第十九幕 対峙と推測

 流石に昨日の今日では再度の盗賊被害は発生せず、何日かは空振りが続いた。これまでの傾向から一つの仕事が終わると、最低でも5日は空く事が確認されているが、勿論だからといってその間巡回しないという訳にも行かない。


 マリウスはヴィオレッタの提案で、衛兵による巡回とは別ルートで単独で巡回を行っていた。女盗賊が衛兵の目を盗んで仕事を行うなら、むしろ衛兵隊を囮にした方が良い事。そしてマリウスの実力は抜きん出ているので、衛兵たちと足並みを揃えていてはその真価を発揮できないというのが理由だった。


 しかしいくらマリウスが凄腕でも、賊が現れないのでは仕事のしようもない。




(ふぅ……今日で1週間になるけど、中々現れないものだね)


 夜の街を巡回しながらマリウスは心の中で愚痴っていた。間隔が完全にパターン化されている訳ではないので仕方のない事だが、政務も滞っているし、出来れば早く現れて欲しいというのが本音であった。


(しかし、女盗賊か……。どんな人なんだろう? 大層な美女らしいけど)


 実はマリウスが夜間巡回を引き受けたのは、この義賊が見目麗しい美女であるという噂に興味を持った為でもあった。



 そうして市場の外れまで差し掛かった時――


「……!」

 マリウスの優れた感覚は、通りの先でのかすかな悲鳴や怒号を聞き捉えていた。更に感覚を集中させると、盗賊、という単語も聞こえてきた。


「……! 現れたね!」


 待ちに待った機会にマリウスは逸った。姿勢を低くして風を切るような速さで駆け抜ける。


 大通りに出ると、夜間にも関わらず大勢の市民や衛兵達が集っていてガヤガヤ騒いでいた。マリウスは手近な衛兵を捕まえて、賊が逃げた方向だけを聞き出す。そして人混みの間を縫うようにして突っ切ると……


(……居た!)


 マリウスの視界の先に、闇に溶け込むかのような黒い装束を纏った人物がかなりの速度で駆け去っていくのが目に入ってきた。盗んだ物を抱えながら建物や障害物を避けながら素早く走り抜けるその体捌きもかなりの物で、なるほどこれは衛兵達では逃げられてしまっていたのも頷ける。


(……でも僕を振り切れる程じゃないね!)


 その盗賊以上の体捌きで追跡を続けるマリウス。徐々に縮まる距離。マリウスはまだ浪人時代にピュトロワの街で、同じように闇夜の街中を賊を追って駆けたのを思い出した。


 街外れまで来ると、盗賊は鉤縄のような物を使って器用に城壁を昇っていく。その手際も鮮やかな物だ。そしてやはり鉤縄を使って城壁を素早く降りると、まんまと街の外に脱出してしまった。そのまま夜の闇の中に溶け込むように走り去ろうとして……



「やあ、お勤めご苦労さま。全く大した手並みだね?」

「……っ!?」



 先回りしていたマリウスが姿を現した。盗賊はそれまでマリウスの気配に全く気付かなかった事に動揺した。


 マリウスは初めて噂の女義賊と正面から相対した。闇夜で目立たないように黒い衣服と黒い軽鎧を身に着けていたが、その白い顔は露出していた。その顔は意外な程若く、20は越えているようだが、恐らくマリウスより年下だろう。


 そしてやはり凄腕の盗賊には似つかわしくないような、優美で優しそうな顔立ちの女性であった。長い黒髪は後ろで一つに束ねられていた。


(思ったよりも気が弱そうな感じだけど……なるほど、これは確かに美女盗賊といって差し支えないだろうね)


 マリウスがそんな風に検分・・していると、女盗賊は腰に提げていた小剣を抜き放った。


「く……マ、マリウス伯……!? まさか、君主本人が……!」


「僕の顔を知っているのかい? それは光栄だね。だけど君のやっている行為は僕達にとってはすごく迷惑なんだよ。義賊として名を売りたいなら、ここよりももっと大きい街でやった方が良いんじゃない? 君の腕なら充分やっていけるさ」


 マリウスとしてはそうしてくれるとすごく助かる。他の街が義賊のターゲットになる分には全く構わないのだから。だが女盗賊はかぶりを振った。


「……ごめんなさい。あなた達に恨みは無いけど、こうするしか無いの……」


「……? それはどういう――」


 マリウスが聞き返そうとした時、こちらに向かって闇の中から駆けてくる馬蹄の音を聞いた。


「……!」


 姿を現したのは黒い毛並みの駿馬であった。夜の闇では保護色となっている。黒馬はマリウスと女盗賊の間に割り込むようにして突進してくる。マリウスは思わず後ろに飛び退った。


「はっ!」


 女盗賊はその隙に素早く馬に飛び乗ると、そのまま手綱を握って駆け去っていってしまった。


「く……逃したか」


 それを見届けてマリウスは嘆息した。流石の彼も馬の脚には追いつけない。


「でも……僕達に恨みはないってどういう意味だろう? こうするしかないって? ……明日になったらヴィオレッタに相談してみるか」


 独りごちたマリウスは踵を返すと、未練なく街へと駆け戻っていった……



****



「ふむ……やはり賊の目的は、この街、もしくはあなた個人である可能性が高いわね」


 翌日。ヴィオレッタの執務室に赴いたマリウスは、昨夜の事の顛末をヴィオレッタに伝えていた。それを聞いての彼女の言葉であった。マリウスは首を傾げた。


「いや……彼女、僕達に恨みはないって言ってたんだよ? 顔を見たけど彼女とは間違いなく初対面だと思うし……」


 あのような美女と以前に会っていれば、マリウスは決して忘れてはいないはずだ。それには自信があった。ヴィオレッタが肩をすくめる。


「恐らくだけど、彼女を裏から操っている黒幕・・がいるんじゃないかしら」


「黒幕だって? 一体何の為に?」


「……あなたも知っていると思うけど、50年前の義賊全盛時代には、義賊にいいようにあしらわれる太守や刺史達は、民衆の笑い者となり侮蔑や軽蔑の対象ともなった……」


「……!」


「民の人気を獲得しやすい美貌の女義賊。そして彼女に連日のようにあしらわれる私達はこの街の民衆だけでなく、周辺都市からもいい笑い者となってしまっている。更に賊をいつまで経っても検挙できない事で、被害を受けている豪族や商人達の信用も失う……」


「……黒幕の目的は、僕達に間接的に被害を与える事?」


 ヴィオレッタが頷く。


「少ない情報からの推測だけどね」


「だとするとマズいよ。実際君の言う通り一部の豪商達がこの街を敬遠し始めていて、既に出ていってしまった商会もある。エロイーズの機嫌もどんどん悪くなってて、今朝なんかちょっと怖くて声を掛けられなかったよ。巡察担当のソニアが宮城に寄り付かないのは、間違いなくエロイーズと出くわすのを恐れての事だね」 


 エロイーズの事はともかく、折角定着し始めた商人達が出ていってしまうのは非常に困る。街の経済にも影響するし、悪い評判が広まれば新たに呼び込む事も難しくなる。


 ヴィオレッタは解っているという風に再度頷く。


「……そうね。となると、まずは黒幕と女義賊の引き離しを狙うべきね。実は一点既に手を打ってあるのよ」


「え? 本当に?」


 マリウスが驚くと、女軍師は妖しく微笑んだ。



「うふふ……ねぇ、マリウス? 北はモルドバ、南はアマゾナスまで、他の3人とはあちこち楽しくお出掛けしたわよね? だったら私ともデートしてくれるわよねぇ?」



「ヴィ、ヴィオレッタ……? も、勿論君とならいつだって歓迎さ。ど、どこに行くんだい?」


 確かに3人とはここ最近それぞれの身に起きた事件にかこつけて、折角だからと帰り道に小旅行を楽しんでしまった経緯がある為、後ろめたさから思わずどもってしまうマリウス。


「ふふ、大した所じゃないわ。アーデルハイドとも行ったモルドバの街よ。そこに住む知り合いを訪ねるんだけど、あなたにも一緒に来て欲しいのよ」


「も、勿論ご一緒させてもらうさ! いやぁ、楽しみだなぁ!」


 まだ若干焦った様子のマリウスに可笑しさを覚え、増々笑みを深くするヴィオレッタであった。

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