第九幕 白磁の才媛(Ⅰ) ~国作りに必要な物は

 コルマンド県はフランカ州の中でやや西寄りの中央部に位置しており、街の南には広大な平野と穀倉地帯が広がっている事から、州都ヴィエンヌを含むオウマ帝国全体の食糧事情を担う重要な農業都市の一つでもあった。


 マリウスが帝都で集めた情報では、この街には商才に優れ、若くして財を成し、他の商人や何と国の官吏からも一目置かれる才媛がいるらしいのだ。


 その才媛こそが、マリウスが勧誘しようとしている二人目の同志であったのだ。



「商人、ねぇ……。ホントにそんな奴が必要なのかい? 弱っちい奴が一緒にいても、旅の足手まといになるだけじゃないかい?」


 マリウス達はコルマンドの街の大通りで、目についた適当な酒場に入って昼食を取りながら、この街での予定を話し合っていた。


 次に勧誘しようとしている人物の情報を聞いたソニアは、そんな風に言って鼻を鳴らした。



「僕らは剣を振るうのは得意でも、国や街の運営、資金の管理の仕方……つまりは政治については全くの素人だ。それじゃ仮に旗揚げに成功したって後が続かない。そうだろ?」


 旗揚げはあくまで通過点に過ぎない。重要なのはその後だ。


「む……そ、そりゃあ……。で、でも、前の街でも大金を稼げたし、そんな奴の助けがなくたって……」


「まさにそこだよ。僕らだけだったら今のままでも何ら問題ない。もしくはただ放浪軍でやっていくくらいならね。でも自分達の国を持って街を運営してくとなったら、内政に外交に軍備に……どれだけの金が動くか想像できるかい? それこそ百万や二百万じゃ効かなくなってくるだろう」


「……!」


「僕も多少は学問を嗜んだけど、正直そんな単位のお金をどう運用して良いのか見当も付かないよ。色んな所に無駄に金を使ってしまって、すぐに財政が立ち行かなくなる未来が容易に想像できるよ」


「まあ、確かに……アタシらは放浪軍を目指してる訳じゃないんだったね。金勘定なんて、アタシの最も苦手な分野だよ!」


 ようやく少し実感できてきたらしくソニアが顔を顰める。


 サランドナの実家で残り3000ジューロまで困窮し、計画性のない行き当たりばったりの旅に出ようとしていた程なので、確かにソニアにはそういった金銭管理能力が絶望的に欠けているのは間違いない。


「僕だって似たようなものさ。だからこその勧誘って訳。やっぱり専門家にその辺を任せられるなら安心だしね」


 そして、どうせ勧誘するなら若く才気に溢れた美しい女性に限る、というのが才女好きを公言してはばからないマリウスの持論だ。



「……まあ、理屈は解ったよ。でも商売に成功してるんなら、アタシらみたいな何の実績もない浪人の仲間に加わってくれるモンかねぇ?」


 ソニアの指摘にマリウスは肩をすくめる。


「ま、そこは出たとこ勝負だね。やってみなくちゃ何事も解らないさ。だろ?」


「そりゃ、まあそうだね」


「……それに僕の想像が正しければ、そう分の悪い賭けでもないと思ってるけどね」


「え……?」

 思わず聞き返すソニアに、マリウスは薄っすらと笑って席を立った。既に食事は終わっていた。


「さあ、時間は有限だ。いつまでもここで油を売ってる訳にも行かない。早速件の才媛に会いに行こうじゃないか」




 通りに出て情報収集を行う。帝都で行商人に聞いた所によると、件の才媛は近郊の村々で生産された食料の仲介業を主にしているらしい。


 帝国の各都市の食糧相場を見抜く能力に長け、農村から委託された農作物を的確に相場の高い都市に仲介し、仲介料で財を成しているとの事だ。


 まだ帝国の統治体制が行き渡っていた時代は、収穫された農産物は全て国で一元的に管理されていたので、このような商売は成り立たなかった。


 しかし帝国の求心力と影響力が低下し、各地の諸侯が独自に勢力を高めるようになった今の時代、各県で収穫された農作物は、全てその県や郡単位で『交易品』として独自に管理されるようになった。


 各地の諸侯が小競り合いや軍備の拡充などを独自に行う事で、地域ごとの食糧の相場が大きく変動するようになったのだ。


 そのような世情の中で、各地の相場を的確に見抜く『相場師』の需要が高まり、腕利きの相場師になると既に事変が起こってから対応するのではなく、中原の情勢から相場の変動を先読み・・・して、予め必要となる物資を買い付けて儲ける準備をしておく者さえいるらしい。


 件の才媛は帝都に出入りする行商人の噂にも上った程なので、かなり腕利きの相場師と考えて良いだろう。彼女もまた、今の時代でこそ力を発揮できるタイプの人間なのだ。


 何はともあれ、相場師は一般向けに店舗を構えての商売ではない為、関わりのない一般市民には余り知られていない可能性もある。 


 なので情報収集を行うのは、専ら同業者……つまり商人相手となる。



 行商人と思しき者を捕まえては、その才媛の情報を知らないか確認していく。幸いにして二人目の聞き込みで当たり・・・に出くわした。


「んん? 才媛って、ギャロワ女史の事かい? あんた達もあの人に何か用があるのかい?」


 市場で商店主に対して品物を卸していた行商人は、そう言ってマリウス達の方を見た。ソニアが首をかしげる。


「あんた達『も』?」


「ああ。2時間くらい前にも、わざわざ州都から役人みたいな人が、やっぱりギャロワ女史を探してたんで、家の場所を教えてやった所なのさ」


「州都の役人が? どんな用件で?」


 マリウスの問いに行商人は肩をすくめる。


「女ながらここらじゃ一番の相場師だからね、あの人は。相場師は情勢を読み取る力に長けてるし、その関係上政治経済にも造詣が深いらしいね。まあ多分その辺の相談事じゃないか?」


「…………」


 2人は顔を見合わせた。州都から彼女を訪ねてくる人間がいるくらいだ。才媛という噂は確かなようである。


(ふむ、これは余り猶予がないかも知れないな。急いだ方がよさそうだ)


 件のギャロワ女史は、女性ながら能力を認められているようだ。勿論それ自体は今後の事を考えれば喜ばしい事だが、どこかの誰かが彼女を招聘してしまわないとも限らない。


「では我々も早速向かってみようと思います。ありがとうございました」


 行商人からそのギャロワ女史の家の場所を聞いたマリウス達は、礼を言って市場を後にした。



****



 果たして行商人に教えられた場所に家はあった。しかし……


「……ここがそうなのかい? 何ていうか……随分小ぢんまり・・・・・した家だねぇ?」


 ソニアが戸惑う。それも無理はない。


 場所は街外れ・・・。余り裕福な住民の住む場所ではない。事実眼の前の家は、その辺の庶民の家といっても差し支えない建物であった。広さだけなら、ソニアの実家と大差ないだろう。


 ただし家自体は清潔で庭の手入れもきちんとなされてはいるようだが……



 この時代、富める者はそれを誇示するのが普通であった。それが周囲に対する自身のステータスともなるからだ。


 誇示する方法は、着ている服の仕立ての良さだったり、身に付けている装飾品、雇っている使用人の数、普段出入りするレストランのグレード等様々な物があるが、誰しもに共通する方法として、自宅の豪華さというものがあった。


 まず自分の住んでいる場所が豊かであってこそ其の者は裕福足り得る、というのがこの中原での共通の価値観であり、出世した者や財を成した者がまず取り組むのが、自宅の改築もしくはより良い家への転居であるのが常識だ。


 してみると目の前の家は明らかにその常識からは外れた物であった。



「……どう見ても、そんな御大層な才女様が住んでいるような家には見えないねぇ。あの商人にかつがれたかね?」


「うーん……。そんな感じには思えなかったけど」


 そもそも別に案内料を求められた訳でもないので担ぐ意味がないだろう。


「担いでないんだとしたら、その才女様はどうやら期待してた程の能力はないって事になりそうだね、こりゃ」


 ソニアが、それ見たことかと言わんばかりの態度で鼻を鳴らす。マリウスは苦笑する。


「ま、それは実際に合ってみれば分かるさ」

「あ、ちょっと!?」


 ソニアに構わず家の前まで歩いていく。ソニアが慌てて追い掛けてくる。



 と、丁度その時家の扉が内側から開いた。中から2人の男が出てくる。仕立ての良い立派な旅装に身を包んだ男性と、体格の良い兵士風の男だ。恐らく先の行商人の話に出ていた州都からの文官だ。兵士はその護衛といった所か。


「……ギャロワ殿。そなたの意見、大変参考になった。礼を言っておこう」


 文官が振り向いて声を掛ける。すると……


「お役に立てたようで何よりですわ。どうかより良い治世をお願い申し上げます」


 澄んだ柔らかな美声と共に、客人を見送る為に出てきた1人の女性。



「――っ!!」



 その姿を見たマリウスは脳天を突き抜けるような衝撃を覚え硬直した。これは……サランドナでソニアの姿を初めて見た時と同様の感覚だ。それ程の美しさであったのだ。



 やや目尻の下がった目元の柔和そうな表情。まるで一度も日焼けした事がないのではと思える、透き通るような白く滑らかな肌。


 フランカ人らしい波打つような豊かな金髪は背中まで届き、その身を女性らしい落ち着いた雰囲気の絹服に包んでいる。


 ソニアを「動」とするなら、この女性は「静」という所か。色々な意味でソニアとは正反対の、静かで理知的な印象の女性だった。


 年の頃は恐らくマリウス達と殆ど変わらないはずだ。この年齢で帝都にまで噂が上る程の商才を発揮したというのだから、彼女は間違いなく期待以上の能力を持っている事を彼は確信していた。


「約束しよう……。しかし惜しいな。そなたが男であれば、間違いなく我らが州都ヴィエンヌを治めるリクール公に推挙しておったものを」


 文官の残念そうな言葉。しかしそれは裏を返せば、女だからという理由だけで推挙しない、という事だ。


 女性――ギャロワは黙って頭を下げて、何も言わずに客人を見送った。そして当然マリウス達の姿は目に入っていたのだろう。頭を上げるとこちらに向き直ってニッコリと微笑んだ。



「ここにいらっしゃるという事は、わたくしに御用という事ですね? このように立て続けに来客がある事は珍しいですね。しかも女性連れのお客様とは……」


 マリウス達の様子を見たギャロワが、可愛らしく小首を傾げる。その動作を見ただけで、マリウスは不覚にも鼓動が跳ねてしまった。


「……ちょっと! マリウス……!」

「……!」


 彼女に見惚みとれていたマリウスは、やや不機嫌そうな声音のソニアに肘で突かれて正気に戻った。


「おっと……これは失礼。初めまして。突然の訪問失礼致します。私はハイランドはロージアンのマリウス・シン・ノールズと申します。以後お見知りおきを」


「アタシはイスパーダはサランドナのソニア・バルデラス。このマリウスの同志・・ってトコさ」


 まずは初対面の礼儀として正式な名乗りを上げる。それを受けてギャロワもペコっとお辞儀をした。


「まあ、これはご丁寧に。私はエロイーズ・ギャロワと申します。どうぞお見知りおき下さいませ」


 ギャロワ――エロイーズは、顔を上げて再びニコッと笑った。


「さあ、このような所で立ち話もなんですし、どうぞお上がり下さいませ。ご用件の方は中でお伺い致しますわ」


 エロイーズの招きにマリウスは少し驚く。突然の訪問でいきなり話まで出来るとは思っていなかったのだ。


「宜しいのですか? たった今、前の客が帰ったばかりでお疲れでしょうし、また明日にでも……」


「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫ですわ。お客と言っても座ってお話をしていただけですし、それ程疲れてはおりませんから。それよりマリウス様のご用件の方に興味がありますから、どうぞご遠慮せずに」


 彼女がこちらに気を使って無理をする理由はないので、その言葉は本心なのだろう。であればこちらとしてもありがたい話だ。マリウスはその好意に甘えさせてもらう事にした。


「そういう事であれば……喜んでお邪魔させて頂きます。ありがとうございます」


 頭を下げて礼を言うマリウス。ソニアは腕を組んで少し面白くなさそうな表情だ。反対にエロイーズは、マリウスの態度を見て若干興味深そうに目を細めたのだった。

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