序章 ~06~

「おはようございます、ラグ殿。ルキア様」

「おはようございます、トリシア」

 にこ、と甘い笑みを浮かべるルキアの様子に、心臓が妙な音をたてた。この子供は、自分の恐ろしい魅力をわかっているのだろうか。

「ルキア、しっかり寝た。今日はここで過ごすって」

 いていないのにラグがそう、楽しそうに説明してくる。ルキアは「はい」と笑顔でうなずいていた。

「セイオンには行ったことがないので、ラグの話はとても興味深いのです。トリシアはセイオンに行ったことはありますか?」

「いえ、ありません」

「そうですか。海に囲まれた、とても良い土地だそうですよ」

 にこにこと微笑むルキアはラグに「ねえ?」と声をかけた。ラグはしっかりと肯定こうていするためにうなずく。

「セイオンの島には、たくさんの部族が住んでる。でも、本土で働くほうが、しょうに合ってる連中も少なくない」

「剣で身を立てるのですね?」

「ちょっと違う。セイオンの者、戦うのが得意。平和すぎるから、島はつまらない」

 ぎょっとなるような言葉だったが、ラグは笑顔だ。

「オレ、たくさんの人を助けたい。と、思った。うん? ちょっと違う。困ってる人、助けたい、思った」

 たどたどしい言葉をつむぐラグは、それでも一生懸命にルキアに話しかける。

「セイオン、平和で、みんな強い。本土、もっと困ってる人多いって、聞いた」

「立派な心がけですね」

 ルキアにめられ、ラグは有頂天うちょうてんになったらしく、ほおを赤くしてはじらった。

(……単純な殿方とのがたなのね、ラグって)

 自分の生活で手一杯のトリシアにとっては、他人を無償で助けてやる余裕などない。ラグの行動は理解できるが、同意はできかねるものだった。

 大きな子供のようなラグは、聞き上手なルキアに嬉々として故郷の話をしていた。トリシアはその間に、自分の仕事に取り掛かる。

 彼らはしょせん、通り過ぎるべき存在だ。客とは、来て、去るもの。心をくだく相手ではない。

 食事の支度したくをしていた料理長の元へ行くと、彼は珍しそうにルキアたちを眺めていた。

「あっちの兄ちゃんは、昨日ファシカを退治した『渡り鳥』の傭兵ってことだったけど、本当か?」

「あれほど大きく紋様をつけているじゃありませんか」

 呆れたように言うトリシアに、彼は「へぇー」と感心したように目を細める。

「『渡り鳥』はかなり腕利きばかりがいるってうわさだったけど、本当だったんだなぁ。

 あっちのちっこいのはルキア様なんだろ?」

「……みたいね」

随分ずいぶんと気に入られたみたいじゃないか、トリシア」

「からかわないで。ひまつぶしよ、どうせ」

 面倒そうに答えていると、料理長であるリューダは低く笑った。

「おまえは本当に欲がないよなぁ。こういう時、年頃の娘は相手の男を値踏みするもんだぞ?」

「値踏みって……。相手にもされてないのに、そんなことをする必要はないわ」

 どうせ気まぐれで暇つぶし。トリシアはどこにでもいる平凡な娘だ。彼らのような特殊な人間に、珍しくて気に入られることはあって、それ以上にはなれない。

 ルキアは貴族のうえ軍人だし、ラグは世界を渡り歩く傭兵だ。どちらも、恋人にするには苦労する相手だろう。

 つまらない望みをいだくような夢見ゆめみがちな性格ではないので、トリシアはあの二人にも客以上の扱いをするつもりはない。親しくすることもない。

「しっかしルキア様は、聞いてなきゃ、女の子に見えるな。あの長い髪とか、手入れされてるみたいだしな」

「そうね。前髪も長いから、とっても不思議な印象よね」

 彼は前髪も後ろ髪も同じように伸ばしているため、本当に妖精か人形のように見える。薄い色彩しきさいの髪だから、余計にだ。

 トリシアのような仕事だと、あれほどずるずると伸ばしていると邪魔になるであろう髪も、特別な軍人だから、そうでもないのかもしれない。なにより似合っている。

「横に立つと、おまえが女に見えないもんな」

「失礼な!」

 ムッとして唇を軽くとがらせると、リューガが野太い声で面白そうに笑った。

「でも、すごい魔術師殿なんだろ? どうだ? おまえ、近くで見たんだろ?」

「……そうね。すごかったわ」

「いいな~。おれも近くで魔術をおがみたかったぜ。魔術師なんて職業のもん、そうそういないだろ」

 そう言われればそうだと気づいた。トリシアはますます萎縮いしゅくしてしまう。ルキアはやはり、気軽に声をかけられる相手ではないのだ。

(あ~、頭痛い。絶対また声をかけてくるわね、ルキア様……)

 ティーカートの上にお茶を用意しながら、トリシアは嘆息してしまった。

 長い旅路の中で、彼らから逃げるすべなどない。ここは閉ざされた列車の中なのだから。



「おい、おまえ」

 いきなりそう声をかけられて、トリシアは足を止めて振り向く。

 茶色の髪と瞳。よく見れば右目の下に黒子ほくろがある。あのトリッパーの男だ。

 男は面倒そうな顔をしており、仕方なくトリシアに声をかけたのだろう。

「医療用の血液は用意されているのか」

「?」

 なぜそんなことを尋ねられるのかわからず戸惑っていると、男が眉間みけんしわを寄せた。

「答えろ」

「……はい。用意しております。長旅になるので、貧血の方も出たときのためなどに」

「そうか」

 ぼそりとつぶやいて去ろうとした男は、ぎくっとして足を止めた。

 引き戸を開いて現れたのはラグとルキアだ。この二人はここ最近、いつも一緒にいる。

 ルキアはこちらに気づいてかがやかんばかりの笑顔を浮かべた。

「ああ、ハル。それにトリシア」

「出たな、ちびっこ軍人」

 舌打ち混じりにらす男の言葉にトリシアは驚いた。いつの間にこの人たちは知り合いになったのだろう?

「ハル、おはよう」

「うるさい! 寄ってくるな!」

 手を振ってくるラグを邪魔そうに見て怒鳴る男の名は、ハルというらしい。珍しい響きだ。

(トリッパーの名前って独特の響きなのかしら……)

 邪険に見ているハルにルキアが近づく。

「あなたの故郷の話を今日こそ聞かせてください、ハル」

「うるせぇ! 僕の故郷はエル・ルディアだって何回言わせりゃいいんだ! このアホ!」

「しかし、帝国人の特徴と合いません。トリッパーではないのですか?」

「やかましい! ひとの事情にくちばし突っ込んでんじゃない!」

「いいえ、絶対にトリッパーです」

 確信を持つのはいいが、嫌がっているハルに対してあまりにもしつこい。さすがに不憫ふびんになってくるトリシアの肩をつんつんと突いてくる者がいた。ラグだった。

「ルキア、へこたれない」

「……そう」

「トリシア、オレたちのこと嫌いか?」

「えっ」

 目をくトリシアに、ラグは微笑んでくる。

「オレたち、年齢の近い相手は珍しい。だから、嫌わないで」

「はっ?」

「みんな、オレたちと距離をとる」

 それはそうだろう。悪い者たちではないだろうが、どうにも困った人種だ。

「……では、あのお客様にちょっかいを出すのをやめてあげてください。お可哀想です」

「ルキアは興味を持つと、すごく知りたがる。トリシアが怒れば、やめる」

「なっ、なんで私がっ!」

 思わずにらむとラグは首をかしげた。

「ルキア、ちゃんと言えばわかる。ルキアもトリシアに嫌われたくない」

 なんで???

 疑問符が頭の上に舞いおどっているのだが、ラグには答えられないのだろう。……よくわかっていないような表情をしている……。

 仕方なく、トリシアはルキアの背中をつついた。

「ルキア様、そのあたりでおやめください。嫌がる方に失礼です」

「ですがハルは嘘を言っています」

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