第十七幕 彼女の想い人
「お……お前、いや、あなたは……! な、何故ここに!?」
まさかの君主本人が登場した事で気が動転して、思わずといった感じで問いかけるボルハ。マリウスはニッコリ笑って剣を抜いた。
「勿論その2人を助けるためだよ。因みにリリアーヌの証拠集めも一緒に手伝ったんだ。言い逃れは出来ないよ?」
「……っ!」
ボルハが絶句する。これがこの作戦におけるマリウスの役目であった。屋敷内のリリアーヌを陰ながら護衛しつつ、いざ証拠集めの段階になったら、禁制品や重要な目録などの見分けや、誰か家人がやってこないか見張る役。そして、いざという時の助太刀……。
事は全てエロイーズの立てた作戦通りに進んだ。これが最後の
「加えてこの開き直りの狼藉行為。最早情状酌量の余地も皆無ですわね」
エロイーズに完全に嵌められた事を知ったボルハの顔がどす黒い憤怒に染まる。
「うぬぬぬぅぅ! ええい、構わん! どうせずらかるつもりだったんだ! お前ら! マリウスの奴も殺してしまえ!」
雇い主の命令に、私兵達がターゲットを変えて、まずはマリウスを始末しようと武器を向ける。この連中はボルハがイスパーダから連れてきた私兵のようで、曲がりなりにもこの街の太守であるマリウスに対する遠慮など欠片も感じられなかった。
「へへへ……この数には勝てんぜ、色男?」
「勝てないかどうか試してみたら?」
大人数相手でも一切ひるむ事なく自然体のマリウスの様子に、侮辱されたと感じた私兵達が憤る。
「はっ! 後悔すんなよ!?」
挑発に乗った10人以上の私兵達が刀や剣、手斧などを振りかざしてマリウスの元に殺到していく。勿論全員が殺る気満々だ。
「……ッ!」
いくら何でも10人以上はいる荒くれ者達に1人で勝てるはずがない。そういう
「…………」
どのくらいそうして縮こまっていただろうか。恐る恐る僅かに耳に当てていた手をズラしてみると、恐ろしい戦いの音は止んでいた。それに勇気づけられて思い切って目を開いて顔を上げてみると、そこには……
「……!」
マリウスに襲いかかっていったはずの10人以上の私兵達が、残らず床に倒れ伏している光景であった。マリウスはというと、涼しい顔で剣の血糊を拭っていた。
「す、凄い……」
凄惨な光景も忘れてリリアーヌは、マリウスの姿を呆然と見つめた。そのあり得ない程の強さは、彼女が新たに発見する事になった彼の
「そ、そ、そんな馬鹿な……」
一方、手下達を全て倒されたボルハは完全に色を失くしていた。決着が着いた事を見て取ったエロイーズが椅子から立ち上がる。彼女もまた久々に見たマリウスの勇姿に見惚れていた。
「さあ、これであなたも終わりですね。潔く降参しなさい」
だがボルハは俯いてワナワナと震えたかと思うと、キッと顔を上げてリリアーヌの方を睨みつけた。その手は自分の懐の中に入れられていた。
「……!」
リリアーヌがその眼光に怯み、マリウスが何かを察して視線を鋭くする。
「くそ……捕まるくらいなら…………リリィちゃんを殺して俺も死んでやるぅぅっ!!」
喚きながらリリアーヌに向かって突進してきた! その手には懐から取り出した短剣のような物が握られていた。
「あっ……!?」「きゃああああっ!?」
エロイーズの動揺した声と、リリアーヌの悲鳴が被さる。荒事に慣れていない2人は硬直してしまい、能動的な行動が何も取れない。ボルハの短剣がリリアーヌに突き刺さる寸前――
「危ないっ!」
「……ッ!」
ガキィィン!! と金属音が鳴り響き、瞬速の剣閃がボルハの短剣を弾き飛ばした!
ボルハが懐に手を入れた瞬間にその狙いを察したマリウスが、物凄いスピードで追い縋って間一髪でその凶行を防いだのだ。
「ぬわっ!?」
「――ふっ!」
衝撃で体勢を崩したボルハの醜い顔面に、マリウスの拳がめり込んだ。
「げべ!」
聞き苦しい悲鳴を上げながら床に伸びるボルハ。前歯が折れ、鼻血を噴いて、完全に昏倒していた。
「ふぅ……何とか一件落着、かな? 二人共、怪我はない?」
ボルハが昏倒したのを確認したマリウスが息を吐き出してから、エロイーズ達の方を振り向いた。エロイーズが暗い表情になって頭を垂れる。
「……申し訳ありませんでした。まさか最後の最後で、ボルハがあんな破れかぶれの暴挙に出るとは予測出来ませんでした。結果リリアーヌを命の危険に晒してしまいました……」
悄然と謝罪するエロイーズ。完璧主義者の彼女だけに、最後に想定外があった事が堪えているようだ。だがマリウスはかぶりを振る。
「誰にだって全ては予測できないさ。それに結果として隠滅される事もなくこうして証拠が手に入ってボルハを失脚させられたんだから、ほぼ全て君の計画通りだったじゃないか。やっぱりエロイーズは凄いなぁ」
「マ、マリウス様……ありがとうございます」
マリウスの意を汲んだエロイーズは、いつまでも落ち込んでいる事を良しとせず、気を取り直してマリウスに礼を言った。マリウスは満足げに頷いてからリリアーヌに向き直った。
「さて、リリアーヌ。最後にちょっとだけ危ない目に遭わせちゃったけど、約束通りこれで君は自由だ。安心して想い人の所へ行くと良いよ」
「……!」
その言葉にリリアーヌが息を呑んで頬を染める。エロイーズもまた目を見開いた。
(マ、マリウス様、それを言っては……!)
焦ったが時すでに遅し。リリアーヌがそそっと進み出てきて、マリウスに対して服の裾を摘んでお辞儀をする。
「は、はい。ありがとうございます。そ、それでは、これからどうぞ宜しくお願い致します、マリウス様」
「……ん?」
一瞬何を言われたのか解らずにキョトンとするマリウス。エロイーズはその後ろで天を仰いだ。
(ああ、やっぱり! マリウス様は意外と自身に向けられる好意には鈍感なんですわね!)
基本的に自分が女性を口説くのを楽しみにしている性格なので、口説いていない女性からこのような好意を向けられた経験がないのかも知れない。
「誠心誠意お仕えさせて頂きます。両親も賛成して下さいました」
「え、えーと……つまり。君の想い人って……?」
ようやく何かおかしい事に気付いたらしいマリウスが恐る恐る尋ねると、リリアーヌはこれでもかというくらい首を縦に振って肯定した。
「はい! 勿論マリウス様の事です! 村に挨拶回りで伺われた時に一目御尊顔を拝見させて頂いてから、ずっとお慕い申し上げていました!」
「は、はは……そ、それは光栄だね……」
今までの彼女からは考えられないような勢いに若干引き気味だったマリウスだが、何と言っても絶世の美少女であるリリアーヌに想いを寄せられて悪い気がしない男などいないであろう。
元々帝都ロージアンでも、多数の『ファン』の女性に囲まれていたマリウスである。次第に己を取り戻し、本来の調子が戻ってきた。気障に一礼する。
「それじゃ、僕の所に来るかい? ただし僕が好きなのは才色兼備の働く女性であって、何もしない女性は余り好きじゃないんだ。僕の所に来るからには、君にもしっかり働いてもらうよ?」
「は、はい! こう見えて一通りの学問は修めています。是非マリウス様の元で働かせて下さいませ!」
そう言って頭を下げるリリアーヌに、マリウスは興味深そうな様子になる。
「へぇ……それは凄いね。それじゃ君は今日から官吏見習いだ。しばらくはエロイーズに付いて仕事を教わると良いよ」
「は、はい! 宜しくお願いします、エロイーズ先生!」
エロイーズの方に向き直って素直に頭を下げるリリアーヌ。思わぬ展開に嘆息していたエロイーズは目を瞬かせる。
「……ッ!? せ、先生!? ……そ、そうですか。私が『先生』……。あ、案外悪くない響きですわね、ふふ」
満更でもない様子になるエロイーズ。どうやら先生という響きが気に入ったらしい。そんな彼女の心情を見透かしてマリウスが朗らかに笑う。
「あはは! エロイーズにとっても良い刺激になりそうだね。さて、それじゃ無事に作戦も完了したし、後の事はソニアの衛兵隊に任せて、僕らは帰るとしようか? あ、君のお父さんのエウスタキオ卿にも成果報告を含めて、改めて挨拶に行かないとね?」
こうしてエロイーズの提案した『街膿撲滅大作戦』は無事に完了した。それだけでなく、新たな官吏候補としてリリアーヌを迎え入れる事となった。
彼女は想像以上の優秀さでエロイーズの教えを吸収していき、官吏としての能力を開花させていく。
エロイーズは優秀で向上心もある弟子をいたく気に入るようになると同時に、大いに刺激を受けて、自身もまた今まで以上に精力的に内政に取り組んでいくようになるのであった……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます