序章 ~02~

「今日もいい天気ですね。帝国へは定時通りに到着しそうですか?」

「はい、お客様。ブルー・パールは定時通りに帝国帝都、エル・ルディアに到着いたします。

 途中、エキド、イズル、マハイア、の大きな駅にも停車いたしますので、御用がありましたらその際にお願いいたします」

「…………」

 きょとんとする彼は、楽しそうにすぐに微笑した。

「そんなにかたくならなくても良いですよ。自分は、ただの一介の兵士ですから」

「そういうわけにはまいりません」

「……そうですか。お仕事、頑張ってください」

 柔らかく言われて、腰砕けになりそうになる。トリシアはルキアを見つめて、すぐに頭をさげた。

 嫌味、で言われたわけではないようだ。裏がありそうには見えない。

 ルキアは一等客室の食堂車に向かったようだ。付き人もいないようなので、何かの任務で遠征に出ていたのだろう。

(ルキア様ほど強い魔術師ならば、あちこちから要請がきてもおかしくないものね)

 噂が本当だとすれば、彼は帝都の魔法院を最年少で卒業し、軍に就いたことになる。かなりあやしい。

(すごい魔術師様には見えないのよねぇ……)

 綺麗なだけのただの子供だ。噂が大きすぎて、眩暈めまいがしそうである。

 掃除道具を取りに行き、トリシアは掃除を手早く開始した。



 くすんだ金髪に、青い瞳。それがトリシアの見た目だった。どこにでもいる、人間の特徴。

 つまり、彼女は平凡だった。それほど美しくもなく、特出した技能もない。身分も平民で、しかも孤児。

 大陸のほとんどを支配している帝国でも、さほど珍しくない境遇なので、悲観することもなかった。

 教会に拾われたトリシアはファミリー・ネームがない。ただのトリシアだ。

 ファミリー・ネームがないことで、おおっぴらに孤児だと言っているようなものだが、仕方がない。本当のことなのだから。

 せっせと掃除をしながら、トリシアは展望室から外を眺める。まだ荒野は続いていた。

 ある時を境に、世界は荒野が爆発的に広がり、そこに住む獰猛な獣たちに村や小さな町のほとんどは潰された。

 凶暴になる一方の獣たちに困り果て、できたのが傭兵ギルドだ。それまでは、登録制にはなっていなかった。

 列車をおもな移動手段とするこの世界ではあるが、海の広がる場所にある島だけには船で行かなければならない。

 だが列車ほど発達していない船は小ぶりになり、転覆する恐れがかなり多いと聞く。

 南の、小さな島が連なる地域はセイオンと呼ばれ、傭兵が多く出ている。身体能力にすぐれたセイオンの男や女たちは、大抵が傭兵ギルドに登録し、旅人の護衛をしたり、貴族の屋敷の護衛となる。

 セイオンの者たちは外見特徴があり、トリシアにも一目ひとめでわかった。彼らは少数民族の集まりで、本土ほんどと呼ばれる帝国支配下の大地でも目立つ存在だ。

 三等客室に泊まっていた、人懐ひとなつこい笑みを浮かべる青年を思い出し、トリシアはフーンと呟く。

 封印の布を使っているワケありの客……。関わらないほうがいいだろうが、彼が帝都まで行くのなら、しばらくは顔を見てしまうかもしれない。

 二等客室にいた若い男のこともついでに思い出してしまって、首をかしげた。

 あの客は、間違いなくトリッパーだろう。異界の住人は、黒髪か茶髪がほとんどで、帝国人ていこくじんとは肌の色も違う。

 白い肌が特徴の帝国人や、セイオンの民族とはまた違い、そのうえ希少種のせいで、ほとんど見かけたことがない。

(異界かぁ……。どんなところなのかしら)

 それに、トリッパーならば、肉体か精神がし、していると聞いたことがある。

 あの男は見た目にそれほど変化はなかったので、もしかしたら……案外かもしれない。トリッパーなど会ったことがなかったので、興味はわいた。

 ただ、とっつきにくそうな態度だったので、苦労はしそうだ。

 くせのある客が多く利用する列車だが、今回はとびきり癖がありそうな乗客ばかりだ。

 軽く溜息ためいきをつき、トリシアはガラス越しに見える自分の平凡な顔に微笑んでみせた。



 一等客室の食堂では、大人しくルキアが食後のお茶をとっているところだった。

 彼はこちらに気づき、また微笑んでくる。いつも笑っているような印象だった。

「また会いましたね」

「はい」

 堅苦しい口調でこたえると、ルキアは困ったように眉を寄せた。

「なぜみな、自分に対してそういう態度なのでしょうか……。自分は名門貴族でもないですから、遠慮は無用です」

 貴族出身なのは本当のはず。つまり、トリシアなど普段は口もきけない存在なのだ。

 卒倒しそうな表情になっていると、ルキアはまじまじと見つめてきた。

「おとしいくつですか?」

 なぜ……そんなことを尋ねてくるのかわからない。困惑してしまうトリシアだったが、素直に教えることにした。

「今年で17になりました、お客様」

「そうですか。自分よりも3つ年上なのですね」

 ……14歳にしては、かなり小柄だ。そう思う。

 美しい少年は紅茶を飲み干して、ソーサーの上にカップを戻した。飲み方も優雅で、軍人の不器用さは微塵みじんもうかがえない。

(さすが貴族ね……。裕福な家庭ではなくても、これだけ上品だと……)

「お名前は?」

 またも質問に考えが断絶される。トリシアはどうするべきか迷ったが、一等客室の客人を相手に逆らうことなど許されない。自分は平民で、この列車の職員なのだ。

「……トリシアです」

「可愛い名前ですね」

(それだけ?)

 硬直しているトリシアに、彼は微笑びしょうしてみせる。

「帝都までの道中、よろしくお願いしますトリシア。歳が近いということで、あなたによく声をかけると思いますが、許してください」

「……そ、そんな滅相めっそうもない。おそれ多いです」

「自分はルキア=ファルシオンといいます。気軽にルキアと呼んでください、トリシア」

 甘い笑みで言われてトリシアは顔に血液が集まるのを感じた。わかってやっているとしたら、相当そうとうなものだ!

 にこにこと微笑んでいるルキアに邪気は感じられず、悪意も見当たらない。

「話し相手にもなってくださると助かります。ルーデンで任務を終えてきて、ここまではほとんど疲れて室内で眠っていましたので、どうも体がなまっていて」

 疲労で彼がよく眠っているというのは乗員仲間に聞いていたのでトリシアは知っている。

 列車に乗り込んだとき、ルキアは気丈きじょうにふるまっていたらしいが、部屋に入るなりそのまま寝入ってしまい、ここにくるまでほとんど眠って過ごしていたらしいのだ。

「わ、私なんかでよければ……ルキア様」

はいりませんよ、トリシア。自分はただの兵士です。あなたたちの平和を守る存在なのですから」

 階級が違う人間にさげすまれることはあっても、これほど親しく声をかけられたことはない。

 軽い混乱状態におちいっているトリシアは、先輩添乗員のエミリの名前を心の中で連呼する。だがエミリは助けてくれそうになかった。

「……勿体もったい無いお言葉です、ルキア様」

「……むずかしいですかね、自分の名前を呼び捨てにするのは」

 しょんぼりと肩を落とすルキアは、どこにもいさましい軍人の印象がない。かっちりとした帝国軍の軍服が

「友人とまではいきませんが、どうか気軽にしてください。帝都まで長いですから」

「かしこまりました」

 頭をさげると、彼は残念そうに悲しくなるような表情を浮かべる。本気なのだろうか? それとも、からかっている? わからない。

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