ダンジョン観察

 部屋の電気を切ると、ダンジョン結晶が内側からホタルのように輝いているのがよく分かった。何となくだけど、生きているって感じがする。

 部屋の電気を付け直し、ビンをそっと、高いところに置く。言うまでもなく、ショーショー対策だ。

 塩から出来たんだから、しょっぱいのかな? ふとそんな疑問が湧いたけど、結晶にもなるべく触らない方がいいらしいので、試すのは止めておく。大体、薄灰色の結晶だから、見た目不味そうだ。

 さあ、この中にはどんな世界が広がっているんだろう。

 私はすっかり飼育キット用具入れと化した靴箱を漁り、観察用レンズを取り出した。

 懐かしさすら覚える、青色プラスチックの枠。最初は小さ目の虫眼鏡だと思っていたのだが、このレンズには持ち手がなかった。

 代わりに、時計のリューズみたいなツマミが3つと、ちゃちな作りのクリップがある。全部プラ製。とてもチープに見える。

 説明書曰く、レンズについたクリップを、眼鏡の縁に挟んで使用するらしい。キット購入時に、眼鏡用か裸眼用かの選択肢があったのは、この為だったんだ。

 右眼と左眼どちらにつけても良いようなので、利き眼の左に付ける。

 ビンを手に取り、くるりと机に向き直ると、目が合ったショーショーが、ビクリと背を揺らして廊下に逃げ出した。失礼な。

 気を取り直して、椅子を引き寄せて座る。目の前にダンジョン結晶の入ったビンを掲げた。

 左の視線がぼやけた灰色の像を結ぶ。

 視野の端で、真っ白な何かが這うように蠢いていた。

 私は説明書の記述を思い出す。確か、3つのつまみの一番上が拡大と縮小、真ん中が奥行きの調整、下がピント合わせだったはずだ。

 学生時代の顕微鏡操作を思い出しながら、ゆっくりとつまみをひねる。ピントが一瞬合って、直ぐにまたぼやけ、そしてまた像が結ばれる。

 ほの暗い洞窟の真ん中で、白猫がにゅっと頭をもたげていた。白い長毛。ちょっぴりショーショート思わせる。

 が、いやーー猫じゃ、ない。

 きょろきょろ見回す顔には目がなく、もっふりと毛が生えているだけだ。一瞬、猫耳だと思った頭上のものも、耳の構造をしていない、ただの毛の突起だ。ネコの口元とマズルらしき部位も一応あるけど、肝心のネコひげが生えていない。

 そのネコモドキは頭らしき部位をのっそり下ろすと、芋虫のようにもそもそ這い出した。

 足もないし、尻尾もない。モップみたいな、ひょろ長い、もふもふ。

 まるでなめくじーーいや、ここは見た目の可愛らしさから、ウミウシと呼びたい。そのネコウミウシは、視界の奥、洞窟の通路へ向かって、もっふもっふとはい進んでいく。

 そいつの動きを追っていくと、洞窟の奥には同じ白毛のネコウミウシが、群れになってめいめい動いていた。天井に引っ付いて丸くなっているもの、這い進むウチに仲間の身体に乗り上げているもの、頭をもたげたままじっと静止しているもの。

 やっぱりどこか猫じみていて、でも、猫じゃない。

 私は真ん中のつまみをゆっくりと回した。視界がゆっくり動き、まるで洞窟の中を前進しているように、眼に映る光景が動き出す。

 天然とおぼしき、でこぼこした壁が続く洞窟内には、白いネコウミウシの群れがちらほら点在していた。

 ここはネコウミウシの楽園か何かだろうか? なんだか、猫好きな私の心を反映したような生物圏が、目の前で展開されている。どうしてこんなダンジョンが出来上がったんだ?

 お、1匹だけ、黒い色のネコウミウシが混じっている。あっちには、灰色が数匹群れている。ただ、圧倒的多数は純白だった。灰色の壁によく映える色合いなのに、厳しい(?)ダンジョン内でも生きていけるのだろうか。

 奥行きのつまみをさらに回す。洞窟が上り坂や下り坂にぶち当たると、動かし辛い。

 試しに縮小のつまみを思いっきり回してみると、ダンジョンは灰色の結晶内に、アリの巣のようにぐねぐねした迷路を形作っていた。

 おや、枝分かれの先端に、小部屋状の膨らみが、いくつか出来ている。

 私はそのうちの一つに目を向けながら、拡大のつまみを回す。

 十分な大きさに見えるまで調節して、ピントを調節すると、黒と赤の禍々しい空間が目に飛び込んできた。

 その部屋は真ん中にいくにつれて階段状に盛り上がり、中央は円形の舞台になっていた。舞台には翼の生えた女神像が鎮座している。

 女神像の手前に置かれた細長い台。あれはーー。

「ーー祭壇?」

 そう思ったのは、女神像の前でネコウミウシたちが、うにうにと輪を作っていたからだ。

 時に頭をもたげて前後左右に揺り動かし、かと思えば、円陣を維持しながら右回りにグルグル、左回りにグルグル、祈りだか踊りだかを捧げてる。

 なんの儀式だろう? そう思って眺めていると、女神像前の祭壇がカッと光を放ちーー中から、新たなネコウミウシが現れた。

 ネコウミウシ、こうやって増えるのか。

 誕生したネコウミウシも踊りの輪に加わり、儀式は続いていくようだ。

 それにしてもこの部屋、洞窟の中だというのに、両開きの木製ドアまで付いている。入り口に目を向け、ふと、気づく。

 何か紐みたいのが地面に向かって伸びている。

 結晶を持つ手の角度を微妙に変えて確認すると、地面の下に埋もれた機構であっても、よく観察する事ができる。

 ドアの下にはちっちゃな空間があって、そこに木の板が鈴なりに下がっていた。

 鳴子だ。扉が開くと作動する仕組みなのだろう。

 それなりに重要そうな部屋だし、トラップもあるんだな。扉を開けたらうねうね周ってるネコウミウシが、一斉に襲いかかってくるのだろうか。

 結晶をずらして観察していくと、地面の下には所々、トラップが仕掛けられている場所がある様だ。

 あれは爆薬、こっちには落とし穴。ネコウミウシだらけの洞窟だが、こういうところはちゃんと、ダンジョンしてる。

 ん? 地面に大きめの空間がある。

 みたところ、洞窟のどの通路にも繋がっていない、孤立した空洞のようだ。中にはキラキラ輝く金銀宝石に装飾品、そして大量のもふもふが群れていた。

 またネコウミウシか、と思ったがちょっとだけ違う。ここに居る生き物は球形に、猫耳風の突起だけがついている。とうとう口も無い。そんなのが何匹も、ころころ、ころころ、部屋中を転がっている。たまに耳部分が下になってへにょんとひしゃげても、気にする事なく、ころころ、ころころ。ネコウミウシより動きが素早く、忙しない。

 これは亜種か何かだろうか? ボールみたいに転げてるから、ネコボールだ。

 ここは、隠し部屋なのかな? こんなものまで出来るんだ……。

 しばらく、絵に描いたような財宝の山ともふもふころころに見惚れていると、物陰からふわり、と細長い影が向かってきた。

 洞窟内で初めて、毛が生えていない生き物を見た。

 ふよふよと宙に浮かぶ、つるりと半透明の、これまた手足のない生き物だった。胴体はネコウミウシの半分程の細さだが、長さは、宙にくるりと大きく円を書いても、まだ尻尾が見えてこないほど長い。顔から2対の、ナマズの髭じみたものがたなびき、額と思しき位置に、青い水晶みたいな器官がひとつだけついている。

 ボスっぽい見た目だし、ボスとでも呼ぼうかな。

 そいつは余裕綽々といった動きで、財宝の上を泳ぐように飛び回っている。

 と、そいつの顔と思しき側の先端がぱっかり口を開けて、床に積み上がった財宝から、宝石をひとつ咥える。

 そのまま、首をスナップさせてポイとどこかに放り投げた。投げられた宝石の煌きが、隠し部屋の壁を貫通してどこかに飛んでいく。

 待って、それ、どこに行くの。

 必死にレンズでピントを合わせて、小さな煌めきを見失わないようにする。

 それは壁を3枚ほど難なくすり抜けて、そこにあった箱にスポンと飛び込む。粗末な木製だけどーーこれは、宝箱か。

「……宝箱の中身って、アイツが補充してるのか」

 さっきの龍もどきは、意外と雑用係だった。ボスじゃ無いなアレは。ハコガカリとか、そんな感じだ。

 しかし、やっぱりダンジョンだけあって、宝箱も置かれているんだな。私は少しレンズを縮小させて、ダンジョンを見回した。お、ここにも置かれてる。こっちは罠付きで、箱の裏側に1匹のネコボールが隠れていた。かかる奴が居なくて暇なんだろうか、左右にゆーらゆーらと揺れている。

 そうか、ダンジョンを攻略する者が居ないんだ。

 それに思い至り、キュッと心臓が縮んだ気がした。通路中をのったのった蠢くネコウミウシ達。それを害する存在が入り込んでくる可能性に、どうやら少し、動揺している。

 攻略者が入り込むとしたら、どこからだろう?

 ついと視界を縮小させて、ゆっくりダンジョンを見渡す。

 ーーあった。迷路に何カ所か、明るい点のような場所がある。

 そのうち一つを拡大してみると、膨大な量の光が洞窟へと流れ込んで来ているのが分かる。光の向こう側は、どんなに目をこらしても見えない。これがダンジョンの入口だろう。

 明かりを嫌うのか、周囲に動くの気配はない。

 次の光点へ目を向けようとしたとき、ふと、光が陰った。

 入口を半ばふさぐように、黒い影が立っていた。

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