第16話


 早朝マラソンと偽って家を出た私とテルは、公園の多目的トイレに二人で入った。異世界への入り口としちゃあちょっとロマンに欠けるかも知れないけれど、まあ知ったこっちゃない。鍵も掛けてないし、無害ではあるだろう。

 テルの星で出たのは、バルの入り口だった。私は中だったのに何でだろう、素朴に疑問に思っていると、思った場所に出られるんですよ、と教えられた。あの時私はこのバル全部に助けを求めていたのかと思うとちょっと恥ずかしいけれど、力持ちなお爺ちゃんばっかりだから、必然と言えば必然だったのかもしれない。

 バルを覗くと、ひと気は殆どなく、メルクがビールサーバーの掃除をしていた。からころ、と鳴ってしまったドアベルにメルクがこっちを見ると、眼を見開いて驚いた様子を見せる。私とテルと一緒に店に入り、とりあえずカルアミルクとコーヒー牛乳を頼んだ。慌ててマドラーを引っ張り出す姿がなんとも一つの店を任せるには不安だらけで、ちょっと笑ってしまう。やっぱりテルとメルクは二人一組なんだろう。ニコイチ、ってやつだ。表はテル、裏はメルク、決まっちゃってるんだと思う。もう、何年も昔から。

「メルク、訊きたいことがあるけど良い?」

 こくっと頷いたのは、質問者が私だったせいだろうか。

 でも私の質問はテルと同じなのだ。困ったことに。殆どは。

「テルのこと好き?」

 こくん。

「でも離れたい?」

 こくん。

「それは、自分が『惑い星』だから?」

「カナさん……?」

 予期しない質問に、テルがカルアミルクのグラスから口唇を離す。

 メルクは黙って、こくん、と頷いた。

「俺……は、」

 殆ど初めて聞くメルクの声に、私は興味津々になってしまう。

「テルと、添い遂げられない。色んなものがくっ付いて、大きくなり過ぎたから。次の宇宙には、……行けない」

「そんなのっ」

「テルは、まだ小さい星屑だから。何でも見える、から。でも俺は――違う。惑星に、なってしまった。同じじゃなくなって、しまった」

 フルール・メルクール。

 花のように儚い惑星になってしまったから。

 私はコーヒー牛乳をストローで吸い上げる。

「それで?」

「え?」

「だから、それが何なのかって訊いてるの。同じ時間を刻む同士でなきゃ思い合っちゃいけないって言うなら、私だってテルやトワと友達は出来ないよ。勿論、メルクとも」

「俺、?」

「友達でしょ? 一応」

 きょとんとされて、ぷっと笑う。恥ずかしそうに頬を赤らめる様子に、テルはそうだよ、とカウンター下で私の手を握った。

「同じ時間なんて誰も刻めない。私と兄さんでさえそう。なのにメルクは私から離れて行っちゃうの?」

「俺、は」

「ほんとのことを教えて。メルクは、私が嫌い?」

 ちょっと長めの前髪を跳ね飛ばしながら、俯いていた顔をメルクは上げる。

「嫌いじゃ、ない!」

「じゃあ好き?」

「すき、だ!」

「じゃあお兄ちゃん撃破計画、一緒に考えてくれる?」

 こくこく頷いたメルクに、私はやっぱり笑ってしまう。落ち着いて話すだけでこんなに簡単に解決する問題なのだ、男女間のあれこれってのは。そして。

 なぜか二人の眼が私の方を向く。

 テルの頬の星が、きらりんっと輝く。

「カナさん、お願いがあります」

「え……えぇー、嫌な予感しまくりなんだけど」

「でもお願いですっ」

 ずずいっと手を握られ顔を寄せられ、って、酒臭い! メルク、リキュールの配分絶対間違えてる! もしくはテル、酒癖悪い!? トワと同じで!? 黙って二人コーヒー牛乳にすれば良かったかも、と思っていると。反対側の手をメルクに取られて上目遣いに懇願される。あーもう。

「いーわよ、なんでもやっちゃるわ!」

 半ばやけくそで、私は啖呵を切った。


「そう言えばここの扉って元は何の扉なの?」

「金平糖工場です。でも私達みたいに星があったり金平糖を持っていれば、向こうとの通路になるんですよ」

「へぇー……」

 と、何度潜ったことのある帰り道への扉を、私はこんこん、とノックする。

 メルクとテルはそこから見えない位置にスタンバらせて。

 ば、っと扉が開くと、そこにいたのは当たり前だけどトワだった。当たり前じゃなかった方のトワは、私をきょとんと見詰め、はぁーっと溜息を吐く。

「テルにこっちに連れて来られたね、カナちゃん」

「うん、トイレの扉使って」

「ロマンがない!」

「そりゃないでしょ。人の恋路を引き裂くおにーさまには」

 ぐ、っと喉を鳴らして、トワは目を背ける。青い着流しは金髪とよく似合っていた。

「早く通って行きなよ。カナちゃんだって暇じゃないでしょ」

「今日は非番。だからトワ達に構ってられてるの」

「ガムならあげるから、もうちょっと一人にしてよ。あんまり人に会いたい気分じゃないんだ、今は」

「テルに嫌われたから?」

「ッ」

「おにーさまってばほんと、心が狭い。宇宙よりずっと狭い」

「……女の子に手を上げたくないので、早く出てってください。カナちゃん」

「やだ」

「やだって」

「やだ」

 繰り返すとトワははーっと溜息を吐き、何をどこまで聞いたの、と訊かれたから、こっちに来るまでのことを大体割愛して喋った。勿論、テルの気持ちまで欠かさずに。ちらっと見るときゃーっと顔を赤くしているテルをメルクが肩を支えている、と言うか抱き寄せている。他人に自分の気持ちを知られるのは苦手なものだ、誰だって。それを更に他人に吐露されるのは恥ずかしいものだ、誰だって。

「で、なんでカナちゃんはテル側に付いたの」

「私も割と離れたくない友達がいるから」

「へぇ?」

「でも私はその人よりずーっと早く死んでしまうし、きっと百年も経ったら忘れ去られるだろうと思ってる。その人から見た私は所詮そんなものだと思う。でもメルクとテルは違う。テルはメルクがどうなっちゃったって、きっと覚えていてあげられる。それが羨ましくて恋しいから、テルの方に付くの。誠実に、再会を願う人のために」

 誠実、再会。

 キーワードに触れられてやっと目線を落としていたトワが私と眼を合わせる。

「百年経っても生きてる、離れたくない人って――」

「勿論、トワもだよ」

「もって」

「メルクもテルもそうだから。星の時間は人間には小さな金平糖の種みたいなものだから」

 いつか百合籠翁が言っていた。時間すらも違う、って。

 体感時間は同じだけど、全体時間はちっちゃなものだろう。本当、砂粒よりもっと小さな星屑。星の観測者。どんなになっても壊れないだろう頑丈さは小ささ故。全天が見えるから、何でも見えてしまう。未来も過去も、見えてしまう。

 ふうっと息を吐いて、トワが話し出す。

「レヴィって言う友達がいたんだ。昔」

「……シューメーカー・レヴィ彗星?」

「よくご存じで。あいつもきっと喜ぶよ。僕はあいつがユピに食われるのを知ってたんだ。でもお互い何も言わないで、別れた。最後の日も酔い潰れてるのを起こして、アパートに帰らせた。そしてアパートは空き室になった」

 星が死ぬ。

 流れ星にもならずに。

 衝突痕自体は随分長く残る。

 長く、残る。

「それは、痛い思い出?」

「もう解らない。知ってたのに、解ってたのに、どうしたら良いか解らないから僕はあいつを部屋に送り届けた。それが正しかったのか間違っていたのか、判断する存在なんていないし判断の出来ることでもないと思う。どうしようもなかった。ユピは僕に一言謝ったけど、僕は星の観測者だから、それを受け取らなかった。ただ腹の中でまだ輝いている星はもう暫く大切にしてやってくれって言うだけで、それ以上は何も言う資格がなかった」

 ユピ。ユピテル。ジュピター。木星。私の生まれるより前に沈んだ彗星のことを、まだこんな風に覚えていられるんだ。それは彼が星だったから? 友達だったから? 後者であって欲しい私は、何も言わない。ね? と皮肉っぽく笑って肩を竦めるトワに、何も。

「カナちゃんはこの思い出、どう思う? 痛い? 悲しい?」

「……解んない」

「僕はメルクがどうにかなることで、テルが同じ思いをするかもしれないのなら、それは嫌だと思った。だから多分僕には痛くて悲しい思い出なんだと思う。メルクもテルもゆっくり離れて行ってくれれば良い。そう思ってお店の分割案を出したんだけど、間違ってたのかな」

「間違ってますよ兄さん!」

 合図があるまで出てきちゃダメだと言っていたはずなのに、声を上げたのはテルだった。ついでメルクも、金平糖工場の陰から顔を出す。ぽかんとしたトワは、一瞬ぎりっと私を睨んだ。騙したな。騙しましたよ、お兄さま。あなたの可愛い妹があんなに泣いていたんだからね。

「私だって星の観測者が何たるかぐらい解ってます、今まで流星や彗星を何度も見送ってます! お店の顔ぶれだって何度変わったかしれない! でも私はそれを後悔したことはありません! メルクも、……兄さんも一緒にいてくれたからです!」

「テル」

「だから私はその日が来るまでメルクと一緒にお店をやっていたい! 優しい思い出になって欲しい! いつか忘れてしまうとしても、それでも……それが曲がってるって、兄さん言えますか? 今でもレヴィさんのことでもやもやしてる兄さんに、言われたくないです! そんなこと、言われたくっ……」

 ぼろぼろ泣き出したテルの肩を、メルクがそっと抱き締める。

「俺も」

 メルクの低い声。

「優しい思い出になりたいからこそ、二人で店を続けたいと思ってる。……駄目ですか、オーナー。トワさん」

 はあっと溜息を吐いたトワが、眼に手を当てて空を仰ぐ。卑怯だよ、三人がかりなんて。そうです卑怯者です。私はスニーカーを脱いで座敷に入り、まだ開けたばかりの店、その座敷から出る。

「あとは若い三人にお任せして、私は帰るからね。トワも意地はりなさんな。二人の幸せは二人が決めることだよ」

 第三者がどう思ったって、二者間の幸福が成立してしまえばそれはそれまでなのだ。お酒も飲めない私でも、そのぐらいは知っている。

 星の街にいた私には朝日はちょうど良いぐらいの明るさで。いっそ本当にランニングでもして帰ろうかと思ったけど、家はそんなに遠くもないのでやめた。

 そう言えばテル、ちゃんとあのボストンバッグ持ってったのかな。刃物も寝間着も入ってるから色んな意味で困りそうだけど。

 まあいっか。必要なら夜にでも取りに来るだろう。星の中を、二人して。

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