第四幕 守るべき命

 モルドバに到着したマリウスとアーデルハイド。街の住人に話を聞くとジェファスの屋敷はすぐに解った。街の一等地にある屋敷の前まで行くと、門の前には武装した門番が2人佇んでいた。兵士と違って共通の武装ではなく雰囲気もあまり堅気な感じではない。恐らくジェファスの私兵か。


「……さて、ここまで来たはいいけど、この後はどうする?」


「決まっている。まずはミリアムが来たかを確認する。素直に喋るまいが、様子で解るはずだ。そして来ているようなら……そのまま殴り込む」


 マリウスの問いに即答するアーデルハイド。マリウスが若干目を丸くする。


「ソニアならともかく、君がそういう手段を取るのはちょっと意外だったね」


 アーデルハイドは肩を竦める。


「悠長にしている時間は無いからな。それにミリアムが来ているなら後ろ暗い所があるのは連中も同じ。街の衛兵を呼んだりは出来んはずだ」


「なるほどね……。でも最終的にジェファスに白を切り通されたら、こっちは状況証拠だけだから、下手をするとイゴール公と揉める事になっちゃうかも知れないよ?」


 無論天下を目指すマリウスとしては、イゴールとていずれ倒さねばならない敵である事に変わりはないが、現時点でのモルドバとディムロスの国力や兵力の差を考えると、事を構えるのは時期尚早と言える。


 イゴールは多くの諸侯と同様、帝都への上洛及び皇帝の『保護』を目論んでいるらしく、その目は専らケルチュを始めとした北の諸都市に向いており、辺境の南は眼中にない様子であった。


 イゴールの目がこちらに向いていない内に力を蓄える必要があった。なので今の時点では余りイゴールの注意を引きたくない。アーデルハイドが頷く。


「その懸念は尤もだ。だから私はミリアムの救出を最優先で動くが、その間マリウス殿には別の仕事を頼みたい」


 2人は簡単な打ち合わせを行った……



****



 そして現在に至る。


 門番の態度からミリアムが既に屋敷に入っている事を確信したアーデルハイドは、問答無用で門番を殴り倒してマリウスと共に屋敷へと侵入した。


 マリウスは駆けつけてくる私兵達を引き付けつつ、アーデルハイドと別れて大立ち回りを演じる。彼女は私兵の注意がマリウスに集まった隙にその警護をすり抜けて、屋敷の奥にあるジェファスの私室へと到達したのであった。


 そしてあわやという場面に遭遇する。あの廃村で相見えた黒ずくめの男が、今まさにミリアムに手を掛けようとしている所だった。


 既に弓矢を番えていたアーデルハイドは素早く矢を放って男を妨害。男の注意がこちらを向いた隙に、剣を抜き放ってミリアムとの間に割り込んだ!



「ふぅ……間一髪だったな。あの時と同じだな」


「ア、アーデルハイド、様……?」


 後ろからミリアムの呆然とした声が届く。何故アーデルハイドがここにいるのか……事態に付いていけていないのだろう。それはまあ当然の反応だ。だが今は悠長にお喋りしている余裕は無い。


「ミリアム……言いたい事は山ほどあるが、まずはこの状況を脱するのが先決だ」


 アーデルハイドは剣を構えて、視線を油断なく黒ずくめの男に固定したまま言った。男から発せられるプレッシャーは凄まじく、彼女自身が後退する事は勿論、ミリアムだけを逃がす事も難しかった。2人は男の威圧によってその場に縫い付けられたかのようだった。アーデルハイドの額に冷や汗が伝う。


(く……何という剣気だ。廃村ではまだ本気ではなかったというのか……)


 彼女は尚自分の見通しが甘かった事を悟る。だが今更後には退けない。と、その空気を破るように耳障りな老人のしわがれ声が響く。


「……なんじゃ、この女は? どうやってここまで来たか知らんが、この現場を見られてはどの道生きては帰せんのぉ」


「……!」

 そこで初めてアーデルハイドは、目の前の男以外にも別の人物がいた事に気付く。奥の豪勢なソファに身を預けたままこちらを面白そうに見ている白髪、白髭の老人。


 その皺の刻まれた顔は年相応の落ち着きという物がなく、卑しく残忍な感情に歪んでいた。矮躯でありながら精気に満ち、妙な存在感を醸し出している老人であった。


 状況や、老人の言動からして間違いない。この老人こそがミリアムに刺客を放った祖父、この屋敷の主ジェファス・フェビル・ウィールクスその人だ。そして、アーデルハイドの故郷の村が襲われる要因を作った男……!


「お前……お前がジェファスかっ! お前が……妹をっ!!」


 一瞬激情に駆られてジェファスを睨み付ける。その視線を受けたジェファスは不快そうに顔をしかめる。


「ふん……気に食わん目じゃの。タナトゥス! さっさと始末してしまえっ!」


 命令を受けて黒ずくめの男――タナトゥスが一歩進み出る。そのプレッシャーに押されるように、逆に一歩後ずさるアーデルハイド。タナトゥスの覆面に隠れた口が歪むのが解った。


「ふ……あの時の女か。お前では俺には勝てん」

「……っ!」


 覆面でくぐもった冷徹な声。それは絶対の自信、そして相手への侮りの表れ。その屈辱とジェファスへの怒りを原動力に変えて、アーデルハイドは威圧に逆らうように強引に足を前に踏み出す。


「やってみなければ解らん! 行くぞっ!」


 自らを鼓舞するように気勢を上げた彼女は、裂帛の気合いと共に斬りかかる!


 アーデルハイドの剣術はベガルタ流清剣術という、比較的小柄な者や非力な者でも戦場で戦えるよう考案された剣術流派で、自身より力強い相手との戦いに適していると言われる。だが……


「ふ……」


 袈裟斬りに斬り下ろした一撃は、あっけなく相手の刃によって弾かれた。だがアーデルハイドは怯む事無く次々と斬撃を繰り出す。全てが全身全霊の一撃だ。


「む……!」

 タナトゥスの声の調子が若干だが変わった。目を細めると刃を細かく蠢動させ、アーデルハイドの放つ斬撃を全て受け止め、いなしてしまった。


「く……」

 アーデルハイドが歯噛みする。全てが必殺を期した一撃だったというのに全く通じない。やはり並大抵の使い手ではない。


「なるほど……多少は出来るようだな。だが所詮は女……。俺の敵ではない」


「……!」

 来る!……と身構えた時には既にタナトゥスの姿はアーデルハイドの眼前にあった。


(速――――)


 相手の刃の軌道を見切るどころの話ではない。咄嗟に防御するように剣を前に突き出すだけで精一杯であった。


 ――ガキィンッ!! と、大きな金属音が響く。


「あぐ……!」


 恐ろしい衝撃が剣に加わり、把持している事が出来ずに剣の柄が彼女の手から離れた。弾き飛ばされた剣は回転しながら部屋の床に落下した。


 そして衝撃に押されるように、アーデルハイドもよろめいてその場に片膝を着いてしまう。その首筋に黒塗りの刃が突きつけられる。



「く……おのれ」


 アーデルハイドが悔し気に呻くが、完全に勝負ありだ。観戦していたジェファスが手を叩いて笑う。


「ひょっひょっひょ……! 中々面白い見世物じゃったわい! 止めを刺せ、タナトゥス!」


「……終わりだ、女」


 タナトゥスが刃を振りかぶる。それを見ていたミリアムが青ざめる。


「アーデルハイド様ぁっ!!」


 血の気の失せた顔でそれでも健気に駆け付けてこようとする彼女だが、それを手で制したのはアーデルハイドだった。


「来るな、ミリアム! ……まだ終わりではない」


「……え?」


 その確信に満ちた声に戸惑ったミリアムの足が止まる。タナトゥスが不審そうに眉をひそめる。


「女、貴様……何を笑っている・・・・・・・? 恐怖で気でも触れたか?」


「ふ、ふふ……いや。何とか、間に合ってくれた・・・・・・・・ようだからな……」


「何? …………ぬぅっ!?」


 タナトゥスがそれまでの余裕をかなぐり捨てたように慌てて身を翻した。次の瞬間、直前までタナトゥスの身体があった空間を神速の剣閃が薙いでいた。



「ふぅぅ……! ちょっと焦ったけど、何とかギリギリ間に合ったみたいだね……」



 そう言って息を吐きながら、すんでの所でアーデルハイドを救ったのは、彼女が敬愛する主君にして天才剣士のマリウス・シン・ノールズであった!

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