序章 ~10~

 さらりと言われてトリシアは脂汗あぶらあせをかきながら無言になってしまう。……本気、なのだろうか? どうだろう。

「オレなら絶対折るぞ!」

 元気よく言わないで欲しい……。

 ラグの言葉にトリシアはさらに渋面じゅうめんになる。

「ルキアの腕、折れるぞ」

「ははっ。そうでしょうね」

 笑顔でわす会話ではない……。

 トリシアはうんざりしてきた。

(変な人たち……)

 やっぱり強い人というか、なにかにひいでた者たちはどこかおかしいのかもしれない。

 優雅に紅茶を飲みながら、ルキアは微笑する。

「まあ、ラグの言っていることが本当なら、この列車の護衛を自分がすれば済むことですから……それまでゆっくりしましょうか」

「オレも手伝う」

「百人力ですね」

 にっこり。

 ルキアの笑顔にラグは素直に照れた。そこに危ない空気はないが、トリシアは複雑な気分になってしまう。

(どこかの妙な小説の題材にされそうな……感じなのよね……)

 どう見ても二人とも、同性に興味があるようには見えないからいいのだが。

「トリシア」

 ふいに呼ばれてトリシアはハッとする。

 ルキアがこちらを見上げていた。

「帝都に到着すれば、しばらくは自由時間があるのでしょう?」

「え? あ、はい」

 ブルー・パールの整備のこともあり、乗務員にはしばらく自由時間が与えられる。

 うなずくと彼は満足そうに微笑んだ。

「では自分の屋敷に滞在しませんか?」

「はあっ!?」

 仰天ぎょうてんしてで叫ぶと、ラグのほうが目を丸くした。

「あっ、え、む、無理です! 寝起きする場所は、私のほうでなんとかしますので……」

 いつも与えられている宿舎があるので、遠慮したい。

 だがルキアはあきらめなかった。

「居心地はそれほど悪くないと思うのですが……。貴族といえど、自分の家は裕福ではありませんからもてなしもできませんが、精一杯のことはしますよ?」

「滅相もない!」

 とんでもないことを言わないで欲しい!

 真っ青になるトリシアは、どうすればいいのかと周囲に視線をる。

 一等食堂車にいるのはルキア、それにラグ、それに……二等客室に泊まっているハルくらいだ。他に客の姿はない。

 エキドの街で半壊した二等食堂車両は交換したのだが、ハルは人気ひとけのないこちらのほうを好むらしい。

 ハルは黙々と野菜のサラダを食べていて、こちらに興味はないようだ。彼はテーブルの上にあの小瓶こびんを置いており、時々その瓶を気にかけていた。

(? あの小瓶のあめ……そんなに大事なものなのかしら?)

「オレ、泊まってもいいか? ルキア、帝都に知り合い多いか?」

「それほど多くはありませんが、できるだけ力になりましょう」

「ほんとか!」

 喜ぶラグとは違い、トリシアはにがい顔のままだ。表情に出すべきではないとわかってはいたが、いくらなんでも辟易へきえきする。

(はっきり言ってやりたい。身分が違うって。迷惑だって)

 同列になど、なれない。それが「身分」というものなのだから。

「あの…………ひとつ、いいですか」

 たまりかねて、トリシアはそう口に出した。

「なぜ、私なのでしょう? 他にも添乗員はいると思うのですが」

 もっと美人のエミリ先輩とか……。そう思って、みじめな気分になる。自分の容姿がいいほうだとは思えないが、それでも人並みだとは信じたい。

 二人の男性はきょとんとし、顔を見合わせた。

 ラグはすぐに笑顔を向けてくる。

「オレ、トリシアのこと気に入ってる!」

「……あの、その理由をいております」

「気に入ってるのに理由がいるのか?」

 不思議そうに訊いてこられるのでトリシアは固まってしまった。子供か、こいつは。

「自分も理由がいりますか?」

 ルキアがそうたずねてくるので、うなずいてみせた。

 そうですね、と彼はあごに手をってふんわりといつものように、砂糖菓子のように微笑む。

「トリシアのことが好きだからでしょうか」

 ぶーっ!

 一人で食事していたハルが、食後にと飲んでいたコーヒーを吹いていた。

 ごほごほとむせる彼がダン! とこぶしでテーブルをたたいた。不愉快だと言わんばかりに立ち上がって食堂車から出て行く。

 ……気持ちも、わからないでもない。

「す。好き、ですか」

 どうせ異性に対してのものではないだろう。

 トリシアが冷めた目で見ていると、ルキアは両手の指をからめてテーブルの上にひじをついた。

「ええ」

「……こ、光栄です」

「あれ? 信じていないのですか?」

「いえ、信じますが……」

「ああ、女性としていていると言っていますよ?」

 爆弾発言に今度こそトリシアは目をいた。その場で硬直し、彼を凝視ぎょうしする。

「そ、そ、それは、ど、どうい、う……?」

「そのままの言葉です。自分は女性に興味をいだいたのは今回が初めてなので、恋愛感情かはわかりかねますけどね」

「………………」

 なんだ……とトリシアは大きく息を吐き出した。

(珍しいからってだけなのね。私、どこにでもいる平凡な娘なんだけど)

 やれやれと思いつつ、トリシアは肩を軽くすくめた。

 テーブルの上に地図を広げて、ルキアはふぅんと小さくらす。向かいの席に座るラグはそれを眺めているだけだ。

 せっせと食器を片付けているトリシアには、彼らをうかがう気はないので、早く退散する様子がありありと見てとれた。

「ルキア、どうするんだ?」

「『雲わた』の面子めんつもあるでしょうから、こちらが手助けをするのはひかえますが……困りましたね」

「なにがだ?」

「軍の上層部から色々と言われているので……あまり派手に動けないのです」

「ん? よくわからない。ルキア、軍のヤツらにいじめられてるのか?」

「え? どうでしょうね。ワイザー将軍からはよく殴られてしかられましたが……うーん……」

「ルキアを殴ったのか!?」

 仰天ぎょうてんするラグはまじまじとルキアの顔を見ている。彼は苦笑した。

「傷は残っていませんよ。軍には腕のいい医者がいるので、大抵の傷は治してくれるのです。……変わった人ですけどね」

 少しだけうんざりしたような声音こわねのルキアは初めてだ。つい、トリシアは彼のほうを見てしまう。

「『ヤト』に入ってからはあまり会う機会がないので殴られてはいませんが。なんというか、豪胆ごうたんな方ですから」

「うーん。でも殴るの、よくない。話し合いとか、だめか?」

「男は時に、こぶしで語り合うものなのですよ、ラグ」

「……? う? よく、わからないぞ……?」

 困惑して眉間みけんに物凄いしわを寄せているラグが可哀想になってきた。

 ルキアはドナ山脈のほうをすっと指差し、つつつ、と地図上で人差し指を走らせる。

「この辺りに出没するそうですが……。明らかに通る列車を狙うように出てきていますね」

「どうやって襲う? 乗り込んでくるのか?」

「その時々で違うそうですね。どちらにせよ、一時的に停止させて襲うのが定石じょうせきでしょう」

「こんなに速い弾丸ライナーでも、止められるのか」

「…………人間の死体でも線路に転がしておけば、止めざるをえませんよ」

 平然とした顔で言われてラグがぎょっとしていた。顔をしかめた彼は、「うん」と弱々しくうなずく。

「動物の死骸しがいでも可能な手ですから、人間を使う必要はないのでしょうが……。一番効果があがるのはやはり人間ですね」

 あとで線路からどけるには、巨大な獣ではまずい。効率的な手を考えるとそうなるのだろう。

(……確かに、えて死ぬ貧民は多いわ。荒野に転がってる死体を拾ってくれば簡単に事は済むし、使い終わったら荒野に捨てておけば肉食の獣が始末してくれる)

 納得するが、あまりいい手ともいえない。けれどルキアが言う以上、人間の死体を使ってこういう手に出てきているのだろう。

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