序章 ~03~

「失礼します」

 食堂車を通り過ぎて一息つくと、トリシアは背後の様子をうかがう。

 さいわいにも、食堂車にはルキアしかいなかったので、今の無礼ぶれいな振る舞いは見られていないだろう。とはいえ、向こうが話しかけてきたのだから、不可抗力である。

 がたん、と列車が大きく揺れて、トリシアは目を見開いた。

 弾丸ライナーでは大きな揺れなど、起こらないはずなのだ。



 乗務員たちは集まり、荒野でも獰猛とされるファシカの群れが突っ込んできて、一時停車をするという羽目に陥ったことを相談していた。

 ファシカというのは大柄な獣で、大昔にいたというサイという動物が進化したものとされている。彼らは群れで移動し、頭から相手に体当たりをしてくる習性がある。

 エミリが腕組みし、眉根を寄せた。

「お客様には事情を説明しないと。困ったわね」

「エミリ先輩、私の担当室を教えてください」

「ええ。あなたは……」

 そう言ったそばで、部屋の引き戸が開いた。長身の青年がこちらを眺めている。

 トリシアは驚いた。三等客室にいたあの、セイオンの青年だったからだ。

「ファシカに襲われた。本当か?」

 端的たんてきしゃべる彼は冷たい新緑しんりょくの瞳でトリシアたちを見遣みやり、堂々とこちらに一歩踏み出した。

「謝礼はいらない。ファシカは再び襲ってくる。退治をするから、降車させて欲しい」

 乗務員の全員が目を丸くした。列車の用心棒たちよりもはるかに身体能力が上のセイオンの若者が、まさか出てくるとは思っていなかったのだ。

奇遇きぐうですね。自分も協力させてください」

 青年は背後からの声にびっくりしたようで、慌てて身をひねる。

 声に覚えがあったトリシアはさらに驚愕きょうがくした。

 ちょこんと立っているルキアが、可憐な笑顔で青年を見つめているではないか!

「皆を守るのは帝国軍人のつとめ。微力ながら、この危機を脱する協力をしたいと思います」

「そんなこと、許可できません!」

 我に返った車掌のジャックがそう言うが、青年もルキアも引き下がる様子がなかった。

「これは我々の仕事だ。乗客を危険な目にわせるわけにはいかない!」

「もっともな意見だが、おまえらになんとかできるのか、本当に」

 鋭い声が割り込んでくる。ルキアの背後に、違う男が立っていた。若い、二十代の男は二等客室の者だ。

 トリッパーであろう男は鼻を鳴らし、苛立いらだたしげな表情でこちらをながめている。

「僕は急いでいる。だから、素早く事態を収束できることを望んでいるんだ。

 そこのセイオン坊主ぼうずと、こっちの軍人様ぐんじんさまがなんとかしてくれるなら頼れよ」

「し、しかし……」

「うるせえなあ!」

 怒鳴る男は持っていた懐中時計のふたを勢いよく閉めた。

「そんなに死にたきゃ勝手にしろ! 迷惑するんだ、さっさと終わらせろ!」

 くるりときびすを返して去っていく男の背中を見遣みやり、ルキアはあごに手をる。

「……と、今のかたは言っていますし、すぐに終わらせますのでご迷惑はかけません」

「ですから……」

「うるさい。おまえ、黙れ」

 なんとか断ろうとする車掌をにらむセイオンの青年の眼光に、彼は口を閉じた。

 ルキアはきょとんとしたが、すぐに微笑する。

「自分はルキアといいます。あなたのお名前は? セイオンの剣士殿けんしどの

「……ラグ」

「よろしく、ラグ」

 握手をしようと差し出した手を、ラグはすぐにしっかりと握った。貴族に対しての礼儀もなにもなかった。

 彼はしっかりとルキアを見つめ、それからはにかんだような笑顔を浮かべる。

「よろしく、ルキア」

「はい」

 異常な光景に、乗務員たちが固まっていたのは、言うまでもなかった。



「それで、ここから降車すればいいのですね?」

「いえ、ですからここから降車すればどこか折るかと」

 説明するトリシアは、車両の上を歩いていた。停車しているブルー・パール号の一部が、線路から外れている。あそこは二等客室の食堂車だ。

 今頃エミリが乗客たちの説明に奔走ほんそうしていることだろう。

 トリシアはルキアの指名で、ここまで案内することになった。

 車両の上から周囲の様子を探るためにやって来たのだが、ラグは飛び降りてファシカ退治に行きそうな様子もあって、少々不安だ。

 ルキアはのんびりと、焦った態度もとらずにトリシアの後ろをついて来ている。

「いい眺めですね。昼寝をしたいくらいです」

 のん気にそんなことを言うルキアは、ラグのほうを見てくすりと笑った。

「どうしました、ラグ」

「早く退治したほうがいい」

 食堂車に体当たりを続けているファシカ数体の様子が見える。ラグにはそれが心配なのだろう。

「あの周囲の避難は済んでいますよ、お客様」

「そういう問題じゃない。もっと、色んな人が困る!」

 むすっとして唇をとがらせるラグは、トリシアを睨む。どうやら彼は正義感あふれる若者のようだ。

「ファシカが5体とは少ないです。仲間が寄ってくるでしょうね」

「ルキア様、落ち着いていないで……」

「? なにか急ぐことでもありますか?」

 きょとんとするルキアは、遠くを眺めた。

「自分はこれでも軍人ですから、できないことはおいそれと口にはしませんよ、トリシア」

「……?」

「自分が退治すると言ったのです。お任せください」

 無邪気な笑顔を向けてくるルキアは、ラグを見遣る。

「あそこのファシカを任せてもいいですか、ラグ。

 トリシア、列車を線路に戻す算段さんだんを。残るファシカたちは自分が一掃いっそうしましょう」

 自信たっぷりに言うルキアに、ラグがあわてた。

「ルキア、一人じゃ無理だ。オレも手伝う!」

「大丈夫です。遠距離攻撃は得意分野ですから」

 さわやかな微笑に、ラグは不思議そうだ。彼はルキアが何者か知らないのだろう。

 ルキアは空を見遣り、じっと様子をうかがう。魔術師の考えていることなどわからないので、トリシアは失礼しますと言って、戻ることにした。

 背後のラグとルキアをちらりと見て、トリシアは妙な気分で歩いた。

(こうして見ると、すごい身長差なのね……。大人と子供みたい。ルキア様って本当に小さい)

 あんな小さな人物が凄い魔術師とは思えないのが正直な感想だ。けれども、あの自信たっぷりな様子……。

 とりあえず指示されたことをしなければ。ファシカの退治はできても、ルキアのあの細腕では、列車を線路に戻す手伝いは無理だろう。

 車両に作られた簡素な梯子はしごをつたって降り、車内に戻ったトリシアは車掌のもとへと急いだ。

 交代制で乗っている車掌のジャックがこのブルー・パール号の責任者となっている。彼は今頃、次の駅へと事態を報告していることだろう。

 ルーデンという街から続くこの路線に、他の列車がくる様子は今のところない。それでも急がねばならなかった。

 車両を早足で進むトリシアは、三等客室のある展望室から外を見る。ファシカの群れはまだ来ていないようだ。もしもファシカが群れで突っ込んでくるなら、地響きがしそうなものだし、砂煙が見えるだろう。

 これほど見渡せる荒野で、ファシカ5体を見逃すとはかなりの失態だった。見張りについていた者たちは、どうやら相当油断していたようで、仕事を放置していたという。これだから、雇われものの者たちは。

(契約している『水辺みずべの花』とはこれでおしまいね。最近、態度が悪かったし)

 ざまあみろと思ってしまうトリシアだった。添乗員にちょっかいをかけることも多かった、「水辺の花」の連中など、さっさといなくなってしまえばいい。

「ジャックさん!」

 ジャックを見つけて駆け寄ると、彼はこちらを振り向いた。

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