第21話


 冬の流星群の季節になると、今度はテルが身体の調子を崩した。と言えば良いのかどうかは解らないけれど、成長した。退行したトワと別に、テルは成長するらしい。すっかりメルクのお姉さん状態になっているのを見ると、笑えるやら何やらで取り敢えず口元を隠さずにはいられなかった。それをつついたのはトワで、ぶっと笑いを漏らすと、メルクにちょっとだけ睨まれる。でも涙目だ。涙目で睨まれても何も感じない。

 貯金は順調に貯まったので、バイク便のバイトは辞めた。もう来てくれないの、とえにしちゃんに涙目で言われ、百合籠翁にお小遣いをちょっとだけ貰って遊びに出てみた。勿論場所はすてらだったから、千円分の駄菓子なんてすぐにいっぱいになったけれど。しかしうまい棒めんたい味五十本買い占めはすごいと思うよ……いくら好きでも五十本は自信がない。と言ったら、すぐだよー、と言って袋を開けたえにしちゃんは、本当にすぐにぺろりと平らげてしまった。すごい、子供の新陳代謝ってすごい。おねーさん思わず恐怖したよ。

 金平糖のアソートを一袋買ってぽりぽり言ったり舐めたりしながらその様子を眺めていた私に、トワはどうしたの、と耳打ちして来る。私はあっけらかんとバイト辞めるからその記念、と答えた。辞めちゃうの!? とトワに驚かれながらも、トワに見せたのは鞄に入れっぱなしのテキストだ。大特用のハウツー本。トラック野郎になるの、と問われてまだ解んない、と答える。お祖母ちゃんちでコンバイン野郎になるかもしれないし。コンバインってなーに、とえにしちゃんに問われて、口元の食べかすを拭ってあげながら、農作業機械の一種だよ、と教える。香苗お姉ちゃん農家さんになるの、と問われると、これまた答えは同じだ。まだ解んない。きょときょとしたえにしちゃんは、首を傾げて訪ねてくる。

「まだ解んないのにバイク屋さん辞めちゃうのって、怖くない?」

「父親が現役だし、貯金はあるからまだそんなには怖くないかな」

「コンバインって強い? 私も乗れる?」

「ちょっとややこしいところがあるれど、勉強すればえにしちゃんも乗れるようになるよ、あと、大人になったらかな」

「お父さんは今のお仕事弟に継がせるつもりで、私には好きな所にお嫁に行っていいよって言うけれど、コンバインは格好良いなあ……」

「あら、でもそんなことしたら――」

 ちらっとトワを見る。きょとん、とした顔をされる。あう、とえにしちゃんは顔を赤くして私を甘く睨んだ。でもそんなのじゃ怖がってあげないのが、悪い大人なのだ。私は悪い大人である。成人式前だからまだ子供か? どっちにしろ、この子より人生経験を積んではいるのだ、いぢわる出来るぐらいには。

「ね?」

 にっこり笑ってえにしちゃんを見る。

 彼女は新しいうまい棒を開けて、もそもそ食べ始めた。

 いやしかし、胸やけもせずよく食べられるな、そんなに。うまい棒を。

「香苗お姉ちゃんの意地悪……」

「でも離れるのは嫌でしょ」

「嫌だけど、嫌だけどー」

「だったらアプローチするのも手だぜ! 若人!」

「カナちゃんも十分若人たけどね」

「そう、そしてあんたはおっさんよ」

「ちょ、確かに結構な歳だけど、おっさんはなくない!? それは失礼じゃない!?」

「えにしちゃんより十五は上でしょ、軽く」

「ぐぬぬ」

「そうだったの? エトワールさん、小さい頃はどこにいたの? ねえ、教えて教えて!」

 無邪気な眼に流石のトワもたじたじになる。普通だよ、と言って、普通ってなあに、と返される。財閥のお嬢様にとっては普通も珍しいものなのだ。多分お金持ち学校行ってるだろうから、ハワイに別荘があったりするから。軽井沢に別荘があるって言うのは聞いたことあるな、そう言えば、百合籠家の共同財産として。家族で集まったり、のんびりしたりするそうだ。ブルジョワジー溢れるぜ。

 あー、とどう誤魔化したら良いのか、トワが考えんでいる。それを見ているのが楽しい私は、ちょっと意地悪ではあるかもしれない。やっぱり悪い大人なのだろう、私は。

「小さい頃は、あちこちを転々としてたよ」

「あちこち?」

「そう、あちこち」

 天文単位のあちこちね。

「大人になってからやっと落ち着いて。ここで駄菓子屋さんしてたお祖父ちゃんの後を継いで、こうしてる感じかな」

「ふーん……?」

 今は落ち着いてる部類なのか。私も初耳なことをえにしちゃんはぐいぐい突っ込んでいくから、子供の好奇心って怖い。

「あちこちってどこ?」

「うーん、あちこちはあちこちだよ。僕自身もよく覚えてないぐらいあちこち。ぶつかったり欠けたり色々あった。それで今の僕の形になった」

「かたち?」

「そう、かたち」

「難しくて解んない……」

「あはは、えにしちゃんはそれで良いんだよ。いつか百合籠君が話してくれるだろうしね」

「私も百合籠! 百合籠えにし!」

「じゃあ、弐遠君かな」

「ぶーっ……」

 鼻をぴーぴー言わせるえにしちゃんの膨らんだ頬を、トワはつついて空気を抜いて行く。よし、美人さん、と言われて、彼女はちょっと頬を赤くする。小学五年生はもう女の子なんだぜ……適当に誤魔化すと刺されるから気を付けなさいよ、トワ……。思うだけ祈りながら、私は金平糖の方を見に行く。よく見ると小さなラベルが貼ってあったけれど、外国語でしかも英語じゃないっぽくて解らなかった。

「フランス語?」

 ブルジョワジーの小学生に下から見上げられて、多分ね、と答える。ドイツ語はウムラウトがもっとあるはずだし。多分フランス辺りで合ってるだろう。

「えにしちゃんは、意味わかるの?」

「全然。ちょっとお喋りは出来るけど、本とかは読めないし、辞書も何だか解りにくいんだもん」

 お喋りできるのかよ、すげーなブルジョワジーは。こっちは英語でさえぎくしゃくすんだぞ。すげー。こえー。幼少時の教育環境って本当に大事なんだな、こえー。

「エトワールさんは知ってるよ、お星様だよね?」

 ちゃっかりアピールの子供にフーセンガムを膨らましていたトワがこくっと頷く。って言うか店のもん食うなよ、ほんっとうにどんぶり勘定な店だな、もー。

「ちなみに妹さんもいるんだよ。こっちはシュテルンちゃんって言うんだけど、意味わかるかな?」

「語感からしてドイツ語かな……やっぱり星?」

「ざっつらいと。すごいな、語感で何語か解るんだ」

「えへへー」

「すごいねえ、えにしちゃんは」

 トワに褒められてぽほぽぽぽっと赤くなるのは、見てて微笑ましい。例え彼女の思いが叶わないかもしれなくても、この思い出が優しいものになったらいいなと、私は思い、願った。本当に、本気で。そして私にとっても、こんな時間が続けば良いな、なんて余計なことも思う。私だって、思い出になりたい。トワの、えにしちゃんの、楽しかった思い出になりたい。えにしちゃんに会う機会はきっと格段に減るだろうから、その為にも、私は彼女の良きお姉さんであったと記憶されたい。我儘で傲慢な押し付けだけれど、心から、そう思う。

「あのね香苗お姉ちゃん、ありがとう」

「へ?」

「香苗お姉ちゃんがいなかったら私、ただのお客さんの一人だったと思うから」

 夕方まで駄菓子屋で食べたり遊んだりした後で、えにしちゃんはお迎えの車に乘って去って行った。またね、と言い残して。

「子供は可愛いよねえ。カナちゃん、僕の子供産んでみない?」

「デリカシーのないジョークは嫌いよ、私」

「はぐっ」

 掌底で顎を突き上げられたトワは放っておいて、私も表に止めていたバイクに向かった。さーて今日の分のテキストはどこまで進めるかなー。


 まあそんなこんなでそれ以来、図書館に行くと偽って私はステラに入り浸りだ。真面目に勉強をする日もあれば、みんなと一緒にカードゲームに興じることもある。ウノは数字カード以外は残しちゃダメです、と教えてくれたのもテルだった。って言うか。すごいなそのバスト。ぼんっきゅっぼんじゃないですかテル姐さん。実際ああなるにはあと何千年かねえ、と言っているトワにも、あんな小さい頃があったんだから、当然なのか? そう言えば昭和ウルトラマンと昭和ライダーしか持ってないのはどうしてだろう。訊いてみると、ああ、とこともなげにトワは答える。

「先代の爺ちゃんが昭和派だったからさ。ライダーは苦悩の末にブラック無印だけ買ってくれたよ」

「ゴルゴムの仕業じゃなかったのか……」

「時間の波も掴まえたいのにねえ。そっちはそっちでブルーレイに撮り溜めてるけど」

「結局好きなだけなんじゃん」

「夢があるじゃないか。横浜開港百五十周年記念の超ウルトラ八兄弟なんて人類がM78星雲を目指せる時代になったと涙が止まらなかったよ」

「まあそれは確かに感動的かもしれない……」

「横浜って知らないし赤い靴の女の子もよく解んなかったけどね」

「感動半減!」

「まったくだよ。思わずググっちゃったさ」

 うわー、異世界人がググるとか言い出してる……最近ここが本当に異世界なのか疑問に思い始めてるけど、異世界なんだなあ。太陽の上らない。流星たちの街、ステラ。ここを見つけた人はどんな人だったんだろう。ステラって何語だっけ。イタリア辺り? となると思いつくのはレオナルド・ダ・ヴィンチぐらいなんだけど。

「うん、そんな名前のお爺さんだったよ」

「マジかよパねぇなレオナルドさん」

「星の街なんてファンタジーに一番初めに迎合してくれたのが彼だったね。他の人は気が狂ったりして大変だったよ、向こうに戻すの。そう思うとカナちゃんや百合籠君みたいな人は柔軟性がある。夢があるって言ってもいね」

 夢が無いからなれるのが星の観測者。

 夢を誰よりも求めてるのは、彼自身なのかもしれない。

「はい辛気臭い話ばっかしてないの! はいカナちゃんにはコーヒー牛乳、トワにはショットガンね!」

「うーい」

 テル姐さんの言葉に、トワはガン! とカウンターにコップを叩きつける。正しい飲み方だと解ってはいるんだけど、ちょっと怖いのも本音だ。ううう。コーヒー牛乳が美味い。

「あ、私そろそろ学校の時間なんで帰りますね」

「ええ、がんばってらっしゃい! 一発合格を目指すのよ!」

「頑張ります! トワ」

「はい、お迎えしますとも」

 ぐいーっとショットガンを飲み干したトワは、ちょっと複雑な足取りで、バルを出る。私はスニーカーを脱いで座敷に上がり、ハーフヘルメットをかぶってモンキーで教習所に向かった。


 テキストの方は事前に予習していたのもあってほぼ完璧だったけれど、実技は難関だった。内輪差とか子供の影とか解んないし。視線がいつもの倍以上に上って言うのは自分自身にとっても恐怖だった。それでもちっくりちっくりなんとかクリアして行って仮免まではいったけれど、そんな免許を生かす場所もない。と言ったら、だったらお祖母ちゃんの所で練習してきなさい、と言われた。いやお祖母ちゃんの所ももう稲刈りとか終わってるでしょ、と言ったら実はまだらしいんだ、と聴かされる。腰を痛めて農繁期に刈り切れなかったそうだ。なんでそんなこと黙ってたのと問い詰めたら別に話すことでもないしと両親にもにょもにょされる。家族間の情報遮断は禁じ手だと思う。

 と言う訳で、私は千葉に来ていた。評判は悪いけれど解り易いマスコット、チーバくんに導かれて国道を走っていく。途中でラーメン食べたりしながら辿り着いたお祖母ちゃんの家では、杖をついて出迎えられた。まだ寝てなきゃ厳しいらしいのを、無理して寝かせてマシンの借り方やらだけを聞いて農協まで飛んでいく。

 私道だから殆ど人がいなくてそれは安心だったけれど、農業機械って言うのは初めてでちょっと緊張した。レバーも多い。でもテキストに載っていたことも多いから、私は半分ほどしか稲刈りが終わっていないお祖母ちゃんの田んぼに機体を入れた。がりがりざりざりと呑み込んでいくのは、結構心地良い。

 三十分ほどの作業ですべてを終わらせて、脱穀してからマシンを返しに行く。帰りはモンキーだ。最近は単車よりこっちの出番の方が多い。手軽だし身軽だ。さて、ここからは自由時間。駄菓子屋でもないかなーと思っているところで。


 私は見付けてしまった。

 その字を。

 『駄菓子屋すてら』。


 青い看板は東京にあったのと殆ど変わらない。でもなんでこんな所に? 偶然にしては出来過ぎている、思いながら私はモンキーを降りてキーを抜き、中を覗き込む。星空みたいな金平糖のケースが並んでいるのも同じ、鈴カステラやフーセンガム、うまい棒が売ってるのも同じ。何より誰もいない座敷に昭和ウルトラマンと昭和ライダーのソフトがあるのが一番の特徴だった。ブラックで止まってる辺り、とっても。

 ゴルゴムの仕業か? 頭がぐるぐるしていると、おや、と後ろから声を掛けられる。

「お客さんがいたとは気付かなかったな、ごめんよ、すぐに会計するか――ら……」

 そこにいるのはもちろん、保志エトワール。

 トワも私のことを見て、茫然としているようだった。

「……ここ、房総半島だよね?」

「うん……」

「千葉だよね?」

「うん」

「なんで、あるの?」

「それは色々な理由で今は言えないけれど……カナちゃんこそなんで千葉に」

「お祖母ちゃんが腰痛めてて刈り切れてないお米刈りに来たの」

「そんな偶然……」

「教えてよトワ。なんで私達、ここで会うの?」

 諦めたように溜息を吐いて。

 トワは鈴カステラの袋を取り、私に隣に座るよう促して座敷に腰掛けた。

「元々すてらの位置って言うのは曖昧なんだよ。その時に空いてたお店にするッと入り込んだり、長年やってる駄菓子屋に入り込んだり。千葉では一応ここが拠点だけど、東京にも千葉にも他にお店はある。実のところ」

 ご機嫌に初耳だった。

 東京にも他にあるって……、結局見付けようと思えば来れるってことじゃん。そんなの。鈴カステラのグラニュー糖をざりっと噛んでから、私はまさかのすてらチェーン店状態に頭を抱えた。しかもおばーちゃんちの近くとか。ほんっと、偶然って怖い。信じらんない。昼行燈だと思ってたけれど、だったら結構収益あるのか? そう言えばハンバーグは百パーセントビーフだったな。ブルジョワか。いやあれはテルが買って来ていたのか。どっちにしろブルジョワか。

 色々付いていけなくて頭をぐらぐらさせていると、地元の中学生と思しきいがぐり頭君達がこっちを見ているのに気付く。ひらひら手を振ると。ぴゃっと物陰に隠れられた。多分女っ気ないんだろう、普段は。それがこんな所に作業着のおねーさんがいるから驚いて? おねーさんも驚き中よ、一緒に驚きたいから入っておいで少年達。

「場所によって客層も違うのね」

「オフィスビル街だとサラリーマンが多いよ。懐かしの味を求めてやってくる感じかな。こういう所だと小学生から有閑マダムまで色々」

「マダムいんのかよ……」

「いるよー可愛がってくれるお婆ちゃん達」

「マダムすぎるわい!」

 思わず突っ込みを入れる。

「って言うか、トワは一人なのよね?」

「ん? んー」

「え、そこ迷う所なの?」

「自己観測するとどこにでもいるからねえ。スピカが五連星なのは知ってる?」

「一応……」

「あんな感じ」

「どんな感じっ!?」

「ま、どこにでもいてどこにもいない。みたいな感じかな」

「訳解んないよ……ほんと宇宙人だよ……」

「知らなかったっけ?」

「知ってたけどさあ」

 知ってたけどこれは無いんじゃないなあと思うのが私だよ。

「大丈夫、情報は全部共有されてるら聞き漏らしたことはないよ。カナちゃんにピンクの金平糖は売らない。ジロー君には白い金平糖しか売らない」

「げっ」

 いがぐり頭君が一人出て来る。

「なんで俺のことが出て来るんだよ、トワ!」

「いけなかったかい? ても本当だろう?」

「カノジョさんとの話に出すのがおかしいってんだよ」

「カノジョ」

「おやいつの間にか恋人になっていた。ピンク売ってなくて良かったよ。トゥンクってされるところだった」

「いやしねーよ」

「しちゃうんだよ、心が繋がる色だからね。ここらの女学生にはすてらの金平糖のピンクをプレゼントすると恋が叶う言われている。中々素敵だろう?」

「素敵かもしれないけど、結局私に売らない説明にはなってないよね?」

「そんなことは」

 肩を竦めるトワに、ジロー君とやらが耳打ちしてくれる。

「こうなったらこいつ絶対喋りませんよ」

「やっぱり? 何となくそんな気はしていたんだけれど」

「あ、俺、芥辺次郎丸って言います」

「保志香苗です」

「保志……まさかカノジョさんじゃなくて奥さん!?」

「何ぃっ!?」

「違います! 偶然苗字が同じなだけ!」

「ほんとかな……」

「でもトワだぜ……」

「カノジョ若いしな……」

 ひそひそしている子達に途方に暮れた気分になる。ああもう全く。やってらんない。なんだってこんな所でトワを見付けてしまったんだろう。少なくともこの青い看板を見付けなければ、地元の学生達にひそひそされることもなかっただろうに。

 鈴カステラをもむっと口に含む。グラニュー糖のざりざり感が美味しい。美味しいことが気に食わない。ぴょんっと座敷から立ち上がって。私は金平糖の方に向かう。あっ、とトワが声を上げた。

「カナちゃんピンクだけは駄目だからね!? それだけは守ってね!?」

「仕方ないから守りますーッだ。赤は良いのよね?」

「うん、赤なら」

 ぽっと頬を赤らめる意味が解らず、一袋分ざーっとプラスチックのスコップで詰める。番台に持って行くと、金の針金で口を閉じてくれた。百円ね、と言われて財布から五十円玉を二枚取り出す。いつものやり取りだけどこのトワは私の知ってるいつものトワじゃなくて、千葉担当のトワらしくて、でもトワはトワであるらしくて。じゃーね、とモンキーを転がしていくと、外にいた中学生たちに羨望の眼差しを向けられて、実に複雑な気分になったのだけど、あんまり遅くなるとお祖母ちゃんにも心配掛けちゃうし、夕飯の支度もしなきゃだし。お祖母ちゃん何が嫌いって言ってたっけ。まあ嫌いなものは冷蔵庫に入ってないだろうから良いだろう。とにかく今は早く、家に帰ることを優先しよう。二・三日泊まって行っても良かったんだけど、こんな重大問題抱えたまま呑気に眠れる気もしない。

「ああ、駄菓子屋さんのねえ。トワちゃんだったら私も知ってるよ、たまに買いに行くと懐かしいお菓子も並んでるからねえ。でも一番はやっぱり、金平糖だねえ」

 夕飯時のお祖母ちゃんに訊いてみると、やっぱり一年ぐらい前に出来て、今ではすっり村に馴染んでいるらしい。一年前。百合籠翁が懇意にしていた先代が亡くなった頃だ。星屑になって。流れ星になって。

 その頃から売りは金平糖で、それは今も変わらないらしい。ふうん、と息を吐いて、私はほうれん草のお浸しを食べる。お祖母ちゃん特製の自家製醤油は美味しい。

「あそこの金平糖はねえ、昔から金平糖言葉があるって言われててねえ。花言葉みたいに。全部は覚えてないけど、ピンクは女学生時代によく買いに行ったもんだよ。もちろん先代のお爺ちゃんの頃だけれどね。私ゃそのお陰で祖父さんと思い合えたんだって信じてるぐらいさ」

 くすくす笑うお祖母ちゃんは、女学生みたいだった。

 夜も更けてお祖母ちゃんもしっかり眠ったことを確認してから、私は鍵を掛けて徒歩ですてらに向かう。シャッターは降りていたけれど裏口は知っていたので、そっちから入った。きょとん、と座敷でポテチなんか摘まみながらシルバームーンとブラックの最後の対決に見入っていたトワが、ぽかん、と口を開ける。って言うか。ポテチを食うな。あるなら店に出せ。私も大好きコンソメパンチ。

「え、え、カナちゃん夜這いは嬉しいけれどまだ時間が早いんじゃないかな」

「遅いぐらいだよ。何本見てたんだ。それより、昼の話。もうちょっと詳しく訊かせて。なんでトワはそんなにいるの?」

 うーんとテレビを一時停止して、トワは頭を掻く。

「僕は星の観測者だ、って言うのは話したよね」

「うん」

「多角的に見れる、ってことは、多角的に見られる、って言うことでもある」

「うん……?」

「だからどこにでもいられるし、どこにもいない」

「いるじゃん」

「カナちゃん」

「ここにちゃんと、いるじゃん……」

 いることをいないとは言わないで。

 本当にいなくなってしまった人もいるのだから。

 先代とか、お兄ちゃんとか。

 いるんだら、言わないでよ。

 いないなんて、言わないで。

「マイナスな意味じゃゃないんだよ。それを言ったら先代だって、君のお兄さんだって、まだこの世にいる。その死が展望できないような光年先では生きてるんだ。オリオン座が消えてもその最後の光が届くのに数年掛かるように。僕は幸いまだちゃんといるけれど、いない所にはいられないんだよ」

 アラスカとか北極圏とか。

 茶化すように笑って見せるから、悲しくなる。

「とにかく明日は東京のすてらに戻って、色々訊くから。覚悟してシルバームーンの微妙な関西弁聞いてなさいよね」

「せっかく気にしないようにしてたのに! カナちゃんの鬼!」

「私の強さにトワが泣いた」

「それ二十年ぐらい後――ッ! って言うか何気に詳しいね!?」

「世代なもんで」

 んべっと舌を出して、私はまた徒歩でお祖母ちゃんの家に戻る。

 しかし千葉も狭くない。明日は朝から強行軍だな……。


 朝五時からお米をちょっとだけ貰ってモンキーを転がし、私は午後に都内に入る。下町は道がちょっと複雑だけど、カ-ナビがなくたって自分の家の位置ぐらいは覚えてた。まあちょっと曖昧な所はあって冒険だったけど、所々で止まって携帯端末の地図アプリを見れば怖いこともない。商店街に入る前に乗騎を降りて角を曲がれば、あるのは東京の『すてら』だ。ごめんなさいまし、と声を掛けて入ると、はぁい、と奥からトワが出て来る。げっとした顔をされたのは気のせいじゃないだろう。昨日の今日であそこのここだ。ハーフヘルメットを外してじろりとにらんでみると。三白眼になるからかちょっと怯えられた。怯えるなよ未成年相手に二十代後半が。見かけの歳は二十七・八でしょーが、おにーさま。

「何怯えたツラしてんのよ」

「ツラって女の子の言う言葉じゃないよカナちゃん……」

「まあ取り敢えず、時間の波を捕まえるところら始めましょうか。……すてらが全国規模になったのは、先代のお爺さんが亡くなってから?」

「流星になってからだね」

「あの子達はあんたが星の観測者で、星の街の住人だって知ってるの?」

「そんなわけないよ。全国でも知ってるのは三・四人。そのうちの二人がカナちゃんと百合籠君だ」

 百合籠翁を君付けで呼ばれると、なんか変な気分だなあ。前から思ってたけど。

「随分簡単に見せたように思うけれど」

「いざとなったら金色の金平糖を使えば良い話だしね」

「悪人」

 はあっと息を吐く。

 文明の利器に頼ると人は退化するんだぞ。とは、言えないか。鉄腕ドライバーとしても、穏便に惜しまれつつ退職したバイク便屋としても。

「何で」

 そう、最大の謎。

 何で。

「何で私には忘れさせなかったの?」

 そうしたらあそこで駄菓子屋を見付けたって、何にも思わなかったろうに。

 あーうー、言いにくそうにトワは頭を掻いて見せる。いつもの何か韜晦するような時には見せない癖だ。本当のことを言おうとするから出る癖、ってのも珍しい。嘘吐きは優しさなのか。えにしちゃんに何も言わないことも、私にすてらがどこにでもあることを言わなかったのも。嘘じゃない、言わないだけ、ってことがこいつには多すぎると思う。テルやメルクにすら常に何かを隠している。

 疲れないんだろうか。訊けば多分こう言うだろう。

 『僕は星の観測者だからね』、って。

 知らないことが少ない。皆無な訳ではない。実際千葉のすてらのご近所さんが私のお祖母ちゃんであることは知らなかったし、私がいつか助けた迷子の女の子だってことも忘れていた。頭で考える。胸で考える。どっちも正しくてどっちも間違ってる。足して二で割ってもやっぱり答えは正しくない。正しさなんてどこにもない。真っ黒に塗りつぶされたのっぺらぼうの思い出。やっぱり思い出せないその顔、髪、眼。認めはしたけれど効果は無くならないマジック。星の街はロジックとトリックとレトリックで出来ていると言っていた。それも嘘だったんだろう。呼吸をするように嘘を吐ける。そう言う奴なんだろう。悲しいけれど責められない。長すぎる寿命を持つ彼を責める権利が、私にはない。何もかも本当のことばかり言っていた方が気が狂うような相手に、責めるような言葉なんて。せめて視線で責めてみるけれど、そんなのは無駄だろう。この星の眼に届くには何光年の旅が必要なのか。私の思いなんて届かないだろう。想いなんて、届かない。

 上目遣いになって、足元で下駄をからころ鳴らしながら、トワは私を見る。

「言っても笑わない? 怒らない?」

「うん」

「カナちゃんが面白いところに星持ってて」

「うん」

「可愛い子だったから」

「……」

「本当にどっちもされないのは良いけど無表情に責めるのも止めて! 本当なんだからしょうがないじゃない、フルフェイスのヘルメットから茶髪がぶわっと広がって頭振ってる可愛い子が出て来たんだもん、驚いたし見惚れたしちょっと可愛いって思っても! 大体あのバイク乗りこなす女の子とか格好良すぎだよ! 仮面ライダーに育てられた僕は大いに憧れたんだよ!」

「ただのバイクですけど。ホンダの。バイクはホンダに限る」

「そういう男らしいとこ大好き! だから、忘れさせられなかったの! お兄さんのことは忘れちゃっても、ここのことは忘れないように魔法を掛けたんだもん、あの時の金平糖!」

「毒薬持たされてた気分で気持ち悪いわ」

「ひどい!」

「ところで百合籠翁の星ってどこにあるの?」

「右脇の下」

 そりゃ見えねーな。

 しかし可愛かったって、あの状況で呑気に思ったられたのかこいつは。暴走族崩れが店の前で吹かしてて、荷物が届いても無事でいられるか解らない所で、番傘一本で。まったく解らないわ、その心境。番傘じゃあいざという時にホイールに挟むことも出来ないし、ぶつけて転がすぐらいしかできないじゃんさ。まあそれであの男バイクに一生乘れなくなったそうだけど。大腿骨辺りイったのかな。

 そう、この店の前。まだ半年ぐらいしか経たないけれど、ちょっと昔に感じられるあの日。私は暗号を輸送していた。えにしちゃん渾身の暗号を。

「香苗お姉ちゃん、エトワールさん」

 ふと、懐かしい声に呼ばれて振り向く。

 いたのは真っ黒なワンピース。

 喪服姿のえにしちゃんだった。

「……お爺ちゃんが亡くなったので、付いて来てください」

 ぺこりと頭を下げられて驚いたのは、流石にトワも同じのようだった。


 少し時間を頂いて高校卒業の時にあつらえた喪服を着、私はすてらに向かう。前では行儀よくちょこんとえにしちゃんがベンチに座っていて、コーラグミを食べているらしかった。トワの着替えは、と覗いて見ると、流石に洋装で黒いネクタイをしている。こうしてみるとチャラさはあんまり感じない、ピシッとした外人のお兄さんだった。海運業をしていたからそれでも参列者の中で気目立たないだろう。真珠のカフスを付けて、私は自分がフェイクパールであることがちょっと恥ずかしくなる。まとめた髪が落ちて来ないように走って来たけれど、やっぱりちょっと解れてしまっていた。まとめ髪は難しい、私みたいな不器用には。

 えにしちゃんに連れられて二人と商店街を出ると、そこには黒塗りの車が停車していた。多分百合籠家の物だろう、タクシーみたいに綺麗なそこに乗り込んで、私とトワとえにしちゃんで車は発進する。バイク便を辞めてから、そう言えば滅多に行かなくなってたもんな。その間にどこか悪くしていたのだろうか。それとも患っていたものが悪化したのだろうか。何も言えない中で聞きたい言葉は溜まっていく。

「お爺ちゃんに流星街のことは聞きました。あまり深く関わってはいけないことも。でもエトワールさんには来て欲しいだろうし、香苗お姉ちゃんにも会いたいだろうから。忙しい時に、ごめんなさい」

「ぜ、全然忙しくないよ。その、ご病気は?」

「心臓発作です。珍しくないですよね、傾奇者が好きだったお爺ちゃんにしたら」

 くす、と小さく笑う声が前の席から響いて、いたたまれない。

「僕に会いたいかな、果たして、百合籠君は」

「エトワールさん?」

「だって僕は、星屑駄菓子店を踏み潰してきた存在だ。僕の代になってからは滅多に向こうの街にも行かなくなった。果たして僕は彼に対し何を思えば良いのか、解らないよ。謝罪か、開き直りか」

 一応持っていた香典袋には、何も書いていないらしかった。

 私も自分の名前をお母さんに書いてもらうのが精いっぱいだったけれど、トワはもっと複雑なものを抱えているのだろう。一年前に星屑になった先代と、百合籠翁の友情に対して。

「お爺ちゃん、喜びますよ。エトワールさんが来てくれたら、きっとすっごく喜びます。だってエトワールさんに貰った金平糖、金庫の中に入れてたぐらいですから」

「金庫に?」

「大事だったって、ことだと思います。推測しか出来ないけれど、きっと多分、それが本当のことなんだろうって」

 キィ、とタイヤがゆっくり止まって、見慣れた屋敷の見慣れない姿が目に入る。百合籠弐遠葬儀会場。見える所は白黒の幕で囲まれて、広い庭ではすすり泣きする人も多かった。ドリンクは温かいものを出していて、それを受け取って少し身体を温めてから私達も玄関ホールに入る。

 百合籠翁の棺桶は、その中央に置かれていた。

 顔を覗き込むと、穏やかにしているのが救いに思える。トワを見上げると、無表情だった。私は何だか居た堪れなくて、お線香を置き、庭に戻る。温かいお茶のペットボトルが何本も用意されていたのは、百合籠翁の遺言らしい。暑い時期には冷たいジュースを。寒い時期には温かいお茶を。翁らしい気遣いにやっと涙がこぼれて来た。薄いお化粧だけど、流れたら目立つだろうから、目頭を押さえて流れるのを堰き止める。ちょっと色んなことがあり過ぎた。昨日今日と、ちょっとキャパオーバーしても良いだろう。鼻の下も抑えて、鼻水が垂れないようにする。トワはまだ出てこない。

「君、何をしているんだ!」

 厳しい声が響くのに、玄関ホールへと戻ると、トワが金色の金平糖を持っているのが見えた。そしてその腕を掴む、えにしちゃんのお父さん。喪主さんだろう。奥さんとは早くに死に別れた、って聞いているから。

「お好きだったので、一粒差し上げようと思っただけですよ。余計なことでしたら失礼を」

「……すてらの、店主君とは君のことかい?」

「はい」

「なら構わない。父も懇意にしていたようだし、えにしも喜ぶ」

 では、と顎を軽く開けさせ金色の金平糖を入れる。

「……何て思わせたの?」

 ぽつりと庭に戻って来たトワに問いかける。

「すてらはすてらにならなかった、ってさ。星屑駄菓子店のままだった。先代もまだ生きてる内に、自分の方か先に星になったって」

 死体にも思わせることは出来るんだろうか。思っていると、きゅ、とスカートを掴まれる。えにしちゃんは震えながら、トワを見上げていた。

「私の時には、しないで下さい。全部思い出持って、お星様になりたいから」

 死ねば星になる。星は星屑になる。星屑は流星になる。流星は光って、消える。

 人は二度死ぬと言うことだろうか。お経を聞きながら末席を汚しつつ、私はトワを見上げた。足が長いな、と今更思う。そう言えば着流しも帯の位置が高かったな。外人さんなんだなあと今更思う。異人さん。星人さん。異星人さん。異世界人さん。

 私が死んでもトワには連絡が行かないようにしなくちゃな、なんて思う。下手に記憶いじられるなんて御免だ。この微妙な恋心を奪われるなんて、絶対に嫌だ。コンバイン乘りまわして田舎のすてらにでも行ってやる。私は、絶対に。

 腹の奥に力を入れて、それがばれないようにぐっと手を引き寄せる。

 その手はいつの間にか掴まれていた。

 隣にいるトワを見上げる。

 泣いていた。

 一粒か二粒かは解らないけれど、泣いていた。

 仕方なく私は手を繋いで、お葬式の間中そうしてあげていた。


「やっぱり私じゃダメなんだね」

 ぽつりとえにしちゃんが呟いたのは、百合籠翁の旧書斎でのことだ。他の人間は事業に関するあれこれを取り仕切るために新書斎の方に行っている。

「えにしちゃん?」

「私じゃエトワールさんに、流星街に連れて行ってもらうことも出来ない。お祖父ちゃんを亡くした悲しさを解ってあげられても、それは慰めにもならない。私じゃなくて、その位置に来るのは、香苗お姉ちゃんなんだね」

「ぇあ」

「だったら、絶対幸せになってね」

「えにしちゃん、」

「絶対二人で幸せになってね」

 まるで呪いのようなその言葉に、私は頷けなかった。だけどえにしちゃんがにこっと笑ったので、その話はおしまいになった。

「あ、これこれ。暗号表ー、全部覚えたんだよ、すごくない? 私」

「あ、ああ、ポケベルか……昔はここに字が出たんだよ。カタカナとABC限定だったけれど」

「『結局はテキストに戻る物か』、ってお爺ちゃん言ってた」

「染みる言葉だねえ。私の時はガラケーすらもう古かったからなあ」

「がらけー? これのこと?」

「それはPHS。そしてこれがガラケー。スマホ……充電器と一緒に、きっちり取っておいたもんだねえ」

「お祖父ちゃん集めるの好きな人だったから」

「収集癖って奴? それにしてもこまめな」

「マメって言われるのも好きだったよ、お祖父ちゃん」

「これだけ集めれば感心もされるだろうしね。うおっiPod重っ」

「遊んでるのかい君達は……」

「トワ! ちょっと触ってみてこれ、重いから!」

「重っ! じゃなくて、そろそろ用事も済んだし僕は店に戻るんだけど、カナちゃんはどうする?」

「あ、あたしもじゃあ相乗りさせて欲しい。これ以上は親族の時間だろうから」

 ぽん、とえにしちゃんの頭を撫でる。

 昔憧れだったみどりの黒髪をした彼女は。すりすりっと私に二度ほど懐いてから、ばいばい、と手を振った。

 トワはその日、星の街に直行し、バーボンソーダをがぶ飲みにしていた。

 それでもどこかのトワは素面なんだろうと思うと。ちょっとゾッとした気分になった。

 何か、ドッペルゲンガーみたいじゃない。

「トワってば荒れてるねえ、何かあったのかい? カナちゃん」

「あ、テル姐さん。百合籠翁が亡くなったんです」

「そっか、もうそんな歳だったか。ここには何度も来てたから、懐かしいねえ」

「え?」

「ほら、街は街ごと移動するからね。流星になったら」

「あ、そっか、じゃあテルやメルクも知り合いだったのか」

「そ。結構前からね。そっか……どっかの星に乗れたら良いねえ」


 星になる。星に乗る。

 お兄ちゃんも星になったのだろうか。

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