2020.11.1~2020.11.15
旅人の持つカメラという道具には、景色を絵にする力があった。私はこの草原の向こう側にたくさんの国があることを知った。
(行ってみたい)
その思いは暮らしを侵し、色を奪った。取り憑かれている――父は私を殴った。違う!――生まれて初めて反抗した。それは十六にして芽生えた意志だった。
(2020.11.1)
「この消毒液、通販で買ったんだけど、従来品の三倍の威力らしいぜ」
「胡散臭いな」
「お前みたいな毒舌家にも効くんじゃないか?」
「効くわけないだろ。馬鹿か」
「ものは試しだ。食らえっ」
「おい、止めろ……うっ!」
友人はあっという間に溶けてなくなった。わー本当に効くんだー。
(2020.11.2)
細くて長いきみの舌。さくらんぼは器用に結わえるくせに、ぼくの舌だけは捕まえられない。ムキになって暴れるのを、からかうように焦らすように。ぬめらかな鬼ごっこはいつも同じ結末だ。湿る吐息に白旗の気配を読み、ぼくは自ら舌を差し出す。きみは獣の声で呻いて、唇でしゃぶりつく。
(2020.11.3)
コーヒーを淹れる。あなたが去った部屋に新しい香りをつけたくて。別れたことに未練はないが、ほんの少し軽くなった薬指にはまだ慣れない。くっきり残る輪の跡に、妙ないら立ちを覚える。早く消えてしまえ。かりかりと爪を立ててみても、私自身が痛むばかり。わけもなく目が潤んでくる。
(2020.11.4)
キキキピー!世界一有名な交響曲の冒頭を奏でるは、物まねオウム。しかしその音程は怪しく、上がるわ下がるわ裏返るわ……。
「止めよ!!」
突如天をも揺るがす大喝が響いた。
「これ以上私の作品を汚すな!聴こえていないとでも思ったか!」
偉大なる楽聖は雲間からオウムを睨みつける。
(2020.11.5)
「きみはお客様のためを思って仕事をしていますか?」
鼻で嗤った。新しい上司は営業の心得をご存知ないらしい。実績を上げて利益を出す、そこでは客は二の次、儲けるためなら手段を厭わない。綺麗事は通らないのだ。
「私はそういう人を評価しません」
上等だ。なら結果を出してみろよ。
(2020.11.6)
かつて人は知恵を、鬼は力を供し、助け合って暮らしていた。
ある時、人同士の諍いから死者が出た。罪を恐れた人は鬼のせいにしようと、死体を料理に混ぜ食わせてしまった。不運にもその味は鬼にとって極上で、欲に呑まれた鬼は人を食うようになった。
鬼は人がため魔に堕ちたのである。
(2020.11.7)
混迷極める大統領選挙は、不正投票をめぐって再集計となった。そして、
「俺が?何で?どうして!?」
この、フリーターが当選したのである。管理者も戸惑いながら、
「我々にも分からん。なぜ投票用紙にきみの名があったのか……しかし結果は結果だ。憲法に則り、きみは今日から大統領だ」
(2020.11.8)
行商人は窮地に立たされていた。絶対に防ぐ矛と絶対に貫く盾、どちらが勝つか、好奇の目から逃れる術はない。
(ええい、ままよ!)
行商人は右手と左手を、
記述はここで終わっている。この後世界が再構築され、結末を記すことができなかったからだ。安易な気持ちで理に踏み込むなかれ。
(2020.11.9)
みそ汁を作る。具材はわかめと、とうふだけ。だけどあの味にはならない。同じものを使っているのに、たどり着けない。たぶん台所の暗がりや、夕焼けのまばゆさが足りないのだろう。あの日あの時だけに存在した、かけがえのない調味料。寂しさと希望を混ぜて、私は私だけのみそ汁を作る。
(2020.11.10)
コーヒー豆ひと粒ずつ、きっかり60を数えたベートーヴェンは、ミルのハンドルに手をかけた。厳かな回転と共に、振動が指先から掌、腕を通り、心臓に響き始める。聴覚を失った彼が、自ら奏で、聴くことのできる唯一の音楽。譜面には書き表せない芳しき調べは、楽聖の内側にだけ流れゆく。
(2020.11.11)
私の頭には、ひまわりの種が詰まっていた。夏の盛りには太陽を求め、頭蓋骨を引っ掻いたものだ。罪悪感からキャンバスに艶姿を描いたりもした。しかし耳を切り落としたことで彼らは解き放たれ、天に向かって大輪を咲かせた。安堵と同時に、何か大切なものを失くしたような気もしている。
(2020.11.12)
暁をかき乱して
かもめが海を渡る
その白く膨らむ腹に
縦一条の線が走ったのを
彼女は気づいていない
線は喉から性器までを繋ぎ
赤く色づき
べろりと生皮が剥がれた
羽毛は風に散り
脱け殻は水平線に
吸い込まれていく
かもめは
肉もあらわに羽ばたいて
自らが赤い一条の線と成り果てた。
(2020.11.13)
修復された聖母像が話題になっている。元の面影は消え失せ、猿か蛸かという有り様だ。世間の怒号に呑まれながら、修復を請け負った芸術家は苦悩の中にいた。
「どこが悪かったんだ?元通りにしたのに……」
そう、彼の認知する世界は、我々とわずかにズレていたのだ。悲劇はここにあった。
(2020.11.14)
フラれた。好きな子がいるんだって。後で知ったが、相手は学校いちばんの才女。最初から勝機はなかったのだ。朝焼けが泣き腫らした目に痛い。傍らで眠る愛犬を撫でる。ねえロイ、人間は傷ついて傷ついて、それでもまた誰かを好きになるらしいよ。私も、そんな薄情な生き物になるのかな。
(2020.11.15)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます