第十四幕 新興教団『イブリース』
それからしばらくは情報収集に費やされた。エロイーズは侠客のドニゴールらにも協力を仰いで、この『イブリース』と名乗る新興教団の情報を探らせた。
筋者達の裏の伝手によって『イブリース』の集会が開かれる日時、そして教祖の所在を特定する事が出来た。それによって囮役を買って出たリリアーヌは遂に教祖と接触する事に成功していた。
街の広場や大通りからは外れた場所にある寂れた道場跡。かつてはアロンダイト流の剣術道場が開かれていた場所だが、アロンダイト流は帝国で最もメジャーな流派であるため道場が乱立し、同じ流派で門弟の奪い合いが起きる事も珍しくない。
この道場もそうした食い合いに敗れて畳んでしまった数多くの道場の一つなのだろう。その後は再建される事もなく放置され朽ちるままとなっていた廃道場に、しかし最近夜になって複数の人の出入りが確認されるようになっていた。また建物内に灯る怪しい明かりも。
ドニゴールらが得た情報では、この道場跡こそが『イブリース』の仮の本拠であるらしい。
そしてこの日の夜、『イブリース』の元に新たな、そしてとびきり美しい1人の客人が訪れていた。
「……教祖様。新たな『入信者』を連れて参りました」
かつては道場主の私室だったと思われる奥の個室。リリアーヌをそこまで案内してきた背の高い男が、部屋の扉をノックする。素人のリリアーヌの目から見ても立ち振る舞いに隙が無く、間違いなくこの男がサラの言っていた教祖の護衛とやらだろうと当たりを付けた。
『ひょひょ……入れ』
扉の向こうから奇怪な笑い声と共に入室の許可が出た。護衛の男が扉を開ける。中は最低限の手入れだけがなされた殺風景な個室であった。奥に大きめの机があり、そこの席に1人の老人が腰掛けていた。
六十は過ぎていると思われる老齢で矮躯ながら、その目だけは異様にギラついた精気を放っており、何ともアンバランスな印象を与える不気味な老翁であった。暗い部屋の中で燭台の灯りに照らし出されたその顔は、まるで煉獄を徘徊するという邪悪な小鬼を連想させた。
リリアーヌの喉がゴクッと鳴る。だが彼女は震えそうになる足を必死で支えて、懸命に動揺と恐怖を押し隠した。自分の演技に全てが掛かっているのだ。こんな所でしくじる訳には行かない。
「ほぉ……これはまた美しい
リリアーヌは悲し気な表情を作って俯いた。何とも言えない蠱惑的で退廃的な雰囲気が醸し出される。
「は、はい、実は……将来を誓い合った恋人が戦で先立ってしまい……。もうこの世に何の希望も見出せなくなってしまったんです。何の為に生きているのか……。そんな時、全てを忘れて気持ち良くなれる仙薬の噂を耳にしまして……」
「なるほどのぉ。それで噂を辿ってここまで来たという訳か。まあそういう事情なら世を儚んでも仕方あるまいて。だが……ちと値は張るぞい?」
教祖の目が鋭い光を帯びたような気がした。だがこの展開は当然予測済みだ。
「はい、解っています。金子なら用意しました。どうかお納め下さい」
そう言って懐から布の包みを取り出して机の上に広げた。中から出てきた何枚もの金貨が燭台の灯りを反射して妖しく輝く。教祖が少し目を見開く。
「ほ……確かにこれだけあれば充分じゃな。お主が本気なのは良く解った」
教祖は機嫌よく頷くと、部屋の壁に控えている護衛の男に視線を向けた。
「『例の物』を一包み……いや、これだけあれば二包みじゃな。ここへ持ってくるんじゃ」
「畏まりました」
男は特に疑問を差し挟む事無く頭を下げると、静かに部屋から出ていった。『例の物』とは間違いなくジャハンナムの事だろう。
サラの話では、査察対策の為かジャハンナムはこの本拠には置いておらず、どこか隠し場所に保管されているらしい。そしてその入出庫に関してはあの護衛の男が管理しているとも。
ここまでは上手く行った。後はジャハンナムの隠し場所を暴くだけだ。動かぬ証拠があれば、この教祖を逮捕して『イブリース』を解体に追い込める。
「ひょっひょっひょ……では、あやつが戻って来るまでの間、もう少し『話』でもしようかのぅ? もっと近こう寄れ」
「……っ。は、はい……」
老齢のはずの教祖の目が好色な光に輝いている。だがここで拒否すれば不審を抱かれるかも知れない。今の自分は自暴自棄になって麻薬に縋ろうとしている女なのだ。任務が完了するまで演技を続けなくてはならない。
震える自分の足と心を叱咤して、平静を装いながらリリアーヌは教祖の側に寄る。そして教祖の手が卑猥な動きで彼女の身体に伸びていった……
****
道場跡から1人の男が外に出てきた。男は鋭い目線で辺りを睥睨すると、そのままどこかに向かって歩き出した。
その様子をサラは物陰に隠れて窺っていた。
(あいつ……あの護衛の男だ。リリアーヌは上手くやってくれたんだね! じゃあ今度は私の番ね。ジャハンナムの隠し場所を突き止めないと……!)
このまま男を尾行していけば麻薬の隠し場所が分かるはずだ。サラは市井の少女ながら護身術の心得があり、慎重に足音と気配を殺しながら男を尾行していく。
しばらく緊張の時間が続いた。男は何度か足を止めて周囲を窺うような挙動を見せた。サラはその度に素早く物陰や人の陰に隠れ、動きを止めて気配を殺す事に専念した。
やがて男は再び歩き出す。尾行に気付いたわけではなく、麻薬を取りに行くなどというやましい事をしているが故の無意識の挙動だったようだ。サラはホッと息を吐いて尾行を再開する。
やがて男は街外れにある古びた廃屋の前に到達した。もう何年も前に家主がいなくなって放置され朽ち果てた廃屋だ。周りも雑草が伸び放題となって、中には人の背丈程も生い茂っている草もあった。
男は廃屋の前で一旦足を止めて、再び周囲を窺う。サラは草むらに身を伏せてひたすら気配を殺す。
誰も居ないと納得したのか、男は視線を戻して廃屋の中へと入っていった。
(こんなボロ家にこの街を蝕むジャハンナムが保管されてるの? 確かに盲点と言えばそうかも知れないけど……物乞いや浮浪者に見つかったりしないのかしら?)
そんな疑問を抱いた。もしかしたら秘密の地下室などがあるのかも知れない。そう自分を納得させて、男をやり過ごす為にひたすらその場で伏せたまま待ち続けた。
これで男が出ていった後、この家を改めてジャハンナムを発見したら衛兵に通報する。それで全て終わりだ。
「…………」
だが一向に男が出てくる気配がない。リリアーヌに渡す分だけでこんなに時間が掛かるとも思えない。明らかにおかしい。
(ま、まさか……!)
嫌な予感がしたサラは、慌ててこの場から離れようと身を翻すが――
「どこへ行く?」
「……っ!!」
身を翻した先に大きな影が立ち塞がっていた。あの男だ。いつの間にか廃屋を抜け出して、ずっと見張っていたはずのサラの背後を取っていたのだ。仮にも武術を学んでいる彼女をして全く、気配すら気付かなかった。その事実に戦慄した。
「女鼠が……。お前如きの気配に気づかんとでも思ったか。誘い込まれているとも知らずに愚かな小娘だ」
「く……!」
サラは歯噛みしたが後の祭りだ。この男の腕前は彼女が思っていたよりも遥かに上だったらしい。男が彼女の顔を見て少し眉を上げる。
「ん? お前は……確かエヴェルスの娘か。くく、両親を助けるつもりか?」
「っ! うるさいっ!」
多分に嘲りを含んだ男の言葉に反射的にカッとなったサラは、懐から護身用の短刀を抜き放って斬り付けた。
「ふん…………む?」
だが男は鼻を鳴らして容易くそれを躱す。しかしサラはその隙に素早く身を翻して通りに向かって駆け出した。
いくら多少武術の心得があるとはいっても、いや多少心得があるからこそ、自分の手に負える相手でない事は最初から分かっている。ここは逃げの一手しかない。だが……
「逃がさん」
「……っ!?」
サラは既に走り出していたというのに、瞬時に前に回り込まれてしまった。恐るべき身のこなしだ。驚愕から思わず硬直したサラの鳩尾に男の拳がめり込む。
「ぐふっ……く、そ……」
激痛と共にサラの意識が急速に薄れていく。彼女は心の中で両親やリリアーヌに謝罪し続けていた……
気を失って倒れ伏す少女を冷たく見下ろす男。
「ふん……となると、あの『入信者』の小娘も怪しいな」
呟いた男は、素早く気絶した少女の身体を脇に抱えるとそのまま来た道を戻って、闇の中へと消えていった。
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