第十四幕 リリアーヌ・エウスタキオ
エウスタキオ家はディムロスの街ではなく、街から馬で数時間程度の距離にある農村の大地主であった。
勿論マリウス達も旗揚げ後に県内の各村は一通り回り、村長や地主達との挨拶や告知は済ませてある。エウスタキオともそこで会っているのだが、当代は余り評判の良い人物ではなく、挨拶回りの時も妙に卑屈な態度だったのをエロイーズは思い出していた。
エウスタキオが村長も兼任する農村に到着したマリウスとエロイーズは、相乗りしていたブラムドから降りると、いきなりの太守の参上に大慌ての村人達を落ち着かせ、エウスタキオへの取り次ぎを頼んだ。
それから10分も経たない内に、マリウス達の姿は村長宅の応接間にあった。目の前の卓には、ハイランドから輸入された高級な茶葉で淹れられた茶が二つ湯気を立てていた。
(……借金のかたに娘を取られそうだと言うのに、太守が訪ねてきたらこんな高級な茶を出す余裕はあるのですね)
そう思って若干鼻白むエロイーズであった。目線を上げると、応接用の卓を挟んだ反対側に腰掛ける1人の男がいた。痩せぎすで、卑屈で自信のなさそうな目をキョドキョドと動かし、居心地悪そうに汗を拭くこの人物こそが、この村の村長のエウスタキオであった。
「こ、この度は陳情を聞いて頂きまして、誠にありがとうございます。ま、まさか太守様にご足労頂けるとは……」
どうやら彼自身半ばダメ元だったらしい。それがまさかの君主たるマリウス直々の参上である。彼が慌てふためくのも無理ないと言えばそうなのだが……
「いや、構わないよ、エウスタキオ卿。為政者にとって民は宝だ。ましてや君達は今この国に不足している食糧を賄ってくれる重要な役割を担っているんだ。それが困っているとなれば、こうして馳せ参じるのは当然の事だよ」
マリウスの言葉もあながち出まかせという訳ではない。商人達との関係も大事だが、やはり農業や鉱業、林業など全ての基幹となる一次産業は重要だ。特に農作物は自国の食糧や兵糧を賄うのは勿論、余った物は交易による外貨獲得の為の大事な
「農を制するもの、戦を制する」などという諺が、帝国統一前の戦国時代からあるほどだ。畜産業や漁業も勿論存在しているが、農業に比べるとまだそこまで規模は大きくなかった。
「も、勿体無いお言葉にございます」
君主の言葉を受けて、エウスタキオはしきりに恐縮している。どうにも豪族としての威厳や矜持に欠ける人物であった。ボルハに嵌められて借金を背負わされたのも、この辺が影響しているのかも知れない。
――コンッ コンッ
『お、お父様……』
その時ノックの音と共に、応接室のドアの向こうからか細い少女の声が聞こえた。
「お、おお、リリアーヌか。入りなさい」
エウスタキオが露骨にホッとしたようにドアに向かって声を掛ける。間違いなく今の声の少女が、ボルハの元に嫁がされるという件の娘であろう。
『し、失礼致します……』
扉が開き、1人の少女が中に入ってきた。
「お……」
マリウスはその少女を見た途端、口を半開きにして固まってしまった。彼にしては珍しい反応だ。だがエロイーズにもその気持ちはよく分かった。
(これは……ボルハが狙っている理由は一目瞭然ですね……)
しずしずとマリウス達の前まで進んできた少女は、絹服の裾を摘んで行儀よく、しかしおどおどとした感じでお辞儀をした。
「お、お初にお目にかかります。リリアーヌ・エウスタキオです。マ、マリウス様に置かれましてはご機嫌麗しゅう……」
「あ、ああ……ぼ、僕はマリウス・シン・ノールズ……ってもう知っているよね。あはは……」
思わず動揺したように声が上擦ってしまうマリウス。美女好きを公言して憚らない彼が、ここまで動揺してしまう程に……
その少女は美しかった。
金と黒が混じったような金褐色の髪は流れるような艶で腰まで届き、前髪も髪飾りによって美しく結わえられている。
肌は色白なエロイーズよりも更に白く、病的な程だ。その面も病的なまでに白く、それでいて大きな瞳と長い睫毛は何とも言えぬ蠱惑さを醸し出している。小さくて形の良い鼻や口、程よい厚みの唇。年頃の少女らしい柔らかな輪郭と小柄な身体は、見る者の保護欲をこれでもかと言わんばかりに掻き立てる。
まさに深窓の令嬢という存在を体現したかの如くであった。
しかしそれだけの圧倒的な美貌に恵まれながら、父親譲りなのか、何とも自信なさげでおどおどと他人の機嫌を伺うような……悪く言えば
(……もっと自信に溢れた態度、もしくは自分の美貌を積極的に利用しようと考える野心があったら、或いは傾国の美女として、帝国を滅ぼす存在にすらなり得たかも知れませんね。その意味ではこの父親の血が、それに歯止めを掛けてくれたような感じですわね)
同性であるエロイーズをしてそう思わせるだけの頽廃的な美貌であった。このような辺境州の更に田舎の農村に、帝都の後宮にいても何ら違和感のないこんな美姫がいようとは、全く予想だにしていなかった。
(マリウス様のやる気も倍増しでしょうか? ボルハはどこでこの少女の事を知ったのでしょう? まさかディムロスに拠点を移したのは、これも理由の一つだった……?)
思わずそんな事まで考えてしまうエロイーズであった。その横では動揺から立ち直ったマリウスが彼らしさを取り戻して、殊更気障な態度でリリアーヌに話し掛けていた。
「君のような可憐な少女を、借金を盾に無理やり娶ろうとは不届き千万。そんな不埒者はこの僕が必ず成敗してみせるよ。君は大船に乗ったつもりで安心するといい」
「は、はい……。よ、宜しくお願い致します、マリウス様……」
答えるリリアーヌは何故か頬を若干赤く染める。それを見たエロイーズの眉がピクッと吊り上がる。この態度は単に君主であるマリウス相手に緊張しているというのとは少し違うような……
その間にもマリウスの言葉は続く。
「聞けば君には
「……っ!! は、はい……」
想い人という言葉に過剰に反応し、俯きながら上目遣いにマリウスの方をチラッと窺うリリアーヌ。勿論その頬は果実のように赤く染まったままだ。マリウスは何も気付いていない様子だ。だが……
(こ、これは……まさか!?)
同性たるエロイーズの目は、あっさりと真実を見抜いていた。同時に内心で激しく動揺する。
「よし! それじゃ早速エロイーズの方から計画を説明してもらおう。…………エロイーズ?」
「……っ! あ、は、はい! 失礼致しました」
動揺から硬直していたエロイーズだが、マリウスの呼び掛けにハッと正気に戻る。思わぬ展開ではあったが、とりあえず今は忘れて計画を実行していかなければならない。そもそもその為にここまで来たのだ。
「おほん! それではご説明致しますが……。リリアーヌさん、あなたにも少し働いてもらわねばなりませんが構いませんか?」
「そ、それは……は、はい! 私に出来る事であれば……」
一瞬ビクッとなったものの、再びマリウスの顔を見てから決意を固めた様子のリリアーヌ。
「……と言うよりも、むしろあなたの働きに掛かっているといっても過言ではありません。具体的には……」
リリアーヌの様子に若干頬を引き攣らせながらも、エロイーズは具体的な『街膿撲滅大作戦』の説明に入るのだった……
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