第二幕 賊への対処

 イスパーダ州は中原の西端にある州で、それより西にはセリオラン海という広大で暖かい海洋が広がっており、海から温められた風が吹き付け一年を通して程よく温暖な常夏の地方であった。


 またオウマ帝国の東に存在し、過去には度々侵略戦争を仕掛けてきたパルージャ帝国というもう一つの巨大国家とも最も離れているという地理的な条件も重なり、戦乱の気風も緩く、気候も相まって総じて陽気な地域性だと言われていた。


 マリウスが目指しているのは、そんなイスパーダ州の中でも比較的東寄り……つまりハイランドにほど近い場所にあるサランドナという都市であった。



 オウマ帝国はハイランドを含めて7つの『州』に分かれ、各州は更に3~4つの『郡』に分割されている。そして各郡は最小単位であるいくつもの『県』に分かれている。


 県は中核となる都市が一つあり、後はその傘下の町村のみが存在しており、県庁のある中核都市と県名は一致するのが普通だ。


 サランドナ県はイスパーダの中でも東寄りの県であり、帝都ロージアンからの距離も比較的近かったので、マリウスはここを最初の目的地に選んだのであった。



 愛馬ブラムドを駆って旅する事3日目。マリウスはイスパーダ州との州境を跨いでいた。州境には関所があり民衆の反乱や賊の横行、群雄の台頭も著しい時勢を反映してか、帝国軍による検問が敷かれていた。


 だが今のマリウスは何らやましい所のない正真正銘の一介の旅人であったので、堂々と関所に入場し、イスパーダへの『観光』と主張して、問題なく関所を通り過ぎる事が出来た。


(……尤も、帰り・・も問題なく潜れるかは分からないけどね)


 それはサランドナでの展開次第だ。まあいきなりお尋ね者になるという事もそうそう無いとは思うのだが……


 イスパーダ州へ入って1日も経つと、周囲の景色や空気などもガラッと変わってくる。なだらかな丘陵と硬葉樹林の広がるどちらかと言えば牧歌的な情緒のハイランド地方に比べ、イスパーダ地方はより湿潤で街道から見える森も、暖かい気候を反映して照葉樹林が中心となる。


 空気も爽やかだったハイランドに比べて、少しジメついた湿度の高い空気になった気がする。


 ロージアンから携行してきた物資もそろそろ心許なくなってきていたので、街道沿いにある宿場の一つで補充しようと、最寄りの宿場に立ち寄る。そしてそこで最初のトラブルに遭遇する事となった。



 宿場の前まで来たマリウスはすぐに異変に気付いた。いや、誰でも気付くだろう。表の通りに死体が転がっていたのだ。斬られたような傷跡、そして流れ出て地面に広がる血溜まり……。


 殺されてからそれ程時間は経っていないようだ。



「おら、何してる! さっさとありったけの金と食いモンを詰めろよ! てめぇらもああなりてぇのか!?」


「ひぃ!? お、お慈悲を……お慈悲を……!」


 開け放たれた宿の建物の中から聞こえてくるやり取りだけで、マリウスはおおよその事情を察した。


(賊か……)


 世が乱れ、国の威信が落ちればこういう手合いは必ず湧いてくる。産業の衰退から職を失った民が賊に身をやつすケースも後を絶たない。


 マリウスはブラムドから降りて徒歩で宿の前まで歩いていく。勿論愛用の剣はしっかり腰に佩いてだ。


 中では案の定、7、8人程の粗野な男達が剣や鉈をちらつかせて、宿の主人と思しき男性とその妻を脅している場面だった。男達は全員、頭に赤い帽子やバンダナを身に着けていた。


(こういう街道宿は衛兵の巡回が無ければ成り立たないというのに……末期だな)


 マリウスはうんざりした気持ちを抱いたまま、殊更大きな声で耳目を集めた。


「取り込み中済まないが、一晩の宿と物資の補充をしたくてね。部屋は空いてるかな?」


「……は?」


 賊に脅されていた主人夫妻の目が点になる。この状況が目に入っていないはずは無いのに、マリウスの声はあくまで平常通りだった。


「なんだぁ、てめぇは? ……ふん、優男じゃねぇか。一丁前に剣なんか下げやがってよ。お? それにいい馬連れてんじゃねぇか」


 マリウスの剣やブラムドに目を付けた男達が、どやどやと表に出てきてマリウスを取り囲む。


「へへ、この宿が時化しけてやがったから丁度良かったぜ。おい、兄ちゃん。今すぐ剣と馬を置いて消え失せな。そうすりゃ――」


「――命だけは助けてやるって? 何とも陳腐で使い古された脅し文句だね。どうせ剣を手放した瞬間殺すつもりでしょ? 今どき子供だって騙されないよ、全く……」


「んなっ!?」


 うんざりした様子で肩をすくめるマリウスの様子に男達が色めき立つ。自分達を全く怖れる様子のないマリウスの姿に激昂したのもあるようだ。


「てめぇ……俺達は――」


「――はいはい、赤尸鬼せきしき党だって言うんだろ? それもまた絵に描いたような定形文句だね」


 赤尸鬼党とは、つい数年前まで帝国中を騒がせていた一大民衆反乱軍の名前だ。煉獄で罪人を罰すると言われる獄卒、赤尸鬼に因んで「罪深い帝国を罰する」というスローガンで、腐敗し悪政を敷く帝国に対して民衆が反乱を起こした。


 最初はリベリア州で始まったこの反乱は瞬く間に帝国全土に飛び火し、腑抜けた帝国直轄軍に討伐できる規模ではなくなり、地方の諸侯達の活躍によってようやく鎮圧されたのだった。


 オウマ帝国の国威が一段と低下した要因であった。


 だが一度は帝国を滅ぼすかの勢いで燃え上がった反乱軍だ。未だにその名は恐怖や畏怖の対象であり、その名にあやかろうと特に位鉢を継いだ訳でもないその辺の賊が勝手に赤尸鬼党を名乗るのは良くある事であった。


「こ、こ、この餓鬼! もう容赦――」


 心底馬鹿にしきったマリウスの態度に、男達がいよいよ憤激し得物を手に襲い掛かってくる……前に、マリウスの剣が鞘走り、正面で喚いていた男の喉元を斬り裂いていた。男達には何が起きたのかも解らない程の早業であった。


 呆気にとられた表情のまま首から血を噴き出し倒れる男。


「お――――」


「ほら、ボサッとしてるからもう2人・・減っちゃった。喚いてる暇があるなら掛かってくれば?」


 隣の男が何か言おうとした時には、既にマリウスの剣がその心臓に突き刺さっていた。



「ぬ、があぁぁぁぁっ!!」


 マリウスが見かけ通りにカモではない事にようやく気付いた男達が、防衛本能の為せる業か、一斉に斬り掛かってきた。


 だが所詮は素人の弱者を脅す事でしか強さを誇示できない連中だ。素人に毛が生えた程度のその動きは、マリウスから見れば欠伸が出る程余分な動作だらけの、攻撃とすら言えない代物だった。


「……ふっ!」


 瞬速の踏み込みで男達の懐に潜り込むと剣を一閃。2人の男を同時に斬り倒した。そして振り下ろされる鈍い刀を躱してカウンターで斬りつける。これで3人。


「ひ、ひぃ!? ば、化けモンだぁ!」


 一瞬で3人の仲間を失った残りの男達は、とても自分達に敵う相手ではないと判断し、無様に悲鳴を上げながら遁走していった。追い掛けて討つのは容易いが、自分は衛兵ではないし、賊の小物相手にそこまでする気はなかった。


「ふぅ……」 


 周りから敵が居なくなると、マリウスは一息ついて剣の血糊を拭い鞘に収めた。



(案外……平気なものだな。もっと吐き気でもするかと思ったけど。それとも……僕がおかしいのかな?)



 実はマリウスは人を殺したのは、今のが初めてであった。しかし手は……身体は、初めての実戦にも全く怯む事なくいつも通りに動いた。戦いの興奮が過ぎ去った今も、特に罪悪感や吐き気などに襲われる事もない。心は凪のように冷静なままであった。


 相手が賊で、こちらに害意を持っていたからというのは勿論ある。だがもしかしたら自分はこういう荒事に適正・・があるのかも知れない。そんな事を考えるマリウスであった。



 宿の入口から主人夫婦がおっかなびっくりという感じで覗いていた。マリウスが振り向くと彼等はビクッと震える。


「ああ、大丈夫だよ。僕は賊とかじゃないから。ただのしがない旅人さ。さっきも言ったように宿と物資を頼みたいんだけどあるかな?」


「は、はい……。その、あの連中を追い払ってくれたので、お一人分くらいなら問題ないですが……」


「それは良かった。お金ならまだ少しあるから頼むよ。後、僕の馬も休ませてやってくれるかな?」


 何年も前から自己研鑽の傍ら帝都で貯めてきた資金と、実家を整理した事で得た『軍資金』があるので、金銭的にはまだ多少の余裕はある。


(ま、それもずっと保つ訳じゃないから、いよいよヤバくなってきたらどこかの街で稼がないとなぁ)


 治安の悪い時勢なので、自分の剣の腕を活かせば手っ取り早く稼げる仕事もあるだろう。個人的な資金に関してはそこまで心配していないマリウスであった。


「ところで、ああいう手合いはよくいるの? だとしたら随分無防備に思えるけど」


 宿に荷物を下ろしながらそう質問してみる。すると主人は困ったように顔をしかめる。


「……最近特に増えてきましたね。州の衛兵の巡回も目に見えて減ってますし、今後増々増えるかも知れません」


「……だろうね」


「こんな状況が続くなら、ここは閉めるしかないかも知れません。私らだけじゃとても……」


 それがいいのかも知れないとマリウスも考えた。街道宿は必要な施設だ。自衛手段のないこういう小さな所が畳んでも、その内自前で傭兵も雇えるような裕福な商人などが新たに着手する事だろう。適者生存という奴だ。


 マリウスが何の目的もないただの風来坊だったら、用心棒を買って出るのもありだったろうが、生憎目的のある旅の途上だ。


 そんな事を考えながら、物資を補充し、簡単な食事を摂ってから宿の部屋へと引き篭もった。こんな人里から離れた場所では、夜は真正の暗闇となるので、寝床を確保したら後は早々に寝てしまうに限る。


 マリウスはこうして旅の最初のトラブルを特に問題なく乗り越えたのであった……

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