第三章 激闘編

黎明の女傑

第一幕 黎明の女傑(Ⅰ) ~リュドミラ・タラセンコ

 トランキア州、セルビア郡。


 ギエルの街。その宮城の脇に併設された練兵場の一角で、2人の女が訓練用の剣や槍を構えた状態で向き合っていた。


 片方は露出度の高い衣装に浅黒い肌の女傑……ソニアである。もう片方は更に露出度の高い皮鎧にソニアよりも更に色の濃い肌をした女戦士ジュナイナであった。


 2人は既に全身汗まみれで、肩で大きく息をしている状態だった。照り付ける日中の日差しのせいばかりではない。この2人はもうかれこれ一時間は模擬戦を続けているのである。


 といっても鬼気迫る様子なのはソニアの方だけで、ジュナイナの方は若干消極的な様子であったが。だがソニアの気迫に押されて付き合っているという感じだ。




「ぬう……りゃああぁぁぁぁぁっ!!」


 ソニアが疲労を押して無理やり気合を出しているような掛け声と共に地面を蹴った。訓練開始前と比べると、その踏み込みは消耗によって見る影もなく鈍くなっていた。


「く……!」


 だが消耗しているのはジュナイナも同じだった。ソニアの剣を槍の柄で受けるが、それを押し返すだけの体力が残っていない。結果ソニアの疲労から直線的な軌道となった斬撃にも対処できずに防戦一方となる。


「おら! おらぁっ!」


 最早技術もなにもない。ただ子供が棒切れを思い切り叩き付けるかの如き挙動で攻撃を繰り返すソニア。だが槍の柄で受け止めるだけのジュナイナの膝は徐々に折れていき……


 ――カアァァンッ!!


 小気味良い音と共にジュナイナの手から槍が弾かれて地面に転がった。


「ま、参ったっ!」


 両手を上げて降参の意を示す。ソニアは荒い息を吐いてその光景を眺める。



「はあ! はぁ! はぁ! ふぅ! …………おら! もう一本行くよ!」



 ジュナイナは信じ難いという風に目を見開いた。


「ま、待って……はぁ、はぁ……もう、限界……はぁ……これ以上は……」


 息も絶え絶えな様子で音を上げるジュナイナ。疲労の余り膝が笑って立っているのがやっとだ。こんな状態では訓練などしても碌な成果は上がらないだろう。ソニアは忌々し気に溜息を吐く。



「くそ……こんなんじゃ全然強くなんてなれないよ! アタシはこんな所で立ち止まってなんかいられないんだ! もっと強くならなきゃいけないんだよ!」



 叫ぶように声を張り上げるソニア。あのハルファル侵攻戦から彼女の、強さを求める姿勢は更に顕著になって、最早常軌を逸しているとさえ言える程になっていた。


 一騎打ちで勝つどころか、敵将に押されて負ける寸前まで追い込まれて、ジュナイナの横槍で辛うじて勝ったという事が相当に堪えているのであった。


 だがその結果がこの無茶苦茶な訓練というのでは本末転倒だ。彼女は自分を見失っている。


「こんなただ闇雲に訓練したって強くなんてなれるはずがないわ! 焦って怪我するのがオチよ!」


「……!」

 ソニアの顔が強張る。


「強くなるって事の意味をはき違えているんじゃない? 一言で強さと言っても――」


「――うるさいっ! 説教なんて聞きたくないよ! くそっ! 今日はもう終わりだ!」


「あっ! ソニア!?」


 訓練用の剣を地面に叩きつけるように放ったソニアは、脇目も振らずに練兵場を飛び出して行ってしまった。ジュナイナは疲労からそれを追いかける事が出来なかった。


「全く……呆れた体力ね……」


 南蛮育ちの彼女をして、それだけは認めざるを得なかった。




****




 セルビア郡全体を領有し、3都市を擁する事になったマリウス軍。マリウス自身の刺史就任に伴い勢力内でも異動が行われていた。


 具体的にはソニアがギエルの太守に、アーデルハイドがハルファルの太守に任命されていた。同時にそれぞれの直属の将といえるジュナイナはギエルに、ミリアムはハルファルへと配属になっていた。


 マリウスの腹心であるヴィオレッタやエロイーズは勿論、ファティマやキーア、リリアーヌらはそのままディムロス所属だ。


 3都市のどこに攻め込まれても対処できるように戦力を振り分けた結果であった。その都市の戦力だけで敵に勝つ必要はなく、他の都市から援軍が来るまで耐え抜く事が出来れば問題ない。その為の戦力振り分けだ。因みに戦力分配の観点から、新参のアナベルはハルファルへの配属となっていた。



 そしてギエルの街である。




****




「くそうっ! どうすりゃ強くなれるんだ!? アタシは一体どうすりゃいいんだよぉ!」


 街の酒場。ソニアは1人、深酒をしながら荒れていた。


 露出度の高い野性的な美女が1人で呑んでいるとなれば通常は声を掛けてくる者が引きも切らない状態であろうが、彼女が新たに太守となった人物である事は街の殆どの者が既に知っており、それが酒を飲んで荒れているとなれば敢えて近付こうとする物好きは存在しなかった。


 だがソニアはそんな周囲の状況などお構いなしに酒の杯を呷る。


「このままじゃアタシは……」


 ソニアの中にあるのは激しい焦燥だ。戦で勝っても、どれだけ訓練してもまるで強くなった気がしない。実際に強くなっていない。ハルファル侵攻戦でクリメントに一方的に押されてしまっていたのが何よりの証拠だ。


 こんな事では到底マリウスの抜けた穴を埋めるなど不可能だ。ましてやこれから戦う事になるだろうガレス軍には君主のガレス自身やギュスタヴなど彼女が無様な敗北を喫した相手を始め、他にも一騎当千の強者が揃っているのだ。


(アタシは、勝てるのか……あいつらに?)


 自問の結論はすぐに出る。無理だ。勝てる気がしない。


 だがマリウスが抜けた以上、連中と戦うに当たってソニアに掛かる比重は大きい。それを思うと焦燥以外に恐怖も押し寄せてくる。それを忘れたくてがむしゃらな訓練や酒に逃げる。完全な悪循環に陥っていた。



(くそ……サランドナにいた頃は本当にお気楽だったもんだよ。あそこにいた時はアタシに敵う男なんて誰もいなかった)


 自分が如何に狭い世界でふんぞり返っていたかが良く解る。男なんて身体や態度ばかりデカくて大した事ない奴等だと本気で思っていたのだ。


 だが実際に外の世界に出てみたらどうだ。確かにゴロツキや兵士くらいになら勝てる。だがそれはサランドナでも同じ事だった。


 マリウスは勿論の事、他にも自分より遥かに強い男達はいくらでもいたのだ。ただ今までそれらとまみえる機会がなかっただけなのだ。


 外の世界に出てからは、名のある将や武芸者が相手となると連戦連敗の有様だった。今こうして命があるのは、その連中に戦う相手とすら見なされていなかった結果に過ぎない。



「くそ! くそっ! ちくしょうっ!!」


 屈辱、焦燥、恐怖、憤怒……様々な感情に心乱される彼女はテーブルを力任せに叩いて、再び注ぎ足した酒杯を呷った。


 触らぬ神に祟りなし。酒乱の女太守に敢えて関わり合いになろうとする者はおらず、結果誰も彼女を止める者はいない。増々酒に溺れてドツボに嵌りそうになっていたソニアだったが……




「あらあら、何やら聞き覚えのある酔っ払い女の声が聞こえると思ったら……やっぱりあなただったのね、ソニア。こんな所で何をしているのかしら?」




「……っ!?」


 誰もが敬遠していた今のソニアに声を掛けて近付いてくる者があった。声からして女性だ。だがジュナイナではない。思わず振り向いたソニアは目を瞠った。


 そこにいたのは、中原では殆ど見かけない独特の衣装に身を包んだ若い女性であった。


 肌の露出が殆ど無い、縁がファーで覆われたまるで男物のような上衣とズボン。頭にはやはり中原ではまず見掛ける事の無い羽毛付きの丈夫そうな帽子を被っていた。


 その衣装に、女性自身の外見もまた中原では珍しいものだった。まるで色素が抜け落ちたかのような透き通るような白さの肌。帽子から覗く長髪は輝くような……銀髪。瞳の色もまるで血のような鮮やかな赤色であった。


「て、低地人だ……」


 酒場にいた他の客の誰かが呟いた。



 低地人。それは北の広大な原野『ノーマッド』で遊牧生活を営む少数民族である。帝国人とは人種そのものが異なっている。



 北方のスカンディナ州やガルマニア州、またはハイランド州では交易などで訪れる低地人を見かける事も稀にあるが、地理的に正反対に位置するこのトランキア州にまで赴く低地人はまずいない。低地人自体、伝聞でしか知らない者が殆どなのだ。そういう意味では酒場の客たちの反応は至極当然の物と言えたかも知れない。


 だがこの低地人の女性はそのような反応には慣れっこなのだろう。気にした風もなく、目の前のソニアにのみ視線を合わせている。


 ソニアはその女性の姿を見て驚いていた。ただしそれは低地人だからではない。



「え……ア、アンタ……まさか、リュドミラ……? リュドミラなのかい!?」



 それは思ってもみなかった場所で旧友・・に出会った驚きであった。低地人の女性――リュドミラが微笑みながら頷いた。


「ええ、そうよ。久しぶりね、ソニア。もう……10年近くなるかしら?」


 彼女の名前はリュドミラ・タラセンコ。ノーマッドに住まう北方騎馬民族の女戦士だ。遊牧民にもいくつかの部族があり、彼女はその一つ、リトアニア族という部族の出身であった。


 ソニアとの出会いはジュナイナよりも以前。まだ彼女の父親が存命中の頃だ。父親同士が友人であり、リュドミラの父親が彼女を連れてサランドナまで訪ねてきた事が出会いだった。


 元々は所用で彼女の父親だけがサランドナを訪ねる予定だったのだが、中原を見て回りたかったリュドミラが同行を希望してくっ付いてきたのだ。  


 若干空気が読めず思った事をなんでも口にしてしまう性質だったリュドミラは、当時から気が強かったソニアと当然の如く喧嘩となってしまった。喧嘩はソニアの勝ちで、リュドミラはその後勝てるまで何度でも喧嘩を挑んできた。そうこうしている内にいつしか意気投合していた2人。


 親友となった2人はリュドミラの父親がサランドナを離れるまでの数か月、自由奔放に遊び回り暴れ回った。彼女達は2人共手の付けられない不良少女であった。


 思えばソニアにとってあの頃が一番楽しい時代だったかも知れない。それもあってリュドミラの事は、それから10年近く会っていなかったにも関わらず忘れた事はなかった。


 それがお互い完全に大人になった今この時、それもノーマッドから遠く離れたこのトランキア州で再会するとは夢にも思っていなかっただけに、喜びも一入であった。



「は、ははは! 本当に久しぶりだね、リュドミラ! まあ座りなよ! 一体こんな所で何やってるんだい? ここはノーマッドから離れすぎてる気がするけど?」


 ソニアの勧めに従って対面の席に腰掛けたリュドミラは肩を竦める。


「別に。ちょっと族長と大喧嘩しちゃってね。それで部族を飛び出しがてら、久しぶりに中原を見て回ってたのよ。戦乱については話だけは聞いてたけど、実際どの街も大分きな臭くてピリピリした雰囲気になってるじゃない。それであなたは無事なのかしらと思ってサランドナを訪ねたら、あなたは既にあの街を飛び出してトランキア州で旗揚げしたって噂を聞いたのよ。それで真偽を確かめようと噂を辿ってここまで来たって訳」 


「ははぁ……そういう事だったのかい。思い立ったら即決即断なのは相変わらずみたいだねぇ」


 ソニアは苦笑した。彼女にしては覇気のない様子にリュドミラは訝しんだように首を傾げる。


「そういうあなたは随分出世したみたいだけど……それにしては浮かない様子ね? 昼間から酒場に入り浸って荒れてるなんて……」


「あ、ああ、それは……」


 一瞬バツの悪そうな顔で言い淀んだソニアだが、ふと思い直して顔を上げた。


「……なあ。強くなるってどうすりゃいいんだ?」

「はあ?」


 今の鬱屈した感情を1人で抱え込んでいたくなかった。誰かにぶちまけたかった。悩みを聞いて欲しかった。今の彼女はマリウスの腹心にして太守でもある。部下にこんな悩みの相談など出来るはずがない。


 そういう意味ではマリウス軍とは関係ない第三者で気心も知れているリュドミラは、今の悩みを打ち明けやすい相手であった。気が付くとソニアはこれまでの大体の経緯と今彼女が抱えている問題についてリュドミラに説明していた。





「……そう。そんな恐ろしい敵が……」


 話を聞き終わったリュドミラが腕を組んで唸る。


「アタシが弱いせいでマリウスにも他の皆にもいつも迷惑を掛けちまう。でも奴等との戦争は間近に迫って来てるんだ! アタシは弱いままじゃいられないんだ! でも……駄目なんだよ。何をどうやってもこれ以上強くなんてなれない! アタシじゃどう足掻いたって奴等には勝てないんだ! こ、このままじゃアタシは……この国は……!」


 頭を掻き毟るソニア。話している内に気持ちが鬱屈してきて、また再び酒杯に手を伸ばす。だがその手をリュドミラの手が掴み取って制止した。


「リュ、リュドミラ……?」


「……ソニア。今からちょっと行きたい場所があるんだけど、付き合ってもらえるかしら? 酒場で飲んだくれてた位だから時間はあるわよね?」


 そう言ってさっさと立ち上がるリュドミラ。ソニアは戸惑った目を向ける。


「え……い、いいけど……どこに?」


「いいから、さっさと立つ! あ、酒代はきちんと払っておきなさいよ!?」


「わ、分かったよ……。何なんだよ、一体……」


 彼女の剣幕に押されてソニアはぶつくさ言いながらも、酒代を払うとリュドミラを追って店の外に出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る