第十五幕 国病浄化大作戦(Ⅳ) ~狂翁と蛇刃

「う…うぅ…………はっ!?」


 サラは目を覚ました途端、ガバッと跳ね起きた。見知らぬ殺風景な部屋の中であった。身体を改めようとして、自分が後ろ手に縛られている事に気付いた。


 一瞬記憶が混乱したが、すぐに思い出した。あの男を尾行していたらいつの間にか気付かれていて、逃げようとしたが敵わず気絶させられてしまったのだ。


 と、サラはすぐに自分が1人ではない事にも気付いた。


「サラ! 良かった……目を覚ましたのね!?」


「リリアーヌ!? ……あなたも捕まっちゃったんだね」


 そこには同じように後ろ手に縛られたリリアーヌが、床に横座りした姿勢でサラの方に身を乗り出して心配そうに覗き込んでいた。彼女は自嘲気味に微笑んだ。


「ええ……あなたが捕まって私も仲間だってバレちゃったの。これから尋問されるみたい」


「そう……ごめん、私がヘマしたばっかりに……」


 うなだれるサラ。リリアーヌは慌ててかぶりを振った。


「そ、そんな……サラのせいじゃないわ! あんなの、どうしようもなかったのよ……」


 あの護衛の男はサラの予想より遥かに手練れであった。だがそれを見誤ったのも彼女自身なのだ。やはりこの事態は自分の責任だとサラは落ち込む。


 リリアーヌはそんな彼女をどう慰めてよいか解らずオロオロする。と、その時……



「ひょっひょっひょ……気分はどうかの、小娘共?」

「……!」


 部屋の扉が開け放たれ、耳障りな笑い声と共に入ってきた1人の老人……『教祖』だ。その後ろに男が2人付き従っていた。『イブリース』の構成員だ。恐らく『教祖』の私兵か。


 教祖の目は卑しい嗜虐的な感情に歪んでいる。サラとリリアーヌは息を呑んで縛られた身体を固くする。


「ひょっひょ……まあ大方の予測は付いておるが、一応確認はしておかんとのぅ」


「……?」


 『教祖』が白い顎鬚を撫でながら笑うのを、リリアーヌは訝し気に仰ぎ見る。だがサラの方はそれには気付かず、ひざまずいた姿勢のまま『教祖』に食って掛かる。


「くそ! お父さんとお母さんを元に戻せっ!」


 だがそんな少女の必死ぶりは邪悪な老人の目を楽しませる事にしかならない。


「ひょっひょ……所詮この世は弱肉強食。騙される方が悪いんじゃよ。お前の両親は他の奴等と同様、良い金づるじゃったわい」


「……っ! お前……っ!!」


 激昂したサラが立ち上がろうとするが、私兵に押さえつけられた。


「あ、あなたは……一体何者なんですか? どうしてこんな事を……」


 リリアーヌの疑問に『教祖』は肩を震わせる。



「……お主等の正体が儂の予想通りなら、ぼちぼち潮時か……。なら教えても構わんな。儂の名はジェファス・フェビル・ウィールクス。聞いた事があるのではないか?」



「な……ま、まさか……!?」


 師エロイーズよりその名を聞いた事があったリリアーヌは目を見開いた。かつてオウマ帝国の要職に就いていた高官で、現在はあの恐ろしいガレス軍に所属しているという……。


 リリアーヌの反応に教祖――ジェファスは目を細めた。


「ひょっひょっひょ! その反応……やはりのぉ。これで確信したわい」


 ジェファスは一人で得心したように頷いている。そして殊更に嗜虐的な表情でひざまずくリリアーヌとサラを見下ろす。


「あの薬……ジャハンナムは儂が朝廷にいた頃には、既に高官達の間で出回っておっての。あの依存性の強さには元々注目しておったんじゃ」


「……!」


「それをこうして敵国・・に蔓延させてやれば、金稼ぎと敵の弱体化が同時に図れて一石二鳥という訳じゃ。中々良い作戦じゃろう?」


「な、何て事を……!」


 リリアーヌが顔を青ざめさせる。確かに今はまだ一部の市井に出回っているだけだが、こんな物が兵士の間にまで蔓延し始めたら大変な事になってしまう。最早まともに戦は愚か治安維持活動すら出来なくなってしまうだろう。


 もうそれだけでも国としてはガタガタだ。



「ふ……ふざけるな! そんな……そんな事の為に私達を利用したのかぁっ!!」


 サラの怒り。恐らく彼女の両親を含めた被害者達が文字通り身を削って作った金は既にスロベニア郡に流れた後だろう。そして手元に残ったのは、使えばそれきりの麻薬の入った包みだけという訳だ。


 あまりにも悪辣な侵略行為であった。禁制品の麻薬を蔓延させるなどという行為に手を染めている勢力は中原にはいない。敵国に略奪行為が行われない理由と同じだ。自国の民を徒に傷つける行為を好んで用いる君主や軍師などいないのだ。そう……通常・・は。


 恐らくこのジャハンナム騒動も裏で糸を曳いているのはミハエルだろう。ガレスとミハエルはそれらの禁忌や暗黙の了解を悉く破ったのだ。


 サラに詰られたジェファスは不快そうに口を引き結ぶ。


「ふん! 恨むのなら儂を怒らせたこの国の君主と儂の孫娘を恨むのじゃな!」


 マリウスとミリアムの事だ。老人がイゴール公の元を出奔する羽目になった原因ともいえる存在。


 ミリアムの事は知っていた。年も近いし話してみたいと思っていたのだが、それぞれ文官見習いと武官見習いでは中々接点がなく、そうこうしている内に彼女はハルファルへと異動になってしまった。



「さて、余計なお喋りはここまでじゃ。ここはもう引き払うが、その前にお主等には役に立ってもらうぞ?」


 ジェファスが合図すると私兵達が近付いてきた。縛られている2人の少女にはそれに抵抗する事さえ出来ない。身体を強張らせるのみだったが……


「……んん? 何の騒ぎじゃ?」


 ジェファスが訝し気に扉の方を振り向く。部屋の外から微かに人の声や怒号、そしてドタドタという足音などが響いてきた。そしてその音は次第に大きくなり……



 ――バタンッ!!



「そこまでです、ジェファス・・・・・!!」

「……!」


 扉を開く音と共に部屋に踏み込んできたのは、3人程の衛兵を後ろに引き連れたエロイーズであった!






「せ、先生!」

「リリアーヌ、サラ……。良く頑張ってくれましたね。もう大丈夫ですよ」


 エロイーズは彼女達の方を向いてたおやかに微笑む。彼女には武芸の能力はないはずなのに、リリアーヌには何故かこの状況でその姿がとても頼もしく映った。


 エロイーズはジェファスの方に向き直る。


「サラから人相を聞いてもしやと思っていましたが……。少女誘拐監禁にジャハンナムの意図的な流布を認める発言。何よりも敵国の一員であるあなたをここで逃がす手はありません。大人しく縛に付きなさい」


 エロイーズの合図と共に衛兵が武器を構える。ジェファスの両脇にいる私兵達も対応して武器を構えるが、ジェファスはそれを手で制する。


「ふん……この小娘共の裏にいたのはお前か。お前の事はミハエルやボルハから聞いておるぞ? 小賢しい策を弄する女じゃとな」


 官憲に踏み込まれたというのに何ら慌てる様子の無いジェファスの姿に、エロイーズは眉を寄せる。


「ジェファス……衛兵はこの3人だけではありません。既にこの道場跡の周囲を衛兵の小隊によって固めています。あなたに逃げ場はありません。私の合図一つで、いつでも捕縛できるのですよ?」


「ひょっひょっひょ……それは困ったのぉ。ではさえずってばかりおらんで、やってみたらどうじゃ?」


 何故か謎の自信をにじませるジェファス。それに不可解な物を感じながらも、どの道ここで逃がす事は出来ないので、衛兵に捕縛を命じる。


「……いいでしょう。衛兵、この者達を逮捕しなさい。抵抗するなら斬って構いません」


 エロイーズの命令に従って2人・・の衛兵が動き出そうとする。残りの1人は何故か動かない。


「お……」


 その衛兵は信じられない程目を大きく見開き、そして……口から血を吐き出して崩れ落ちた。


「な…………」


 エロイーズは勿論、他の衛兵も一様に息を呑んだ。倒れ伏した衛兵の背後には、いつの間にか1人の男が佇んでいた。その手には血に塗れた刀が握られている。



「あ、あいつは……!」


 サラが青ざめた顔で呻いた。それは彼女を気絶させて捕えた、あの護衛の男であった。


「き、貴様ぁ! 抵抗するか!」


 男の気配に気付かなかった動揺を同僚が殺された怒りで上書きして、残りの衛兵が男に斬りかかる。


 だが男は恐ろしい程の身のこなしで、衛兵が剣を振りかぶった瞬間に肉薄してその喉元を斬り裂いていた。夥しい血しぶきと共に衛兵が倒れ伏す。


 残った衛兵が剣を突き出すが、男はそれも容易く躱すとカウンターでやはり相手の首筋を斬り裂いた。同じように血しぶきを上げて事切れる衛兵。リリアーヌが悲鳴を上げて目を逸らした。


 それは戦いとすら言えない、僅か数秒の出来事であった。その数秒で臨戦態勢の衛兵3人を容易く全滅させた男。間違いなく達人級の手練であった。



「あ……ま、まさか、あなたは……」


 一瞬にしてこの場での形勢を覆されて青ざめるエロイーズ。ここまでの手練れで尚且つジェファスに忠実に従う男。思い当たる節があった。マリウスやアーデルハイドから聞いた話に出てきた刺客の……



「ひょっひょっひょ! 良くやったぞ、タナトゥスよ!」

「……っ!」



 ジェファスの耳障りな笑いに、自らの予想を肯定されてエロイーズは歯噛みした。かつてマリウス達と相対した時には、常に顔の下半分を隠す覆面をしていたらしい。しかし今は覆面をしていなかった。後は目立たない平服を着ていれば、それだけで正体を隠して堂々とディムロスの街中を歩く事ができたのだ。



「く……衛兵! 衛兵っ!! 非常事態です! 今すぐ突入しなさい!」


 金切り声を上げて、この道場跡の周囲を固めている残りの衛兵の小隊を呼び寄せる。女性の甲高い悲鳴が中から響けば、異常を察して迷わず全員で突入してくるはずだ。だが……


「…………」


 誰も、来ない。何の音もしない。誰かが駆けつけてくる気配も……ない。


「そ、そんな……何故!?」


「……無駄だ。外にいる連中も全員片付けた」


「……っ!!」

 愕然とするエロイーズに、タナトゥスが初めて短く喋った。そしてその淡々と告げられた短い言葉の内容は、エロイーズの顔色を完全に失くしてしまうに充分なものであった。


 彼女が屋敷に突入してから今に至るまで僅か数分の出来事だ。その数分で10名以上いたであろう、衛兵の小隊を壊滅させたというのだ。そして実際に誰も駆けつけてこない事から、その言葉は事実なのだろう。エロイーズはその事実に戦慄した。


「お前の事は聞いておると言ったじゃろう! 手の内はお見通しなんじゃよ」

「く……」


 エロイーズは唇を噛み締めて呻く。彼女単身では無力だ。打つ手を失った彼女の姿にリリアーヌとサラも青ざめる。

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