第六幕 新たなる絆(Ⅵ) ~過去との訣別
「ふぅぅぅ……これは予想以上にキツかったね」
タナトゥスが起き上がってこないのを確認して、マリウスは詰めていた息を吐き出した。全身かすり傷だらけだが、どうにか致命傷は負わずに済んだ。
アーデルハイドから話を聞いて手強いとは予想していたが、想像以上であった。
(僕もまだまだ修行が必要だな。ここ最近は政務にかまけて腕が鈍っていたのもあるかもだけど)
これからは政務の合間にも腕が落ちないように修行が必要だと痛感したマリウスであった。
一方そんなマリウスの内心など知らないミリアムは、口をあんぐりと開けて呆然としていた。
「う、嘘……あの刺客を……。こ、こんなにお強かったなんて……!」
曲がりなりにも君主という立場で、ここまで武芸に優れた人物もそうは居ないのではあるまいか。ミリアムはそう思った。アーデルハイドが頷く。
「うむ、あれがマリウス殿だ。私の目標は遥か遠いな……」
そう言ってかぶりを降った。
「ば、ば、ば……馬鹿な! こんな事が……! き、貴様ら、儂に手を出せばイゴール公を敵に回す事になるぞ! い、今なら見逃してやる。さっさとここから立ち去れい!」
見ると、顔を青くしたジェファスが椅子から立ち上がって喚いていた。確かに彼は現在イゴール公の幕臣なので、
だがマリウスがあっけらかんと笑った。
「ああ、それなら心配ないよ。あなたの家令の人に『宝物庫』に案内してもらったんだよ。他の私兵を全部倒した上で頼んだら、喜んで案内してくれたよ」
「……っ!?」
ジェファスの顔から更に血の気が引く。これが事前にアーデルハイドと打ち合わせていた作戦だった。
「いやあ、アレはちょっとマズいよねぇ? 過去の山賊たちとの取引の記録は勿論の事、イゴール公に
「お、おぉ……き、貴様……貴様!」
ジェファスの顔色が青くなったり赤くなったりで忙しい。優秀な官吏であるが故の、何でも記録を付けて保管しておく癖が仇になった。あれが流出したら追放どころか最悪イゴール公に処断されかねない。
「くそ……!」
こうなった以上は持てるだけの金を持って、一刻も早くこの街から逃げなければならない。慌てて踵を返して、部屋の裏口から逃げ出そうとするジェファス。だが……
「――お祖父様、いや、ジェファス!」
「……っ!」
その進路上に立ち塞がる小さな影。ジェファスの孫娘であるミリアムであった。その手にはタナトゥスによって弾かれた短剣を拾い握っていた。
ジェファスの顔が再び歪む。
「ま、待て、ミリアよ。落ち着け。もうお前達に手は出さん。お前は実の祖父を殺そうというのか!?」
「な……何を今更ぁぁぁっ!」
散々実の孫娘を殺そうとしておいてこの言い草に、ミリアムは瞬間的に激昂した。短剣を振りかざす。
「覚悟っ!!」
怒りに任せて短剣を突き出す。切っ先は狙い過たずジェファスの心臓に吸い込まれ――
「そこまでだ、ミリアム!」
「……ッ!?」
――る直前に、アーデルハイドによって手首を掴まれて停止した。ミリアムは驚愕に目を見開いて彼女の顔を見上げた。
「な、何故……!? アーデルハイド様にとっても仇であるはず!」
この男が流した情報によって彼女の故郷は山賊に襲われ、両親や妹を殺されたのだ。殺しても飽き足らない存在であるはずだった。ミリアムには何故止めるのか理解出来なかった。
だがアーデルハイドは厳しい表情でミリアムを見返した。
「だからこそだ。私はもう私怨に囚われぬと誓ったのだ。そんな事をしても妹は戻ってこない。ただ虚しさが残るだけだ……」
「……!」
ミリアムがハッとしたように固まる。
「それに……こんな奴でもお前の肉親だ。こんな奴の為にお前が業を背負う必要などない」
「……っ! う、うぅ……私は……私はっ!!」
ミリアムの手から力が抜け、短剣が滑り落ちる。同時に彼女の目に涙が滲んでくる。
「ミリアム……解ってくれたか。私はマリウス殿に命を救われた時に過去は断ち切ったのだ。だから私の事を気に病む必要もないんだ。お前のお父上もお前が肉親殺しの業を背負う事など望んでおられぬはずだ」
「あ、ああぁぁ……ううぅぅぅぅっ!!!」
嗚咽が徐々に大きくなり、ミリアムの肩が震える。アーデルハイドはそっと彼女を抱き寄せた。
「……今まで大変だったな。存分に泣くといい。……もう誰もお前を傷つけ殺そうとする者は居ない」
「う、うぅぅ……あぁぁ……うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
いつしかミリアム自身もアーデルハイドの胸に縋り付いて大声で泣き叫んでいた。
祖父の秘密を知り、それが原因で両親が殺された。そして自身もそれを悲しむ暇さえなく恐ろしい刺客に狙われ、過酷な逃避行を余儀なくされた。
そして捕捉されて殺されかけ、1人償いを決意して舞い戻り祖父と刺し違えようとした。
若干15歳の少女の身に、余りにも過酷な体験であった。武官の父に育てられ、その気質と使命感だけで保っていた感情のタガが遂に解放されたのであった。
アーデルハイドはその全ての事情を察して、ただ何も言わずに優しくミリアムを抱きしめ、その頭を撫でてやった。
そして一転して鋭く尖らせた視線をジェファスに向けた。
「……行けっ! 私の気が変わらん内になっ!!」
「ぬぅぅ……!」
ジェファスは一声唸って、しかしこの場では何も言わない方が良いと判断する分別くらいはあったのか、そのまま部屋を駆け去っていった。
「……本当にいいんだね?」
ジェファスが去ったのを見届けたマリウスが、剣を収めてアーデルハイドの方を向いて確認する。彼女がしっかりと頷いた。
「ああ、ミリアムに言った言葉に嘘はない。私がいつまでも過去に囚われて先に進めないのは、妹も望んでおらぬ気がするしな」
「……剣の腕だけが強さじゃない。君は間違いなく強く成長しているよ。僕が保証する」
「マリウス殿……ありがとう。あなたにそう言って貰えて嬉しい」
アーデルハイドが少し感動した面持ちになる。マリウスはそれに頷き返してから辺りを見渡した。
「さて……僕達も余り長居は無用だね。それで……これからどうしようか?」
マリウス達は勿論ここを引き払ってディムロスへ戻る事になる。彼が聞いているのは自分達の事ではない。
「……! あ……わ、私……」
その頃には泣き止んで、しかしまだアーデルハイドに抱きついたままの格好であったミリアムが、そのマリウスの言葉で我に返る。
祖父の脅威は消えたが既に両親も亡く、最早モルドバに自分の居場所はない。まだ少女の身で何の財産もなく、このままでは路頭に迷うのみである。さりとて自分の方からマリウス達に保護を願い出るにはミリアムは実直に過ぎた。
生真面目な少女のそんな感情の動きはアーデルハイドにも手に取るように解った。彼女はマリウスの方に向き直った。
「マリウス殿……頼みがある」
「ああ、分かってるよ。……我が国は目下深刻な人手不足だからね。やる気のある人材ならいつだって大歓迎さ」
勿論マリウスにもアーデルハイドの言いたい事は解っていた。皆まで言わせずに
「ありがとう、マリウス殿」
アーデルハイドは礼を言ってからミリアムを見下ろした。
「ミリアム……お前さえ良かったら私達の国に来ないか? 責任は全て私が持つ」
「……!!」
それはある意味でミリアムが言って欲しかった言葉だったのだろう。しかし本当に受け入れてくれるとは思わず、彼女は不安そうに見上げる。
「ほ、本当に……良いんですか?」
そんな少女の様子に大いに保護欲を掻き立てられ、アーデルハイドは大きく頷く。
「勿論だ! そうなれば私も嬉しい。それに、その……」
「?」
アーデルハイドが彼女にしては珍しく言いにくそうな様子になる。ミリアムは首を傾げた。
「で、出来れば……私の、
我に返ったアーデルハイドが慌てて取り繕う。
帝国では特別な友誼を誓った者同士が、実の血縁関係にも劣らない絆を宣言する為に、互いの盃を交わして『義兄弟』の契りを結ぶ風習がある。
ミリアムは一瞬呆気にとられたが、すぐに意味を理解して今度は一転して可笑しそうに笑い出す。
「う、うふ! うふふふっ……!」
「お、おい、ミリアム……?」
戸惑ったようなアーデルハイド。ミリアムは笑いを収めると真っ直ぐにアーデルハイドに向き合って居住まいを正した。
「さっきまでの凛々しさが嘘みたいですよ? うふふ! ……もしお許し頂けるなら、どうか私をディムロスに置いて下さいませ」
一度頭を下げてから再びアーデルハイドに視線を戻す。
「宜しくお願いします……ニ、
「……ッ!!」
双方の合意の元で義兄弟となった者同士は、実の親兄弟と同じく相手をミドルネームで呼ぶことが出来るようになる。本来は男性同士での風習であり、女性は通常ミドルネームが無いので呼び方は変わらない。が、アーデルハイドは数少ないミドルネームを名乗っている女性である。
その彼女をミドルネームで呼ぶという事はつまり、義兄弟の契りを了承したという事だ。勿論正式に盃を交わすのはディムロスに帰ってからになるだろうが……
「はうっ……!!」
アーデルハイドが突然胸を押さえてその場に崩れ落ちる。慌てたのはミリアムだ。
「ど、どうしたんですか急に!?」
「も、もう一回……」
「え?」
「も、もう一回、『お姉様』と呼んでくれ、ミリアム!」
「え、ええ!?」
義兄弟の申し出を了承してくれた事は勿論、どうやら昔の体験から『妹』という存在に対して妙な愛着を拗らせてしまっていたらしい。
ミリアムの『お姉様』呼びは、そんなアーデルハイドの拗れた心に計り知れない打撃を与えたようである。
「ぷ……あっはっはっは! これは思いがけない所で彼女の意外な一面を発見してしまったね」
マリウスが朗らかに笑いながら、床に横座りの姿勢で胸を押さえて頬を上気させているアーデルハイドを見下ろした。それから唖然としているミリアムに視線を向けて苦笑する。
「ま、こんな僕達だけどこれから宜しくね、ミリアム?」
「あ……は、はい。こちらこそ、ありがとうございました。宜しくお願いします」
頭を下げながら、(ほ、本当に大丈夫かな?)と若干不安も感じてしまうミリアムであった……
こうして廃村での邂逅に端を発した事件は幕を下ろした。
思いがけず過去への決別と、新しい家族を迎え入れる事となったアーデルハイドは、ミリアムに誇れる義姉でありたいという想いから、増々精力的に任務に取り組み、自己研鑽に励むようになる。
ミリアムもまた義姉となったアーデルハイドを師とも仰ぎ、彼女の下で積極的に武芸や軍略を学んでいくのであった……
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