序章 ~09~

 歩き出したトリシアにラグが続く。

「こんなこと、減俸げんぽうものなんだから……。ハァ……」

「オレがやしなえる」

「ばっ……!」

 あまりなセリフに真っ赤になって振り返るが、ラグは「ん?」とあどけない笑顔で返してきた。……絶対に意味を理解していないに違いない。

「へ、変なこと言うのはやめて、ラグ」

「変か? 人間一人くらい、養える。オレ、そこそこ有名人」

「はあ?」

 有名人?

 考え込んでしまうトリシアは、脳内の記憶に思い当たらないので今の言葉は受け流すことにした。

「ルキアもめてくれた。オレ、強い」

「はいはい。そうですかー」

 セイオン出身の剣士なのだから、そこそこ強いのは当たり前だ。真剣に取り合うのはやめよう。

 空を見上げ、トリシアは盛大せいだい溜息ためいきをついた。なんだか……受難じゅなん、だ。



 ルキアが車掌のジャックと駅で話し合っている姿を見かけたが、トリシアはラグを引き連れてさっさとブルー・パール号へと乗り込んだ。

 いつもの温和な様子はなく、ルキアはなにやらうれいをびた表情だった。やはり先程の騒ぎの中心に彼が居たのだろう。

「ありがとうラグ。荷物、ここまででいいわ」

「わかった」

 荷物を渡してくると、ラグは再び列車を降りた。ルキアの元へと駆けていくのが見えたので、様子を見に行ったのだろう。

(なんというか……ラグって親切な人の代表者みたいなヤツよね……)

 そん性分しょうぶんに違いない。

 振り向いたルキアがちらりと見えた。いつになく真剣な表情にどきりとしてしまう。

(はっ! なにが『ドキ!』よ。ありえない……ルキア様はすごいとは言ってもまだお子様なんだから!)

 そそくさと歩き出し、トリシアはすぐに動きを止める。

 展望車に居たのはあのトリッパーの男、ハルだ。

 彼は小瓶こびんから何か赤い丸薬のようなものを取り出し、口にふくんでもぐもぐと動かしている。飴玉あめだま、だろうか? それにしてはなんだか毒々しい色をしていたようだが……。

 トリシアの視線に気づき、ハルは露骨ろこつに嫌そうな顔をした。

(へーへー。わかってますわかってます。べつに興味なんてないですから)

 さっと視線をはずしてトリシアはハルの背後を通り、別の車両へと進んだ。


 それからすぐにルキアがジャックに何を話していたかわかった。

 ドナ山脈付近に山賊が出没しているらしく、通る列車をおそっているということだった。

 そのうわさはトリシアたちも知ってはいたが、走る列車を襲う、という考えがまず浮かばない。

 次の駅に向かうには、ドナ山脈を通らねばならない。ここから近いこともあり、どうやらその討伐とうばつのことをルキアは相談され、彼はあっさりと承諾しょうだくしてしまったようなのだ。

一網打尽いちもうだじんにしてごらんにいれますよ」

 そう笑顔で話しかけられ、ティーカートに紅茶を用意して運んできたトリシアは動きを止めてしまう。

 ルキアの目の前にはラグが座っており、彼はぼんやりと窓の外をながめていた。

「えと、あの……?」

 なぜいきなりそんなことを言われるのかわからなかったので、戸惑ってしまう。

 ルキアはふんわりと甘い笑みを浮かべた。

「これからの旅のこともありますし、他の市民の不安を取りのぞくためにも、全力を尽くします」

「はぁ……」

「あれ? トリシアは怖くはないのですか?」

「いえ……山賊は怖いですが……。なんというか、実感がなくて」

 スリや追いはぎはよく街中でも見かけるが、盗賊などというそこそこ規模の大きな集団にはお目にかかったことがない。それはさいわいなことでもある。

「そういうものですか。自分は何度か窃盗団せっとうだんの相手もしたので、さほどめずらしいとは思わないのですが」

「えっ、る、ルキア様、それ、本当ですか?」

「はい。本当ですよ」

「そ、そういうのは傭兵の仕事では? 自警団とか……」

「彼らの手にえない仕事は進んで引き受けていますので。なぜか一人で行くと油断してくださるので助かります」

 心底本気で言っているのだろう言葉に、うすさむいものを感じてしまう。これで腹黒くないのだから、対応に困る。わざと言ってくれているなら受け流すのも楽なのに。

「連中の手口は先程のエキドの街で聞きましたし。新しい護衛の傭兵の方もいますから、心配はなさそうですが」

 新しく契約した傭兵ギルド『くもわた』は、あまり聞かない名前だ。帝都まで低賃金で護衛を引き受けてくれたので文句は言えないが……。

 その時だ。ラグがこちらを見遣り、するどい視線で言う。

「オレがいるのに」

「24時間、ずっとラグが外を監視するわけにはいかないでしょう? まだ半月近くあるのですから」

「……それは、そう、だが……」

 納得がいかないのかラグは小さくうなる。

「もっといいギルドあったはず! 『雲わた』の連中、絶対サボる!」

「賃金をいただくのですから、きちんと働くと自分は思いますが」

 素直に相手を信じてしまうらしいルキアに、ラグはどう説明したらいいのか困り果てているようだ。

 島の出身のラグは帝国の共通語があまり上手くない。慣れないとむずかしい言葉だとはトリシアも理解しているので、彼の苦労もわかる。

「ラグ殿は『雲わた』の方たちのことをご存知なのですか?」

 テーブルの上にカップとソーサーを置きながらそうたずねると、ラグはうなずいた。

「あいつらのこと、うちの連中はよく話してた」

 うち、というのは『渡り鳥』の傭兵たちのことだろう。

「賃金低い、いい加減な仕事、する」

「………………」

 無言で聞いていたルキアの赤い瞳が、どことなくぎらついているように見えてトリシアは怖気おぞけが走る。

(あれ……? ルキア様、なんだか怒ってない……?)

「もしそれが本当なら…………真偽しんぎを確かめねばなりませんね。低賃金とはいえ、貧しい人々からしたら大金です。ぞんざいに仕事をされては困るでしょう」

「そうだ!」

 激しくうなずくラグに、ルキアが微笑む。まるで、先程の妙な空気など一切なかったかのように。

「自分はあまり世俗せぞくうとくて……助かります、ラグ」

「ルキア様っ!」

 慌てて口をはさむと、彼はすぐにこちらを見てくる。あまりにも真っ直ぐに見てくるので、気圧けおされた。

「あ、あの……えっと」

 戸惑って口ごもると、ルキアはふんわりと甘く笑ってくれた。

「緊張、させてしまいましたか。すみません。自分は軍人なもので、軍律や法律をどうも厳しく守らねばという考えがありまして」

「……その、あまり乱暴は……しないでください、ね?」

 小さな声で言うと、彼は目を丸くしてまじまじとこちらを見てくる。可憐な顔にそんなに見られると、どうしても頬が上気じょうきしてしまう。

「どうでしょう? 困りました」

「む、難しいでしょうか?」

 この小柄な少年が凄腕の魔術師としても……それでも危険な目にうのはけて欲しい。

 寝覚めが悪いではないか……もしも、死なれたりしたら。大怪我でもされたら。

 トリシアの腕力でさえ、下手をすれば壁に投げ飛ばせるかもしれないのに……。

「トリシア! ルキア、弱くないぞ」

 そう言ってこちらに身を乗り出してくるラグは、ひどく気遣きづかっているように心配そうにトリシアを見つめていた。

「腕相撲、トリシアより強いぞ」

「え? いえ……あー」

 歯切れの悪い声を出してしまう自分は未熟者だ。こういう時はさらりと受け流すべきなのに。

 ルキアは軽く笑い、じゃあ、と細腕をテーブルの上に出してみせた。

「やってみましょうか、腕相撲。自分は負けませんよ、トリシア」

「……無茶言わないでくださいよ、ルキア様」

「ははっ。そうですね」

 腕を引っ込めるルキアは無邪気そのものだ。歳相応としそうおうの子供らしい仕草しぐさだった。

「トリシアの腕を折っては困りますし」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る