第十六幕 豪商vs才媛
「これはこれは……ギャロワ殿。いつもお役目ご苦労様ですなぁ。本日はどのようなご用件で?」
屋敷の応接間。先に通されて椅子に腰掛けていたエロイーズの前に、ボルハが(見かけ上は)平身低頭しながら部屋に入ってきて、彼女の対面に腰掛けた。
「ブエンティア殿……用件は解っているはずです。あなたの商会が提出した資産と負債の目録を参照した結果導き出される総利益と、納められている税額の
当然そんなボルハの態度に一片も騙される事はなく、北方のデュアディナム山脈に吹き荒ぶ氷嵐の如き冷たい声音で用件を切り出すエロイーズ。
(ちっ! 一々細かい上に口うるさい
ボルハは内心で露骨に舌打ちする。いざという時の証拠隠滅の手段は用意しているが、あの部屋にある商品を仕入れるのに使った金と、これからもたらされる利益を考えると、あくまでそれは最後の手段としたい。
(陰険な婆ぁめ……。リリィちゃんの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわ……! って、リリィちゃんに爪の垢なんて無いかな? ぐふふふ!)
二階で彼の帰りを待つ可憐な幼妻の姿を思い浮かべて、ボルハが内心でぐふぐふ笑っていると……
「……何をニタニタ笑っているのです? 私の話を聞いているのですか?」
どうやら顔に出ていたらしく、エロイーズが細い目を更に鋭くして問い詰めてくる。ボルハは慌てて取り繕う。
「いや、これは失礼。ああ、資産目録の件でしたな。あれは違うのです。先月の終わりになって、今まで交渉が難航していたガルマニアのラインダース商会との取引が急遽成立したのですよ。なのでお渡しした目録と、
「ではすぐにラインダース商会との取引目録と領収証、そして現物の商品を改めさせて頂きます」
「そうして頂きたいのは山々なのですが、何せガルマニアは遠い。隊商や警護の傭兵の手配などもありまして、まだ現物が届いていない状態なんですよ。後10日ほどお待ち頂ければ必ずご用意致しますので……」
粗を突いて追求するエロイーズと、のらくらと躱し続けるボルハ。2人の腕利きの商人が、そうしてしばらく舌戦を繰り広げていると……
――バタンッ!
「し、失礼します! エロイーズ様、確保しました! 禁制品の目録と現物、それにこの街の収賄者の一覧表です!」
ノックもせずに応接間の扉が開け放たれ、そこから入ってきたのは息を切らせて興奮した様子のリリアーヌであった。その手には何枚かの書類が握られている。
「んもう! リリィちゃん。入ってきちゃ駄目じゃない…………って、え?」
リリアーヌの姿を見たボルハの目元が垂れ下がるが、その直後にピキッと固まった。対照的にエロイーズの方は会心の笑みを浮かべて頷いていた。
「思ったより簡単に事が運びましたね。よくやってくれました、リリアーヌ。お見事です」
「は、はい! ありがとうございます! 凄く気持ち悪かったですけど頑張りました!」
エロイーズに褒められて、嬉しそうに破顔するリリアーヌ。容姿以外の部分でこうして誰かに成果を褒められるなど初めての経験で、彼女は感動していた。
一方、ボルハの方はまだ微妙に事態が飲み込めていないのか、呆けたような顔をリリアーヌに向けた。
「え、えーー……と、リリィちゃん……?」
「……っ。き、気安く呼ばないで下さい! わ、私、あなたと婚姻する気なんかありません!」
リリアーヌは心底おぞましそうな表情で身震いし、今までずっと口から出かかっていて我慢していた言葉を思い切り吐き出した。
自分の
彼女からの絶縁通牒をはっきりと突きつけられたボルハは、ようやく事態を正確に把握した。その目がスゥッと細められ、剣呑な光を放つ。
「なるほど、そういう事か……。リリィちゃんを利用するなんて、姑息な手を考えたものだね。……リリィちゃん。今更約束を反故にするつもりかい? 君の実家を助けてあげた僕に対してこんな仕打ちをするんだ……?」
「……ッ!」
雰囲気の変わったボルハの眼光に射竦められて、リリアーヌは冷水を浴びせられたように硬直して顔を青ざめさせる。
海千山千。民や商売相手を恐喝、恫喝してきた経験など数知れずの、筋物とほぼ変わりない強欲な悪徳商人の本性と威圧は、気の弱い少女を萎縮させるには十分すぎる物であった。
リリアーヌの震えが大きくなり、目が潤んで、膝が崩れそうになる。彼女1人であったなら、到底ボルハの恫喝に抗しきれずに屈してしまっていた事だろう。だが……
「……白々しい。そもそもあなたが仕組んだ借金なのは解っているのですよ?」
たおやかでありながら力強い声が割り込み、リリアーヌの精神を支えた。エロイーズはボルハの豹変を目の当たりにしても何ら恐れる様子もなく、相変わらず彼を冷たい視線で睥睨している。その頼もしい姿に勇気づけられるリリアーヌ。しかしボルハは……
「うるせぇ!
無粋な横槍を入れられ激昂したボルハは、テーブルを叩きながら怒鳴り散らす。柔和な商人の仮面を破り捨てて本性を露わにするボルハ。しかしこの場合……些か、露わに
「……ッ!! ばっ……!?」
予想だにしていなかった余りといえば余りな暴言に、エロイーズの頬が引き攣り、目が限界まで見開かれる。そして一瞬の後には、彼女の顔からあらゆる表情が消失した。
「ふ……ふふ……うふふふふ……」
地の底から響くような空虚な笑い声。無表情のまま不気味な笑い声だけを響かせるエロイーズ。
「あ、あの……エ、エロイーズ、様……?」
リリアーヌが、ボルハに恫喝された時とはまた違った恐怖に顔を青ざめさせながら、恐る恐るという感じで問いかける。ボルハもそこでようやくエロイーズの様子がおかしい事に気付いたらしく、訝しげな目線を向けた。
やがて彼女がスッと顔を上げた。しかしその表情はやはり凍りついたままであった。
「……素直に罪を認めて投降すれば、禁制品の処分と街からの永久追放だけで済まそうと思っていましたが……気が変わりました」
「……!」
「徹底的に潰します。銅貨の一枚すら残しません。リリアーヌが手に入れた証拠があれば可能な事です」
「ひぃっ!?」
無表情でありながら、何故か寒気のするようなプレッシャーを発するエロイーズの姿に、海千山千の商人であるはずのボルハが青ざめて怯んだ。因みに直接殺気(?)を当てられている訳でもないリリアーヌまで震えていたのは余談だ。
「く、くそ、こうなったら……!」
遅ればせながら、自分が踏んではならない龍の尾を踏んでしまった事を悟ったボルハが、すぐ後ろの壁にある取っ手のような物を引いた。すると屋敷中に鳴り響くような呼び鈴の音が響き、程なくして荒々しい複数の足音が迫ってきた。
「お呼びですかい、旦那?」
入ってきたのは10人以上はいると思われる、剣や刀で武装したガラの悪い男たちであった。ボルハの私兵達のようだ。広い応接間が連中の姿で埋め尽くされ、エロイーズ達2人は完全に包囲されてしまう。
「ひっ!? エ、エロイーズ様!」
恐怖に顔を引き攣らせたリリアーヌが、エロイーズの腕に取り縋る。エロイーズはそれを抱き寄せながらも、視線だけは厳しくボルハを睨み据えている。
「……これは何のつもりですか?」
「ふん! 証拠まで掴まれちまった以上は仕方ない。お前を殺して残りの証拠を隠滅したら、またイスパーダの拠点に戻るまでよ! ……ああ、勿論リリィちゃんは殺さないよ? 君だけはイスパーダに連れ帰って、僕を騙した事をたっぷりと後悔させてあげるよ、ぐふふふ!」
開き直った事で余裕が出てきたのか、再び嫌らしい笑みを浮かべてリリアーヌを見ながら舌なめずりするボルハ。リリアーヌの顔が可哀想なくらい引きつって泣きそうに歪められる。
「い、いやぁっ! た、助けて……」
だが隣のエロイーズは落ち着いたものである。落ち着きすぎていると言っても良い。
「……こうまで予想通りに踊ってくれると、計画した甲斐がありましたわね」
正確には婆ぁ呼ばわりされた事以外は、という条件が付くであろうが。エロイーズの様子を見たボルハが鼻を鳴らす。
「ふん、強がりを言いおって……。殺せっ!」
「へっへっへ……悪く思うなよ、姉ちゃん?」
命令を受けた私兵達がニヤニヤと笑いながら包囲を狭めてくる。エロイーズには武芸の心得が全く無い。リリアーヌは勿論だ。彼女を殺すには兵士が1人いればそれで事足りる。ましてや10人以上の私兵に包囲されているのだ。万に一つも彼女に助かる道はない。
しかしエロイーズは何ら慌てる様子が無かった。何故なら彼女にはこの事態が
「おっと、彼女達への狼藉はそこまでにしてもらおうかな?」
「……!?」
唐突に背後から聞こえてきた男の声に驚いたボルハや私兵達が、揃って振り向いた。その視線の先には、部屋の入口に佇む1人の男性……。
それはまさしくこの街を治める君主であるはずの人物、マリウス・シン・ノールズであった。
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