序章 ~04~

「トリシア! ルキア様はなんだって?」

「二等食堂車を続けて襲っているファシカは、ラグという青年に任せるそうです。やってくる群れをルキア様が攻撃するとか……。

 我々には、脱線した車両を元に戻して欲しいとおっしゃってました」

「ファシカの群れを一人でなんとかするだって!?」

 そんな馬鹿な、と頭をおさえるジャックの心中しんちゅうもわからないでもない。

「いくらルキア様がすごい軍人様でも、無茶だろう! なぜお止めしなかったんだ、トリシア!」

「す、すみません……」

 あれほど自信たっぷりに言われたら、なにか口をはさめる余地よちなどないが……止めなかったのは事実だ。素直に謝ると、ジャックは嘆息たんそくした。

「とりあえずみんなに声をかけてくれ。男ども全員で、車両を線路に戻す」

「はい」

「連絡が済んだらトリシアはルキア様のもとに戻ってくれ。あんな小さな子供なんだ、何かあってはことだから気をつけておくように」

「わかりました」

 頷いたトリシアは、きびすを返した。

 ジャックの指示通りに、乗務員の男たちに連絡をしていき、再び梯子はしごのかかっている車両へと戻る。梯子を登る際に、ふと上空に雲があるのに気づいた。

(あれ……? さっきまで晴れていたのに……)

 空一面をおおう灰色の雲に、怪訝けげんそうに眉をひそめながら登りきると、周囲の様子が一望いちぼうできた。

 食堂車両を襲っていたファシカたちは、綺麗に倒れている。そばにはラグが立っており、息一つ乱した様子はない。

(え? もう退治したの? うそ……)

 驚愕するトリシアは、車両の上にぽつんと立っているルキアを見つけて駆け出した。

 ぞろぞろと停車した車両から、男たちが降りてくるのも見える。全員、ブルー・パールの制服を着ているので、仕事仲間だ。

「ルキア様! ご無事ですか!」

 大きな声をかけると、ルキアは振り向いた。

(うっ! あんなに綺麗な方だと、心臓に悪い!)

「トリシア!」

 甘い笑みを浮かべるルキアに、さらに硬直しそうになるトリシアだった。

「大丈夫です。ラグは腕のいい剣士ですよ。素晴らしい腕でした」

 惚れ惚れしたように語るルキアの傍までくると、彼は笑顔で迎えてくれた。

「あなたにも見せたかったです。あっという間にファシカを退治したのですよ」

「……そうなのですか……」

 どれほどの剣技かは気になるところだが、遠目にも砂煙が見えたので、ファシカの群れがこちらにやって来ているのだろう。

「ルキア様……」

「群れがやって来ましたね」

 なんでもないことのように言うルキアは、真っ白な手袋をつけた手をそっと握る。

「ちょっと離れていてください、トリシア。魔術を発動しますので」

「え?」

 素早く二、三歩離れたトリシアに、彼はまた柔らかく微笑した。

「それくらいで充分です。目が痛いかもしれないので、用心してください」

 大丈夫、手加減はしています。

 そう言うなり、彼は両手を軽くげた。演奏の指揮者のように。

 ふわりと彼の長い髪が浮き上がり、衣服につけている飾りも空中に誘われるような動きを見せる。

「『落ちよ、いかずち』」

 刹那せつな、ビリッと全身に軽い痛みが走った。同じように天上を覆う雲に素早く稲妻いなずまが駆け抜け、砂煙をあげている箇所目掛けて雷光が落下した。

 どぉん! とにぶい音が響き渡り、地面が軽く揺れる。落雷だ。

 迫力におされてよろめくトリシアの手を握ったのはルキアだった。彼はどうしてこう、いいタイミングで助けてくれるのだろうか。

「たぶんこれで一掃いっそうできたはずですよ。安心して作業できます」

 そう言ってきたルキアはまた微笑む。なんでもないことのように。

 あれほどすごい魔術を一瞬で発動させる技を持つなど、すでに人のいきではない。トリシアは慄然りつぜんとし、ルキアを凝視ぎょうしした。

 ルキアは手を離し、ラグに片手を振った。ラグは気づき、大きく手を振り返してうなずいている。

 やって来た男性職員たちに説明しているラグを眺めているトリシアは、車両から乗り出すようにしているルキアにハッと気づいて腰にしがみついた。

「な、何をやっているのですか! ルキア様!」

「え? なにって、降りようと……」

「ここから降りたら体のどこかの骨を折ると言ったじゃないですか!」

 ブルー・パールはそこそこ大きい。長旅になることもあって、車両は通常の列車よりも少し大きめに作られているのだ。

 必死にしがみついていると、ルキアは困ったように微笑した。

「大丈夫ですよ。ラグは降りられたのですから」

「ええ!?」

 無茶苦茶な発言にトリシアが青ざめる。

 剣士のラグの動きが良いのはわかるが、こんなちっちゃな少年がひらりと降りられるとは思えない。

(もしかしてルキア様って、天然……!)

 思い至った考えにさらに顔が青くなってしまう。ここまでの経緯けいいを思い返せば、彼は色んなことに無頓着むとんちゃくのようだ。

(な、なぜ従者とか連れていないの! そういえば、貴族の出身なのにおかしいと思っていたのよ……)

 従者を連れていないのは軍の任務のためだろうが……それでもこれはない。

「だ、だめですってば、ルキア様!」

「ですが、自分も手助けしなければ。これでも軍人のはしくれですし」

本気マジで言ってる顔だわ!)

 これは止めなければ!

 トリシアはがっしりと腰に巻きつき、ルキアを後方に引っ張る。

「あ、あっ、トリシア、危ないですよ、そんなに退がっては」

 よろめくルキアを思い切り引っ張り、車両の中央部分まで戻す。

「車両を戻す手伝いはしなくてよろしいですから、ルキア様」

「でも……そうはいきません」

 ふわっと微笑まれてくらりと目眩めまいがした。これほど天然だとは思わなかった。

 成長したらとんでもないことになるのでは……と、ルキアの将来を不安になってしまうトリシアだった。

「あの、トリシア?」

「だめですったら、だめです」

「トリシア……。自分は軍人なのです。民間人を守るのが仕事なのですよ?」

「ルキア様の細腕では、車両を線路に戻せません!」

「…………」

 きっぱり言ってしまうと、ルキアが可愛らしい目を軽く見開く。言い過ぎたかとトリシアはしぶい表情をしてしまうが、取り越し苦労に終わった。

「そうですか。言われてみると、そうですよね」

 納得したらしいルキアは、体の力を抜いた。軽く欠伸あくびをする彼は、まぶたこする。

「魔術を使うとどうも眠くなってしまうので……。ふぁ……」

「お部屋まで送ります、ルキア様」

「結構ですよ、トリシア。お仕事中でしょう?」

 大丈夫ですよと微笑む彼は、ゆっくりと歩き出した。さらりと揺れる長い髪が綺麗で、本当に絵本に出てくる妖精のようだ。



 食堂車は無事に線路に戻され、各車両の点検を終えたら出発する手はずになっている。

「おい」

 声をかけられ、せっせと荒れた食堂車の中を掃除していたトリシアは動きを止めた。見遣みやると、ラグが入り口に立っている。

「オレも手伝う。何か仕事は?」

「お客様はそんなことはなさらなくても構いませんから」

 丁寧にそう言うと、ラグは片眉をあげた。

「手伝う」

「…………」

「聞こえてるか?」

「聞こえていますよ」

「手伝う」

「ですから、それはご遠慮を……」

「手伝う」

 端的に言うラグは室内に入ってきて、中の惨状さんじょうを確かめた。他の乗務員たちはみな、こちらを見て見ぬふりをしている。助け舟を出す気はないようだ。ひどい。

「おまえ、名前は? さっき、ルキアと一緒にいた」

「トリシアです、お客様」

「オレ、ラグ。ラグと呼べばいい」

 それはできない相談だ。客を呼び捨てになどできるはずがない。

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