第五章

第五章

告別式は、大石寺の敷地内で行われた。

「しっかし、よく晴れたよな。最期の最期でこんないい天気になるとは思わなかった。」

と、杉三が言う通り、今日はよく晴れた。どうしてこんなに晴れたのだろうと思われるくらいよく晴れた。

「まあ、こっちにいる限り、日の当たるところへは出られない人物だったんだから、これでいいのか。」

と、杉三がもう一回言うと、蘭が、そんなこと言わないでくれ!と言いたげに杉三の袖を引っ張った。

「それにしても、杉ちゃんよく黒大島で参列できたな。お坊さんたちに感謝しなよ。麻の葉なんて、本当はおめでたい柄で、使っちゃいけないんだからね。」

蘭はそういうが、杉三はこれはどこ吹く風のようで、

「いいじゃないの、ある意味ではおめでたいことでもあるだろうよ!」

と言い返した。

おめでたいって何がだよ、と蘭は反発するが、

「まあ、蘭さんには分からないと思います。事実、こういう人が亡くなると、おめでたいと解釈してしまうことは本当に良くありましたからね。そうなると大変な人権問題という事になりますが。」

と、ジョチにいわれて、ため息をつきながらも黙った。

その間に、参列者たちは、火葬場に向かうためのマイクロバスに乗り始める。本来なら、火葬場だって、受け入れてくれるかどうか心配でしょうがなかったが、大石寺の依頼というと、喜んで引き受けてくれた。やっぱり、偉い人の権限というのは、どこの世界でもあるらしい。

恵子さんと秀明夫婦がバスに乗り込んだ直後、黒紋付きを不格好に着込んで、頭に黒いベールをかぶった若い女性が、マークさんと一緒にバスに乗り込んだ。

「あれが、妹のトラーさんか。」

蘭が一言呟く。

「ずいぶん、きれいな人じゃないか。しかも着物を着ているという事は、日本びいきだったんだろうか?」

「そうだろう?どっかの女優みたいな可愛い奴よ。ちょっとばかり、気性のあらっぽいところはある女性だけど。でも、怒りながらも手取り足取り世話してくれて、結構しっかりしていたと思うよ。水穂さんにはお似合いの女性かもしれないなあ。」

と、杉ちゃんが答えると、

「そうか。それじゃあ、刺客を送り込む必要もなかったな。僕は一体何をやっていたんだろう。あの時は、もう一人だけ味噌っかすにされた気持ちになって、とにかく、やつを何とかしようと躍起になってたよ。でも、そんなこと必要なかったな。」

蘭は、がっくりと肩を落とした。彼女の顔が、単に形式的に悲しむのではなくて、本当に心から悲しんでいるという様子が見て取れたからだ。

「多分きっと、彼女と一緒に、フランスで暮らしてくれれば、水穂も劣等感は取れたんじゃないだろうか?少なくとも、ヨーロッパでは、人間を邪見に扱ったり、親指を無理やり詰めさせることもないだろうし。そもそもそういう身分の人は存在しないんだから。」

もう遅すぎた。今思えば、水穂、トラーさんと一緒になって幸せに暮らしてくれ。お前は、そうしなきゃ幸せにはなれん。この日本に居れば、お前は穢多の人間としかみなされず、一生人種差別に苦しみながら生きることになるぞ、僕は、それが何よりも辛くてたまらない。お前には幸せになってほしい!と、はっきり伝えることが、蘭一番しなければならないこと、一番足りない事であった。でも、直接言うことはできなかった。と、いうより思いつかなかったのだ。五人の刺客を送り込み、さらには、おかしな薬を製造している女性までそそのかして、かえって奴には負担をかけてしまった。彼女たちを送り込んだことで、蘭は自分の言いたいことを、水穂に間接的に伝わっている、伝えられると思っていたが、結果としてやってきたことは、最悪の結果である。

「青柳教授が、人間は事実でできていて、それを何とかするのを考えるしかできないと、仏法に書いてあったとよく口にしていたが、本当なんだね。その意味はよく分からなかったけど、今回のすべきことは、こういうことだったのか。」

だから、言いたいことを伝えるときには、変な手段に頼らないで、直接的に言う事。

大きな教訓だった。

「さ、僕たちもバスに乗りましょう。出ないと、遅れてしまいますよ。蘭さんも杉ちゃんも、水穂さんに最期のお別れをしたいでしょう?」

「はい。そうですな。」

ジョチに言われて、杉三たちは、マイクロバスに向かって行った。手助けしてもらってバスに乗り込み、大石寺から数十分の距離がある、火葬場に向かっていく。

蘭と杉三は、車いす使用者なので、バスの一番後ろの席に乗せてもらっていたが、

「おい、蘭。ちょっと後ろを見てくれないか?」

と、なぜか杉三に肩をたたかれて蘭は後ろを見た。

「あの二階建てバスは何だろう?」

たしかに、蘭たちのマイクロバスの後を、一台の大型二階建てバスが、一緒に走ってくるのである。

「あ、ああ、富士登山でもする観光バスじゃないか?」

「馬鹿。まだ春だぞ?お山開きは、夏にならないとしないじゃないか。」

蘭はそう答えるが、杉三は首を傾げた。

「でも雪山に昇るということもあるし、、、。」

「いや、其れとはどうも違うような気がするんだけどなあ、、、?」

丁度その時、お坊さんが、火葬場に到着しますと合図をしたので、蘭たちは降ろしてもらうために、もう、そのバスのことは言及しなかった。

火葬場に到着すると、もう、炉の準備はできていると係の人が言った。遺体の入ったお棺が降ろされて、

「ではみなさんお別れです。」

というお坊さんの合図とともにお棺は静かに場内を進んでいく。

と、その時。

「ちょっと待ってくれ!」

と、声がした。みんなが後ろを振り向くと、例の大型バスが止まっていて、その中から全員黒服に身を包んだ大勢の人が降りてくる。ある人はバイオリンやビオラなどの楽器を持ち、またある人は、楽譜を持っていた。よく見ると、みんなが持っているのは、ワトキンスショウ版のメサイアの楽譜。

この有様に、葬儀を取り仕切っていたお坊さんまで驚いて、全員静止してしまった。

「水穂!お前はどっちにしろこの世界では二度と日の当たるところへ出ることはないだろう。なので、向こうの世界で幸せになってくれることを祈り、また長年にわたる人種差別から解放されたという喜びを祝って、今からこの歌を送ります。ではみんな楽譜を広げて!行くぞ!」

広上さんは指揮棒を振り上げた。

何だ、何が始まるんだと思ったら、楽器を持つ人たちが前奏を開始する。そして、ある人は暗譜で、そうでない人は楽譜を見ながら、

「Hallelujan,Hallelujan,Hallelujan,Hallelujan,Hallelujan,」

なんと、ハレルヤコーラスを歌唱し始めた。蘭はこんな時にハレルヤなんてふさわしくないと言ったが、ほかの人たちは、意味が分かったらしい。歌詞のわかる人は、それに参加した。

「For the Lord Got omnipotent reigneth,

Hallelujan,Hallelujan,Hallelujan,Hallelujan!

For the Lord Got omnipotent reigneth,

Hallelujan,Hallelujan,Hallelujan,Hallelujan!

King of kings,and Load of lords,

King of kings,and Load of lords,

And, He shall reign forever and ever

Forever and ever!

Hallelujan,Hallelujan,Hallelujan,Hallelujan!

Hallelujan!」

みんなの歌に合わせてお棺が静かに進んでいく。

そして、炉の扉が閉まったと同時に、

「Worthy is the Lamp that was slain,

and hath redeemed us to God by his Blood,

to receive Powor and Riches ,and Wisdom,

and Strength and Honour,and Glory,and Blessing.

Blessing,and Honour,Glory and Power,

be unto Him that sitteth upon the Throne,

and unto the Lamp,forever and ever.

Amen!」

と、高らかな合唱に見送られて、水穂は旅立っていった。

丁度この時、火葬場の前に一台の車がとまった。出てきたのは、影浦千代吉と、今西由紀子である。

看護師が、先生、暴れるかもしれませんから、抑えておきましょうか?と影浦に言うが、いや、かえって、劣等感を与えないほうが良いでしょう。と、影浦は言った。

「今日は特別ですからね。くれぐれも大声で暴れたり、泣き叫んだりしないでくださいよ。あなたはまだ治療中なんですから、本当は、外になんか出てはいけないんですから。」

看護師はきつそうだが、影浦は、そんな発言はしないようにと言った。看護師はあまりにも心配ですから、と一応介護人らしいことを言うが、かえって信頼してやった方が早く回復する、もし何かあったら、呼び出しますから、と影浦は言うのだった。

二人が車を降りると、丁度、Worthyの合唱が行われていた。できれば由紀子も一緒に歌いたいと思ったが、それは許されないとしいて、歌うことはできなかった。やがて立て続けに、Amenの輪唱が行われたが、次第にそれも静かになった。

「終わったみたいだから戻りましょうか?」

と、看護師が車から出てきたが、由紀子はそこから動かなかった。火葬場の煙突から煙が出ているのをじっと眺めていた。

「ほら、もう終わったのよ。帰りましょう。」

「いいえ、彼女が納得するまで、居させてやりましょう。もう二度とないんですから、こういうことは。」

影浦は、面倒くさがりな看護師にそう言って、由紀子をじっと観察する。さすがに精神疾患の患者となると、看護師も邪見に扱うことが多いのだが、影浦はそれだけは絶対にやってはいけない、ほかの患者以上に慎重に扱ってやらないと、完全に世の中から見捨てられた存在になってしまう、と、言い聞かせている。

由紀子は、いつまでも煙突の煙を見つめていた。

「水穂さん、ついに自由になれたのね。」

丁度この時、正面玄関のドアが開いて、一人の女性が現れた。黒の紋付を身に着けて、頭には黒いベールをかぶっている。

「あら、あなたもおかしな人?おかしくなった人?」

と、いう言い方はとても失礼であるが、由紀子は顔を見て、この人が外国人であるとわかったので、こういう言い方をしてしまうのも仕方ないと思った。多分きっと、杉ちゃんが以前話していた、トラーさんという女性だなとすぐにわかった。

「そうよ。」

と由紀子は答えた。

「あたしも、おかしくなったの。もう、社会へ出たらただのごみと言ってもいいのかもね。このままだと、仕事もなくすし、すきだった水穂さんまでなくしてしまった。だからもう、生きていったってしょうがないわね。」

「そうね。あたしも同じよ。あたしは、水穂がフランスに来てくれたおかげで、水穂の看護人というやくめが出来たわ。それがなかったら、あたしはごみも同然だった。だから、あたしは、水穂にずっとこっちにいてほしいと思ってた。」

「じゃあ、トラーさんも水穂さんを?」

そう聞いてみると、

「そうよ。」

トラーははっきり答えた。

「じゃあ、いつかは、水穂さんと、」

「尋ねるのはあたしよ。」

不意に、トラーはそう切り出す。

「何?」

由紀子が聞くと、トラーは、彼女を疑い深そうな目で見て、こういったのである。

「あなた、本当に水穂の事愛してた?」

「ええ、ずっと好きだったわ。」

由紀子は、その通りに答えた。

「違うでしょ。」

トラーにそういわれて、由紀子は返答に困ってしまう。

「あなたは、本当に水穂の事愛してはいないわ。もし、本当にそうだったら、今いるところに甘んじたりしないから。愛するっていう事は、自分を捨てること、消し去ることなの。本当に、自分を捨てて、相手の事だけを考えるのよ。それも無条件でね!」

「そうなの、、、?」

由紀子は、そう聞き返すが、トラーは続ける。

「そうよ。あたしがもし、あなたの立場なら、いつまでも、自分の置かれた立場に甘んじたりはしないわ。自分がどうのこうのなんてどうでもいい話よ。あたしだったら、水穂を連れて、二度と差別されない、外国にでも連れて行くわ。そして、一生安楽に暮らしていけるように、なんでもするわ。時には、多少危険なめにあっても構わない。其れだって、愛する人のためだったら、我慢する。我慢できる。そういうものなのよ。愛するってことは。大きな壁があるんだったら、それをたたき壊して、強引に、愛する人を連れていく。これじゃないかしら。」

「そうね、、、。」

あたしには、そのようなことはもうできないなと思った。もう、何かしてやろうとしても、経済的に無理。それに、青柳先生のいう事が確実であれば、もう日本ではどこにも安心していられる場所などないという事だ。

「自信がないんでしょう。それでは、愛しているとは言えない。ただあこがれているだけの事よ。それだけでは、何一つできなくて当たり前よ。本気で愛したら、自分の事なんて、どうでもよくなるの。絶えず、相手の事、つまり、水穂の事だけが、常に頭の中にあって、彼を何とかしてやりたいという気持ちだけ、それだけで動けるの。お金が必要だったら、稼げばいい。その時は、自分の体を売ったってかまわない。どんな手段だって、かまわない。あたしは汚い姿になってもいい。そこまで考えるのよ。そういうことなの。愛するっていうのはね、壁を超えるのよ。自分の感情で、壁を叩き壊すのよ。あたしだったら、そういうことはできた。日本では、まともに愛しているという感情を表してはいけないというそうだけど、そういう事は弱い人にはするべきではないんじゃないかしら。そうじゃなくて、みんな敵のように見えるかもしれないけど、あたしがそばにいるってことを、はっきり示してやることが、一番なんじゃないかしら!そのほうが絶対、水穂だって、助かったと思うわ。そういう事じゃないの!」

由紀子の目にぽわんと涙が浮かんだ。

「後悔したって無駄という事は知ってるわ。それはあたしだって、そのくらいわかる。誰だって、こうしなければよかったという気持ちは、持っていることは、確かよ。でも、それをいつまでも放置しておくのも日本人の悪いところじゃないかしら。日本人は、そういうところを好んで、文学とかにしてしまうのが好きなようだけど、あたしは、それはよくないと思うのよ。そうじゃなくて、あたしたちがすべきことは、具体的な行動に移すこと。あたし、もう決めたの。この葬儀が終わったら、もう出家して、修道院に行こうってね。だから、この髪も切るわ。だって、これ以上、あそこまで愛した人は、もう現れてこないと思う。容姿とか、そういうものではないわよ。だって、あたしは、あの人に、」

トラーも少しばかり、涙をこぼしながら、次のようにつづけた。

「そうよ。あの人が、やくめってものをくれたんだもの。あたし、それが、どんなにうれしかったか。あたし、きっとあの人が現れなかったら、きっと、何の仕事にもつけなかったと思う。高校を辞めて、

もう家に閉じこもっているしかなくて、言ってみればあたしは、社会的な引きこもりだし。お兄ちゃんの稼いできてくれたお金で、食べるだけで何もしない、ダメな人で、仕事しようにも、何もやれそうなものがなくて、自分にできることは、水商売か、売春婦しかないって、本気で思ってたわ。」

「そう、、、。そうだったの。」

トラーは静かにつづけた。

「そうなのよ。容姿だけが取り柄で、ほかには何もないんだもの。それだけじゃ、やっぱりあたしは、

ダメな人間よね。特に何も特技もなくて、何も、長所もなくて、仕事になりそうな事だって何もない。

それでは、もう、生きていたってしょうがないじない。ほら、生産性がない人間は死んでしまえって、よく言うじゃない。」

「そうなの、、、。フランスにもあるのね、そういう生きづらさ。」

由紀子は、何処の世界にも、そういう気持ちはあるんだなと思いながら、それを聞いていた。

それを聞いていた影浦も、やはり人間は、誰かから必要とされることに、価値を見出す生き物であるという、ヴィクトール・フランクルさんの言葉は本当だなと、しみじみ考えるのだった。

「そんな中だったのよ。水穂がやってきたのは。あたしは、ずっと家にいたから、あの人の事看病するってことを、強制的にさせられたけど、それは、よかったのよ。あの人がああしていてくれたから、あたしは、やっと自分が誰かに必要とされるって、すごく喜んだのよ。心の中でね。だから一生懸命看病したわ。あたしが、とにかく、世間で言ってみたら、精神障害っていう、疫病神みたいなもんだったんだから!だから、あたしは、そこから脱出することを本当に心から喜んでた。それをくれたから、水穂を好きになったわ。あたしに、何もしていないというとこから脱出させてくれたんだから、もっともっと、生きていてもらって、もっともっと恩返しがしたかったわ!その何が悪いというのよ!」

「そうだったのね。あたしも、トラーさんのように直接的に何か言えたらよかったわ。でも、もう遅すぎるわね。」

トラーは、ふいに、わっと声を上げて、由紀子に抱き着いた。それをしたくて、外へ出されたのだろう。影浦は、それをあえて止めようとしなかった。

「せめて、何か、水穂につながるものがあれば、良かったのにね。」

そう、それがあれば、もうちょっと楽になるのかもしれなかった。それはもちろん、愛する女性の特権であった。

二人は、いつまでも泣きつづけた。国は違えど、悲しむという感情は同じなんだなということであった。

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