第二十三幕 建国の戦い(Ⅰ) ~地方都市ディムロス

 この世の中心を謳うオウマ帝国だったが、そんな帝国にもやはり『辺境』と呼べる場所はいくつか存在していた。


 南東のリベリア州しかり、北にあって年中吹雪に覆われるビオラズマ山脈を頂き、東には寒冷な草原地帯『ノーマッド』が広がるばかりの北方領土スカンディナ州しかり……


 そして今ひとつ……ハイランドから遠く離れた南方の地。それ以上南に下れば未開の蛮族が割拠している熱帯雨林『アマゾナス』が広がるだけの、帝国最辺境と名高い……トランキア州。



 トランキア州最北にある『南の玄関口』と呼ばれるケルチュの街。今マリウス達一行は、この街に移動してきていた。これより南は辺境のトランキア州が広がっている。


「……さて、ヴィオレッタ。君の提案を受けてこのトランキア州までやってきた訳だけど……そろそろ腹案を教えてもらってもいい頃じゃないかな?」


 ケルチュの旅人宿の一室にマリウス達5人が顔を突き合わせていた。思い思いに椅子や寝台に腰掛けたり、壁にもたれたりしている。一行が集まったのを確認してマリウスが口火を切る。


「この地方は蒸し暑い日が多くて、ガルマニア育ちの私には少々馴染みの薄い風土だな。確かに、敢えてこの地に来た理由を聞かせて貰いたいものだな」


 アーデルハイドが同調する。彼女の鎧姿は確かにこの地方では少々過ごしにくそうだ。


「んな暑苦しい鎧着てるからだろ。いい機会だから脱いじまいな! それでもっと過ごしやすい格好に変えたらいいのさ。アタシみたいにね!」


 そう笑ってアーデルハイドの背中を叩くのはソニアだ。彼女は元々日差しの強いイスパーダで生まれ育っているので、このトランキア州の気候とも相性がいいようだ。二の腕や太ももが剥き出しの衣装もこの州では涼しげで快適そうだ。


「……私達が起つにはこの州が最も都合が良い。ヴィオレッタ様はそうお考えなのですね?」


 彼女らのやり取りには構わず、エロイーズがおっとりとした口調でヴィオレッタに確認する。部屋の視線がヴィオレッタに集中する。彼女はゆっくりと首肯した。


「ええ、皆も気付いていると思うけど、ハイランドやその周りの州は帝国や有力な諸侯達の影響が強いわ。既に体制も整っている街や郡が多い。そんな場所では一からの旗揚げでは中々食い込む余地が無いわ」


 もし彼等が互いに争ってどちらかが滅びたとしても、その都市は勝った側の物になるだけだ。「空き」が出る訳ではない。新興勢力が入り込む余地は皆無とは言わないが、かなり難易度の高い物となる事は否めない。


「その点このトランキア州は帝国内でも辺境と呼ばれているだけあって、中央の弱体化の影響を最も強く受けているわ。公都モルドバは別だけど、そこより南となると山賊が横行したり民衆が反乱を起こして太守を追い出したはいいけど、討伐軍が派遣される事もなく放置されている都市があったりと、かなり酷い状況になっているらしいわ。でも、酷いということは裏を返せば……」


「……それだけチャンスに満ち溢れているって事だね?」


 マリウスの確認に頷くヴィオレッタ。


「ふん……理屈は分かったけど、具体的にはどうするんだい? まさか行き当たりばったりじゃないよね?」


 ソニアが尤もらしく質問するが、マリウスは内心(いや、君には言われたくないんじゃないかな……)と思ったのは内緒だ。 


「勿論よ。これを見て頂戴」


 ヴィオレッタが苦笑しながらテーブルの上に一枚の地図を広げる。この時代地図はかなり貴重で、詳細な物となると帝国の高官や各街の太守など一部の人間しか持っていないのが普通だった。 


 ヴィオレッタはトレヴォリにいた頃に、太守の持っていた地図の写しを作成していたのだ。


 彼女が開いた地図はトランキア州を拡大した物で、かなり希少性が高い。


「私達の行くべきは……この街よ!」


 ヴィオレッタが地図の一点を指差す。マリウス達全員がそれを覗き込む。そこはトランキア州の中でもやや南西寄りにある、ディムロスという名の地方都市であった……



****



 ディムロスの街はその背後に険しい山脈を背負った防衛に適した立地で、またその山の峰から流れ出る清水が川と小さな湖を形成し、水源にも事欠かない。


 ヴィオレッタが選んだ理由はそうした戦略上の立地の観点が一つ、そしてもう一つは……



「へぇ……こりゃまた、随分荒んだ街だねぇ……」


 ディムロスの街に入ってすぐの大通りを見渡しながらソニアが呟く。本来は人で賑わう大通りが、陽も高い日中だというのに碌に人通りがなく、物乞いや浮浪者と思われる薄汚い姿の人間が済に蹲ったり横たわったりしているのみ。


 僅かに通りかかる人々も皆、自分の用事だけを済ませたら一目散に周囲を気にするようにそそくさと駆け去っていく。商店や施設なども閉鎖して空き家となっている家屋が目立つ。


 何とも侘しい、寂れた雰囲気の街であった。



「ふーむ……これじゃ広場の方に行っても同じような感じかも知れないね」


 マリウスも顎に手を当てて、難しい顔で周囲を睥睨する。ヴィオレッタが頷く。


「そうね。調べただけでも3つの山賊団がこの街を食い物にしているわ。なのに太守は周辺都市との小競り合いばかり繰り返していて、民の困窮や訴えも無視し続けている……。もう民の不満は爆発寸前よ。……まさにおあつらえ向きって訳」


「……ブラムニッツの街を更に酷くしたような状況だね」


 ソニアが顔を顰める。因みにこの場にいるのはマリウスとソニア、ヴィオレッタの3人のみで、エロイーズとアーデルハイドの姿はなかった。



「まさに君が言った通りの状況だったね、ヴィオレッタ。……それじゃ、ソニア。頼めるかい?」


「ああ、任しときな。こんな街でも血の気の多い奴等ってのはいるモンさ。そしてそういう奴等ってのは大抵がやくざ者って訳だ」


 ソニアは我が意を得たりとばかりにスイスイと街を進んでいく。マリウス達はその後を付いていくだけだ。


「どんな街にも裏と表があって、裏の連中の縄張りってのはどこでも独特の雰囲気があるもんだ」


 ソニアの先導に付いていくと、やがて明らかに周囲の空気が異なる区画に入り込んだ。やはり見える範囲には誰もいないが、ただ寂れているだけの表通りと違って、もっと剣呑な空気が漂う静けさであった。



「なるほど……見られてるね。僕から離れないで、ヴィオレッタ」


 マリウスはそっとヴィオレッタを側に引き寄せる。彼女はエロイーズとは違って短剣を所持しており最低限の護身能力はあるとの事だが、ソニア達のような武人とは言えないので余り過信しない方がいいだろう。


 サランドナでそうだったように、マリウス1人でさえ絡んでくる連中がいるくらいだ。ましてやソニアやヴィオレッタのような美女連れとなれば……


「おい、兄ちゃんよ。随分見せつけてくれるじゃねぇか。俺らに対する当てつけか?」


 いつの間にかマリウス達を挟み込むようにして、通りの前後に10人程の男達が現れていた。奥まった場所ですぐに逃げられるような立地ではない。


 しかしマリウス達に何ら慌てた様子はない。むしろこれを待っていたのだ。


「見せつけてるって? そうだと言ったらどうする?」


 マリウスは言葉通り男達に見せつけるように、ソニアとヴィオレッタの肩を両腕に抱き寄せる。2人の頬が若干赤く染まる。反対に男達の顔が憤怒に染まるのも容易かった。


「てめぇ……何のつもりか知らねぇがいい度胸だ。おい、やっちまえ!」


 リーダー格と思われる男の命令と共に3人程の男達が肩を怒らせながら近付いてきた。マリウスは素早く女性達を離すと、まるで流れるような自然な動作で男達に接近。


「お――」


 まさかマリウスの方から仕掛けてくるとは思わず男達が一瞬硬直。その隙を逃さずマリウスの拳や蹴りが男達を一瞬で昏倒させた。


「うーん、ちょっと弛んでるね」


「こ、こいつ、ふざけやがって! もう容赦しねぇ! ぶっ殺せ!」


 リーダー格が刀を抜くと、他の男達もそれぞれ得物を抜き放って殺到してくる。前からリーダー格を含めて5人。後ろの路地からは3人だ。


「ソニア、後ろ頼める!? 殺しちゃ駄目だよ?」

「ああ、任せときな!」


 ソニアが青龍牙刀を抜き放ちながら応える。それを受けてマリウスも前の相手に集中する。


 自身も剣を抜き放って先頭の男の得物目掛けて鋭い斬撃を放つ。


「……!」

 何が起きたのかも解らない内に得物をはたき落とされて唖然とする男達。その隙に急所に剣の柄や蹴りを叩き込んで沈黙させていく。


「ぬりゃあぁぁぁっ!」


 リーダー格の男が刀を振り下ろしてくる。マリウスは容易くそれを掻い潜って男の手の甲を狙って剣の柄で打ち据える。


「痛えっ!!」


 刀を取り落とす男。すかさずその首筋に剣を突きつける。その頃にはソニアも同様に3人の男を伸した所だった。


「はっ! 全く、サランドナのやくざ者の方が歯ごたえがあったねぇ!」


「て、て、てめぇら、一体何モンだ……!?」


 リーダー格の男が冷や汗を流しながら呻く。明らかにそこいらの兵士や腕自慢のレベルではないマリウスや女だてらに大立ち回りを制したソニアの姿に、遅ればせながら自分達が吹っ掛けた相手が只者ではない事に気付いたらしい。


「何者かと言われれば……まあ今の世の中を憂う者とだけ言っておこうかな」


「!?」


「詳しい話は君達のボスにさせてもらうよ。いるんだろう? この街にもそういった元締めが」


 ソニアによると、どの街にも規模の大小はあっても、必ず筋物達を束ねている元締め的な存在がいるとの事であった。ソニアの父もまた、サランドナの元締めだったらしい。


「ボ、ボスに会いたいだって? 一体何だって……って、解った解った! 降参する! 案内するからもう勘弁してくれ!」


 訝しげな表情をした男に剣をこれ見よがしに突きつけてやると、忽ち顔を真っ青にして首を縦に振った。もしかしたら筋物の本能でマリウスの剣呑さを見抜いたのかも知れない。


「いい心掛けだね。それじゃ行こうか」


 一応騙し討ちを警戒してヴィオレッタを側に引き寄せ、男に剣を突きつけながらニッコリと笑うマリウス。男は冷や汗の量が増えるのを自覚した……

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