第3話
※
すてらに行くようになった、とは言ってもそれは一か月に一度か二度だ。たまにどう調べたのかメールが来て、鈴カステラが入ったよ、とか、カルメ焼き始めました、とかのダイレクトメールの合間に元気? とかまたおいでよ、とか言われるだけで。しかしカルメ焼きは美味しかった。あんまり慣れのないお菓子だったから余計に。うちのお玉、プラスチック製だったからなあ。母さんもそんなに料理が得意な人じゃなかったし。まあそれは私がやらかしていた『ヤンチャ』とは関係ないことだけれど、あの頃を思うとちょっと胸が痛む。心配かけただろうな、なんて、今更殊勝になっても始まらない。せめて仕事を真面目にすることでぎりぎりの信頼を勝ち取っている状態なのだ、今は。だから中々駄菓子屋に行く機会もない。
とは言え十円のフーセンガムを食べてしまうとちょっと行きたくなってしまうのが人の性という奴で。
コーラ味は好きだったけれど当時の我が家では歯が解けると言われてガムかグミしかOKじゃなかったから、その懐かしさも手伝って休日の午後、私はすてらに行ってみた。
相変わらず店内はプラネタリウムみたいに綺麗で、ほわー、っとしてしまう。とりあえずコーラ味のフーセンガムを二つ取って、今日は何色の金平糖にしようかな、なんて考えた。白は普通のお砂糖だったけど、赤とか紫だとどこか変わるのかな? なんて思いつつ、うーんと吟味吟味。
「今日はお天気だから空色がおすすめかな」
奥の座敷、番台の向こうから響いた声にびくっとすると、棚と棚の間からひらひらと手を振っている姿が見えた。意地の悪い、今日は赤い着流しのトワだ。すっごく目立つ。なまじ肌が白いだけに。遊郭のおねいさんもかくやという美人ぶりも増して。金髪碧眼、整った顔立ちはちょっと角度を変えると女の人にも見えないことはないんだから、羨ましいんだかややこしいんだか。
「基本味はみんな同じだからね、色ぐらいしかアドバイスすることがないんだよねえ」
「同じなんですか?」
「砂糖に色混ぜてるだけだし。でも手が込んでるのは本当。薄い砂糖水を何度も何度も掛けて、出来上がるのが金平糖さ。取り敢えずは十円ガム二つ?」
「あ、はい。あと空色の金平糖一袋」
「流されやすいのはちょっと心配な所だよ、カナちゃん……はい、百二十円ね」
「そう言えば消費税って」
「ステラにそんな物はないよ。子供の味方のすてらにもね」
「子供が来てるの見たことないですけど」
「ぐさっ」
スコップで金平糖を漁っていたトワが大げさによろめく。だって本当のことだもん。そもそもいつからあるのか解らないし、ここ。気に掛けたことがないって言うか……それも星の街の魔法か何かだろうか。
「マジックなんてステラにもそうそうないよ。あるのは基本ロジックとトリックさ。あとレトリック」
「よく解りません」
「まあ、何でも頭の中で解けちゃうってことだよ。ちなみにこのお店は今年が一年目です」
「あ、やっぱり古い物じゃなかったんだ」
「古いお店を改装して作った、って所かな。カナちゃんこの辺に星屑駄菓子店、ってあったの覚えてない?」
「うーん……」
こっちは通学路じゃなかったからなあ、なんて思っいると。ふと思い出されたのはお爺さんの顔だ。転んで足を引き摺って半泣きになっていた所を、自転車に乗っていたお爺さんに見付けられた。丁寧に手当てをしてくれて、そして貰ったのは金平糖。
「お爺さんがやって……ました?」
「なんだ、やっぱり知ってたんじゃないか、ここが駄菓子屋だって」
くすくす笑うトワに百二十円渡すと、毎度、と言われる。そう言えば。
「私のメアド、どこからゲットしたんですか」
「百合籠翁だよ。お孫さんに教えてもらったそうだけど」
「個人情報垂れ流しにしますよね、子供って……」
ブログとかツイッターとか。危なっかしいなあと思いながらも仕事で使ってる携帯端末だから勝手にメアド変える訳にもいかないし、あの日から百合籠翁のお孫さん――えにしちゃんと言うそうだ――は私を憧れのお姉さんと位置付けてしまっている。たまにメールが来るとたどたどしい敬語が可愛くてたまらないほどだ。
……私にはそんな権利はないって言うのになあ……。
「ステラにも寄ってくかい? どうやら浮かない顔だ、少しカクテルでも飲んでゆっくりする時間を作った方が良い」
「バイクだし未成年だからノンアルでお願いしますよ」
「もちろん。テルとメルクはちゃんともう覚えてるよ」
「そのお兄さんのあなたが忘れてそーでヤなんですけど」
「ぐさぐさっ」
再び何かが刺さるリアクションをしてから、トワは表のシャッターを下げる。こういう時間って一番子供が来やすいと思うんだけど、商売っ気がないのか私の為なのか。座敷に新聞を敷こうとしてるところで、今日はスニーカーだから大丈夫ですよ、と言う。たまには安全靴から解放されたい時もある。夏とか。ライダースーツは蒸れるのだ。そして長い髪を首に巻いていると熱いのだ。だからたまには模範的なライダーを止めたりもする、私だって。
「じゃ、――行こうか」
襖を開けるとそこは、夜の街だった。
「……太陽ってないんですか? ステラって」
「ないねえ、星明りで十分暮らせるから困ったこともないし。むしろ向こうに初めて行った時にあんまりの眩しさに眼を開けていられなかったぐらいだよ。今は大分慣れて来たけれどね」
「それでも大分、程度なんですね……そう言えば明順応と暗順応がどうとか習った気がするな」
曰く明るいところから暗いところに行くよりも、暗いところから明るいところに行く方が順応しやすいって。それでもダメだったとしたら、ステラはどれだけの夜に包まれているんだろうか。スニーカーを置いて踵を潰して歩こうとすると。はい、と靴ベラを寄越される。どこから出したのかは聞かないことにしよう。そして下駄には使わないだろうとも。胸の下の星がちりっと言って、金平糖も少し発光した。その明かりを頼りに前と同じバルのドアを開ける。前より早い時間なのに、もうそこはガヤガヤと込み合ってる様相を見せていた。座れるのかな。きょろっと見回すと、バーテンのテルがこっちに気付いたようだった。ぱたぱた手を振ると、カウンターに二席メルクが作ってくれる。申し訳なく思いながらちょっと浅めに腰掛けると、どっかり座ったトワが隣のおじさんの持っているパズルの本を覗き込んだ。行儀悪いからやめなさい、っと赤い着物の背を引っ張ってみると、見てみなよ、と雑誌を渡される。いやそうじゃなくて。もー。モモのジュレに口を付けていると、問題は大雑把に言うとこんな感じだった。
三つの箱に二種の石を入れた。色違いの石が入っているのは一箱のみ。最低限の箱を開けて残りの箱の石を当てよ。
あー、あったなーこーゆーパズル問題。懐かしくて私はくすくす笑ってしまう。そうするとおじさんとトワがきょとんと眼を開けて見せた。
「解るの? カナちゃん」
「お嬢ちゃん、解るのかい?」
「一回一箱で十分なんですよ、これって」
へ、と二人が同じ声して見せるのか面白い。くすくす笑ってしまうと、どういうことだい、と食いつかれてしまった。トワも興味津々と言った様子でいる。何かのテレビで見た問題だから、私はその回答を思い出しながら説明をする。
「同じ色が入っていたら、二つ目の箱を開けた時にA、三つ目の箱を開けた時にBの石が出て来る。そうするとAの石か重なった箱が二つ一緒、もう一つがバラバラってことになるでしょう? 違う色の石だったら、もう一箱開けた時にAであればAAの組み合わせ、最後はBBの組み合わせになる」
ね、簡単でしょう?
言ってみるとおじさんとトワがはーっと息を吐いて私を見た。オレンジのジュレに口を付けていると、いやあ、とおじさんがちょっと大きな声を出す。
「いやー、鮮やかなもんだね、お嬢ちゃん。探偵か何かかい?」
「しがないバイク便屋です。って言って通じるかな」
「バイクぐらいこっちにもあるさ。ここはこうだが、今だって仕事をしている人間はいる。毎日が夜だから、仕事終わりに一杯やってリセットしなきゃならないだけさ。いやしかし、一目で見抜くとはお嬢ちゃん。すごいねえ」
「たまたま知ってる問題だっただけですよ」
「パズルは好きなのかい?」
「昔は雑誌に投稿ばっかしてました」
ナンクロとかピクロスとか。まあ中学の頃だから、五・六年前だ。思うとあの頃のちょっとおとなしめ、悪く言えば根暗なぐらいが丁度良かったんだと思う、私は。
「はっは、気が合いそうだ。そのジュレはおじさんが付けといてやるよ」
「大丈夫です、財布はいるんで」
くい、とトワの着物を引っ張ると、今日もー? とぶーたれた声が出た。じゃあいい加減私にこっちのお金との両替をさせて欲しい。くすくす笑ってる場合じゃなくってよ、おにーさま。
「兄さん稼ぎが少ないんですから、少しぐらいプレッシャーがあった方が良いんですよ。ちなみに月末締めですから」
「聞いてないよ! いや払えるけど! お前は一日十六時間も働いてるからだ、少しは休め」
「たまには休んでますよー」
「一日十六時間って……」
「ほら、リセットしに来る人達の分も考えてね?」
「ああ、なるほど……でもちょっと立ち仕事十六時間は眩暈がする」
「ん? 貧血持ち?」
「まあ、あるけど……」
「適当にレバーばっかり食べても駄目だよ、鉄欠乏性貧血の他にもいろんな貧血があるんだから」
そんなこと言われたって、存外図太いテルにはびっくりだ。こんなに細っこくて背だって私より小さいぐらいなのに、どこにそんな膂力があるのだろう。星の街の人間は頑丈にできてるのかしら? 星の街。良くは知らないけれど、太陽が無くて時計は二十四時間刻みで、携帯端末は通じて、眼には悪い。そんな人たちの中に交じって私は何をしてるんだろう。我に返ってはいけないとジュレを干す。あー甘い。甘いものは頭の回転をよくするから好きだ。ふと思い出すのは銀河鉄道の夜。星を巡って、旅する二人の少年の話だ。
「……ねえテル、甘い鷺ってある?」
「銀河鉄道ですか? うちには常備してないから、次の時の為に注文しておきますね」
あるんかい。
思いながら私はスイカのジュースを吸い上げる。季節感なんか飛んでいけ。ちょっと粗いミキシングが美味しい。じゅずーっとやってると、いつの間にかトワは隣のおじさんと囲碁を打っていた。どっから出した。オセロじゃあるまいに。そして二人とも下手だった。私は小さい頃にお祖父ちゃんに預けられてて鍛えられたけれど、二人の碁はじれったくなるぐらい悪手ばかりでちょっともどかしい。
「私達もやります?」
テルが取り出したのは携帯オセロ盤だった。
違う。違うのよ。むしろ私オセロの方が苦手。意外って言われるけど混じっちゃうんだもん。
それはそれとして、私は次はグァバジュースを呑む。甘い甘い。回転の良くなり過ぎた頭が一人で頭の中に碁盤を展開して。私はぼーっと自分対自分の碁をやっていた。
「ねえトワ」
「ごめんカナちゃん今はこっちに集中させて……」
「なんであなた駄菓子屋なんかしてるの?」
気配がこちらに向けられる。店中、耳ある者は音と聴き目のある者は近くに見よ、の状態で。
え、私何か地雷踏んだ? あれ?
「お祖父ちゃんの後を継いだだけだよ。夢のない大人なんだ、僕は」
ぽつりと呟いて、ゲームに戻った。
最後の言葉の意味は解らなかったけれど、トワはやりたくて駄菓子屋をしているんじゃないんだろうか。じゃあどうしてあんなに綺麗なお店にしているのか解らない。十円ガムを一つもきゅもきゅしていると、コーラのレモン割りが出されて来た。そう言えばコカ・コーラのレシピはこの世で二人しか知らないって言うけれど、ここのコーラはどうなんだろう。思いながら私は風船を作ろうと何度もガムを噛む。
舌が上手く入らなくてどうしてもそれは上手く行かず、結局紙ナプキンに吐き出されるだけになった。
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