第三幕 噂を追い求めて

 イスパーダ州は東西南の3つの郡に分割されており、サランドナ県はその中で東側のカマラサ郡の更に最も東に位置しており、ハイランド州と隣接している最寄りの県であった。


中核都市であるサランドナは、イスパーダ州で採れた良質の塩や保存の効く海産物など様々な特産品をハイランドやまたその以東にある州へ輸出する為の玄関口として栄えた街であった。


 この街を治める【太守】は、ハイランドに近い事もあって名目上は帝国に恭順を示しており、独自に勢力を拡大させようという動きはまだ・・無かった。


 しかし中央の威信が落ちた事で幅を利かせるようになっているのは確かで、太守の私兵達がかなり好き放題しているらしい。


(折角恵まれた立場にいるのに、時勢を読む力は無いようだな)


 ただでさえ世は乱れ人身不安な世情だというのに、ただ後先考えず放蕩三昧で民心が離れては、到底勢力の拡大は覚束ないだろう。


(まあ僕が気にする事じゃないけどね)


 乱れて民心が低下しているのなら、むしろやりやすいとさえ言える。何故ならその場合トラブルには事欠かないからだ。そしてトラブルというのは、良くも悪くも様々な人間と関わりを持つ絶好の機会だ。


 サランドナの街の城門に差し掛かるが、見張りの衛兵達は誰もやる気がなさそうにだらけており、マリウスが通る際にも面倒くさげに一瞥をくれただけだった。


 もっと地方の、既に太守や刺史達が独自に軍を組織して互いに牽制し合っているような地域ではとてもこうは行かなかっただろうが、この辺りはまだ中央にに近い事もあって、そうした戦乱の気運は高まっていない。


 マリウスにとっては幸運であった。別にやましい所がある訳ではないが、街に出入りするだけで一々検問されるのは正直煩わしい。


(ま、ただそれも時間の問題だろうけどな……)


 戦乱の気運は確実に帝国中を広まっている。じきにどの街も緊張が高まってピリピリし出すだろう。マリウスとしては、そうなる前に最低限目星を付けている同志だけは仲間に加えて旗揚げの準備を整えておきたい。



 大抵どの街にも、旅人や行商人などを対象とした簡易厩舎も備えた旅宿が、入口入ってすぐのエリアに設けられている場合が多く、それはこの街も例外ではない。


 世情を反映してか街同士を行き交う者も最近では減ってきている為、満室の心配はまずない。


 とりあえず時刻が遅めな事と、旅の疲れもあって今日はこのまま宿に入り、実質的な活動は明日からとした。


 厩舎にブラムドを預け、安くて量だけはある硬めのパンと肉の入った野菜スープの大衆料理セットを腹に詰め込んで、早々に部屋に引き篭もった。


 旅支度を解き、大して質は良くないが少なくとも清潔ではある寝台に寝そべって、マリウスは明日に思いを馳せる。


(さて……初めての旅ではあったけど、無事に目的地にたどり着いた。前情報・・・通りなら見つけるのはそんなに難しくないはず。ふふ……どんな人か楽しみだな)


 そんな事を考えながら、持ち前の寝付きの良さを発揮してすぐに寝入ってしまうマリウスであった。





 結論から言うと、目当ての人物の情報は思っていたよりも更に容易に入手できた。


「ああ、そりゃきっとソニアさんの事だろ。女傑って言ったら他に思い当たる人はいないしね。他所の州でまで噂になってたとは驚きだがね」


 翌朝。朝食後に物は試しと宿の主人に、この県に大層威勢のよい女傑がいると聞いたんだけど、と話を切り出したら、拍子抜けする程あっさりと判明した。



(ソニア……それが彼女・・の名前か)



「そう、多分その人だね。折角この県に立ち寄ったからには、一目見てみたくてね」


 説明が面倒なので、そのソニア自身が目的とは言わないでおく。


「うーん、街の南側にある貧民街の近くに住んでるって話だけど、あの辺は雑然としてるから正確な家の場所まではちょっと分からないなぁ。貧民街まで入ると物騒な連中もたむろしてるしね」 


「いや、それだけ分かれば充分さ。こう見えて腕には覚えがあるんで、ちょっと覗いてみるよ。ありがとう」


 主人に礼を言って宿を出る。



 主人に教えられた通りに道を辿っていくと、徐々に通りの幅が狭くなり小さな家や店などが乱雑に連なっている区画に差し掛かってきた。


 道はごちゃごちゃと入り組んで、周囲からは安酒や吐瀉物の匂いが漂い、行き交う人々の雰囲気も表の通りと比べて、どこか裏ぶれて怪しい雰囲気の人間が多くなる。


 どうやら既に貧民街に入ってしまったようだ。


(ふむ、これは確かに初見の旅人には厳しそうだね。下手すると迷子になりかねない)


 街中で遭難するなど笑い話にもならない。一旦貧民街から出ようと踵を返したマリウスだが……



「よぅ、イケてる兄ちゃん。見慣れねぇ顔だな? それにその格好、旅人かい?」

「……!」


 マリウスの進路に3人の体格の良い男。見るからにまっとうな人間ではない。後ろの通りからも仲間と思われる2人の男が現れる。どうやら不用意に迷い込んだ哀れなカモ・・から身ぐるみを剥ぐ事を生業にしている輩のようだ。そう感ぜられる手際だった。


「へへへ、俺達の縄張りに入り込むたぁ運が無ぇなぁ? 財布から服まで全部置いていきな。そうすりゃ――」


「――ふっ!!」


 わざわざゴロツキ共のお決まりの口上が終わるのを待つ義理は一切ない。


 呼気と共に一瞬で踏み込んだマリウスは、全く体勢が整っていないゴロツキ共のリーダーと思しき真ん中の男の鳩尾に拳を叩き込んだ。


「ぐぇっ!!」

 一溜まりもなく白目を剥いて崩れ落ちるリーダー格の男。


「兄貴!?」「て、てめ――」

「ほっ!」


 男達が動揺から立ち直る前に、横にいた男のこめかみに蹴りをお見舞いする。同じように昏倒する子分。これで2人潰した。残りは3人だ。


「ぬらぁぁっ!!」


 横にいたもう1人の男が殴りかかってくるが、力任せの素人同然の動きだ。マリウスは容易く掻い潜り、逆に男の腕を取るとその勢いも利用して背負い投げを決めた。


「ぎゃはっ!?」

 受け身も取れずに背中から地面に叩きつけられた男が衝撃で失神する。



「殺すぞ、コラぁ!」


 後ろから迫ってきていた2人の男が怒声と共に、佩いていた短剣や手斧を抜いた。だがマリウスは特に動揺しない。武器を抜こうが抜くまいがこの程度の連中、無手で制圧するのは容易い。


 逆に自分の方から彼等に向かって踏み込む。


 まさか武器を抜いた自分達に対して、逃げずに素手のまま向かってくるとは予想していなかったらしい2人はギョッとして動きが停滞する。勿論そんな隙を見逃すマリウスではない。


 慌てて突き出してきた腰の入っていない短剣の突きを躱すとその腕を掴み取り、自分の方に引っ張る。体勢を崩した男の顎に、下から突き上げるようにして拳を打ち込む。脳を揺さぶられ白目を剥いて倒れる男。


 瞬く間に自分だけになってしまった手斧の男は、あからさまに動揺して青ざめる。


「さ、どうする? まだやるなら相手になるけど?」


「ち、ち、ちくしょう! てめぇ、覚えてやがれ!」


 負け惜しみにもならないような負け犬の遠吠えと共に、伸びている仲間達を見捨てて逃げ去ってしまった。


「ふぅ……予想外の運動だったけど、丁度いいからこいつらに聞いてみようかな」


 マリウスは最初に伸したリーダー格の男の頭を蹴って無理矢理叩き起こした。


「うぅ……て、てめぇ……こんな事してただで済むと…………ぎぇっ!?」


 お決まり文句のオンパレード状態のリーダー格の脇腹に強めの蹴りを入れて黙らせると、その目の前に屈み込む。


「ちょっと聞きたい事があるんだけど、迷惑料替わりに勿論答えてくれるよね?」


「んだと? ふざけ――ひっ!? ま、待て、解った! な、何でも聞いてくれ!」


 反抗しようとした男だが、マリウスが笑顔のまま拳を固めるのを見て態度を翻した。


「いい心掛けだね。この近辺にソニアという名前の、威勢のいい女侠客がいるって聞いたんだけど、どこにいるか知ってる?」


「ソ、ソニア……? あの女か! あ、ああ、勿論知ってるぜ! 女の癖に生意気に侠客気取りの変わりモンだ。見てくれ・・・・はすこぶるいい女だが、あんな男勝りの可愛げのねぇ性格じゃ、この辺の奴等も誰も相手にしねぇぜ」



(へぇ……すこぶるいい女、ね。それは朗報・・だね)



 オウマ帝国では茱教しゅきょうという思想体系が一般に浸透しており、慎みを持って常に男の下で、夫や兄弟、息子を立てて家庭を守る女こそが模範的とされていた。


 ましてや女だてらに侠客などとんでもない事であり、それだけで変人扱いされても仕方のない社会であった。


 だがマリウスはオウマ帝国で生まれ育ちながら、そんな常識に囚われる事を良しとしなかった。自分もまた根っからの変わり者だ。


 彼にとって重要なのは、どうやらソニアが美女らしいという事実だけであった。



 男からソニアの家の場所を聞いたマリウスは、騒がれても面倒なので再び男を殴って気絶させると、貧民街を出てソニアの家まで足を運ぶ。


「ここか……」


 辿り着いたのは街外れにある古びた一軒家であった。壁にはソニアを中傷する落書きのような物が消されずに残っており、周囲も雑草が伸び放題の荒れた敷地であった。


 どうやらこの時代の女性らしい几帳面さは持ち合わせていないらしい。だがそれはソニアの評判や人物評を聞く限りは、そう不自然な事でもなかった。


 だがどうも中に人のいる気配がない。折り悪く不在のようである。丁度その時家の前を通りかかった中年の女性がいたので、マリウスは丁寧な仕草で語りかける。


「もし、そこの御婦人レディー。私はマリウスと申しますが、この家に住むソニアという女性を探しています。心当たりはございませんか?」


「え? ええ!? 御婦人だなんて……いやだよ、全く」


 女性は口ではいやだと言いながら、満更でもない様子で頬を赤らめた。


「ソニアって……この家のあの放蕩娘かい? もう20歳も過ぎてるってのに、未だに嫁にも行かずにやくざ者の真似事なんかして……きっと死んだ父親の影響だろうね、全く」


 女性特有のお喋りの所以か、いきなり横に逸れ出した話を遮って、ソニアの行く先に心当たりがないか聞き直す。


「ああ、それなら、丁度市場から帰ってくる時に見掛けたよ。何だか一段と肩を怒らせて、近くにある酒場に入っていったよ。若い娘がこんな日が高い内から酒場に入り浸って何やってるんだか……」


 また話が逸れそうな気配がしたので、マリウスは女性にその酒場の場所を確認してから、丁重に礼を言って別れる。


(ふむ……どうやら彼女、余りご近所・・・とは上手く行ってなさそうだな。まあ今のこの国の価値観じゃそうなるのもやむ無しか。でも……僕にとってはむしろ都合がいいけどね)


 自分の価値観ややっている事が周囲から認められず変人扱いされる環境は、間違いなくソニアの中に鬱屈した不満を蓄積させているだろう。であるなら勧誘・・の余地は確実にあるはずだ。


 女性に教えられた酒場に向かうマリウス。今度こそ会えると良いが……

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