第十六幕 才媛の再起
「ひょっひょっひょ……どの道一旦引き払うつもりじゃったが、これはいい手土産が出来たわい。この女も縛り上げろ。スロベニアに連れて帰れば良い
ジェファスの命令を受けて私兵達が縄を持って近付いてくる。為す術も無く縄を掛けられながら、それでも視線だけでジェファスを睨み付ける。
「ジャハンナムは……」
「ん?」
「サラが尾行したあの空き家にジャハンナムは無かった。これだけの量を蔓延させるには相応の保管場所が必要だったはず……。一体どこに保管していたのです?」
街の外という事はあり得ない。ジャハンナムは禁制品なので、毎回検問によって発覚のリスクと隠蔽の手間が掛かってしまう。隠し場所は必ずディムロスの街中にあるはずなのだ。
しかしこれまでの捜索では発見できなかった。サラが誘導された空き家も本当にただの空き家で、隠し扉や地下室なども存在していなかった。
「ふむ……どうせお主はもうこのまま連れ帰るのだ。では最後に種明かししてやろう。……あの
「……っ!!」
エロイーズが目を瞠る。ボルハの屋敷は、彼を失脚させた後は買い手が付かずに未だ空き家のままとなっていた。ギエルやハルファルとの戦、そして戦勝による勢力の拡充。更にはガレス軍の台頭、と目まぐるしく情勢が動く中で、その管理もおざなりになっていた事は確かであった。
「あの屋敷はボルハの趣味で、様々な隠し部屋や隠し扉があっての。儂らはボルハから全て聞いていたので、誰にも気づかれずに屋敷を出入りするのも容易だったんじゃよ」
「……!」
ましてやジャハンナムの入出庫を管理していたのはこの凄腕の刺客タナトゥスだ。衛兵に気付かれずに屋敷を出入りするのは自由自在だっただろう。
「……私の、過去の手痛いしっぺ返しという訳ですね」
「せ、先生……」
自嘲気味に呟くエロイーズに、自らも同じ事件に関わり遠因となったリリアーヌが痛まし気に目を伏せる。
「ひょっひょっひょ! さあ、お喋りはここまでじゃ! 衛兵共の死体が見つかって騒ぎが大きくなる前にさっさと撤収するぞい!」
私兵がエロイーズを後ろ手に縛り終えたのを確認したジェファスが撤収を指示する。私兵達がリリアーヌとサラを、タナトゥスがエロイーズをそれぞれ引っ立てて建物の外に出る。
早朝ともいえる時間帯。それも街外れの寂れた区画の道場の廃屋跡だ。外にはただ衛兵の死体が無残に転がっているだけで、彼等を見咎める者もおらずに、そのまま人質を連れてまんまと街の外に抜け出す……
「な……馬鹿な……。な、なんじゃ、こやつらは……?」
唖然とした表情でジェファスの足が止まる。彼等の前には……
彼等は衛兵の死体を見て驚いて騒めき、そして新興教団『イブリース』の教祖が縛り上げた女子供に刀を突きつけて脅しながら道場跡から姿を現した事に混乱して、指を差したりしながら更に騒ぎが大きくなっていた。
まだ完全に夜も明けきっていない早朝の時間帯に、こんな寂れた場所にこんな大勢の市民達がいるはずがない。確かに衛兵の死体はあるが、タナトゥスはほとんど戦いの喧騒すら立てる事無く彼等を始末したはずだ。
それからまだ幾ばくも経っていない時間で、こんな大騒ぎになっているはずがないのだ。そう……誰かが予め
「……っ!」
ジェファスはそこでハッとしてエロイーズの方を振り返った。彼女はこの事態に何ら驚いている様子が無い。リリアーヌやサラが目を丸くして口を開けているのとは対照的だ。それでジェファスは確信した。
「き、貴様……貴様の仕業か……!」
「……衛兵を倒して油断しましたか? 『国の力』……それは将でも兵士でもない。そこに住まう『民』なのです。民こそが本当の意味での力なのです。どんな企みも陰謀も、民の目に晒されればそこで終わりです。民を……その力をないがしろにする者に政治は務まりません」
エロイーズはニッコリと微笑んだ。
「尤もかつてオウマ帝国の高官であったあなたには、敢えて説明するまでもない事とは思いますが……」
「……! ぐ、ぬぬぅぅぅぅぅ……!」
痛烈な皮肉にジェファスが歯軋りして唸る。この状況でエロイーズ達を拉致する事は不可能だ。これだけの市民が集まって騒いでいれば、もっと規模の大きい衛兵の大隊が駆けつけてくるのも時間の問題だ。
確かにミハエル達から大胆な策を弄する女だとは聞いていたが、まさか民の扇動まで可能とは完全に想定外だった。彼女の……エロイーズの影響力を過小評価していたのだ。
「ちぃ……! 軍隊が来る前に逃げるぞ! タナトゥス、儂の護衛をせい!」
忌々し気なジェファスの指示。タナトゥスや私兵達は人質を突き飛ばすと、ジェファスを護衛するように囲んで、道場跡の外れに繋いであった馬に飛び乗って、武器を振り回しながら強引に民の群れを突っ切って駆け去っていった。集まった市民達は悲鳴を上げて道を開けていた。
「あ、あいつら……!」
ジェファス達が逃げ延びていく様にサラが怒りの声を上げるが、エロイーズは静かにかぶりを振った。
「……仕方ありません。生半な衛兵ではあのタナトゥスという男を止める事は出来ないでしょう。無念ですが……ここはジャハンナムのこれ以上の流通を止められただけでも良しとしましょう」
上手く行けばあのまま道場跡に突入した際に、ジェファスを捕らえる事ができるはずだった。だがそれはタナトゥスの存在によって阻止された。だがエロイーズは不測の事態も想定して次善策を打っておいたのだ。
それがこの場に集まった民衆である。
市民達の一部が駆けよってきて3人の拘束を解いてくれる。そしてその中には……
「サラ!」「サラちゃん!」
サラに駆け寄って拘束を解く2人の男女。サラの目が大きく見開かれる。
「あ……お、お父さん。お母さんも……」
それはサラの両親であった。ジャハンナムを服用していた影響か、頬がこけて目は落ち窪んでやせ細ってはいたが、それでもその目は正気になっていた。サラは両親に黙ってこんな危険に首を突っ込んだ事を怒られると思って首を竦めるが、
「サラ。ご両親はあなたの事を怒ってなどいませんよ。それどころか自分達があなたにどれだけ迷惑を掛けたか、どれだけ心配を掛けてしまったかを知って、こうして正気に戻って下さいました。さあ、お二人と良く話し合って下さい」
「……!」
エロイーズの言葉に、先程とは違った驚きで目を瞠るサラ。
「サラ、本当に済まなかった……!」
「私達が馬鹿だったわ。どうか許して頂戴……!」
両親の様子や言葉が嘘偽りではないと徐々に理解してきたサラの目から涙が溢れてくる。彼女は両親に抱き着いた。
「お、お父さん! お母さん! わ、私……私、本当に心配したんだから! ぶ、無事で良かったよぉぉぉぉっ!! うわあぁぁぁぁぁんっ!!」
両親と抱き合って3人で号泣していた。落ち着くまでしばらく掛かるだろう。エロイーズはまだ呆然とした様子のリリアーヌに歩み寄る。
「リリアーヌ。あなたもご苦労様でした。良くやってくれましたね」
「あ……せ、先生……」
一瞬ボウッとした目を向けた彼女だが、何を言われたのかを理解して慌ててかぶりを振る。
「そ、そんな……私なんて結局ほとんどお役に立てませんでしたし……! 先生こそ本当にお疲れさまでした! やっぱり先生は凄いですっ!」
「……っ。わ、私が、凄い……ですか?」
戸惑うエロイーズだが、目に星を輝かせたリリアーヌは勢い込んで頷く。
「はいっ! だって結局先生の計略であいつらを追い出す事が出来たんですし、麻薬の隠し場所だって解ったんです! ここにいる皆さんだって、普段から街の為に一生懸命頑張って下さっている先生の頼みだからこそ、素直に聞いて集まってくれたんだと思います!」
「……!」
そんな風に考えた事がなかったエロイーズは目を見開いた。
「それだけじゃありません! マリウス様やヴィオレッタ様達だって、先生が街や国の中の事を見て下さっているから安心して戦に専念出来るんです! 先生はこの国になくてはならない人なんです!」
「……っ!!」
エロイーズの動揺が増々大きくなる。リリアーヌは気持ちが昂っているこのタイミングで、普段から思っていても言えなかった思いの丈をぶちまけている様子であった。
「私、先生のようになりたいんです! もっともっと先生のお側で勉強させて下さい!」
「リ、リリアーヌ、あなた……」
エロイーズが最近抱えている悩みは勿論誰にも漏らした事はないし、人前ではその素振りすら出さないように気を付けていた。リリアーヌが彼女の悩みを知っているはずはないのだ。
つまりこれは変な慰めなどではなく、あくまでリリアーヌの本心から出た言葉という事だ。その事実を認識して、エロイーズの胸に暖かい物が広がった。
「ふ、ふふ……まさかあなたに元気づけられるとは……。そう思ってくれて私も嬉しいですよ、リリアーヌ。あなたは私の自慢の弟子です」
「……っ!? せ、先生!? あの、その……」
エロイーズからたおやかな温かみのある微笑を向けられて、リリアーヌは一転顔を真っ赤にして動揺してしまう。そんな愛弟子の様子に微苦笑してから、真面目な表情に戻る。
「さあ、連中は追い出しましたが、まだボルハの屋敷を改めてジャハンナムの回収と処分、それに現在出回ってしまっている分の確認という大仕事が待っていますよ。勿論あなたにも働いてもらいますからね、リリアーヌ?」
「……! は、はい! 勿論です、先生!」
こうしてエロイーズの主導した『国病浄化大作戦』は成功を収めた。それから程なくして、ディムロスの街中に出回っていたジャハンナムは完全に根絶された。
また家を救ってもらったサラはエロイーズに深く感謝し、両親の同意の元、エロイーズに奉公を願い出て快く受け入れられた。
今回の事件によって自信を取り戻したエロイーズは、国内の安定と国力増加に向けて、より一層の辣腕を奮っていくのであった……
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