序章 ~05~

「トリシア、ルキアはどうした?」

 いきなり呼び捨てかい、と心の中で突っ込みかけてしまう。

「ルキア様は眠っておられます」

「病気か?」

「え? いえ、魔術でお疲れになったのだとうかがってますが」

「まじゅつ?」

 首をかしげるラグは、ああ、と納得したような表情になった。言葉は少ないが、彼は顔によく出るタイプらしい。わかりやすい。

「そうか……。無事ならいい」

 にっこりと笑うと、ラグは本当に若い。可愛らしい笑みにトリシアが呆然ぼうぜんとしていると、彼は困ったように眉をひそめた。

「トリシア、大丈夫か?」

「えっ! あ、申し訳ありません!」

「え……。いや、そんなことは、ない」

 どもるラグは軽く頬を赤くして、照れたようにつぶやく。その様子に添乗員の女性たちが目をギラつかせていた。

(あ、そ、そうね。ラグも、こうして見ると美形と言えなくもないというか……)

 すごい美形のルキアと、やや美形のトリッパーの男を見ていたため、少々目がやられていたらしい。

 いかにも平民の傭兵ということは、手の届く範囲の男だ。ルキアほど遠くないので、男にえんのない女性たちはどうしても目ざとくなってしまう。

「トリシア?」

「へっ? あ、はい、なんでございましょう?」

「手伝うと、言った」

「ああ、自分も手伝います」

 ラグの背後からあらわれたルキアに、全員がぎょっとしてしまう。寝ていたんじゃなかったのか?

 まぶたを眠そうにこするルキアは、割れたガラスや、ひどい室内の有り様を見て、悲しそうな顔をした。

「これではここはもう使えませんね。二等客室のかたには、一等客室の食堂車を使うように言ってください」

「え……。ル、ルキア様」

「いいんです。今、一等客室には自分しかいませんから、気になりませんし」

 そういう問題ではない。

 一等客室の客人にこう言われては、乗務員たちは逆らうことなどできないのに。

「ラグも一緒に後でお茶をどうですか?」

「お茶?」

「眠気覚ましにいいお茶があるのです。食堂車くらいでしたら、乗務員の皆さんも彼の立ち入りを許可してくれるでしょう?」

 笑顔がまぶしい! と、全員が「うぅ」とうなる。

 本当は「ダメです」と言うべきところだが、ルキアの強引な笑顔に負けてしまった。

「トリシア、自分も手伝います。ほうきを貸してください」

「な、なりません!」

 我に返ったトリシアが、ぐっ、と手に持つ箒に力を入れた。ラグがそこをつかむ。

「オレによこせ。オレが使う」

「なりません! 放してください、ラグ殿どの!」

 すごい力だ。トリシアは全力で踏ん張っているが、ラグはさして力も入れていない様子なのに、箒が取り上げられそうになっている。

(ひぃぃ! セイオンの男って、こんなに力が強いの? それともラグが特別なの?)

 涙ぐむトリシアに、事態は悪くのしかかってくる。ルキアも箒の争奪戦に参加してきたのだ。

「自分がやりますよ。トリシア、手を放してください」

「だ、ダメですって、言ってるじゃありませんか……!」

(ま、負けそう!)

 なぜ自分にからんでくるのだ、二人とも。やめて欲しい。

 背後のエミリに助けを求める視線をるが、彼女はせっせとガラスを片付けていて、こちらを見ない。

 ここまで順調に生きてきたはずだ。このままここで暮らし、そこそこ収入を得ている男性と結婚し、そして老衰ろうすい……という人生設計が狂ってきている。

 平凡な平民の娘をからかっているのか?

「ルキア様、おやめください! ラグ殿も、手、手を放し……!」

「いいえ。そういうわけにはいきません」

「手伝うと、言った」

(なんでよー!)

 ぐいぐいと引っ張られる。あきらめるという言葉を知らないのだろうか。

「こ、これは私の仕事ですからっ!」

 大声で言ったトリシアは、はっ、として棒立ちになっている二人を見遣った。

(しまった……お客様に怒鳴っちゃった……)

 青くなるトリシアの箒からラグが手を放す。続いてルキアもそれにならった。

(あああああああああ! やっちゃったー!)

 平穏人生が転落する音が聞こえる……!

 がたがたと小刻こきざみに震えるトリシアの頭をぐりぐりと、ラグがでた。

「えらい。仕事、頑張れ」

「へ?」

「お仕事の邪魔をしてすみませんでした」

「ええっ?」

 それぞれがあっさりと手を引いて去っていくので、トリシアは呆然としてしまう。

 二人がなにか楽しそうに談笑だんしょうしながら歩く背中を見ていたトリシアの肩がたたかれた。見れば、エミリの手だ。

「……厄介なのに目をつけられたわね、トリシア。旅の間中、たぶんあんたに声をかけてくるわよ、あの二人」

 ご愁傷様しゅうしょうさまと言わんばかりの目つきにトリシアは泣きそうになってしまう。

「エミリ先輩~! どうにかしてくださいー!」

「無理無理。あのセイオンの剣士もルキア様も、見た目はいいけど性格がねぇ……」

「そんなぁ!」

 いやだ! すごくいやだ!

 ぶんぶんと頭を振るトリシアを、不憫ふびんそうに見るエミリの瞳が悲しい。



 おかしい。どこで私の人生は間違ってしまったのだろう。

 トリシアはやっと1日の業務を終えて、あてがわれているせまい自室へと戻った。客室に比べると、寝床しかない場所ではあるが、それでもここがトリシアのだった。

 ぐったりとした状態で狭い寝床にもぐり、今日あったことのあれこれを思い返す。

 列車は小刻みの揺れを取り戻し、次の駅へと向かっている。大幅おおはばに遅れたぶんは、この夜間で取り戻すことになるだろう。

(エル・ルディアまであと半月もある……。長い……)

 いつもならあっという間の旅路も、今はとても長いものに感じる。

 ごろんと寝返りを打って、トリシアはまぶたを閉じた。明日も早いのだ。考えるのはやめよう。


 いつの間にか眠っていたのだろう。意識がとても遠い。

 トリシアは瞼を擦り、差し込んでくる太陽光に目を細めた。

(うぅー……体が痛い……)

 ゆっくりと起きて、溜息ためいきをつく。

 狭い室内で身支度みじたくを整えて、顔を洗うために洗面所のある場所へ向かう。職員共有のそこは幸運なことにいており、トリシアは顔を洗って歯磨きをした。

 細かく揺れる車内で、トリシアは髪をまとめあげ、お団子状態にする。どこかのメイドのようだという印象を鏡越しに受けた。

 平凡な顔だなと改めて思い、ルキアの壮絶そうぜつ美貌びぼう脳裏のうりぎってうんざりとした。綺麗な顔は見ていてもきないが、彼の空気を読まない言動は困ったものだったからだ。

(そういえばラグは、ルキア様と一緒に行っちゃったのよね、昨日)

 掃除のあと、声をかけられるかとビクビクしていたが、杞憂きゆうに終わったのだ。

 職場の仲間たちの話によると、一等客室の食堂車で、ルキアとラグがしゃべっているのを何人かが目撃したようだ。

 二人に共通点など見られないが、どうも話が合うようで仲良くなってしまったようだった。

 1日の仕事を終えるまで、トリシアは彼らに会うことはなかった。

 乗務員の集まる小部屋に行くと、タイミング良く朝会が始まる。

 今日のトリシアは三等客室の食堂車の手伝いに決定された。

 夜番よるばんの者たちと交替するために早足で向かうと、三等客室の食堂車に見覚えのある水色の髪の少年がいた。さらさらの長い髪は、見間違うことなどない。

(げっ。なんでルキア様がここに?)

 目をると、向かいの席にラグが腰掛けている。彼はやはり大きな黒い鳥のようなで立ちで、こちらに気づいてはにかんだように笑った。

(げげっ。見つかった)

「おはよう、トリシア」

(げげげー! 声までかけてきたー!)

 逃げられないと覚悟を決めるしかない。近づくと、頭を下げる。

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