襲来?
影は、樽のような体形の中年男性となって、私の目前に現れた。
薄汚れた判袖の服を纏い、丸々とした腹を揺らしながら、男はダンジョンをゆっくり眺め回す。
心臓が早鐘を打つ。ダンジョンに初めての侵入者が現れたのだ。
と、男の身体全体がかしいだ。
なんだか様子がおかしい。
男は2、3歩よろよろ進むと、ダンジョンの壁に手をついた。
男の埃っぽい顔は、全体的に赤みがかっている。
どう見ても酔っ払いだった。
私が気付くのと同時に、男の肩が不穏な上下運動を始める。
あ、これショーショーが抜け毛シーズンによく見せる、例のムーブだ。
私はたまらず顔を背けた。眼鏡からレンズを取り外し、大きくため息をつく。
こういう方面でショックを受けるのは、ちょっと、予想してなかったよ。
ーーー
コトが十分に落ち着くであろう時間まで待った後、恐る恐るダンジョンを覗き込んでみると、男は壁にもたれるよう座って眠り込んでいた。腹の動きからして、かなりうるさいイビキをかいていそうだ。音が聞こえなくて本当に良かった。
数匹のネコウミウシ達が、遠巻きにそいつを眺めてうにうにしている。男をどう扱うか戸惑っているのだろうか。
例のブツの着弾予想地点には、何の痕跡も無かった。
もし豪快に跡が残っていたら、どうやって掃除したものか、すごく迷っただろう。ホッとしたが、何で床面が無事だったのか、ちょっと不思議にも思う。
とりあえず、酔漢の幸せそうな寝姿を見ていたら、全てがバカらしくなってきた。
欠伸をひとつ。
今日は私も、寝るとしよう。
ーーー
手には買い物カゴ、耳には気の抜けるテーマソング。仕事帰りのスーパーで、私は調味料コーナーに足を向けていた。
ダンジョン立ち上げ初日に、余るかもと考えながら、1kgの食塩を2袋買っていた。
あれから6日、私は塩をほとんど使い切ってしまっていた。
という訳で、私は今日も塩を買う。
事情を知らない人が見たら、食塩中毒を心配されそうだな。そう思いながら、塩のコーナーにずらりと並んだ中から、1番安い1kg食塩の袋を選び、カゴに放り込む。これが最も食塩含有率が高いのだから、お財布に優しくてありがたい。この1kg塩が、棚には3列も使って陳列されていた。在庫が切れることは無さそうで、ありがたい。
ついでに惣菜コーナーに寄る。揚げたての唐揚げを見つけてカゴに入れ、ストロングなチューハイも何本か補充する。家にまだウィスキーと炭酸水が残っていたはずだから、ハイボールにしても、旨いかもしれない。迷いどころだが、明日が土曜日である以上、酒の在庫はいくらあっても良いというのが、私の持論だ。
会計を済ませて一路、帰宅。
今日は楽しみなコトがあるのだ。足取りも軽く、あっという間に家の玄関までたどり着く。
「ただいま、ショーショー」
声を掛けたが、今日のレディは定位置にいらっしゃらない。視線を向けると、ダンジョン育成用の円筒容器の隣に、もっふりと香箱座りをしていた。
ショーショーの喉元をくすぐりながら、円筒容器を覗き込む。
「出来てる出来てる」
薄灰色の結晶がコロンと入っていた。予想通りだ。
身支度を整えてから、ピンセットで結晶をつまみ、観察ビンに移す。
猫の手が届かない位置に設けたダンジョン置き場には、同様のビンが既に、2つあった。
今回出来上がったこいつを含め、私は、ダンジョン飼育キットで作れる上限である3つ分、ダンジョンを完成させたことになる。
ひとつは、初回。キットのオプション全部入りのダンジョン。
ふたつ目はあえて、全てのオプションを省いて、必須だと説明書に書かれていた3つの袋、SWとLSとWWのみでつくったダンジョン。
そして、この3つ目は、オプション品を「適量に」入れる事に挑戦してみたものだ。袋自体を入れるか入れないかお好みで、と書かれたいたWFとACは入れてある。それ以外のオプションは、袋の半分だけを入れるに留めた。
これで変化を見比べれば、ダンジョンが出来上がる仕組みが、少しは分かるんじゃないかな。
「さて、実験の成果はどうなったかな」
買ってきた唐揚げと、冷蔵庫の残り物を適当に並べながら、鼻歌を歌う。
今日は、3タイプのダンジョン比較をつまみに家飲みだ。
グラスに氷を放り込んで、指3本分の深さまでウィスキーを注ぐ。冷蔵庫で冷やしてあった炭酸水を並々注いで、静かにかき混ぜれば、全ての準備が整う。
眼鏡の左側にレンズを装着して、私は椅子に座る。ショーショーが喉を鳴らしながら近寄ってくる。この1週間でレンズを付けた姿に慣れきったショーショーは、もう逃げ出すこともない。
ショーショーを膝に招き寄せて、この世の天国は完成する。
膝で丸まる猫。冷えたハイボールと十分なつまみ。趣味の時間。
グラスを傾け、さわやかで複雑な風味をひとくち楽しんでから、私は観察ビンを取り上げた。
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