第十幕 エロイーズ・ギャロワ

 家の中は意外と広い……という事もなく、見た目通りの庶民の狭小住宅の間取りであった。


「さて……それではマリウス様。このしがない一商人の私に一体何用であるのか、お話下さいますか?」


 エロイーズが台所で淹れた茶を、狭い居間にある唯一のテーブルに着くマリウス達に振る舞いながら、自らも対面に腰掛ける。


 茶の容器から香草の落ち着いた香りが漂う。ソニアの家で同じように淹れられた安物の茶とは雲泥の差のようだ。



「ふん……しがない、ねぇ? 使用人の1人もいないこんな小さい家に住んでるようじゃ、どうやら噂ほどの才媛って訳でもなさそうだね。マリウス、やっぱり無駄足だったんじゃないかい?」


 それを感じたからでもないだろうが、ソニアが露骨に面白くないという態度を取る。


「おい、ソニア。失礼だぞ……!」


 マリウスが少し厳しい口調で嗜めるが、エロイーズは相変わらずたおやかに笑っている。


「いえ、構いませんよ。ここに訪ねてきた方は大体皆さんそう仰られますから。この家に居を構えているのは故あっての事なのです」


「へぇ? どんな理由があるってんだい、才女様?」


 嫌味に動じないエロイーズの態度に苛立ったのか、ソニアが増々挑発的な口調になる。美女2人の間で火花が散った……ように感じた。


 マリウスは流石にこれはマズイと感じ制止する。


「ソニア! いい加減にしないか! ギャロワ殿、連れが失礼しました。本日伺ったのは――」


 早く本題に入ってしまおうとマリウスが口火を切ろうとすると、エロイーズはやはりニッコリと微笑んでそれを制した。


「――解っております。マリウス様は旗揚げ・・・同志・・として私を勧誘に来られたのですよね?」


「――!?」

 マリウスだけでなく、ソニアも目を瞠る。


「な……た、確かにその通りでございます。でも何故それを? 私達は今日この街に着いたばかりだというのに……」


 しかも2人はまだ無名の浪人に過ぎない。アポイントも無しに訪れ、エロイーズとは間違いなく今日が初対面だ。マリウス達の頭の上に?が踊る。その様子を見て取ったエロイーズがクスッと笑う。


「私自身は武芸を嗜みませんが、先程来ていた方の護衛の兵士のように軍人や武人の方は見慣れておりますので、それを見分ける『目』だけは養われております。そして私の見た所、あなた方お二人からは武芸に身を置く者特有の所作が見受けられました。そして女性であるソニア様を連れられている事からも、明らかに帝国やどこかの諸侯に仕える武人の方ではありません。そこに先程ソニア様が仰られた『同志』という言葉や、私の噂を聞いて訪ねてきたという話から考えれば、自ずと結論は出るかと……」


「…………」


 マリウスもソニアも唖然としていた。顔を合わせてから5分も経っていない程度の短いやりとりとこちらの様子だけで、マリウス達の素性や目的を見抜いたという事か。



(これは……想像以上だね)



 何としても目の前の女性が欲しい……。その思いを増々強くするマリウス。


「……お見逸れしました。たったそれだけの情報で推察されてしまわれるとは。噂通り……いや、噂以上です。しかも……貴女はまるでこのフランカを華やかに彩るアイリスの如くお美しい。正直何としても貴女を同志に迎えたくなりましたよ」


 その言葉を聞いて、ソニアが「また出たよ……」と言わんばかりに顔をしかめている。しかしエロイーズの顔だけを真剣に注視しているマリウスにはどうでも良かった。


「見ての通り我らは武骨者ゆえ、主に知略面で我らを支えてくれる仲間を探しています。確かに今はただの浪人に過ぎない私ですが、必ずや自らの国を興してみせます。その時貴女の力がどうしても必要なのです。決して後悔はさせません。……どうかこのマリウス・シン・ノールズと共に歩んでは頂けませんか?」


 気づくと椅子から立ち上がり、熱心に語りかけていた。エロイーズの手を取らんばかりの勢いだ。果たして彼女の反応は……


「……な、何だか、婚姻の申し出のようにも聞こえてしまいますわね」


 その白い面をほんのりとピンク色に染めて若干目を逸らすエロイーズ。その反応でマリウスは自分がどんな態度で何を言ったかをようやく自覚した。冷静さを取り戻して椅子に座り直す。


「あ、いや……これは失礼をば。しかし、私の気持ちに嘘偽りは一切ございません。それ程にあなたが欲しいのです」


「うふふ、解っておりますわ。むしろ私などをそこまで買って頂き嬉しく思います。そうですね……」


 エロイーズはその細い顎に手を当てて考え込むような仕草となった。しかしすぐに面を上げた。


「……正直、あなた方の行く末に興味も出てきました。私などの力を必要とされるのであれば、喜んで同志のお申し出、受けさせて頂きたく存じます」


「……!! ほ、本当でございますか!? ありがとうございます!」


 応諾の返事を聞いたマリウスは、心の中で飛び上がらんばかりであった。しかしそこでふと冷静になり、絶対に確認しておかねばならない事を思い出した。



「……しかし、そうなると今の商売の方は……」


 当然畳んでもらう事になる。必要な同志を揃えた後は、旗揚げに都合が良い地を探してどこへ飛ぶか解らないのだ。それがここや近郊の街である保証は全く無い。つまり特定の場所に拠点を構えての商売は成り立たない。


 そして勿論旗揚げに成功すれば、彼女には官吏として内政を担当してもらう予定だ。いずれにせよ今の商売は出来なくなる。


 それを確認する為の問いにエロイーズは……


「特に品物を揃えての商売ではありませんし、畳むことは全く問題ありませんわ。そもそも一つ所に留まって商売を続けていたのも、名を上げる事で官吏として仕官の誘いが来るのを待っていたというのが本音なのです」


 この時代、女が自分から仕官を申し入れても、どこも一笑に付されて終わりだろう。だから実績を上げる事で、先方から誘いが来るのを待っていたという事か。


 しかしそこで彼女は物憂げに目を伏せる。


「……しかし現実は甘くありませんでした。どれほど実績を上げようとも、女という理由だけで、推挙してくれるような方はいらっしゃいませんでした」


「…………」


 それはマリウス達の前に来ていた文官の言葉からも明らかだ。ああいう事は初めてでは無かったのだろう。


「だからマリウス様のお誘いは、正直私にとって渡りに船だったのです。それによく考えたら、既にあるどこかの勢力に仕官するよりも、余程やり甲斐がありそうですわ」


 その言葉にマリウスは苦笑した。自分達で一から勢力を作り上げる……。それは確かに既存の勢力に仕えるだけでは絶対に体験できない大仕事だ。


「なるほど、そういう事情でしたか……。であるならば私もお誘いした甲斐があったというもの。共に素晴らしい国を作り上げましょう!」


「ええ。宜しくお願いしますわ、マリウス様」


 マリウスとエロイーズは立ち上がって固く握手を交わす。これで正式に二人目の同志が加わった。




「ふん……なるほどねぇ。仕官を待ってた、と」


 だが場に取り残された形になったソニアはつまらなそうに鼻を鳴らした。


「でもそれだったら何でこんな小さな家に住んでるんだい? 明らかに低く見られる原因だろ? 仕官を目指してたなら逆効果じゃないか」


「おい、ソニア……」


 折角綺麗に話が纏まったというのに、不穏なやり取りをされては困る。マリウスが嗜めようとすると、やはりエロイーズが手で制した。


「うふふ、構いませんわ。小さな家に住んでいた理由……。それは私自身の能力をきちんと見極められる方でなければお仕えしたくなかったからです。家だけを見て私の能力を見誤るような人間に仕えるなど真っ平でしたから」


 再びソニアとの間に視線の火花を散らしながら、ニッコリと笑ってそう答えるエロイーズ。ソニアの眉がピクッと吊り上がる。


 明らかにソニアが家についていちゃもんを付けていた事にも言及している。


「へぇ……そりゃつまりアレかい? 来る奴を逆に試してたって事かい?」


 やや低い声音になってエロイーズを睨むソニア。その眼光を受けながらしかしエロイーズは相変わらず薄く微笑んだまま、悪びれる事なく頷いた。


「ええ、そういう事ですわ。なのでご自身の発言にはもう少し注意を払った方が宜しいと思いますわ、ソニア様?」


「……!」

 ソニアの言動によって、この程度の人物を連れているマリウスを、逆にエロイーズが見限ってしまう可能性もあった……。そう言外に匂わせているのだ。


 それを察したソニアの目が更に吊り上がった。そして怒りを抑えるかのように腕を組んで黙り込む。


「お、おい、ソニア……?」


 マリウスが恐る恐る声を掛ける。2人はこれから同志になるのだ。末永くやっていく為にも、余り険悪になって欲しくない。


 だがソニアは僅かに肩を震わせたかと思うと、徐々にその震えが大きくなり、そして完全な笑い・・に変わった。


「ふ、ふふふ……あーはっはっはっはっ!!! なるほど! ただの温和なお嬢さんって訳じゃなさそうだね! アタシは強い奴が好きだ。それが肉体的か精神的かに関わらずね。気に入ったよ、エロイーズ! 正直アンタを低く見てた事は謝るよ! アタシの見る目が無かった。アンタは頼れる同志になりそうだ!」


 ソニアは立ち上がって手を差し出す。エロイーズはそれを受けて少し意外そうに目をしばたかせるが、すぐにフッと柔らかく微笑んでその手を握った。


 素直に自分の非を認めて謝れるというのは、誰にでも出来る事ではない。しかもそれで相手を気に入ったというのだ。ソニアの顔を見ればそれが強がりなどではなく、本心から言っているのが分かる。


 ソニアもまた器の大きい人物だとエロイーズは認めたのだ。


「うふふ、こちらこそ挑発的な物言い、失礼致しました。私の方こそ宜しくお願い致しますわ、ソニア様」


 2人の美女は固く握手を交わした。その光景を見てマリウスはホッと胸を撫で下ろす。


「とりあえず一件落着かな? これから宜しくお願いします、エロイーズ殿」


 するとエロイーズは少し悪戯っぽく微笑む。


「あら、マリウス様。もう同志になったのですから、私達は一蓮托生の仲間。どうぞエロイーズとお呼び下さいませ」


「ん? ああ、それもそうか……」


 同志になったというのに、いつまでも他人行儀でいる事は連帯感にも関わってくる。エロイーズがこちらを様付けにして丁寧語でしゃべるのは、これはもう本人の癖というか個性の問題だろう。


 マリウスは気持ちを切り替えるように一つ咳払いをした。


「おほん! あー……では、エロイーズ。それにソニア。改めて同志となってくれて礼を言う。まだ他にも仲間にしたい同志はいるし、まだまだこれからな僕達だけど……着実に前に進んではいる。これから増々2人の力も必要になってくると思うから、どうか宜しく頼むよ」


 2人は大きく頷いた。


「ええ、お任せ下さい、マリウス様。決して後悔はさせませんわ」


こうして新たに優秀な同志を得たマリウスは、自らの夢にまた一歩近づいたのであった……

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