第四幕 陽光の女傑(Ⅱ) ~ソニア・バルデラス

 件の酒場は人で賑わう市場に面した、比較的立地の良い場所に入り口を開けていた。と言っても夜ならともかく、まだ皆が忙しく働いている日中の時間帯である。そう混雑している事もないだろうと覗いてみると……


「おや?」


 意外な事に酒場の前には人だかりが出来ていた。しかしよく見るとどうも客という訳ではなく、酒場で騒ぎが起きており、その野次馬・・・であるようだった。マリウスは人だかりを掻き分けて最前列に滑り出る。そして……


「……!」



 彼女・・の姿を初めて目の辺りにした。

 


「おらぁっ!!」

「ぐえっ!」


 男が無様な悲鳴を上げて吹っ飛ぶ。体格のいい男を殴り飛ばしたのは……その男より一回り以上は小さな女性・・であった。その女性が10人以上はいる荒くれ者を向こうに何と喧嘩をしていたのだった。


 小さいと言ってもそれは大男と比べての話であり、女性としてはかなり背が高く体格も良かった。


 年の頃はマリウスと同年代かやや下くらいだろうか。


 濃い茶色の長髪にイスパーダ人らしい褐色に近い色合いの肌。見るからに気が強そうな釣り上がった目元ながら、顔の造作そのものはかなり整った派手な印象の美女であった。


 首から下もその派手な印象を助長しており、よくくびれた腰に、逆に出る所はこれでもかと言わんばかりに出っ張ったメリハリのある身体は、否応なしに男の目を惹き付ける。いや、同性ですら羨望の眼差しで見つめるかも知れない。


 そしてその極上の肢体を包むのは、この温暖なイスパーダ地方の民族服を改造した露出度の高い衣装であった。



 彼女・・を一目見たマリウスの脳天に衝撃が走った。



(こ、これは、期待通り……いや、それ以上だ……!)


 それは言ってみれば一目惚れに近い感覚だったかも知れない。間違いない……この女性こそが自分が探しているソニアなる女傑だ。


 マリウスは一瞬でそれを確信した。


「このアマぁ!!」


 男の1人が掴みかかってくる。美女――ソニアは惚れ惚れするような軽快な動きで飛び退って男の手から逃れると、お返しとばかりに男の脇腹に蹴りを叩き込む。短袴からむき出しの太ももが躍動する。


「いぎっ!?」

「そらっ!」


 男が怯んで前かがみになった所に、今度はその顔面に綺麗な膝小僧で膝蹴りをお見舞いする。盛大に鼻血を噴き出しながらもんどり打って倒れ込む男。


(ヒュウッ! 大男相手に素手でこれは大した物だよ!)


 マリウスは心の中で口笛を吹いて喝采を送った。肝心の能力の方も期待以上かも知れない。


「はっ! 何だ、こんなモンかい!? でかい口叩いてた割に大した事ないねぇ!」


 ソニアが威勢よく啖呵を切って男達を挑発する。


「こ、こ、このアマ、女の分際で……」


「ふん! じゃあその女に敵わないあんたらは女以下の乳飲み子ってトコかい!?」


「……ッ!」

 あっさりと切り返されて男達がいよいよ激昂する。大の男が雁首揃えて女相手に伸されたとなれば自分達の沽券に関わる。野次馬の目もある。


「て、てめぇ、もう容赦しねぇ!」


 そんな感情が重なった結果か、男達の1人が床に放ってあった自分達の剣の所に飛びつき……



 ――シャキンッ!!



 鞘走りの音と共に、剣が抜き放たれる。白刃の煌めきに野次馬が悲鳴を上げて散っていく。


「……!」

 それを見たソニアの目が格段に厳しくなる。1人が剣を抜いた事でタガが外れたのか、触発された他の荒くれ達も次々と剣を手にする。


「へっへっへ……おら、どうしたよ、さっきまでの威勢はよ?」


 ソニアは短剣すら所持していない無手だ。10人以上の男達は全員得物を手にして、ソニアをグルリと取り囲んでいる形だ。逃げ場がない。


「ちっ! 女1人相手に心底見下げ果てた連中だね!」


 ソニアは強気な態度を崩さないが、明らかに分が悪い。周囲に視線を走らせて、何とか突破口を探そうとする。


「へへへ、逃がすわけねぇだろ? 女の分際で俺達を舐めやがった報いをたっぷり味わわせてやるぜ?」


 だが男達は下卑た笑みを貼り付けながら、無情にも包囲網を狭めてくる。ソニアの顔に隠しようもない焦りが浮かぶ。



(ここらがタイミングかな?)


 何故喧嘩しているのかは分からなかったが、男達の粗野な雰囲気から、ソニアが一方的に悪いという事は無さそうだ。


 ソニアは自分の強さに自信がありそうだったし、下手に加勢などすると却って印象を悪くしそうだと思って機会を伺っていたのだが、この状況なら問題なさそうだ。


 マリウスは手近な男の背後に素早く忍び寄ると、


「ちょっと失礼」

「がっ……!?」


 その無防備な首筋に手刀を叩き込んだ。一瞬で崩れ落ちる男。


「な、何だ、てめぇは!?」


 残りの男達が突然乱入して仲間をあっさり気絶させたマリウスに驚いて振り返る。マリウスはそれを無視してソニアに声を掛ける。


「さあ、こっちだ!」


 マリウスも現在は無手なので、剣を持って殺気立った10人以上の男達と真っ向からやり合うのは出来れば避けたい。


 なのでとりあえず逃げる方向で、ソニアを手招きする。


「あ、ああ!」


 逃げ場を探していたソニアは、マリウスの素性も解らないながら、とりあえずこの場から退散する事を優先して、マリウスに付いて駆け出した。正しい判断だ。悠長に問答している暇はない。


「……! この、待ちやがれ!」


 色めき立った男達が、一斉に2人を追い掛けてドタドタと酒場から駆け出していった……



****



「はぁ……ふぅ……。ここまで来れば大丈夫だろ」


 途中に入り組んだ貧民街を通ったりして逃げ続け、ようやく男達を撒く事が出来た。ソニアは流石に近くに住んでいる事もあってか貧民街でも迷う事はなく、途中からはマリウスが彼女の後に付いていくような形になっていた。


 街の外れで流石に走り疲れて、膝に手を置いた中腰の姿勢で息を整えるソニア。同じ距離を同じ速度で走っていたはずのマリウスは殆ど息も切らせていなかったが、ソニアはそれに気付く余裕がないようだった。



 ようやく息を整えたソニアは、そこで初めてマリウスとまともに顔を合わせた。


「いや、誰だか知らないけど、ホント助かったよ。まさか剣まで抜いてくるとは思わなくてね……。格好悪いトコ見せちまったね」


 そう言って頬を掻きながら右手を差し出してくる。



「ソニアだ。ソニア・バルデラス。あんたは?」



 マリウスは一瞬その手を取って口づけしたい衝動に駆られたが、ソニア相手にそれは逆効果だろうと思い留まって、握手に応じた。


「マリウス・シン・ノールズだ。……あの連中は何だったんだい? 何で揉めていたの?」


「あー……あいつらはここの太守プエルトの私兵だよ。プエルトは到底太守の器じゃない男でね。その私兵もお里が知れるって奴さ」


 ソニアは苦々しげに顔を顰める。


「連中は太守付きの立場を傘に来て、禄に努めも果たさずに傍若無人に振る舞うばっかりで皆あいつらには迷惑してるんだ。酒場での代金だって払った試しがない。いい加減頭にきてたから、ちょっと懲らしめてやるつもりで連中の溜まり場に乗り込んだんだけどね……」


「……なるほど。それで予想外の抵抗に遭って、にっちもさっちも行かなくなっていた、と……」


 客観的な指摘にソニアは顔を赤らめる。


「う、うるさいよ! そう言うあんたこそ随分物好きじゃないか! これであんたもプエルトに睨まれちまっただろうさ! どうするつもりなんだい!?」


 バツの悪さから話題を変えようと逆に質問してくるソニア。マリウスは肩を竦めた。


「別に構わないさ。僕はここに定住している訳じゃない。元々この街に来たのは、貴女に会う為だけだったからね」


「あ、あたしに……? あんたとは初対面だと思ったけど?」


「ああ、それなんだけど……どこか場所を変えられるかな? 今日は貴女に話があって来たんだ。こんな所じゃちょっとね……」


「ふぅん? ……まあ助けてもらった礼もあるし、ここからそう離れてないから、じゃああたしの家まで行こうかい。話ならそこで聞くよ」


 マリウスの態度に何か思う所があったのか、ソニアはそう言って自分の家まで招待してくれた。実は一度訪ねていて場所は解っていたが、特に言う必要もないので黙っておく。



****



「さあ、何もない所だけど、まあゆっくりしてってくれよ」

「ありがとう。それじゃ邪魔するよ」


 マリウスには二度目の訪問となるソニアの家。しかし中に入るのは初めてだ。


 何もない所というのもあながち謙遜ではなく、居間と寝室、台所、トイレと一緒になった洗い場があるだけの狭い家であった。



 因みにオウマ帝国は200年ほどの長い歴史の中で何度か大規模な疫病を経験しており、それが排泄物とそれに群がる害虫、害獣を媒介に発生、拡大している事を突き止めた時の皇帝によって、大規模な衛生改革が行われた。


 それから100年余、今では帝国中に衛生観念が浸透しており、家や施設など新しい建物を建てる際には必ずトイレの設営が義務付けられていた。


 街の中心部や一等地には下水道が完備している家も珍しくなく、そうでない家も土がむき出しの場所に深い穴が掘られた簡易トイレは必ず付いていた。



 閑話休題。



 未婚の女性が1人で男性を家に上げるなど、この国の価値観からするととんでもない事のはずだが、ソニアは特に気にした様子もない。そしてマリウスもまた気にした様子がなかった。


「へぇ……? あんた、その辺の連中みたいに、あれこれうるさい事言わないんだね?」


 それに気付いたソニアが少し面白そうな口調となる。


「個人的には茱教の思想は勿論素晴らしい物もあるけど、改めなきゃいけない物も沢山あると思ってるよ。女性に対する考え方はその最たる例だね。能力も意欲もある女性を茱教の型にはめて閉じ込めてしまうのは馬鹿げてるよ」


 マリウスが事もなげにそう答えると、ソニアは目を丸くした。さしてすぐに肩を震わせて笑いだした。


「ふ……あはは! あたしも人の事言えないけど、あんたも相当変わってるねぇ! 気に入ったよ、マリウス!」


 ソニアは愉快そうに笑うと、台所で安物の茶を2人分淹れてから、居間でマリウスと差し向かいで腰掛けた。


「さて……あたしに何か話があるって事だけど?」


 自分で淹れた茶を飲みながらソニアが促す。マリウスも茶で口を湿らせてから本題に入った。



「余計な前置きは無しにして単刀直入に言うけど……僕は『旗揚げ』を目指している」



「……!」

 ソニアの目が見開かれる。


「その旗揚げの同志・・として、ソニア……君を勧誘・・に来たんだ」


「は、旗揚げ……て、あんた正気かい!? い、いや、本気だとしても普通どっか高名な男の武芸者や兵法家でも誘うもんだろ!? 何であたしなんかの所に……」


「僕は至って正気だよ。今の乱れた群雄割拠の世情は君だって知っているはずだ。天下を目指すはこの時代に生まれた男の本懐さ。そして僕としてはどうせ一緒に天下を目指すなら、君のように強く美しい女性が傍らに在って共に戦ってくれれば、これに勝る喜びはない。今日君と直に合って、その思いを増々強くしたよ」


「あ、あ……あたしが美しいだなんて……つまんない世辞はよしとくれよ」


 ソニアは顔を赤らめながら頬を掻く。


「僕は正直なのが売りでね。君のように躍動的な美女に出会ったのは生まれて初めてだ。君はまるで、このイスパーダの焼け付く太陽に照らされ輝くカーネーションのようだ。だからこそより君を勧誘したいという想いが強くなったんだ」


「…………」


 ソニアは考え込むような姿勢となった。マリウスは敢えて声を掛けずに見守る。いきなりこんな話をされて考え込まない方がおかしいだろう。



 やがてソニアが顔を上げた。


「……一つ聞きたいんだけど、あたしを勧誘するのは、その……情婦・・としてじゃなく、あくまで同志・・として、なんだね?」


 マリウスははっきり頷いた。そこは明確にしておきたい。


「あくまで『同志』としてだよ。そりゃ勿論男と女だ。そういった関係になる可能性が皆無とは言わないけど、僕は自由恋愛主義だから、僕からそれを強要するような事は一切なしだ。それは約束する。それを抜きにしても、本心から君と一緒に天下を目指せればと思っている」


「…………」


 ソニアは再び考え込む姿勢となった。しかし今度の沈黙は短い物だった。彼女の肩が小刻みに震えだした。やがてそれはハッキリとした笑いに変わった。



「ふ、ふふ…………あーはっはっはっはっ!! 面白い! 面白いよ、アンタ! 増々気に入ったよ! あんたの熱意に負けたよ! こんなアタシで良けりゃ力を貸してやろうじゃないのさ!」



 椅子から立ち上がってそう宣言した。マリウスは心の中で喝采を上げた。しかし表面上はあくまでも冷静に問い掛ける。


「自分から勧誘しておいて何だけど、本当に良いんだね? ここでの生活は捨ててもらう事になるけど……」


 しかしソニアは皆まで言わせずに手で制した。


「ああ、解ってるって! 女に二言は無いよ! アタシをそこまで買ってくれたのも嬉しいし、アタシの事を美しいなんて言ってくれたしね。ここで手を貸さなきゃ女が廃るってモンだ!」


 そして彼女は苦笑した。


「それにアタシは正直ここじゃ鼻摘み者でね。新天地を目指すのに何の未練もないさ。どの道ここじゃくすぶってる事しか出来なかっただろうし、むしろアンタと一緒した方がずっと楽しめそうだ」


「はは、それは保証するよ」


 何せゼロからの旗揚げである。そしてその後は天下に名乗りを上げる。波乱万丈の人生が待っているのは間違いなしだ。


 マリウスも立ち上がった。


「じゃあ改めて……これから宜しく、ソニア」


 手を差し出す。


「ああ! こっちこそ宜しく頼むよ、マリウス!」


 ソニアもその手を握り返す。



 ここに天下を目指すマリウスの戦いの、最初の同志が加わった。後に中原に大きなうねりを引き起こしていく彼等の最初の一歩は、この街の片隅の小さな家から始まるのであった……

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