龍を宿した家

マスケッター

龍を宿した家

 干からびた荒地には、小さな井戸を備えたみすぼらしい一軒家がぽつんとたっていた。


 家のすぐ脇には黒い石碑がある。大人の胸くらいまでの高さで、目をこらせば辛うじて中央に龍の姿が浮かんでいるのが分かった。


 と、玄関の扉が開いて12、3歳くらいの少年……デジが現れた。朝日に顔をしかめ、背を丸めるように歩いて井戸に向かう。水を汲み、桶をロープから外して家に持っていった。


 屋内には少年と同じくらいの年頃の少女……バルナがいた。テーブルの上に干し肉を直に乗せ、床に座って少年を待っていた。


 二人は三年前からこの家にいる。何故両親がいないのか、三年前より以前の記憶はどうなのか、さっぱり覚えていない。漠然と自分たちの名前だけ覚えていた。水は井戸から賄えたものの、食糧は二人で手分けして外で調達した。


 デジはナイフや弓矢がうまかった。手入れも上手にした。

 バルナはいつも不思議な力を使った。突然火がおきたり獲物が足を折ったりするのだ。もっともその力はごく限定的で、小さな獲物にしか効かなかった。


 しかし、獲物がいなくなればどうしようもない。三年間にただの一滴も雨が降ってないのが原因なのは明白だ。井戸が枯れないのだけがまだしもの幸いだ。


「やっぱりここを出ようぜ」


 水の入った桶を手にしたまま、デジはもちかけた。


「でも……」


 言葉を濁すバルナの前で、デジは一瞬顔をしかめた。桶を床に置いてからすぐに伏せ、耳を当てた。


「なにかくる! 馬だ……馬が二頭」


 デジの聴覚と判断を疑う筋合いはない。にも係わらずバルナは首をひねった。


 デジは弓矢とナイフをベッドの下から引っ張りだした。バルナを連れて家を出てから、家の陰で風下になる場所を割り出し腹ばいになった。石碑の斜め前だ。馬が家を通り過ぎる瞬間を狙う。バルナも同じ姿勢になった。


 まさに今、蹄の音が家にさしかかった時、それは止まった。余りにも意外な成り行きに二人は目を丸く見開いて互いを見つめ合った。野生馬が家に気を留めるはずがない。


 そして、二組の足音が馬から降りるのが聞こえた。それは二本足で歩き回るもので、がちゃがちゃと耳障りな音もついて回った。二組とも石碑に近づいたようだ。


 足音が石碑の前で止まった時、デジはバルナをその場から動かないよう無言で指示し、自分は弓矢を構えてたち上がった。


 突然馬がいなないた。デジは失策に気づく。焦る余り、風上に身体をさらしていた。


 石碑からなにかが現れ、音もなく放たれたナイフがデジの左腕に突き刺さった。悲鳴と共にデジは弓矢を落とした。


「待ち伏せかよ。油断も隙もねえな」


 毒づくようにいいながら、デジ達よりはずっと歳を経た……もっとも、まだ20代の中盤だろうが……男が姿を現した。見たこともない鈍く輝く頑丈そうな服を身につけていた。音がするのはその服のせいだ。


 デジとバルナは自分たち以外に人間を目にした覚えがない。左腕の負傷よりそちらの方が混乱をもたらした。


「おい、一人で住んでるのか?」


 男はデジに問いかけた。


「なんとかいえよ! ……うわぁっ!」


 突然、男の髪が燃え始めた。デジを乱暴に突き飛ばし、石碑の前を通り抜けて家の戸口へ走った。デジはナイフを抜いてあとを追った。


「熱い! 熱いーっ!」


 髪は人体でも簡単に火がつく。既にして頭そのものが赤黒く変色していた。


 男がドアを蹴破り、室内にあった桶の水を頭から被ったのと、デジがナイフを男の脇腹に突き刺したのはほぼ同時だった。しかし、刃はがちんと音をたてて男の服を上滑りしただけだった。


「この野郎!」


 男はデジの顎を下から右の爪先で蹴った。歯が折れそうな衝撃と共に、デジは壁まで飛ばされ、背中を叩きつけられてナイフを落とした。


 男は素早く駆け寄りナイフを見当違いの方向に蹴ってから右拳でデジの負傷した部分を殴りつけた。更に、万力のような腕が血を流し続けるデジの左腕を握った。


「ぎ、ぎぎぎーっ!」

「痛いかクソガキ! 俺の頭を台無しにしやがって!」

「きゃあっ!」


 壁の向こうで上がったバルナの悲鳴に、男はデジの腕から手を放さないままにやにや笑った。


「ふんっ。女か」


 男は膝頭をデジのみぞおちに叩き込んだ。腹を右手で抑えながらくずおれたデジの頭を男の右足が踏みにじった。


「ヨース、なにやって……ウワッハッハッハ! なんだよその頭!」


 左脇にバルナを抱え、また別な男が現れた。バルナはぐったりしている。こちらもまたデジを踏みつけている方と同じような年齢と格好をしていた。


「うるせえっ、てめえがさっさとその女を見つけねえからだろうが!」

「心配するな。あとちょっとの辛抱だ」


 新たに現れた男はバルナを床に降ろし、ベルトに挟んでいたロープを出して器用に縛り上げた。


「これで良しと。やっと紳士的に話ができるな。俺はケラフ。お前を踏んづけているのがヨース」

「フンッ」


 ヨースは床に唾を吐いた。


「おっと、踏みつけられてる奴。お前は名乗らなくていい。俺は貴族だ。お前のような野蛮人の名前で俺の頭を煩わすな。それは、お前の礼儀に反する」


 一方的に手前勝手な台詞を吐くケラフに、ヨースは軽蔑に満ちた顔をした。


「表に石碑があるだろう? ちょうど三年前、一頭の龍が天から降りてきてこの辺の地面に潜り込んだ。その時、たまたま剥がれた鱗が地面に落ちて石碑になったんだ」


 デジはもちろん、起きていたならバルナにもまるで見当も想像もつかない話だった。


「龍は地面の下で眠っている。そしてもうすぐ、二頭目が同じ場所に降りてくる。予言者はそういった」


 ケラフはまた台詞を区切り、バルナをちらっと見下ろした。


「二頭の龍は雄と雌だ。つまり、子を産む。その子は汚れのない子供達に託される。それがお前らだ。龍は、あらかじめ世話役の子供達を置いておくんだ。どういう事情でかは知らんが。三年以上前から、子供二人だけで暮らしていたのか?」

「そうだ」


 これは隠しようがなかった。


「ふむ。今までの話をまとめると、つまりまだ二頭目の龍は降りてきていないようだ」

「いつまで待ちゃいいんだよ!」


 ヨースの難詰に、ケラフは露骨にため息をついた。それからゆっくりした動作で床に転がっている桶を手にして表に出た。


 井戸から水を汲む音がする。少しして、左手に水を満たしたコップを持ったケラフが戸口に姿を見せた。


「ほらっ。水でも飲んで落ち着け」


 室内を横切り、コップを差し出すと、ヨースは火傷も手伝って一息に水を飲んだ。


「あ、ああ……うげっ! ぐえええ! おぶえっ!」


 一回まばたきする内にヨースは喉をかきむしり、デジから離れて床を転げ回った。ごろごろ横転しながら血を吐き出し、それっきり動かなくなった。


 ケラフはまたロープを出してデジを縛った。その次にバルナの頬を軽く手で叩き、目を覚まさせた。


「あー、無駄なやりとりは省略で。一応確かめておきたいんだが、三年前の龍の話って知らないか?」


 ケラフはしゃがんでバルナを覗き込んだ。


「知らない。どうしてそんなに龍に」


 ぐわしゃっと音がした。ケラフの拳がバルナの右頬にめりこんでいた。


「許可なく俺に質問するなー! だが俺は寛大だ! 『殴られる』という代償をお前が先払いしたことで質問に答えてやる! ケラフ一族!」


 ケラフは腰に吊るした剣の柄頭をバルナに見せつけた。宝石かなにかに巻きつき、鎌首をもたげてかじりつこうとする蛇が彫刻されている。


「無意味な濡れ衣で宮廷から追放された我が一族は、龍を家来に……」


 ケラフの口がぴたっと止まった。突然、空全体が鈍く光った。白昼なのに随分薄暗くなっているのをようやく彼は気づいた。


「お望み通り、龍に会わせて上げる」


 好意の欠片もない口調でバルナが伝えると、再び空が光り、外では雷がうなり始めた。ぬるく緩い風が次第に強まり、熱風が渦を巻いた。室内に。


「デジ、いつまで寝てるの?」

「あ~あ、もうちょっと楽しみたかったな」


 顔を起こしたデジは、軽く身体をねじった。ロープがバラバラに千切れた。


「よっ、と!」


 バルナもあっさり自由になった。


「なっなっ……お前達……」

「許可なく質問するな!」


 バルナの右拳が目にも止まらぬ速さでケラフの鼻を潰し、血まみれになったケラフは床にへたりこんだ。


「ま、まさかお前達が……」

「今頃気づいた? どう? 龍の化身を縛ったり殴ったりしたご感想は。故郷に帰ったら自慢できるかもね」

「ち、違う! 二匹目がくるはずなんだ!」

「いくら金を払ったか知らんが、助言役は選べよ。最初から俺たち二人で降りてきたに決まってるだろ」

「うふっ。でも、ひょっとしたら一人といえなくもないね。だってあたし達、ちょっと子孫繁栄を張り切り過ぎちゃって」

「おいっ! 羞恥心ってもんがないのか!」

「いいじゃない、やっと起きたんだし。続きする?」


 そんな会話を交わすデジとバルナはサイズは人間のままだが、姿は龍になっていた。


「な、ならわざわざ人間の姿にならな……」


 許可を取り忘れ、慌てて口をつぐむケラフ。


「いやー、バルナがたまには人間ごっこしたいっていうからさ。ところで、俺達をどうするって?」

「い、い、いや、なんでも! なんでもありません! 許して下さい! 許して下さい!」

「うーん……。バルナ、どうする?」

「そうだね。あたし達が恋人同士になって3周年だし、許しちゃおっかな。早く天に昇りましょ」

「そうだな。分かった」


 その直後、巨大な雷が家を直撃し、青白い炎を上げながらそれは真っ二つに裂けた。


 急激に巨大なサイズになりながら二頭の龍は天高く絡み合いながら昇っていき、辺り一面に三年ぶりに雨が降った。空がそのまま抜けたような降り方だった。


 数週間後。ケラフの溺死体とヨースの毒殺体をそれぞれ乗せた二頭の馬が、デジとバルナの家から一番近い街についた。


 二人の死体の額には龍の爪跡がくっきりとついていた。人々は龍の実在を確信しつつ、それに触れるとどうなるかを思い知ったのだった。


               終わり

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龍を宿した家 マスケッター @Oddjoh

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