第五幕 蛇刃のタナトゥス
「お、遅かったではないか、マリウス殿……」
安堵から思わず涙ぐみそうになったアーデルハイドだが、ミリアムの手前それは何とか堪えた。それを誤魔化すように不機嫌そうな声音と表情になる。
「はは、ごめんね。私兵の数が思ったより多くて、
「ふ、ふ……相変わらず規格外な……」
さらっととんでもない事を口にするマリウスに半ば呆れた口調になるアーデルハイド。だが彼に初めて接する者にとっては呆れるどころではない。
「ぜ、ぜ……全部片付けたじゃとぉ!? き、貴様、今、マリウスと言ったか? まさか……」
ジェファスが顔色を青くしてソファから立ち上がっていた。マリウスはチラッとだけジェファスの方に視線を向ける。
「ああ、僕がディムロス太守のマリウスだよ。……随分好き勝手してくれたみたいだね?」
「ひぃっ!?」
強烈な怒りと殺気を向けられたジェファスが腰を抜かす。そして泡を食って命令する。
「タ、タナトゥス! 殺せっ! こやつを殺せいっ!!」
「…………」
命令を受けたタナトゥスがマリウスに対して殺気を解き放つ。マリウスもまたそれを受けて闘気を発散させながら剣を正眼に構える。
「ふぅ、それじゃ下がってて2人共!」
振り返らずに促すマリウスの言葉にアーデルハイドは素直に従う。
「うむ……下がるぞ、ミリアム」
「え? で、でも……」
主が戦うというのに、加勢しなくて大丈夫なのか。アーデルハイドは彼女の戸惑いを察した。ミリアムはまだ彼が戦う所を見ていない。
「大丈夫だ。私達が加勢などしては却って邪魔になる。今は大人しく下がるのだ」
「は、はい……」
戸惑いながらもアーデルハイドと共に安全な距離に退避するミリアム。
「……別れの挨拶は済んだか? 安心しろ。貴様を殺したらすぐに女共にも後を追わせてやる」
「君達には腹が立ってるんだ。悪いけど最初から全力で行くよ」
互いに闘気をぶつけ合う2人の達人。先に動いたのは、タナトゥスの方だった。
「ふっ!」
鋭い呼気と共に間合いを詰め、刃を一閃。恐ろしい速度で迫る死の刃を、しかしマリウスは紙一重で軌道を見切って躱す。
マリウスもお返しとばかりに剣を薙ぎ払うが、タナトゥスもまた紙一重の挙動でそれを回避。互いに一旦距離を取って仕切り直す。
「俺の一撃を躱すとは……やるな」
「その台詞、そっくりそのまま返すよ」
口でやり取りしながらも、その目で相手の隙を窺う2人。アーデルハイド達は息を詰めてそのせめぎ合いを見守っている。
やがて再びタナトゥスが動いた。まるで地を這うかのように姿勢を低くして、下段からマリウスの足を狙って斬撃を繰り出す。
「……!」
そうはさせじと上段から剣を突き出すが、タナトゥスはまるで蛇が這い進む時のような奇怪な体捌きでその突きを躱し、マリウスの足を狙う。
「ち……!」
舌打ちしながら足を引いて斬撃を躱す。タナトゥスはそのまま返す刀で下から斬り上げる。
「……っ」
これも紙一重で避けたが、刃先が僅かに前髪を掠った。見ていたミリアムが息を呑んで身体を硬直させる。
タナトゥスは攻撃後の隙を殺すようにして強引に肉薄。更なる連撃を放ってくる。文字通りの息をも吐かせぬ速さの連続攻撃。それでいて既存の剣術の型に嵌らない独特の体捌きでマリウスを翻弄してくる。
「く……!」
防戦一方となるマリウス。躱すだけではなくその剣も使って相手の攻撃を受けるが、徐々に受けきれずに腕や脚などに掠るようになってきた。
「奴の速さが……更に上がっている!?」
傍で見ているアーデルハイドが驚愕に呻く。俯瞰した位置で見ている彼女にすら殆ど見切れないほどの速さ。相対しているマリウスにとってはそれこそ消えたように錯覚する速さになっているだろう。
(予想以上の速さだ……! このままじゃマズいね……)
攻撃の重さはそれほどでもないが、体捌きと剣速の速さは以前に戦ったドラメレクやロルフよりも確実に上だ。それに加えて……
マリウスが僅かな隙を見出して反撃に移ろうとすると、タナトゥスは巧みにその素早い体捌きでマリウスの死角に入り込む。
(ち……やはり予測されている……!)
マリウスの動きというよりも、その
(メジャー流派の弱みだね……!)
再び防戦に徹しながら内心で毒づく。
アロンダイト流は帝国で最も普及している剣術で、各軍の武将や時には兵士にまで使い手がいるほどだ。それだけに腕利きの剣客には対策されている事が多い。
無論マリウスを始めアロンダイト流を学ぶ剣士達はそれを見越して独自の技を磨くものだが、やはり基礎の部分で大元となる剣術の癖はどうしても出る。
タナトゥスの連撃は増々早くなる一方だ。今は何とかかすり傷に押さえているが、このままでは致命的な一撃をもらう可能性もどんどん上がってくる。
(……やるしかないか!)
こちらから前に出て強引に攻撃する以外にない。だがタナトゥスはアロンダイト流の対策をかなり高レベルで訓練しているようだ。生半な攻撃では通じないだろう。ではどうするか。
「ほっ!!」
「……!」
マリウスはタナトゥスの僅かな間隙に、床を蹴って大きく後方へ飛び退った。一旦距離を取ったのだ。
マリウスが反撃で斬りつけてくる事を想定していたタナトゥスは一瞬反応が遅れ、結果として両者の間に2メートル近い距離が開いた。ほんの一瞬だが仕切り直しになった形だ。
「ふっ!!」
だがタナトゥスは間髪を入れず再び距離を詰めてくる。一旦距離が離れた以上マリウスは攻撃してくるだろうが、アロンダイト流の剣術は見切っている。マリウスがどんな攻撃をしてきても対処できる自信があった。その一撃を躱した時がマリウスの死ぬ時だ。
果たしてマリウスは剣を構え、攻撃の体勢に入った。その構えと動きからタナトゥスは水平の薙ぎ払いと予測。迎撃の体勢を整えた。
「――はぁっ!!」
裂帛の気合による一閃。
「……っ!?」
タナトゥスの目が見開かれる。
結論から言えばマリウスはタナトゥスが予測したように薙ぎ払いを放ってきた。にも関わらず彼が驚愕した理由は……
(速――――)
鍛え抜かれた熟練の暗殺者の目を持ってしても尚残像しか捉えられぬ程の剣閃。どれだけ予測して対策を立てたところで、速すぎてそれが間に合わないのであれば無意味だ。
タナトゥスは全力を出したマリウスの本気の一撃の速さを見誤ったのだ。そして、その時点で勝敗は決した。
「……お、おぉ……俺が、速さで負けるとは……」
剣を振り抜いたマリウスの前で、口から血を吐きながら倒れ伏すタナトゥス。その胸には斜め下から大きく切り裂かれた傷が走っていた。
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