。大丈夫か、ミリアム。済まなかったな。これ程とは予想していなかった」


「あ……あぁ……お、お姉様……? そ、その……今のは一体……?」


 義姉の差し出す手に掴まって立ち上がったミリアムは、未だに何が起きたのか理解できずに呆然とした表情で、アーデルハイドと倒れ伏すビルギットを交互に見やった。


 アーデルハイドは情けなさそうな表情でかぶりを振った。


「ああ、まあ……一言でいうと、この方は可愛いものに目が無い・・・・・・・・・・のだ」


「……は?」

 ミリアムの目が点になる。


対象範囲・・・・は服飾や小物から、子犬や子猫のような動物まで多岐に渡るが、特に好みなのは可愛い幼女や少女・・・・・で、本当に好みな者を見ると今のように我を忘れてしまう事があるのだ」


「……!」


「この街や村から外れた辺鄙な場所、武骨な屋敷……。これらは全てそうした危険・・から己を遠ざけておく為の防衛措置・・・・という訳だ」


「な、なんと、まあ……それは」


 何と言っていいいか解らずミリアムは曖昧に相槌を打つ。


「ただ今回はお前にも会いたいと言うから連れて来ない訳には行かなかった。……こうなる事は予想出来ていたのだがな。驚かせてしまって悪かった」


「え、ええ……それはまあ、非常に驚きましたけど……。で、でも、だとするとお姉様も昔は……?」


 ミリアムの想像では、少女時代のアーデルハイドは相当な可愛さだったはずだ。すると彼女は苦虫を噛み潰したような顔になった。


「よせ……正直あまり思い出したくない……」


 どうやらミリアムの予想は当たっていたようだ。恐らくそうした経験の中でこの自衛手段・・・・を編み出したのだろう。それを肯定するようにアーデルハイドは苦笑した。


「まあ勿論常日頃からコレ・・ではまともな人間関係さえ築けん。コレは一種の発作のような物で、強い衝撃・・・・を与える事で目を覚まさせる事は可能だ。目覚めた時には正気に戻っているはずだから安心していいぞ」


「は、はあ……」

 安心しろと言われても、初対面の印象が強すぎて戦々恐々となるミリアムであった。やがて無様に突っ伏した姿勢のまま気絶していたビルギットの身体が身じろぐ。



「う……うーん…………はっ!?」


 ガバッと身を起こすビルギット。振り向くと、うんざりした様子のアーデルハイドと、ビクッと震えるミリアムの姿が目に映った。それで全て思い出した。


「ああ……またやってしまった。ごめん、怖い思いさせちゃったよね? もう大丈夫だから心配しないで」


 ポリポリと頭を掻きながら身を起こしたビルギットは、服や顔に付いた土を払いながらミリアムに向かって謝罪した。先程の狂乱ぶりが嘘のような、年相応の落ち着いた風情であった。


「ガルマニアはハルシュタットのビルギット・アーネ・セレシエルだ。ニーナから聞いてるとは思うけど、この子の養母でね。今日はこの子の義妹……つまり新しいに会える事をとても楽しみにしていたんだ」


「あ……」


 親しみのある口調で正式な礼を送られ、呆けていたミリアムは娘という単語に大きく反応した。そして慌てて居住まいを正す。


「ハ、ハイランドはライトリムのミリアム・ウィールクスです! ど、どうぞ宜しくお願いします……お、お義母様?」


「……っ!」

 上目遣いに礼を返されたビルギットは、『お義母様』という言葉の破壊力に再び暗黒面・・・に墜ちかけるが、意志の力を総動員して堪えた。


「おほん! ……うんうん、こちらこそ宜しくね、ミリアム。さあ、それじゃ立ち話もなんだし、後は中に入って話そうか」


 ミリアムと和解(?)したビルギットは、2人を家の中に促す。旅の疲れもあった2人は喜んでその申し出を受けて、馬を厩舎に繋ぐと、ビルギットに案内されて屋敷へと入っていった。

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