第十三幕 国病浄化大作戦(Ⅱ) ~サラ・エヴェルス

 翌日。何とか政務を通常通り終わらせたエロイーズは、屋敷に戻ると夜を待った。程なくして完全に日が落ちた頃になって、家令が来客を告げてきた。


「来ましたか。では応接間の方へ通して下さい」


 昨日と同じように客人を通してから、自らも応接間に向かう。応接間に入ると昨日とは異なる点があった。



 客人は2人・・。1人はリリアーヌだ。そしてもう1人は……



「良く来てくれましたね、リリアーヌ。そちらが昨日の話の……?」


 エロイーズが目線を向けた先には、緊張した様子で椅子から立ち上がった1人の少女の姿。



「あ、あの! サラ・エヴェルスと申します! お会いできて光栄です! この度は相談に乗って下さって本当にありがとうございました!」



 そう言って深々と頭を下げる。リリアーヌとは同年代のようだが、退廃的な彼女とは正反対で生気に満ちた元気な印象の少女であった。


 可愛らしい顔立ちではあるが、リリアーヌのように強烈に人目を惹く容姿ではない。着ている服も中流家庭の庶民服で、それも相まって言い方は悪いがやや平凡な印象を与えた。


 どこの街にもいそうな典型的な、可愛らしく元気な町娘といった風情だ。しかし初対面で身分の高いエロイーズ相手でもそこまで物怖じする事無く、はきはきと礼儀正しい言動が取れているのは好印象であった。


 リリアーヌによると彼女が以前ディムロスで私塾に通っている時に知り合いになったらしく、悪童に絡まれている彼女をサラが助けた事が切欠で仲良くなったとの事だった。



「まあ、これはご丁寧に。良いのですよ。民の生活を安んじる事もまた私の務めなのですから。あなたが勇気を出してリリアーヌに相談してくれたので、そのような事態が街で進行している事が知れました。むしろお礼を言うのはこちらの方ですわ」


 エロイーズがたおやかに微笑むと、何故かサラは少しボーっとした様子で頬を上気させた。


「サラ? どうしたの?」

「え? あ、う、ううん! 何でもない!」


 リリアーヌに問われて慌てたように居住まいを正すサラ。エロイーズは彼女らの対面のソファにフワッとした動作で優雅に座った。サラが再びその所作に見惚れかけるが、今度はそれを表に出す事無く自らも座り直した。


「さて……それでは、サラ。大方の事情は昨夜リリアーヌから聞いていますが、当事者であるあなたの口から改めて経緯を聞かせて頂けますか?」


 エロイーズが切り出すと、サラは緊張した面持ちで頷いた。


「は、はい。両親は……それに他の家も多分そうですけど、宗教に嵌っているというよりは、この欲しさに身銭を切ってまでお金を作っているようなんです」


 サラはそう言って懐から小さな布の包みを取り出した。テーブルの上にそれを広げると、中から漂白されたようの真っ白い粉の塊が姿を現した。


「これは……拝見しても?」

「は、はい。くれぐれもお気を付けて……」


 サラに断ってから白い粉に手を伸ばす。指で触ってみた所、手触りはかなり柔らかく砂などとも感触が異なっている。


「…………」


 もしやと思ったエロイーズは、指先に少量だけ粉を付けて舌先で舐めてみた。


「……っ!」

 そしてその目がカッと見開かれる。



「これは、やはり……ジャハンナム!」



 聞き慣れない単語にリリアーヌとサラが首を傾げる。


「せ、先生、ジャハンナムとは……?」


 リリアーヌの質問にエロイーズは厳しい表情のまま答える。


「……死の砂漠ザハラーゥを越えた先にあるパルージャ帝国で作られている極めて依存性の高い危険な麻薬で、私も実物を見たのは商人時代に一度だけです。当然禁制品となっている代物ですが、よもやこの街にまで入ってきていたとは……」



 砂漠の向こうにある敵性国家、パルージャ帝国。過去に幾度も中原に侵略部隊を送り込んできた経緯があるが、やってきたのは人だけではなかった。


 ジャハンナムは当時(もしかしたら今も)パルージャ帝国の兵士の間で流通しており、上層部はこの麻薬を兵士達に服用させる事で、兵士に常ならぬ力を発揮させ、また砂漠を越える行軍の辛さを軽減させるのにも利用されていたらしい。


 戦争で敵を撃退しても、退却する敵に余裕が無ければ軍の物資や兵士の所持品などはそのまま遺棄残留する。そうして接収された『戦利品』の中からこのジャハンナムが発見されるのは自然な流れであり、その依存性の強さによって軍から太守や都督、果ては朝廷にまで広がるのにさして時間は掛からなかった。


 ジャハンナムの危険性を鑑みた当時の皇帝によって即座に禁制品に指定され、所持服用が発覚した者は厳罰に処された。だが禁止されればされるほど裏で希少価値は高まり好事家が群がるのは世の常。


 裏で莫大な価格で取引されるようになったこの麻薬は、一攫千金を狙う闇商人達によってパルージャ帝国との密輸ルートが長年を掛けて細々と開拓され、今でも少量が帝国内に出回っているのだった。


 原料となる植物が中原の風土では栽培できない為に、安価に流通する事がないのが不幸中の幸いだったのだが……



「き、極めて依存性が強いって……。それじゃお父さんとお母さんは……!?」


 サラが顔を青ざめさせる。話を聞く限り彼女の両親は既にジャハンナムを服用してしまっているようだ。だがエロイーズは彼女を安心させるように頷く。


「大丈夫です。まだ服用して日が浅ければ、治療によって身体から毒を抜く事が出来るはずです。とはいえ余り悠長にしていられないのは確かですね」


 他の家庭にもジャハンナムが出回っているようだし、このまま手をこまねいていては街中に、いや最悪国中に広がる恐れもある。


「出所を叩いて供給を止める必要がありますね。その……『新興宗教』について何か知っている事はありますか?」


 恐らく宗教とは名ばかりで、実態は麻薬の売人の隠れ蓑だろう。サラが考え込むそぶりになる。


「お父さん達の後を付けて一度だけ見た事があります。『教祖』は性格の悪そうな顔した老人だったと思います。でも『教祖』にはいつも腕の立つ護衛が一緒にいて、余りまじまじと観察したりは出来なかったんです」


「腕の立つ護衛……ですか。ふむ……だとすると正面から行っても難しそうですね。下手をすると逃げられてしまう可能性もありますし……」


 そうなると供給や流通のルートも解らないままとなってしまう。出来れば背景を洗って根絶しておきたい。


 だが衛兵を動員して大規模な捜索などすれば、確実に警戒されて雲隠れされてしまう可能性が高い。それでは一時的には流通を止められても根本的な解決にならない。


 ただでさえ厳しいガレス軍との戦も控えているこの時期に、国内に不安要素を抱えたままというのは非常に宜しくない。どうしたものかと思案するエロイーズだが、その時意外な所から手が挙がった。



「あ、あの……私がその『教祖』の所に潜入するというのはどうでしょう? 私なら顔が知られていませんし、上手く行けば流通ルートを聞き出せるかも……」



 なんとリリアーヌであった。気が弱く臆病な彼女がこんな事を申し出るとは思わなかった。だが確かにそれが可能なら有効な方法ではあった。しかし……


「リリアーヌ……危険ですよ?」


 敵の懐に飛び込む事になるのだ。何か不測の事態があった時に真っ先に疑われて被害を受けやすい。それはリリアーヌにも分かっているはずだ。だが彼女はギュッとその可憐な拳を握った。


「わ、解っています。で、でも私だってマリウス様や先生のお役に立ちたいんです! この国の為に出来る事をしたいんです! サラのご両親だって心配ですし……」


「リ、リリアーヌ……ありがとう」


 サラが感動と済まなさで涙ぐむ。エロイーズは彼女の申し出を思案した。エロイーズ自身は有名人なので確実に顔を知られているだろう。サラも両親との兼ね合いで面が割れている可能性が高い。


 その点リリアーヌなら確かに顔が知られておらず、かつこれだけの美貌を上手く使えばどんな情報でも聞き出す事が可能なはずだ。彼女はボルハとの一件でも自らの役目をきちんと果たしてくれた。


「……解りました。ではあなたにお願いしましょう。私達はその間に他の準備を進めておきます。でも、くれぐれも気を付けるのですよ?」


「は、はい! ありがとうございます! 怖くなんてありません。私、先生の事信じていますから!」


「……っ!」


 混じり気の無い信頼の眼差しを向けられて、エロイーズは柄にもなく動揺した。だが即座に持ち直してたおやかに微笑む。


「あら……ふふふ。それでは期待を裏切れませんね。必ずやこの街からジャハンナムの脅威を一掃してみせましょう!」



 こうして国を蝕む病巣……ジャハンナムを根絶する為の『国病浄化大作戦』が実施される運びとなった……

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