第二幕 失態と自省

 2人は馬を駆って街の外に出ていた。リュドミラは自前の馬で旅をしていたようで街の旅人宿に馬を預けていた。ソニアは愛馬のシルヴィスに跨っていた。


 リュドミラは北方騎馬民族の戦士だけあって馬術に長けており、ソニアでも付いていくのがやっとという程であった。


 そうして馬を駆る事2時間程。2人はギエル県内のとある農村の前までやって来ていた。いや、正確には……農村跡・・・とでも言うべき場所であった。



「……さ、着いたわ。ギエルの街に来る途中で見掛けたのだけど、何かご感想は?」


「な……なんだい、こりゃ……? 滅茶苦茶じゃないか! い、一体何が……?」


 馬から降りたソニアは呆然と目の前の光景を眺める。それは廃墟としか言いようのない物だった。それも打ち棄てられ長期間風雨に晒されて朽ちた廃墟ではない。


 ――焼き尽くされ、破壊し尽くされていたのだ。


 家々の殆どは黒く焦げて炭化し、田畑は踏み荒らされて井戸は念入りに破壊されていた。倉庫や納屋と思しき大きな建物も焼かれ、中にあった備蓄は根こそぎ奪い尽くされていた。


 これは明らかに自然に打ち棄てられたのではなく……人為的・・・な要因によって廃墟となったのだ。


「御覧の通りよ。間違いなくの仕業ね。これだけ徹底的に破壊されて奪い尽くされたらもう復興は無理でしょうね」


 感情を押し殺したように淡々と告げるリュドミラに、ソニアは信じられないような目を向ける。


「賊だって!? そんな馬鹿な! ギエルから目と鼻の先じゃないかい! こんなタチの悪い賊がのさばってて気付かない訳が…………あっ」


 何かに思い至ったらしいソニアの言葉が途切れる。その目が愕然と見開かれ唇が震える。心なしか顔が青ざめていた。彼女の様子を見ていたリュドミラが溜息を吐いた。


「……強大な敵との戦を控えて只でさえ国内の治安は疎かになりがちな所へ持ってきて、肝心のこの地を治める太守様は自分が強くなる事だけに夢中で周りが見えなくなって、挙句に1人で腐って酒場で飲んだくれてる位だもの。まあ、賊にとっては天国でしょうね」


「……っ!!」

 痛烈な皮肉にソニアが大きく身体を震わせる。だがまさしくリュドミラの言う通りであった。彼女の失政・・のつけが今、目の前に結果として横たわっているのだ。


 ハルファルではこのような事は起きていないだろう。アーデルハイドがそんな失策をするはずがない。ソニアは自分だけでなくジュナイナにも無理やり訓練に付き合わせて拘束していたのだ。その結果ギエルの治安悪化に拍車が掛かり、遂にはこのような賊の横行を許す下地を作ってしまったのだ。



「ア、アタシは、自分の事にかまけてばかりで、こんな…………クソッ!!」


 近くにあった廃材に拳を打ち付ける。意外と大きな音が鳴り響いた。するとその音を聞き付けたのか、こちらに近付いてくる足音が……


 壊れた家屋の向こうから姿を現したのは一人の男性であった。しかし服は焼け焦げ、身体はやせ細り、目は落ち窪み、髪も髭も伸び放題の酷い有様であった。一見して街にいる物乞いよりも薄汚れていた。


 男はソニア達……いや、正確にはソニアの姿を見るとその目を見開いた。


「あ、あんた……あんたはっ……!」


 震える手で自分を指差すその男を、ソニアはどこかで見た気がした。しかしどこだったかは思い出せなかった。


 男が近付いてきた。


「……村が賊に狙われてるから助けてくれって何度も直談判した。けどあんたは聞く耳持たなかったよなぁ? それどころか、うるさい奴だと言って殴りつけたよな!?」


「――――っ!!」


 言われた事で思い出した。その時も訓練で成果が得られず腐って、しこたま酒を飲んで気を紛らわせていた時だった。焦り、苛立ち、恐怖などの負の感情を深酒がむしろ増幅してしまっていた。


 タイミングが悪かった。だがそれは言い訳にすらならない。彼女のやった事はマリウスの配下、いや同志・・としてやってはならない事だった。



「見ろ、この有様を! あんたの望み通り・・・・この村は滅びた! これで満足か!?」


 男が顔を赤くしながら喚くが、ソニアは何も言えずに立ち尽くすのみだ。騒ぎが大きくなり、他にも何十人かの人間がゾロゾロと集まって来ていた。男だけでなく老人や女子供もいる。皆男に近い身なりで死んだような虚ろな目をしていた。賊の襲撃の生き残りか。


 男は焼け果てた村と彼等を仰いで叫ぶ。


「見捨てた村に今更何の用だ!? 嘲笑いにでも来たのか!?」


「今……アタシが何を言っても言い訳にしかならないけど……」


 ようやくといった感じで言葉を絞り出したソニアは、その場で地面に両膝を着いた。そして……



「――済まんっ!! アタシが馬鹿だった!! アタシは完全にどうかしてた!」



 ……勢いよく額を地面に打ち付けた! 額が切れて流れ出た血がソニアの顔を伝う。


「……!」

 強烈な意思表示に男が一瞬怯んだ様子を見せるが、すぐに再び怒りを再燃させる。


「……今更謝られたってなぁ! この村はもうお終いなんだよ! それとも何か? あんたが何とかしてくれるってのか!?」


「ああ、約束する」


 静かな即答に、男は何を言われたのか解らないという風に目を瞬かせる。


「な、何だって?」


「アタシが賊を退治して奪われた物を全て取り返してやる。それで足りない物は街の方で援助させてもらうよ」


「……!」

 男が目を見開く。後ろで聞いていた他の村人達も騒めき出す。



「……へっ。賊を退治するだって? どうせ戦の準備とやらでお忙しいんだろ? 出来もしない事を軽々しく口にしない方がいいぜ?」


 だが男は皮肉気に口を歪めて目を逸らす。ソニアは動じない。


「口で何を言った所で信用しろってのが無理な話なのは重々承知してるさ。だから行動と結果で示してやるよ! 楽しみに待ってなっ!」


「あ!? おいっ!」


 男が止める間もなくシルヴィスに飛び乗ったソニアは、そのまま手綱を翻して街の方向へ駆け去って行った。思い立ったら即行動なのは彼女も一緒だとリュドミラは思った。


「あ、あいつ……本気か?」


 男は唖然とした表情で、物凄い勢いで小さくなっていくソニアの背中を見つめていた。それを尻目にリュドミラも自分の馬に跨った。


「ええ、彼女は本気よ。そして勿論、私もね!」


 そしてやはり手綱を翻して、ソニアの後を追うように村から走り去っていった。


「…………」


 遠ざかっていく彼女達の背中を見つめながら、男はじっと何かを考え込んでいる様子であった。




****




 ギエルの街へと戻ってきた2人。ソニアはあの村に対して当座を凌ぐ為の救援物資を手配すると、リュドミラと2人で屯所を目指して街中を歩いていた。


「……済まなかったね、リュドミラ。お陰で目が覚めたよ」


「ふふ、どう致しまして。いい顔になってきたわね。ようやく昔のあなたに戻ったみたいね?」


 リュドミラが揶揄すると、ソニアは頬を掻きながらも頷いた。


「ああ、そうだね……。目先のガレス軍に勝つ事しか考えてなかった。そもそも何の為に・・・・勝つのかって部分がすっぽりと抜け落ちちまってたんだ」


 ソニアは天を仰ぎ見た。


「マリウスの力になりたい。仲間を守りたい。民の暮らしを守りたい。その気持ちを忘れちまってたんだ。何の為に強くなるのかも忘れて、ただ闇雲に訓練なんかしたって強くなれるはずがないさ」


 そう話すソニアの顔は、実際に憑き物が落ちたかのように穏やかになっていた。その横顔を見つめるリュドミラは何故かうっすらと頬を染めていたが、幸いにして(?)ソニアがそれに気付く事はなかった。



 ……実は彼女がノーマッドを飛び出してきたのは、他の部族の男と結婚話が持ち上がったからであった。彼女を結婚させたい族長とそれを拒否するリュドミラという構図で大喧嘩となり、半ば逃げるような形で集落を飛び出してきたのであった。


 結婚させられると聞いて真っ先に思い浮かんだのは、10年前に中原で親友・・となったソニアの顔であった。彼女の事がずっと忘れ難かった。長らく自分の中のその感情に戸惑っていた。


 ソニアに会いに来たのは勿論安否を確認したかったというのもあるが、それ以上に自分のこの感情の正体を知りたかったというのが大きい。そして10年ぶりにソニアと再会し彼女の顔を見た途端、リュドミラは明確にその感情・・・・を自覚する事になった。



「それじゃアタシはこれから賊の情報を集めに屯所に向かうけど、アンタはどうする?」


 親友・・の視線には気付かないままソニアは屈託ない様子でリュドミラに問い掛ける。そんな凶暴な賊であれば必ず情報があるはずだ。


「勿論私も手伝わせてもらうわ。民の暮らしを守りたいって思いは私だって同じだからね」


 内心の想いは押し隠した上で同行を希望するリュドミラ。


「はは! 実はそう言ってくれるんじゃないかと期待してたんだ! 一丁また10年前の時みたいに暴れてやろうじゃないか! アンタもあれから腕を上げたんだろ? 見ただけで分かるよ」


 ソニアが嬉しそうに笑う。彼女の騎馬の扱いだけ見てもそれは明らかだった。


「ええ、私もあなたと一緒に戦えるのが楽しみだわ、ソニア」


 そしてリュドミラもまたソニアとは異なる感情から嬉しそうに笑うのだった。

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