2020.7.16~2020.7.31

 煤にまみれた顔の中で、目だけが忙しなく動いている。三階建ての鐘楼を焼き落とした女は、その動機を「鐘に会いたかったから」と述べた。

「憧れだったんです。でも私は足が悪いから登れません。だから降りてきてもらいました」

 女の声は揺らぐ。地面に激突した鐘の轟きを浴びたせいで。

(2020.7.16)



 安すぎた。都心の駅から徒歩3分の2LDK、それが相場の半額以下という。もしや事故物件では……大家は何もないと胸を張るが、疑念は晴れない。そのうち妙な気配を感じ始め、入居者はひと月後に退去した。

 これで、5人め。

(本当に何もないのに)

 大家は嘆く。“うつろ”に生じる怪は始末が悪い。

(2020.7.17)



 有名な詐欺師が逮捕された。騙した規模は世界の半分、口先ひとつで国が建つとまで言われた男を、各国の首脳はこぞって見物に訪れた。

 そのたびに、

「よお、先生」

「先生?」

「俺の技は、あんたたちの街頭演説から学んだのさ。最高の教材だよ」

 首脳は俯き赤面する。詐欺師は爆笑する。

(2020.7.18)



 負けるのは嫌いだ。やるからにはいちばんになりたい。だけど負けるのは怖くない。当たり前だ、そうじゃなきゃ勝負なんかできない。鋼のメンタルを存分に発揮して、何度でも立ち上がり続ける。涙の味は毎回違う。むせながら喉を潤し、爪に食い込む土をそのままに、私は勝ちを掴みにいく。

(2020.7.19)



「噂は聞いてるぞ」

 肩に手が置かれ、心臓がびくりと跳ね上がる。

(バレた……)

 インサイダー取引、やはり隠し切れるものではなかったか……もはやこれまでと、私は全てを白状した。不思議と胸がすっとした。

 一方の上司は、

(う、ウソだろ……俺は夫婦円満の秘訣を聞こうと思っただけなのに……)

(2020.7.20)



 ねえ、愛はどうやったら死ぬの?


 心臓をつぶしたら?

 それでも頭は

 あなたを考えるだろう

 脳髄をつぶしたら?

 それでも手は

 あなたを求めるだろう


 ぐちゃぐちゃの

 肉の塊になった

 わたしを見て

 あなたはきっと

 こう言うだろう


「きもちわるいんだよ」


 ああ、

 それも、

 悪くないかも。

(2020.7.21)



 私が暮らす町は線路を挟んで北に農村地帯、南に工業地帯が広がる。北から南を見れば田園から煙突が突き出し、南から北を見れば工場から山が覗いているといったあり様だ。隣接した異世界――そこには必然的に見えない壁が生じ、私と彼との恋は決して実らないはずだった。

 ……はずだったのに。

(2020.7.22)



 ガダルカナル島の北、アイアンボトム・サウンドでは凪の夜、潮風に鉄が軋むような音が混じって聞こえるそうな。漁師たちはかつて沈んだ戦艦の恨み節だと言う。実際、沈没地点が動いていたり、観測船のレーダーに巨大な物体が映り込んだりしているが、いずれも詳しい調査はされていない。

(2020.7.23)



「ねえ、ママ」娘はマニキュアを塗った爪を吹きながら、

「籍はいつ入れるの?」

 皿を洗う手が止まる。娘には彼氏と何度か会わせている。

「あたしのことなら気にしないで。わたし、あの人にならママをあげてもいいよ」

 生意気を――しかし言葉が出なかった。口元がほころぶのを必死で隠す。

(2020.7.24)



「ねえ、ママ」娘はマニキュアを塗った爪を吹きながら、

「籍はいつ入れるの?」

 皿を洗う手が止まる。娘には彼氏と何度か会わせている。

「さあ、考えてないわ」

 私は嘘をついた。

「ふうん」娘は立ち上がり、

「じゃあわたしがもらうね」

 皿がシンクに落ちる。リビングのドアが閉まる。

(2020.7.25)



 きみはソファに長々と身を横たえて、初夏の午後にまどろんでいる。むきだした白いふとももの眩しさ。触れる勇気はないから、妄想の中に遊ぶ。ゆるみ出した頬にぶち当たったのは、文庫本。

「このいくじなし」

 きみの目は笑っている。唾を飲み込んで伸ばした手を、しなる足が蹴り飛ばす。

(2020.7.26)



 心霊スポットには、霊のしわざと認識される現象が必要不可欠だ。そこで私の出番となる。風土や歴史を調べて、最適の現象を“設置”するのだ。理由は様々だが、いずれにせよ人の欲で作られたものなのだ。

 もちろん、そうじゃないものもある。

 それは“ほんもの”だから、近づいてはいけない。

(2020.7.27)



 ペン先ひとつで家が建つ。雨が降る。鳥も泳ぐし猫も飛ぶ。人だって死ぬ。

 ならば小説家は神か?

 否。

 自ら綴ったものに心動かされるなら、それは人間の証。心動かされぬなら……やはりそれも人間の証。神は綴らない。思うだけ在るだけで満たされているようなものに、小説など書けやしない。

(2020.7.28)



 戦争で滅びた惑星。ただ一人生き残った小説家は、それでも書くことを止めない。黙々と動かされるペンは、架空の文明の幸福な盛衰を紡ぐ。いつの日か訪れる知的生命体に、この小説を真実であったと思わせるために。彼は決意したのだ。この星の運命を変えてやると。宇宙すら騙してやると。

(2020.7.29)



 人は死ぬと21g軽くなる。これは魂の重さというのが通説だったが、最新の研究により知性の重さであることが分かった。死によって思考や言葉を失うのはこのためなのだ。では魂は死してなお肉体に留まるのか?探求者たちは再燃するが、識者はある可能性を提示している。

「魂は存在しない」

(2020.7.30)



 自らの身体を使った切断マジック……奇術師の鮮やかな技に誰もトリックを見抜けない。それもそのはず、本当に種も仕掛けもないのだ。彼女は不死身だった。死ねない我が身を呪い、自殺を繰り返した果てに辿り着いた、生きるための道だった。切り離した頭を小脇に抱え、万雷の喝采に応える。

(2020.7.31)

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