父親同士(KAC8:3周年)

モダン

しみじみ

 30代の息子は、もともと内向的な性格なので、誰にも話せぬ小さな不満やストレスを多く抱えて苦しんできたようです。

 それが最近、私や妻ともよく話し、笑顔も見せるようになってきたので、家庭の空気も少しずつ変わり始めてきたのでした。

 なのに今日は、また浮かない顔をしてスマホを眺めています。

 私は少々気になって声をかけました。

「どうした。何かあったのか」

「ん、あぁ、いや、別に……」

「お前が一人で悩むと、ろくなことないから。

 俺じゃなくてもいいから誰かに相談しろよ」

 息子はスマホからこちらに目を移し、私をしばらく見つめてから言いました。

「くだらないことなんだけどさ」

「うん」

 私は、向かいに腰を下ろしました。

「例のスナックの彼女から連絡が来たんだよ。店を辞めるから最後に一度来てくれって……」

「悩みどころがわからないな」

「いや、行くか行かないか……」

「行けばいいだろ」

「だって俺、『もう来ない』って啖呵たんかきってるんだよ。それで、呼ばれたから行くようじゃ、自分で決めたことも守れないダメな奴と思われるでしょ。

 それに、お別れならプレゼントやなんか奮発したいけど、もうこれ以上、借金増やしたくもないし。

 どうせ終わりなんだから、無視して忘れるのもありだし……」

「お前、夢の中で、死んだばあちゃんから『自分らしくしろ』って言われたんじゃないの?

 行きたければ行けばいい、金がなければないなりにの自分をぶつければいい。

 それこそ、どうせ最後なんだから見栄張る必要もないわけだし」

「うーん」

 まあ、こういう煮えきらない態度もこいつらしさではあります。

「そうだ。俺も連れてってくれよ。

 ばあちゃんが思い出話をした時、若い頃、スナックで働いたこともあるって言ってたろ。

 俺も付き合いではいろんなところ飲み歩いたけど、あれ聞いて、またそんな雰囲気味わってみたいと思ってたんだ」

 私は事態を膠着こうちゃくさせてはならないと、慌てて思いつきの提案をしました。

「ええ?」

 息子は、あからさまに嫌な顔をします。

「これは、俺にもお前にも必要な選択だ。

 そんな気がする」

「その予感が外れて痛手を負うのは俺だけなんじゃない……」

 私は笑って答えました。

「何もせず、へこんでるよりいいよ。

 おごってやるから」


 カラコローン。

「おや、今晩はお連れ様とご一緒ですか」

 息子はマスターの言葉に頷いて、私をボックス席に誘いました。

「いらっしゃい。もう本当に来ないかと思っちゃった」

 若い女性がお通しとおしぼりを持ってきました。これが噂の彼女に違いありません。

「こちらの方は初めてでしょ」

 私に向き直り、おしぼりを手渡してくれました。

「初めまして。残念ながら私は今月で終わりなんですけど、よろしければご贔屓ひいきに」

「それ、親父だよ」

「え」

「ああ、こいつの父親です」

「お、お父さん、ですか……」

 その女性は突然うろたえました。

「ただの客二人だろ。何、意識してんだよ」

「あなたって時々意地悪するよね」

 彼女はそう言って、一旦カウンターの奥に戻り、マスターと何やら話していましたが突然大声をあげました。

「何それ?」

 私と息子が振り向くと、彼女は慌てて酒と氷を載せたトレーを持って戻ってきました。

 それを見た息子が不思議そうに呟きます。

「まだ、酒頼んでなかったけど」

「どうせこだわりなんかないんだから、これでいいでしょ。

 このボトルは私から。今までのお礼よ」

「え、あ、そんな……」

 息子はただどぎまぎするばかりです。

 私なら、ひとまず笑顔でお礼を言って、帰りに祝儀や餞別の名目で持ち金を全部置いていく、くらいのことはするでしょう。

 相変わらず融通のきかない世渡りベタな息子に、ため息が出ました。これでは愛想をつかされても仕方ありません。

「ふふ。私ね、あなたのそういうところが好きだったの」

「え?」

 私は彼女の意外な言葉に、思わずむせてしまいました。

「大丈夫ですか。あっ、あのう……」

「いや、平気ですから。お気になさらず」

 彼女は目を合わせずに、作った酒を差し出してきました。

「ちょっとマスターに聞いてほしいと言われたんですけど……」

「え、マスター?」

 カウンターに顔を向けると、会釈を返してきます。

 私はちょっと身構えました。

「ええと、お父さんはこちらでお育ちですか?」

「は?ああ、そうですね。地元です」

「じゃ、小学校は息子さんと同じですよね」

「はい、すぐそこの……」

「うちの父が同級生らしいんです」

「父?同級生?」

「もし、よろしければ、カウンター席にお願いできませんか」

 嫌だと断る理由は特にありません。

 彼女と息子をその場に残し、一人で席を移りました。


「いや、変な話で申し訳ありません。私、あそこに名前出てるんですけど、覚えてますかねえ」

 マスターが照れるように、壁にある食品衛生責任者のプレートを指差しました。

「あー、5、6年生の時同じクラスでした。覚えてますよ」

「あちら、息子さんだったんですか。お名前は聞いてましたけど、確かにこの辺であの名字なら……。

 あー、もっと早く気づいていればよかった」

「あの女性は、お嬢さん?

 うちの息子はそうと知らなかったみたいですけど……」

「知ってますよ」

 マスターは笑って自分の酒を作り、私と乾杯して一口すすりました。

「対外的には内緒にしてたんですけど、彼には娘が話してますからね。まあ、私の側は店のマスターで通してます」

「そうでしたか。

 しかし、小学校って、何年前でしょう。40年以上経ちますよね。

 お互い年を取るわけです」

 しばらく、二人で感慨に耽りました。

「このお店はいつからですか」

「私の父が始めたんです。

 だから、小学校の時は、開店までの時間、ここで宿題とかやってました。娘もそうですよ」

「へえ、知らなかったなあ。

 お嬢さんはずっとお店に?」

「いえいえ。留学経験を生かして、外資系の会社に勤めてたんです。

 でも、一緒にやってた妻が亡くなったのを機に、戻って手伝ってくれることになったんです。

 今年は妻を亡くして3年目、娘のサポートで新装オープンしてから三周年と。

 ある意味、節目の年ですね」

「それは……。なんと申し上げたらいいか。ただ、お話だとお嬢さんは今月で辞められるとか」

「ええ。来月からは看護師です。

 妻は長く入院してまして、娘は見舞いに行く度、そこで働いている方々に感動してたみたいですね。

 妻が亡くなった時、これから三年、看護学校に通ってお店も手伝うから実家に戻らせてってお願いされたんですよ」

 マスターの目は少し潤んでいました。

「これまで頑張ってきたのに、それを無駄にするのかと聞いたんですが、私はこれまでのことよりこれからを大事にしたいからと。

 我が子ながら大したもんだと思いましたね」

「素晴らしいお嬢さんだ。なるほど、うちの息子が悩むわけです。

 まるで釣り合わないとわかってるのに、諦めきれず……」

「なんだかね、彼は勘違いしてるんですよ」

「は?」

「これまで、うちの娘は彼と外で会うことを拒んでいたんです。

 それを息子さんは、他に付き合ってる人がいるか、自分を客としか見てないからだと、固く信じこんでいました。

 でも、考えてみてください。まったく畑違いの仕事を始めるために、学校へ通いながら、ここで働いて、家に帰って課題をこなすんですよ。

 時間がありませんって」

 ボックス席の二人を見ながら、寂しそうな口ぶりでした。

「まったく、息子は思い込みのかたまりなんですよ。

 とはいっても、お嬢さんには誰か親しい方とかいらっしゃるんじゃないですか。そうでなくとも、うちの子の高望みであることに変わりはないでしょう」

「ですから、それが勘違いだといってるんです」

 マスターの声に明るさが戻ってきたようでした。

「私も?親子揃って?勘違い?ですか」

「そうです。

 先程もお話ししたように、あの娘には気を抜く時間がありません。

 ここでは、いつもはしゃいでるように見えますが、全部演出ですよ。気疲れは相当なものだと思います。

 ただ、息子さんと話してるときだけが唯一、息抜きできる大切な時間だったんです。

 でも、ここに来てもらうことが彼の負担になることもわかってました。

 だから、娘も辛かったと思いますよ」

「それ、本当ですかね」

「本人に聞きましたから」

 からかうような返事です。

「驚きですね」

「何がです?」

「小学校の同級生ってところから全部」

 二人で大笑いした後、再度乾杯しました。

「お嬢さんの卒業、ご就職、あらためておめでとうございます」

「学校と店の三年間、よく頑張りましたが、これからまた新しい苦労が始まるんでしょうね」

「リニューアル三周年もおめでとうございます。ただ、これはこれで、お嬢さんが抜けると大変ですが」

「見ての通り、今はお客さんもそれほど多くありませんから、バイトの子だけで十分回せますし。ここは大丈夫です」


 ボックス席から楽しげな笑い声が聞こえてきました。

 あの二人が、今晩どんな選択をするのかわかりません。

 ただ、今後、息子がここに来ることはないでしょう。

 ならば、私が、マスターの話し相手に時々来ようかなと、そんなことを考えながらひとり酒を口に運ぶのでした。

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