第十五幕 悪欲の豪商ボルハ
そして時は慌ただしく過ぎていき……遂にリリアーヌが輿入れする日となった。借金を肩代わりしてもらっているという立場の為か、持参金などはなく、ボルハの希望で即屋敷入りする事になったリリアーヌ。どうやら余程待ちきれなかったらしい。
「むっふっふ……とうとうこの日が……。
ディムロスの街では一等地に当たる区画に立つ大きな屋敷。主である大商人、ボルハ・アセド・ブエンティアは、遂に念願叶って屋敷入りをさせたリリアーヌの可憐な姿を前にして興奮を隠しきれない様子で、鼻息を荒くして手招きする。
端的に言って醜い男であった。
年の頃は40代半ば程と思われるが、既に頭頂部が寂しい事になっている。またどちらかと言うと肥満体型で、肌が脂ぎってテカテカと光っていた。大きな鼻や顔のあちこちに不揃いな吹出物が出来ており、今この瞬間も大量の脂汗を掻いている。
質の良い高級な絹服を纏っているが、無駄に派手な色合いで、ボルハの醜い外見とは全く調和していなかった。服に着られているという感じだ。
それでいて目だけは瞳が殆ど見えないほどに細く、商人らしい一見柔和な笑みに歪められていた。
「あ、あの、ボルハ様……。私、不安なのです」
内心で大いに顔を引き攣らせながらも、それを表に出す事は懸命に堪えるリリアーヌ。お世辞にも上等な演技とは言えなかったが、彼女の美貌にだけ心奪われているボルハに気付かれる事はなかった。
「んんーー? 大丈夫だよぉ。優しくしてあげるから。ぐふふふ!」
気色悪い笑いを浮かべるボルハの姿にリリアーヌは泣きそうになるが、見目麗しいマリウスの姿を思い浮かべながら必死に耐える。
「い、いえ、そういう事ではなく……。私、父の借金のせいで、これまでかなり貧しい暮らしを強いられてきましたの。もうあんな思いは二度としたくはありません」
「だから僕が助けてあげたんだよ。僕の言う事を聞いていれば、これからもずっと贅沢な暮らしが出来るんだよ?」
自分がエウスタキオを罠にはめて借金を背負わせた癖に、ボルハはいけしゃあしゃあと恩着せがましく笑う。リリアーヌの頬が耐えきれずにヒクヒクと小さく引き攣る。
「は、はい。ボルハ様には本当に感謝しております。で、ですが、今後の生活も安泰であるという保証を頂きたいのです……」
「僕がお金持ちなのは知ってるでしょ? 僕には商才があるんだよ。だから何も気にしなくていいんだよ?」
極上の美肉を前にして会話を続ける事が煩わしくなってきたのか、ボルハが自分の方から歩み寄ってこようとする。リリアーヌは慌てて大声で遮る。
「で、ですが! 商売は水物と言います! 何か、もっと安心できる確たる証拠が欲しいのです!」
「……!」
柔弱な外見に似合わぬ大きな声に、思わず足を止めるボルハ。そして訝しげな様子でリリアーヌの方をまじまじと見つめてくる。
流石に怪しまれたか? と彼女が内心ビクビクしていると……ボルハの醜い顔がニィっと喜色に歪められた。
「……んもう! リリィちゃんは本当に心配性なんだなぁ!? 解ったよ。僕はこの街の役人と『個人的に』仲が良いんだ。その証拠を見せてあげる。ついでにこの国では扱われてない
「……!」
役人との癒着の証拠。そして恐らくは帝国禁制品の在庫やその目録。それらを示唆する内容の発言にリリアーヌの目の色が変わる。
「ぜ、是非拝見しとうございます……!」
「んふふ、それじゃ付いてきて。きっと驚くよぉ?」
リリアーヌの関心を惹けた為か上機嫌になったボルハが、ぐふぐふ笑いながら踵を返す。リリアーヌはボルハに気付かれないよう繊手を握り締めると、その後に付いて部屋から出ていった……
…………
「……行ったかな?」
小さく呟いて、窓からスルッと部屋の中に侵入した影があった。ボルハは勿論、屋敷の家人や警備の私兵にも見つからずに敷地内に潜入し、更に屋敷にまで入り込む……。並大抵の人間には不可能な芸当である。
ディムロス一の剣士である……
「……何だか物凄く
隠れていた場所から見たボルハの外見と、その言動を思い返したマリウスは若干不安げな口調になる。しかしすぐにかぶりを振った。
「おっと、こうしちゃいられないな。そのリリアーヌを助ける為にも急がないとね。……後はエロイーズ次第だね。まあ彼女なら問題ないと思うけど……」
そして素早くボルハ達が去っていった後を追うようにして、再び姿を消した。その直前、屋敷の入口がある方向に視線を投げかけて……
「さあ、ここが僕の『金の成る部屋』だよ。凄いでしょ?」
「……っ!」
屋敷の二階の奥。普段は厳重に施錠されているであろう部屋が、今リリアーヌの目の前で開放されていた。中には見たことも無いような品物が所狭しと並び、何やら袋や壺に入った怪しげな粉のような物もあった。あれがシャンバラとの取引で得た禁制品とやらかも知れない。
あいにくリリアーヌには判別が付かなかったが、
それだけでなく、羊皮紙が束ねられた何らかの目録のような物や、名簿のような物も書棚に並んでいた。あの中には重大な証拠となる物が多数紛れているはずであった。
まさにエロイーズが何とかして暴こうと苦心していた不正の証拠の山が、今リリアーヌの前に広がっていた。
だが部屋の壁際に目をやると、等間隔で
「……!」
エロイーズは、ボルハは絶対に何か不測の事態があった時に、素早く証拠を隠滅する為の仕掛けのような物を施しているはずだと言っていた。
恐らくこの油壺がその仕掛けなのだろう。どこかで紐を引くと一斉に油が溢れてこの部屋を満たす。そこに火種も自動的に点く仕掛けがあるに違いない。
査察が踏み込んだ時には、証拠は残らず灰の山という寸法だ。これでは確かに迂闊に正面から踏み込む事も出来ないとリリアーヌは思った。
だが当然ながらボルハの目がある前で、リリアーヌがあれこれと部屋の中を物色する事は出来ない。
と、そこに使用人がやってきて、ボルハに来客がある事を告げた。内容を聞いたボルハが不快そうに醜い顔をしかめる。
「……ち! まーーた、あの頭の固い
ボルハが心底忌々しげに吐き捨てる。
「あ、あの……私の事はお気になさらずに、どうぞお仕事を優先なさって下さい」
「うーん、でもねぇ。リリィちゃんを1人にしておけないし、ここの鍵をまた閉め直すのも面倒なんだよねぇ……」
ボルハが渋るが、リリアーヌはここが正念場と悟って、極力必死さを隠しながら申し出る。
「で、でしたら、私がここで誰も来ないように見張っております!」
「リリィちゃんが?」
「は、はい! ボルハ様の
言っていて自分で吐き気がしてくるような情景を想像してしまったが、ボルハにとってはそれは真逆の印象だったようだ。
リリアーヌとの
「んんっ! リリィちゃんはホントに可愛いなぁ! それにとっても健気だ。僕は中原一の幸せものだなぁ! ぐふ、ぐふ」
「……っ!」
その気色悪い光景に、リリアーヌは再び顔の引き攣りを必死で堪える羽目になった。
「……よし。それじゃリリィちゃんに甘えさせてもらって、一仕事終わらせてくるよ。すぐに戻ってくるからいい子にして待ってるんだよ?」
「は、はい。行ってらっしゃいませ」
可愛らしい
「……っ」
しかし寸でのところで堪える。ここからは時間との勝負なのだ。休んでいる暇など無い。
リリアーヌは目の前に開け放たれた『禁制部屋』を見上げ、その可憐な面を精一杯引き締めて
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