第18話


 昼の仕事と夜の勉強でちょっと疲れ、窓を見上げると流れ星が流れた。ぼんやりしていた頭が一気に覚醒して、ゾッとする。机から金平糖のアソートを取り出して胸に押し付けると、そこはいつものバルの風景だった。因数分解さんも囲碁さんもいる。この星が落ちたんじゃなかったんだ、ほっとしているとみんなの視線が私に集まっているのに気付く。するとメルクが、私の腰にウェイターエプロンを巻いた。あ、そーいえばパジャマだったなって……意外とお尻が隠れるか否かのサイズだったなって思い出して……ぼんっと頭が爆発するように赤面する。

「ち、違って! これはその、違って、違って……」

「何が違うの? カナちゃん」

 ばっちり真横の席にいたのはトワだった。おっさん臭いニヤニヤ笑みを浮かべてる。見た。確実に見られた。裸足、シャツ一枚、下着がちらちら見えてる姿を。うぎゃあああと叫んでしゃがみ込みたい衝動に駆られるけれど、それじゃあ人目を集めるだけだろう。帰ろう、そっと帰ろう。でもどうやって? 鍵はない、家は施錠済み、そしてこの恰好ですてらから家まで歩くのはほぼストリーキング。地獄だ。頭を抱え込んでいると、兄さん、テルの声が聞こえる。

「あまりいじめちゃダメですよ」

「いじめてないよ、いじってるだけ」

「流星が……流れ星が飛んでくの見えたから、もしかしたらここが変わっちゃったんじゃないかって……」

「おやまあ、心配好きだねえ」

 くっくとバーボンソーダを呑んでいる、トワはちょっと酔っているらしい。私の腰を抱き寄せて胸元にこめかみの星をすりすりと擦り付けてくる。ちょっと。やめて。ほしいんですけど。ミニスカパブかここは。

「でも言ったでしょう、流星になることは光栄なことなんだよ。ちょっとだけ星空は乱れるけれど、その乱れが醸し出す火が良いんだ、夜にちゃんと輝けたなら、それは流星として本望ってもんだよ、カナちゃん」

「でも……」

 それでも出てしまう、『でも』。

 幸せだとしても、ここが失われるのはなんかヤダ。

「そうじゃぞ嬢ちゃん、わしらはむしろその星が羨ましい」

「囲碁さん」

「夜に落ちて嬢ちゃんに見付けてもらったんなら、それはそれで行幸もんじゃ。まあ、人には落ちたくないがの!」

 げらげら笑うみんなに、それでも私はまだまだ流れ続けて欲しいと願ってしまった。

 それがどんなに我儘なことだと解っていても、私は。

 ほんと……ここに染まっちゃってるなあ。不味いぞ私。

「カナちゃん、こっちこっち」

 珍しく(と言うか初めて?)メルクにカナちゃん呼ばわりされると、巨大な冷蔵庫があった。メルクは自分の下顎の裏の星に金平糖をくっつけて、そのドアを開く。

 そこには私の部屋が広がっていた。

「ここから帰れるから……」

「あ、あの、エプロンは洗って返すから」

「気にしないで、何枚も持ってるものだから」

「手作りっぽいからテルが作ったんでしょ? だったらちゃんと、返します」

「君は律儀だ」

「そうでもないです」

「さ、怪しまれないうちに早く」

「って言うかメルク、なんで私の部屋にピンポイントで? 金平糖工場の裏じゃないとダメなんじゃなかったの?」

「これ」

 胸元からメルクが出したのは、星のダウザーだった。私の部屋に方にぴんっと糸を張っている。

「こう言う使い方も、出来る。結構便利雑貨」

「良いなそれ、私も欲しい……」

「君は、すてらの人」

 にこ、と笑われて、その笑みの意味が解らずに私は首を傾げてしまう。でも早く、とせかされて。はいっと返事をしてしまった。返事をしたからにはうだうだやれない。

「色々ご迷惑掛けました……」

 ぺこりと頭を下げて、私は私の部屋に戻った。


 流星を恐怖する自分に気付いてしまったのは、たったの今だ。笑って見送って欲しいという彼らに対してこれは背徳的な感情だろう。そこまで言わなくても裏切りに近い。だって知り合ってしまったのだ、仕方がないだろう。楽しんでしまったのだ、仕方がないだろう。楽しんで――親しくしてしまったら、その消失は嫌になる。

 後ろからブーッとクラクションを鳴らされて、私はやっと信号が変わっていることに気付く。慌ててアクセルを踏み込み、直進した。バイトでもトップなのだ、あんまり向こうのことばかり考えてもいられない。私は私の時間を考えなくちゃならない。彼らの旅は何十光年単位だ、とは言っても無限ではない。私の人生とチキンランだ。先代の駄菓子屋のお爺さんは死んでしまった。いや、光になってしまった、と言った方がまだ救いがある。救い。彼らはそんなもの必要としていない。思っているのは残されるかもしれない私の方だ。欲しいのは救い。ではそれは何だろう。テルやメルク、トワの存在だろうか? 彼らは少なくとも私より長く生きるだろうから。でも因数分解さんや囲碁さんがいなくなってしまうことは変わらない。花は永遠に咲かないし、星は永遠に瞬かない。解ってる。解ってるつもりだ。でも。そう、『でも』なんだ。

 そんなことを相談できる人は、今の所一人しか思いつかない。

「そうじゃな……わしも先代とは仲ようやってたつもりだったからなあ」

 百合籠翁は言って、遠い眼をする。

「突然店名が変わって、エトワールが店長に納まっているのを聞いた時は、びっくりしたもんじゃよ。先代は、と訊いたら流星になった、と言う。しかも淡々と。昼間だったから見えなかったでしょうね、と言われた時は、流石に膝から崩れ落ちた。解ってたつもりなんじゃ。いつかその日が来るのは、知っていたつもりじゃった。じゃが、不思議と、どこかの空からは煌めいていたかもしれない、と思うと、それは救いじゃったようにも見えた。地球の大気は流星が観測しやすいしの。だからそれだれけが、救いじゃった」

「その……百合籠さんは、いつ、彼らと知り合ったんです?」

「いつだったかのう」

 目を細めて百合籠翁は昔を懐かしむような仕種を見せる。

「空襲の時は防空壕代わりに使わせてもらったこともあった。普通に飴やガムを買いに行ったこともあった。年が行ってからは、長話するのが楽しくて、一日入り浸ったこともあった。そう、人生の節目節目でいろんな体験をした。成人したら酒を飲ませてもらったし、還暦になったら特製のワインを貰ったこともある。子供や孫が生まれたら金平糖の詰め合わせ。子供が成人したらブランデー。孫が出来たら梅酒。本当に優しい思い出を、いくつも貰った。いくつ、も」

 百合籠翁の眼からポロリと涙が落ちる。慌ててハンカチタオルを差し出すと、すまんな、と目頭を押さえられた。八十年近い付き合いの星屑。その最後は看取れなかったという。私はどうなってしまうだろう。例えば十年後。例えば五十年後。姿の変わらない彼らをおいて私の方が先に星になっちゃうかもしれない。それは怖くない、不思議と。我儘だな、と私は自分の左胸の下の星を押さえる。頭で考えてないな、今は。心で考えてる。駄目だと思うのに、そうなってしまう。

 私が星になったら彼らは悲しんでくれるだろうか。否、誰から伝わるわけでもないし忘れられちゃうだけだろう。彼らが星になったら、私はトワにそれを聞かされるだろう。星の観測者。先代は違ったのだろうか。何にも負けない屑星では、無かったのだろうか。流星と一緒に消えたのなら、流星の一部だった? その頃のトワは何だったんだろう。まだ星の観測者じゃなかった? メルクやテルはバルの従業員だっただろうけれど、トワは?

「あの……バルの店員は、メルクとテルでしたか?」

「ああ、あの無口な兄ちゃんと可愛い嬢ちゃんだったよ」

「トワは」

「あれは鬼子じゃろう」

 ふっと目を伏せて、百合籠翁は呟く。

「季節に合わせて姿まで変える。それはテル嬢ちゃんも同じじゃが、突然現れて当たり前の顔でそこにいるのは、多分鬼子じゃ。わしはそう思う。と、嬢ちゃんの前で言っちゃならんな」

「へ? 何でです?」

「嬢ちゃんの星が、エトワールを好いているようじゃからの」

 けらけら笑われて、私は胸を押さえて、え、え? ときょときょとしてしまう。自分からは見えない位置にあるから、星は不便た。トワのこめかみも、テルの頬も、メルクの顎の裏も。百合籠翁の星はどこにあるんだろう。否、それより星ってそんなに感情を駄々洩れにさせるものなの? 見て解るほどに? って言うか私はトワが好きなの?

 ぽこぽこ沸いてくる疑問符に顔を赤くしていると、百合籠翁はけらけら無邪気に笑う。

「ええのう青春じゃのう。じゃが嬢ちゃん、これは覚えておけよ」

 不意に厳しい声を出されて。椅子の上で背を正してしまう。

「あれらは人のように見えて、人にしか見えなくて、だが異世界の住人じゃ。深入りすると痛手を負う。そればっかりは、わしは同じ轍を踏んでくれるな」

「百合籠さん、」

「あんなに仲良くしなければ、と思うようなことは、やめておけ」

 それは。

 もう遅い、とは言えなかった。


 空色の金平糖の下には、小さなラベルがオ・ルボワール、と書かれていた。フランス語で、また会いましょう。の意味だったと思う。英語で言うならシーユーアゲイン。ピンクの下には短く小さな文字が、アムール、と走っていた。アムール。アモーレ。愛情だっけ。他のは読めなかったけれど、この二つは偶然知ってる単語だったから解った。アムール。愛を買った私はどういう位置づけになったんだろう。考えてもどうせトワは教えてくれないだろうし、しれっと教えてくれたとしても解りにくさ満点だろう。そういう韜晦癖が、トワにはある。黄色、黄緑、白。ピンク、紫。赤。まだまだ種類のあるそれらを、覚えるにはちょっと私の脳は量がない。いっそ写メっちゃおうかと思ったけれど、珍しく番台で私を見ているトワの視線を考えると、それは出来なかった。

 仕方ない。今日はフーセンガムとお母さん御所望のうまい棒を買って行こう。それでも五十円にならないなんて、私もしけた客だよなあ。

「あ、そうだ」

 私は鞄の中から、ビニールに包んで黒い布を取り出す。

「それ、メルクに返して置いてもらえる? 前の時に借りたんだけど、テルの手製っぽいから洗っておいたの」

「へぇ、あのテルがねえ。お兄ちゃんには着物一枚縫ってくれたことないのに」

「労力段チだからねそれ」

「くすん。何なら本人に渡して行けば良いんじゃないかい? 爺さん達が待ってるよ、ピチピチギャルを」

「言い方が古くてなおかついかがわしい、マイナス二十点。いや、しばらくは良いや、私」

「なんだい? 気にしてるのかい? 半裸で二度も現れたことを」

 そうだ二回目だったあれ。あの雇われ族やろー共め。思い出してへこたれると、トワはけらけら笑う。

「花に嵐の例えもあるぞ、さよならだけが人生だ」

「何それ……」

「先人の言葉さ。怖がってくれるぐらいなら顔出して行ってくれた方が嬉しい。僕は星の観測者だから何も言えないけれど、彼らは結構長生きするよ。だから遊んで行っても良いのさ、ちょっとぐらい」

 むー……。

 お見通しかよ。

「クロスワードパズルとか持って行ったら喜ぶかな」

「ピクロスの方が良いだろうね、地球の日本なんてローカルな場所ウズベキスタンの南東部、みたいな感じだよ」

「ちょっと本屋さん行ってから戻る! まだ閉めないでね、トワ!」

「はいはい」

 くすくす笑いながらひらひらと手を振るトワに手を振って、私はまだやってるぎりぎりの時間の本屋さんに駆け込んだ。

 百合籠翁の箴言は、何の役にも立っていなかった。

 あんなに一緒に居なければ。

 でも今が楽しいのだから。

 それが、私には嬉しいのだ。

「ほう、面白いもんがあるんじゃのー」

「マーカーと修正ペンも買ってきたら、良かったらみんなで遊んでよ」

「若い子は気が利いてええのー」

「あら、私達に対する嫌味ですか、それ?」

「そんなことはないので許してください、女王様」

 テルのこの店の位置づけって一体。

 女王様って。

 みんなけらけら笑ってるけど、結構すごい発言したよ? 今。

「……メルクは王様なの?」

 傍らでペスカトーレの盛り付けをしているメルクに訊くと、ぶんぶん頭を振られた。

「俺は下僕」

 ……自分の位置づけが凄く気になったけれど、墓穴掘りそうだからやめておいた。

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