第一章 建国編

陽光の女傑

第一幕 伊達男の旅立ち

 『中原』は中央、ハイランド地方。統一王朝オウマ帝国の頂点たる皇帝のおわすお膝元、『帝都』ロージアン。その帝都の一角に大きな剣術道場があった。


 アロンダイト流神剣術。このハイランド地方発祥の、中原で最も広く浸透している剣術流派の道場であった。


 広い稽古場には現在優に50人以上の人間が詰めかけ、固唾を呑んで道場の中央……稽古用の木剣を構えて対峙する5人の男を見守っていた。 


 5人の構図は、真ん中にいる1人を他の4人が取り囲んでいる、という状態だ。4人はいずれも剣を構え臨戦態勢だ。


 明らかに不公平な状況にあるはずの真ん中の男はしかし、余裕のある涼し気な顔で、片手に持った木剣も構える事なく自然体で垂らしている。


 見目麗しい、という形容の似合う線の細い美男子であった。純ハイランド人の特徴たる流れるような金の髪が華を添える。


 この時代、武を志す者はむくつけき厳つい男が殆どだったので(実際周りを囲んでいる4人は、真ん中の男より縦も横も大きい偉丈夫ばかりだった)、ある意味では特異な外見と言える。


 事実この対峙の「観衆」の中には他の門下生だけでなく、市井の若い女性達の姿が半分近くを占めていた。女性達は皆、真ん中の男に熱い視線を送っている。


 普通厳つい男達しかいない道場ではまずあり得ない光景だ。


 だが中央の男達――囲んでいる4人はそんな周囲の状況など気にしている精神的余裕はなかった。



「…………始めぇぇっ!!」


 見守っていた師範代と思しき壮年男性の鋭い合図。


「……! けぇぇいっ!!」


 合図と共に、弾かれたように周囲の4人が一斉に動き出す。まず後方から迫る大上段の一撃を、美男子はまるで後ろに目が付いているかのような最小限の動きのみで躱す。


 直後に左右からほぼ同時に上段、下段への横薙ぎの一撃。どちらかに対処しても必ずもう一方が当たる軌道。


 美男子は脚を一歩後ろに下げて下段からの攻撃をやはり最小限の動きで躱す。しかしその時には上段の攻撃が既にまともな受けが間に合わない距離に迫っていた。観客・・の女性達が悲鳴を押し殺す。だが……


「ひゅっ!」


 美男子は鋭い呼気と共に、上体をまるで後方に直角に折れ曲がるかの如き勢いで逸らした。


「な……!」

 攻め手が驚愕した時には、その一撃は美男子の鼻先僅か上を虚しく通り過ぎた。


「よっ……」


 美男子はそのまま反動を付けて一気に身体を元の体勢……即ち直立の状態に戻した。身体に何ら負担を負っている様子はない。驚異的な柔軟性であった。


 そこに4人目……正面の男が打ちかかってくる。他の3人より速い身のこなしで鋭い突きを放つ。狙うは美男子の鳩尾付近。最も的が大きく躱されにくい位置。


 しかしそこで今まで躱すだけだった美男子が初めて持っている木剣を動かした。文字通り目にも留まらぬ速度で剣を跳ね上げると、正面の男の突きは大きく上に弾かれた。


「ぬ……!」


 剣を弾かれた反動で正面の男の体勢が崩れ、身体がかしぐ。体格差からすればあり得ない現象。見た目とは裏腹に美男子の恐ろしいほどの重い剣撃である。


 その隙を逃さず美男子が、まるで滑るような体捌きで正面の男に肉薄。その胴を木剣で薙ぎ払っていた。


「ぐはっ……」


 正面の男が呻きながら崩れ落ちる。鍛えられた大男を木剣の一撃だけで沈めた美男子は、しかし涼しい顔のままだ。


「……おのれ!」


 その姿に残りの3人が激し、今度は一斉に斬り掛かってくる。しかし美男子がスッと身体を後方に反らせると、2人の男の木剣が互いにかち合って止まった。3人目の剣が下から斬り上げるような軌道で迫る。


 だがやはり僅かな身体の動きだけでそれを躱した美男子が、がら空きになった3人目の男の胴にも木剣を叩き込む。男は物も言わずに崩れ落ちる。


 同士打ちした2人が慌てて互いの剣を離して向きを変えようとした時には、既に美男子の剣が2人の木剣を下から跳ね上げていた。


 男達の手を離れた木剣がクルクルと回転しながら道場の床に落下する。乾いた音が響き渡る。



「さ、どうする? 拾うなら待っててあげるけど? それとも素手で掛かってくるかい?」


「……くそっ!」


 美男子が木剣の先を彼等の目線の高さに突き付けると、2人の男は屈辱に顔を歪めながらもうなだれて負けを認めた。



「……そこまで! 勝者、マリウス!」



 師範代が手を上げて試合終了を宣言した。押しかけ見物していた女性達から歓声が上がる。対照的に他の門下生からは唸るような声が漏れ聞こえた。



****



「いや、流石だな、マリウスよ。もうこの道場でお主に敵う者はおらんな」


 試合後、ファン・・・の女性達に取り囲まれていた美男子――マリウスだが、彼女らをようやっと帰らせると、それを待っていたように師範代が声を掛けてきた。


「そのようですね。まあ、この道場では、ですが……」


 特に謙遜する事もなく認めたマリウスに師範代は一瞬鼻白むが、気を取り直して笑顔を作る。


「おほん! しかしお主の腕ならすぐに軍で頭角を表せよう。そうなればこの道場の事も知れ渡るだろう。門下生が一気に倍増するやも知れんな!」


「そう、ですね……」


 マリウスが消極的な同意を示すが、明るい未来の妄想に浸る師範代はその様子に気付かない。



 この時代、剣術を修めた者は大抵が軍に入っての栄達を目指すのが普通であった。そもそもその為に剣術を修行するのであって、それ以外・・・・の道など最初から選択肢にないのである。


(軍、か……。長い年月の内に腐敗して衰退しきった今の帝国に未来なんてあるものか。民衆の反乱だって地方の刺史や太守ら諸侯の私軍に頼らなければ鎮圧出来ないと言うのに……)


 それだけでなく、中央の弱体化を良いことにそうした地方の群雄達が独自に勢力を拡大させ始め、互いに争う気配すら見せ始めている状況なのだ。


 マリウスは既にこの老い衰えたオウマ帝国という国家そのものに見切りを付けていた。当然その軍になど入る気はない。


 師範代の話を右から左へ聞き流し、マリウスの目は遙か遠く……まだ見ぬ地平の先へと向けられるのだった……



****



 それから一月も経たないある日の事。マリウスは自分の家の整理・・を終えて……旅立ちの準備を進めていた。


 今ある私財の殆どを費やして購入した青鹿毛の駿馬――ブラムドと名付けた――に必要最小限の物資だけを括り付けて準備を完了する。これで後は出立・・するだけだ。



「……マリウス様!?」


 いよいよブラムドの手綱を握って帝都ロージアンを後にしようとするマリウスだったが、その時足早に駆け寄ってくる女性の姿を認めた。


 女性は出立の準備を終えたマリウスの姿を見て事態を察したようで、大慌てで息せき切らしながら走り寄ってきた。


「マ、マリウス様! これは一体……どちらへ行かれるおつもりなのですか!?」


「やあ、ミリーナ。悪いけどもう君達とは会えなくなるんだ。僕はこれからこの帝都を出て、仲間を集めて『旗揚げ』を目指すつもりだからね」


 そう。それこそがマリウスが志している本当の目的であった。


 既に帝国には地方の諸侯達の台頭を抑えておけるだけの力はない。今この瞬間も地方では力を持った者達が、自らこそが中原の新たな支配者にならんと互いにしのぎを削り合い、また新たに力を得た軍閥が都市を実効支配し群雄割拠に名乗りを上げる情勢が繰り広げられている。


 腕に覚えのある者や、野心、大志を抱く者なら、今のこの中原の情勢に何も感じないはずがない。


 我こそは――――


 この世に……まして今の世に男子として生まれたからには、そう思って然るべきであるとマリウスは思っている。剣の腕も学問も、その為に人知れず磨いてきた。今こそ自分の可能性を確かめる為に世に出るべき時なのだ。



「は、旗揚げ……でございますか……」


 ミリーナは意外にもそれ程驚いている様子がなかった。


「実は……皆の間でまことしやかに噂されていたのです。マリウス様は軍には入らず地方で一旗揚げるおつもりではないのかと……」


「へぇ……」 

 それが本当なら、女性達の見る目も大した物だ。


「マリウス様の腕前は存じておりますが、やはり余りにも危険が大き過ぎます。今、地方は相当に混乱しているようですし……。どうかお考え直し下さい!」


 ミリーナは本気で心配しているようだ。だがマリウスはかぶりを振った。


「いや、もう決めた事なんだ。混乱しているからこそチャンスも多い。僕の身を案じてくれるなら、どうか上手く行くように祈ってくれないか?」


 彼女らには悪いが、ここで考えを翻すようなら最初からこのような事はしていない。もう育ての親も他界し、この帝都に留まる理由はないのだ。


「マリウス様……。決心は固いのですね。マリウス様を困らせるのが本意ではありません。ではせめて旗揚げの成功を祈らせて頂きます。私に……私達に出来るのはそのくらいですから」


「ミリーナ……解ってくれて嬉しいよ。じゃあ僕はそろそろ行くよ。皆には君の方から伝えておいてくれ。本当に……世話になったね」


 そう言ってマリウスはミリーナの額にキスをする。そして今度こそブラムドに手綱を取ると、後は二度と振り返る事なく帝都の城門へと歩き去っていった。


「マリウス様……ご武運をお祈りしています……」


 ミリーナは小さくなっていく背をいつまでも見つめていた……




「ふぅ……。これは色んな意味で、何としても成功させなくちゃね……」


 ミリーナに見送られて帝都の城門から街道に出たマリウスは、ブラムドに跨ると一路ハイランドから西に位置するイスパーダ地方――つまりイスパーダ州目指して旅立つ。


 旗揚げをするにも当然1人では不可能だ。まずは【同志】を集める必要がある。文字通り彼と志を同じくする仲間達だ。そして実はマリウスには同志としたい人物達の当て・・があった。


 老いたりとは言え、それでも帝国の中枢たる帝都だ。行商人や旅人などを通じて様々な情報が集まる場所でもあった。マリウスは剣技や学問を磨く傍ら、地方の情報収集にも余念がなかった。


 そして……帝都でまで噂に上る、名のある才女達・・・の情報を得ていたのだった。


 マリウスはいい意味でも悪い意味でも型破りで、また旗揚げを目指す事から分かるように、自分の欲望や欲求に忠実な男でもあった。



 同志とするなら美しく優秀な女性に限る……。



 男尊女卑の風潮が強い中原のこの時代において、そんな事を当たり前のように考え実行に移そうとする男であったのだ。


 またこの時勢、優秀な人物は引く手数多で、既にどこかしらの勢力に勧誘されたり、仕官してしまっていてもおかしくない。またはマリウスのように自ら旗揚げを目指す者もいるだろう。


 だがどんなに優秀でも、女性を勧誘したり迎え入れたりするような酔狂な者は恐らく自分以外に居ないはずだ。つまり他に取られる・・・・・・心配のない人材という事でもある。そういう目論見もあった。


 その最初の行く先がイスパーダ州という訳だ。


「ふふ……さぁて。噂の才女達はどんな女性だろうか? 会うのが楽しみだな。美人だといいなぁ……」


 マリウスは旅路の先に思いを馳せる。



 この後、中原……そして帝国そのものに大きなうねりを巻き起こしていく事になる、マリウス・シン・ノールズとその美しき同志達・・・・・・の物語は、今この時より始まるのであった…………

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