2020.6.16~2020.6.30
街角で保護された少女は怯えていた。口にするのは“アプフェル”という言葉だけ。やがてドイツ語だと気づき、翻訳アプリを使って話しかけた。
「Was bedeutet “Apfel”?」
少女の震える手が上がる。人差し指が、部屋の一角を向いた。
真っ赤な林檎。
まるで、初めからそこにいたかのように。
(2020.6.16)
ニミッツ級航空母艦セオドア・ルーズベルトは駆逐艦隊の護衛を受け、大西洋を東へと進んでいた。 甲板上はおろか格納庫内にも機影は見当たらず、それは異様な光景だった。積み荷は1m四方の鉛の箱一つのみ。そしてそのたった一つの積み荷が、10万トンの排水量を誇る船足を鈍らせていた。
(2020.6.17)
変わり種も変わり種、ついに現れた“惑星のゾンビ”。さまよい、星を飲み込んでは仲間を増やしていく……桁違いの被害にいくつもの文明が匙を投げた。すべての生物が絶えた後、彼らは悠々と自転を始めた。
ばちん。
すべて消えた。ひと飲みだった。上には上がいるものだ。
“銀河のゾンビ”。
(2020.6.18)
ペンシルベニア州の農村を写した、一枚のカラー写真。何の変哲もなさそうだが、この写真が撮られたのは1904年、当然まだカラーフィルムなど存在していない。しかも表面に付いていた指紋は1993年にマドリードで死去した写真家のものと一致している。これが世紀の謎と言われる所以である。
(2020.6.19)
振り込め詐欺の被害に遭った80代の女性。息子を名乗る男から電話があり、3000万もの大金を騙し取られた。しかし彼女の息子は10年前に他界していた。
「分かってたんですよ。でも……でもね」女性の声が揺らぐ。
「あの子が、帰ってきてくれた気がして……」
警察官は震えた。憐みと、怒りに。
(2020.6.20)
懲りないウソつき少年、狼の腹の中で村人への復讐を思いついた。
「僕の声で誘き出してやるよ」
狼は喜んだ。家の玄関に立ち、口を開けて少年の顔を出す。しかし少年、ついうっかり、
「狼が来たぞー!」
驚いた村人は銃を乱射。狼はカンカン。引きずり出された少年は土深く埋められた。
(2020.6.21)
紫陽花の上で、かたつむりが泣いていました。そこへなめくじが声をかけました。
「どうしたね」
「家を落としちゃったんだ。君も?」
「俺は元から宿無しさ」
「それは悲しいね」
「さあな、それに泣いたら縮んじまうから」
かたつむりは恥ずかしくなり、しおしおと縮んでしまいました。
(2020.6.22)
今や文化として定着した“ネット墓参り”。遠方・自粛も関係なし、偲ぶ心のひとつのかたちとなった。
さて、寺の管理サイトでは訪れた人の数をカウントしているが、近頃誤差が生じることが多いという。ログを見るといずれも誰もいない時間帯。どうやらご先祖様たちも参り合っているらしい。
(2020.6.23)
後輩がきびきびと会議を回している。この前まで新入社員だったのに…成長ぶりに目を見張る。私の10年前はどうだっただろう。仕事には愚直に取り組んだが、創意工夫はなかったように思う。それで何とかなった時代は終わったのだ。今からでも遅くはない、頭を柔らかく、背伸びしていこう。
(2020.6.24)
夜空に一閃、次いで響いた轟音が街の眠りを破った。雷は銀行の裏に落ち地面を抉った。人々は自然の猛威に震えたが、このとき起こった奇跡を知る者はいない。その瞬間、その場所には強盗たちが集っていた。彼らは自身でもよく分からぬうちに、跡形もなく消し飛ばされてしまったのである。
(2020.6.25)
行かないで、そばにいて――涙の訴えはドアの音に断ち切られ、私は月曜日の朝に取り残される。あなたのかたちに凹んだベッド。そこに漂うぬくもりをこね回して、昨夜の狂態を再演する。観客は無愛想な猫一匹。あられもなく果てた後にすすり泣きの終幕。猫はというと、砂場で用を足している。
(2020.6.26)
きっちり仕事を終えて帰宅すれば、パートナーが大好物と共にお出迎え。食後にコーヒーを飲みながらケーキを半分こ、よもやま話に花が咲く。何度繰り返していても、やっぱり今日だけは特別だ。長い旅路の途中に建つ、私だけのマイルストーン。今日もどこかで、誰かがハッピーバースデー。
(2020.6.27)
江戸を騒がす大泥棒、“狐小僧”。貧者からは盗らず、血は流さず、気づけば金が消えている……その手口に火付盗賊改も舌を巻いているとか。
「どんな面してんだろね」
話し込む女房の脇を、陰気な娘が通り家に入る。戸を閉めるや一変、どかりと胡座でほくそ笑む。
その内股には、狐の入れ墨。
(2020.6.28)
レースのカーテンを捨てた。風にそよぐそのさまが、夏の日のあなたを思い返させるから。波打ち際で、帽子に軽く手をやりながら、あなたは微笑んでみせたね。甘い思い出にすがるのはもう終わり。いま窓辺に揺れるは黒地のドレープ。まるで喪に服す女のように、青ざめた表情で佇んでいる。
(2020.6.29)
真っ赤に灼けた太陽が水平線に溶けていく。サーフィンと女の子に明け暮れた80年の日々には、いつもこんな太陽がいた。初めてキスした帰り道を目映いばかりに輝かせた。フラれた帰り道をこの世の終わりのように照らした。足元に伸びる影法師だけが変わらない。あの頃と同じ猫背のままで。
(2020.6.30)
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