第二十幕 闇夜に踊る者(Ⅲ) ~ファティマ・ジブリール
そのような経緯で現在、2人の姿はモルドバの街にあった。ディムロスの数倍の規模を誇る州都だけあって、かなりの繁栄ぶりだ。ディムロスを発展させていくにあたって、街並みなど参考に出来る部分も多い。
将来的にイゴール公と戦争状態になった場合、今のように普通に街に入ったりも出来なくなるので、今の内にとヴィオレッタだけでなく、エロイーズを始め官吏達もたまにモルドバまで出向いては、積極的に街の様子などを観察したり、商人や職人に話を聞いたりして勉強しているらしい。
マリウスを伴ってヴィオレッタが向かったのは、そんな発展した街の中心街ではなく、やや外れ寄りにあるスラムに程近い雑然とした区域であった。
モルドバにも当然スラム……貧民街は存在する。いや、街の規模と人口が多い分、ディムロスよりも規模が大きいくらいだ。そんなスラムと繁華街の間に位置する区画にある一軒の建物の前でヴィオレッタは足を止めた。
「……ここよ」
「これは……家、じゃない?」
民家と言うには少し変わった様相であった。入り口には薄紫の垂れ幕のような物が下がり、怪しい匂いのする香が炊かれていた。それでいて全ての窓は雨戸が閉められて中を見通す事が出来ないようになっている。何とも怪しげな雰囲気であった。
だがマリウスが以前に暮らしていた帝都にも、実はこういった類いの建物は存在していて、マリウスもそれが何であるかは知っていた。
「……
そう、この建物はいわゆる『占い師の館』特有の雰囲気であったのだ。
帝国では占い稼業はそれなりに盛んだ。情報が限られ明日をも知れぬ社会だからこそ、人は心の安寧を求めて自身の運命や未来を知りたがる。それによって安心を得たいのだ。
ましてや今は戦乱の世である為、人心の乱れや現実逃避から更に占いの需要が高まっているらしい。それは為政者達にしても同じ事で、自身や勢力の行く末を知りたがったり、戦争の勝敗を知りたがったりと需要は高く、大勢力となるとお抱えの占い師を近侍させている君主も珍しくない。
占いの種類は多岐に渡りマイナーな占いも数多く存在しているが、帝国では占い師が念を込めながら積み上げた石の塔を崩してその散らばり方で運命を占う『積石占い』と、天空を流れる星々の動きから未来を予測する『光星占い』の二つが主流であった。
このうち庶民は主に積石占い、君主や太守などの為政者は光星占いを好むという違いがあった。
帝国こそがこの世の中心と信じる人々の事。当然ながら夜空を彩る星々も、自分達の大地を中心に廻っているという考え(天動説)が当たり前に信じられていた。そんな自分達を取り巻く星々が自分の前途を祝福しているという考えを好む君主や為政者は多く、光星占いの方が彼等に人気なのもある意味では必然であった。
閑話休題。
因みにマリウス自身は余り占いを信じておらず、そんな物に頼るくらいなら自分を磨いて自らの道を自分で切り開くという考えであった。
しかし特に女性は占いを好む物で、帝都にいた頃は取り巻きの女性達に付き合わされて、占いの館自体には何度も足を運んだ経験があった。中には不安を煽る占いで女性達から金を吸い集めようと企んだり、裏で傭兵を雇って自分の『占い』を現実の物にするなどの不逞の輩もいて、懲らしめてやった事もある。
「まさか他ならない君が占いに傾倒してる訳じゃないよね?」
若干過去を懐かしく思い出しながらも、出来れば否定して欲しいと思いながら尋ねるマリウスに、ヴィオレッタは宛然と微笑む。
「あら? 軍師とはいっても私だって女よ? 女は占い好きな生き物なのよ」
「……それは良く知ってるよ」
「ふふ、尤も……私が頼む
「え?」
占いという部分に妙なアクセントを置いた言い方が若干気になったマリウスだが、ヴィオレッタはやはり意味深に微笑むとそのまま館の中へと入っていってしまった。慌てて後を追うマリウス。
建物の中は窓を締め切っている為に外の光が殆ど入らず、小さな蝋燭が何本も並んだ薄暗い空間となっていた。換気も悪い為に中に充満した香の匂いも怪しさを演出するのに一役買っていた。
「ファティマ、いるかしら?」
しかしヴィオレッタはそれらを何ら気にした様子もなく、奥に続く部屋に向かって声を掛ける。奥の部屋にも仕切りに垂れ布が下がっており、向こう側が見通せないようになっていた。
奥の部屋で人の動く気配があり、仕切りの垂れ布がかき上げられ、奥から一人の人物が姿を現した。
「やあ、ヴィオレッタ。よく来てくれたね。頼まれていた件、調べは付いているよ」
気さくな感じでヴィオレッタに声を掛けるのは、一人の妙齢の女性であった。マリウスはその女性を興味深げに見つめた。
(へぇ、これは……)
ヴィオレッタにも負けない艶のある黒い髪は腰まで届き、占い師風の如何にも怪しげな衣装に身を包んでいる。しかしマリウスの目を惹いたのはそこではない。
女性の容貌は、美貌ではあるが帝国では余り見かける事のないエキゾチックな物であったのだ。肌の色はイスパーダ人に近い褐色だが、その顔は帝国人よりも更に堀が深い独特の輪郭であった。
帝国人ではない、
マリウスはこの外見的特徴に合致する民族を知っていた。帝都でも極少数ながら同じ人種の人間を見掛けた事があった。
(アマゾナスの湿地人ともノーマッドの低地人とも、勿論シャンバラの渡海人とも違う……。この女性は、パルージャの……)
死の砂漠『ザハラーゥ』を越えた先にある巨大帝国。過去に幾度も中原に侵略してきた事もある敵性国家であった。
だが何度かの侵略戦争を撃退した際に、オウマ帝国側の捕虜となって祖国から見捨てられ、そのまま中原に居着いてしまった者も少数ながら存在していた。
彼等は虜囚からの解放と引き換えに、パルージャ帝国の情報を暴露し、中原の言葉を覚え中原の文化に帰依していった。そして帝国人の女性と婚姻し、子孫を儲け、やがて少数派民族として帝国内に根付いていった。
彼等は帝都を始めとした大都市を中心に独自のコミュニティを形成し、彼等独自の情報網を持っているとも言われている。
「相変わらず良い手際ね。それじゃ報告を聞かせて頂戴」
ヴィオレッタはこのパルージャ人の女性とは既知の間柄らしく、ごく当たり前に会話を進めようとしたので、マリウスは慌てて割り込んだ。
「あ、あの、ヴィオレッタ? こちらの女性は? 僕の勘違いでなければ、彼女は
パルージャ人というと本場パルージャ帝国に住む敵性民族の事を指すので、それとは区別する為に彼等は砂漠人と呼称されている。
「ああ、ごめんなさいね。ええ、その通りよ。彼女は見ての通り砂漠人で、私の友人なの」
「ファティマ・ジブリールと申します。あなたがディムロス伯マリウス様ですね? お噂はかねがね。お会いできて光栄に思います」
砂漠人の女性――ファティマが手を差し出してきたので、マリウスは恭しくその手を取って口づけした。
「こちらこそ、お会いできて光栄ですよ、ファティマ殿」
「……っ! な、なるほど。確かに噂通りのお方のようですね……」
臆面もなく気障な挨拶をしてのけたマリウスに若干顔を引き攣らせるファティマ。ヴィオレッタが苦笑しながら補足する。
「彼女は表向きは占い師だけど、裏の顔は……
「……! 何と、そういう事だったんだね。君は常に一歩先の展開を見据えているんだね。本当に素晴らしい軍師だよ、君は」
ヴィオレッタがその辺の女性のように占いに傾倒しているのではない事が解って、マリウスは安心すると同時に嬉しくなった。やはり彼女を選んだ自分の目に狂いは無かったと改めて認識出来たのだ。
マリウスの混じり気ない賛辞に、ヴィオレッタが何故か少し顔を赤らめる。
「よ、よして頂戴。改めて言われると恥ずかしいわ……」
そんな彼女の様子に、マリウスだけでなくファティマも微笑ましい物を見るような視線になる。
ヴィオレッタは本人は怜悧で妖艶な女軍師を自負しているらしいのだが、実はかなり情にもろく義に厚い性格で、また意外に優しく労りのある性質である事も、既にマリウス軍では周知の事実となりつつあった。知らぬは本人ばかりというヤツだ。
その為、一見優しげでありながらその実かなり厳しく妥協を許さない性格のエロイーズが畏怖されているのとは逆に、ヴィオレッタはどうも威厳が足りずに兵士や官吏達から生暖かい、親しみのある目で見られる事が多かった。
親しみも行き過ぎれば
「おやおや、ふふ、これは珍しい物が見れたわね」
ファティマが揶揄すると、ヴィオレッタは咳払いして強引に本題に戻す。
「もう! 私の事はいいから、早く報告を聞かせて頂戴!」
付き合いが長いらしいファティマも、これ以上弄らない方がいいというラインは心得ているらしく、両手を上げて降参のポーズを取った。
「ふふ、分かってるわ。ここで立ち話もなんだし、奥の部屋に行きましょうか」
先程ファティマが出てきた、垂れ布が下がった奥の部屋に案内される。そこはどうやら占い部屋らしく、燭台の灯りのみが光源の薄暗い部屋の中央に丸いテーブルがあり、そこには磨き抜かれた大きな水晶が安置されていた。
「へぇ……水晶占いとは珍しいですね」
帝都や近隣の都市にも無かったマイナーな占いだ。一度帝都にやってきた行商人の隊商の中に水晶占いの占い師が混じっていて、噂を聞いた取り巻きの女性達に連れられて行った露天で見たことがあるだけだった。
「良かったら占っていきますか? これでも結構当たるって評判なんですよ?」
「いや、折角だけど遠慮しておきますよ。自分の運命は自分で決める主義ですので」
「ふふ、それは残念ですね。じゃあ適当に座って下さい」
部屋にはテーブル席の他にも壁際に長椅子が置かれており、マリウスはヴィオレッタと並んでその長椅子に腰を下ろした。ファティマは水晶が置かれている席の椅子を持ってきて、マリウス達と対面に座った。
「さて、それじゃ例の女盗賊さんについて報告させて貰うわね。彼女の名前はキーア・フリクセル。父親は帝国に仕えていた武官で、一人娘だったキーアはその父親から武芸の手ほどきなんかを受けていたようね」
幼少から正規の武官の手ほどきを受けていたのなら、あの腕前も納得である。しかしファティマの顔が曇る。
「しかし彼女の父親はあの赤尸鬼党の乱で戦死してしまった。母親の方は元々病弱だったらしく、父親が死んでからはキーアが傭兵や裏社会の危険な仕事などを請け負って、母親を養いながら食いつないでいたらしいわ」
「…………」
あのような盗賊稼業に身を落としている以上、真っ当な過去ではないとは思っていたが、やはり同情を禁じ得ないものであった。母親が働けない以上、恐らくキーアは身につけた武技で危険な仕事を請け負うか、もしくは体を売るかの二択を迫られたはずだ。まだ年若い少女には残酷な二択であった。
「でも……最近になってその母親の行方が分からなくなっているのよ。彼女らが移り住んだエストリーの街の太守ゲオルグに召し出されて以降、ね」
「……!」
報告を黙って聞いていたマリウスとヴィオレッタが共に眉をひそめる。エストリーの街とは、最近このモルドバの刺史であるイゴール公が制圧した2都市の内の1つだ。状況からしてそのゲオルグという太守がこの上なく怪しい。
「ゲオルグ……? どこかで聞いた覚えがある名前ね……?」
しかしヴィオレッタはそれだけではなく、何かを思い出そうとするように首をひねる。しかしその答えはファティマがすぐに提示してくれた。
「ゲオルグ・ハンス・クレメント。……覚えてない? あのミハエルの友人で、有力な資金提供者の一人だった男よ」
「……!!」
そう言われてヴィオレッタも思い出したようだ。苦虫を噛み潰したような表情になる。
「……そうだったわね。でも私達がミハエルを失脚させた事で……」
「ええ。恐らく相当の損害を被ったはずよ。ミハエルに預けていた莫大な金を全て失ったでしょうね」
ファティマの返しを聞いて、ヴィオレッタの表情は増々苦い物になった。
「と、なると、そのゲオルグの目的は……」
ファティマが頷く。
「……あなた達への
「…………」
ヴィオレッタが押し黙ってしまう。以前に会った時の言動からしても、キーアは恐らくゲオルグに母親を人質に取られて、あのような盗賊行為に及んでいるのだろう。ゲオルグに逆らったり、もしくはディムロスの官憲に捕まった場合も恐らく母親を殺すと脅されているに違いない。
キーアとその母親は、完全に巻き込まれた
「ヴィオレッタ……」
マリウスが彼女の心情を慮って気遣う。心根の優しい彼女にとっては、自分のせいで罪もない母娘が巻き込まれて危難に陥っているという事実は耐え難い物があるはずだ。
だが彼女は極力平静を装って顔を上げた。
「私なら大丈夫よ、マリウス。……でも今度の件、何としても無事解決しなければいけなくなったわね。ゲオルグの奴に、誰を怒らせたのか思い知らせてやるわ」
そう決意するヴィオレッタの目には強い光と意思が宿っていた。それを認めてマリウスも嬉しくなって頷いた。
「流石はヴィオレッタだ。そうこなくちゃね。勿論僕も協力するよ。あの件には僕も関わっていたんだからね」
「乗りかかった船だし、私も協力させてもらうわ。調べてる内にフリクセル母娘も他人に思えなくなってきちゃったしね」
ファティマも冗談めかしてだが、協力を申し出る。ヴィオレッタは2人の方を向いて頭を下げる。
「2人共、ありがとう。じゃあ早速作戦を立てないとね。まずはキーアをゲオルグから引き離す事を優先するわよ?」
ヴィオレッタはその優れた頭脳をフルに活動させながら、作戦全体の絵図を描き上げるのであった……
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