第五幕 慌ただしい門出

「さ、そうと決まれば善は急げだ。早速出発しようじゃないか」


 ソニアがそう言っていきなり身支度を始めたので、マリウスは唖然とした。


「いや、家財一切はちゃんと整理して、正式に転出の届け出をしておいた方が後腐れないと思うけど……」


「はっ! どうせこんな家の家財なんて大した額にもなりゃしないよ。処分したり何なりにむしろ足が出ちまうくらいさ。現金の他最低限の物資、後は……」


 ソニアは一旦寝室に入ると、またすぐに出てきた。手には一振りの刀を持っている。柳葉刀と呼ばれる中原では最も一般的な形状の幅広の刀だ。


「……こいつがありゃそれだけで充分さ!」


 宣言して刀を掲げる。



 因みにマリウスの武器は、アロンダイト流神剣術の免許皆伝時に授けられた直剣だ。直剣は軍人や正規の道場で学んだ武芸者が持つ武器であり、対して刀は破落戸ごろつきや侠客など表に出れないような脛に傷を持つ裏社会の輩が好んで使う武器であった。



 しかしマリウスにはそんな一般論はどうでも良かった。武芸者の目で、その刀がかなりの業物である事を見抜いたのだ。


「へぇ……その刀、かなり良い・・ね……」


「ははっ! 解るかい!? 流石だね! こいつはアタシの親父の形見なのさ。親父はこの近辺じゃ知らない者もいないくらいの凄腕の武侠だったんだ。アタシの憧れさ。ま、5年ほど前の流行り病でアッサリ逝っちまったけどね……」


「…………」


「だからアタシにはこの刀……【青龍牙刀】があれば他には何もいらないのさ!」


「青龍牙刀……」


 青龍とはオウマ帝国の風水を司る神獣の一体で、東の方角を司っている。神獣の名を冠するからには、ソニアの父はこの刀に相当の自信と愛着を持っていたのだろう。父に憧れていた彼女にとってはこれ以上の形見はあるまい。


「まあ、ここを早く出たい理由はそれだけじゃなくて、あのプエルトの私兵どもの件もあるからね」


「ああ……なるほど。確かに」


 この街の太守の私兵と真っ向から事を構えたのだ。それは取りも直さず太守に楯突いたという事でもある。話の分かる太守であれば問題ないが、あんな質の悪い私兵をのさばらせておくような太守が、話の分かる男のはずはないだろう。


「ん? でも、だとすると君はもしかして……」


 ソニアは、元々あの喧嘩は私兵達を懲らしめるのが目的だったという。それは結局今と同じ状況になりはすまいか。マリウスの視線にソニアは苦笑する。


「はは、そういう事さ。どっちみちこの街からは出ていくつもりだったんだよ。もう一日早く行動してたら、それかあんたがもう一日遅くこの街に来てたら出会えてなかったかもねぇ?」


「何とまあ……」


 マリウスは自分達がかなり危うい状況にあった事に呆れた。そして同時に自分達がこうして出会えたのは、本当に運命・・だったのかも知れないと思った。



「でも君が既にそのつもりだったなら話が早い。ここはもう連中に割れてる可能性もあるから、必要な物だけ持って僕が泊まってる旅人宿まで行こう」


「よしきた!」


 ソニアは嬉しそうに笑って身支度を整える。私兵達相手に喧嘩を売りに行く前に、父親の墓の前でもう別れは済ませてあるらしく、青龍牙刀以外は本当に未練は無いようだ。


 因みにソニアが持っていた現金……全財産は3000ジューロ程度だった。これでは切り詰めても2ヶ月生活するのが関の山だ。


 マリウスがジトッとした目を向けると、ソニアは目を逸らして頬を掻いた。


「……もしかして君がこの街を離れたかったのって、ご近所関係だけじゃなく……?」


「ま、まあね……。アタシの事を知ってる奴がいない街で、何か稼げる仕事を探そうと思っててね……」


「…………」


 全く行き当たりばったりもいい所である。まあマリウスも人の事を言える程計画性がある訳でも無かったので、案外似た者同士なのかも知れない。


「ふぅ……。ま、僕もそれ程蓄えがある訳じゃないから、案外すぐに仕事を探す羽目になるかもね」


 帝都で愛馬ブラムドを購入する際に、1万ジューロほど使ってしまったのが痛い出費だった。貴重なオウマ金貨を一枚出して支払った。だが必要な出費でもあった。


 とりあえずソニアと2人だけなら、それ程の大荷物と強行軍でもしない限りブラムドへの相乗りで問題ないと思われるが、他にも同志の候補はいるし、いつまでもそのままという訳にも行かない。


 ソニアの分の馬も購入する事を考えると、どこかで一度稼いでおいた方が良いかも知れないと思った。地域による物価の差もあるが、中原では駄馬でも最低2000ジューロ程は取られる。


「ははっ! まあ固い事は言いっこなしだよ! 案外何とかなるモンさ!」


 あっけらかんと笑うソニア。マリウスもその姿に苦笑する。


「ふふ、そうかもね。これから天下に乗り出そうというんだ。小事を気にしていては大事は成せないと言うしね」


「お! イイこと言うじゃないか! その言葉、アタシの座右の銘にさせて貰うよ!」


 マリウスの肩を叩きながら、そう言ってまた豪快に笑うソニアであった。



****



 ソニアを連れて宿に戻ったマリウスは、干し肉などの旅人用の携帯食を購入すると、自身も手早く身支度を整えた。


 そして宿の主人に礼を言って簡易厩舎でブラムド受け取り、いよいよ出立の段階になった。


「さて、それじゃいよいよサランドナを発つけど、準備はいいね?」


「……ああ。もう迷いはないよ! 新天地目指して出発しようじゃないのさ!」


 強がりという訳ではなさそうだった。マリウスは頷いて、いざ出発となった時……



「あ……! いたぞ! あいつらだ!!」

「この街から逃げる気か!? そうはさせねぇぜ!」


 大通りの真ん中でマリウス達を指さして怒鳴る複数の男達。見覚えのある連中だ。


「げっ……」

 ソニアが呻く。あの太守の私兵連中だ。こちらの姿を認めると皆殺気立って、一斉に抜剣して駆け寄ってくる。勿論通行人達は悲鳴を上げて通りの脇に逃げていた。


「やれやれ……予想通りしつこい連中のようだね……!」


 マリウスは急いでブラムドに飛び乗る。


「さあ、乗って!」「あ、ああ!」


 マリウスが差し出した手をソニアが掴むと、体幹の力も利用して一気に馬上に引っ張り上げる。見た目とは裏腹のマリウスの力強さに、ソニアが若干だが驚いて顔を赤らめていた。


「さあ行くよ!? しっかり掴まってて!」


 だがマリウスはそれには気付かず、一気に手綱を握ってブラムドの腹を蹴る。走り出したブラムドを操りながら正門を目指す。


「畜生、逃がすか!」

「門を閉じろ! 早くしろぉ!!」


 自分の足で走ってくる男達とはどんどん差が開いていく。このままでは逃げられると悟った男達が、街の正門の上にいる兵に向かって怒鳴る。


 指示を受けた兵は慌てて城門を閉ざそうと、滑車を操作する。まだ朝方の時間で少ないながら正門を出入りする人間達はいるというのにお構いなしだ。それと同時に正門の脇を固める門兵達が槍を両手に構えて、マリウス達を逃すまいと立ち塞がろうとする。


 私兵に追われて馬を駆って逃げようとするマリウス達を、とりあえず犯罪者と見做して逃亡を阻止する方針で決めたようだ。ゆっくりとだが正門も閉じていく。悠長に門兵の相手をしている時間はない。


「このまま突っ切るよ!」

「……っ!」


 ソニアは物も言わずに、後ろからマリウスの腰に力一杯しがみつく。マリウスは更にブラムドを加速させる。


 左右から集まってくる門兵達の突き出す槍を巧みに躱しながら馬を駆る。そして……


「……抜けたぁっ!!」


 ギリギリ城門が閉まる前に、外に滑り出る事に成功した!



 街道を駆けながらチラッと後ろを振り向くと、城門の上にいた兵士が急いで弓矢を番えているのが見えた。


「ソニア! 後ろ、頼める!?」

「……!! 任せな!」


 ソニアも城門の兵士の動きに気付いていたらしい。返事と共に腰から青龍牙刀を抜き放つ。


 何人もの兵士がこちらに向かって矢を放ってきた。高所から放たれた矢は馬で逃げるマリウス達の背中まで到達……する前に、身体を捻るようにして後ろを向いたソニアによって、全て斬り払われた。


(ひゅぅっ! あの体勢から飛んでくる矢を全部斬り払うなんて、やるもんだ!) 


 やはりソニアの武芸の腕は大したものだと改めて確認できた。


 兵士が次矢を番える前に、何とかその射程範囲外に逃れる事が出来たようだった。それを確信してからマリウスはようやくブラムドのペースを落とした。


 流石にあの連中も、ただの浪人であるマリウス達をわざわざ街の外までは追ってこないだろう。


 いきなり想定外の重労働をブラムドに強いる事になってしまったので、次の街に着く前に一度どこかの宿場で一泊して休ませた方が良さそうだ。



「ふぅ……何とか無事に脱出できたね。随分慌ただしい出立になっちゃったけど……」


「ははっ! 気にすんなって! むしろアタシ達には相応しい派手な門出じゃないか! きっと親父もあの世で大笑いしながら見てたさ! アンタといると退屈しなそうだと思ったアタシの勘は当たってたみたいだねぇ!」


 思ったより上機嫌のソニアの様子に、マリウスも安心して苦笑する。その言動通りの豪胆な性質のようだ。


 こうして無事に(?)サランドナを出立したマリウス達は、次なる目的地に向けて進路を取るのであった……

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