第三章

唯一無二には程遠く 01

 ベッドの上が、彼女達の世界だった。

 キングサイズのベッドは彼女達からすれば無限の海と同じだった。

 そこに共に横たわり、清潔な真っ白いシーツに包まれて夢想の航海に出る。

 いつも二人の手はしっかりと繋がれていた。

 そこには、幸せがあった。

 誰にも理解されない幸せが。

 彼女達だけの幸せが。

 確かに、そこには。


「ねえ。ハーツ君をいつまでアンタにつき合わせるつもりなの?」

 冷たい目がブラッドを睨む。ベンチに横たわるハーツは静かに胸を上下させている。

「さあ」

 壁に寄り掛かったまま、ブラッドは天井から釣り下がる電球を見上げて視線を向けもしない。時計は深夜一二時を回ったところ。そろそろ仮眠中のハーツを起こして彼女達を迎えに行かなければいけない。

「この子は頭も良い。正規では無理かもしれないけど、立派な医者にだってなれるわ」

「それって闇医者ってコト?」

「今の時代に免許にどれほどの価値があるって言うの?そこに拘る事こそナンセンスよ。

 人の為にしか生きられないなら、医者で十分。この子なら私の下で働かせてもいいし、それなら人工臓器の調整を全部タダで引き受けてもいいと思ってる」

 ブラッドはほうっと息を漏らして初めてイアに目を向けた。実力主義の彼女にそこまで言わせるのだ。ハーツは相当な有望株に違いない。

「でも、ブラッド。アンタがそれを許さない。ハーツ君の臓器をすべて取り返すまで、あの子の手を握って引き摺り回し続けるアンタが」

 イアはカルテをブラッドの胸板に叩きつけて詰め寄った。乾ききった血液のような、暗い赤色をした瞳をねめつける。

「この子の命は。アンタの玩具じゃないの」

「でも、俺のものだ」

 ブラッドは悠然と微笑んで自分の心臓を親指で差す。手巻きの稚拙な、玩具のようでさえあるこれは、自分の心そのもののように最近思えてくる。

「ここにあの日の心臓が埋まってる限り、ハーツは俺の後を付いて来る。どこまでも」

「だからって……!」

 見えない右の目の奥に、ちらりと熱の一端が覗く。赤い瞳に映るイアを炙るように揺らぐその炎の存在を、一体何人の人間が知っているのだろう。

「俺はね、許せないだけなんだよ」

 焼き殺される。イアはその瞳を見上げてほんの少しだけ戦慄した。血と闇と凶暴な殺意。大戦から六年経った今でも、彼の目に閉じ込められたものは何一つ変わらない。

「よってたかってガキから内臓取り上げて、それで全部解決したような顔して回ってるこの国がさ。そんなもんが、俺の守ろうとした場所だったなんて」

 棚に並ぶ色とりどりの人工臓器。本来それは自分の病んだ部位と取り替える目的のもの。

「あいつを拾ったとき、最初に何て言ったと思う?」

 イアは自分の体が震えているのに気が付く。

「俺の目。此処に月みたいに綺麗なあの目を入れてって。そう言ったんだ」

 息が掛かるほどの距離にブラッドの整った顔が近づいた。  

「それしか言えないようにあいつをした奴等がいるんだ。俺はそれが許せない。たとえ換装を繰り返せば生きていけるとしても、あいつが無駄なリスクを負って手術を重ねて、一生苦しまなきゃいけない理由はない。そうだろう?俺はもう、前の時みたいに泣き叫んで吐き下して垂れ流して、ハーちゃんが人としての尊厳まで踏み躙られる姿、見たくねえんだよ」

 駄目だ、呑まれる。

「頼むぜイア。お前だけが頼りなんだ」 

 額に口づけられる。かさついた唇に、ファンデーションの肌色がうつる。

そこに、愛は無かった。


 白い手を絡め合って確かめる。お互いの存在を。子供の頃取り上げられた熱が、本当にこれだったのかを確かめるように彼女達は抱き合う。二人の部屋は、別々だった。だが、彼女達が別々に過ごすことはない。今も、片方の部屋のベッドに二人で横たわっている。

「ねえ、そろそろだね」

「うん、やっとだね」

 一度着替えた白く薄い絹の夜着を脱ぎ捨てる。彼女達にとって唯一同じではないものが露わになる。一人は右脇の下から、もう一人は左脇の下から胸にかけて、一五センチ程の左右対称の手術痕。

「これ、ハーツくんのだったんだね」

「ネクターはハーツくんだったんだね」

 肌理の違う白い肌の接がれたその下に、呼吸と共に浮き沈みする肺腑。自分達がまだ七歳になるかという頃。母に本を読み聞かせてもらいながら幸せと共に眠り、起きた時にはもう二人は別たれていた。泣いて喚いたらしいが、父も母も、優しい執事であるボステさえも頑なに二人を元に戻すこと良しとせず、あろうことか絶対に他人に二人が一つであったことを言わないようにと命じられた。二人にとっては理不尽極まりない命令だったが、もしそれで我が儘を言えば、二人をそれぞれ別の親戚に預けるとまで言われ、最後には眼を真っ赤に腫らしながら二人は別たれたことを認めたのだ。

「かえしにいこう」

「かえしてもらおう」

 夜の闇にまぎれるような、濃い紺のワンピースを身に纏う。黒い外套を被り、二人は窓から外に出た。屋敷の敷地の外れにある植物園へと向かう。温室の中はねっとりと暑く外套の下が薄らと汗ばんだ。

「ここで、待ちましょう」

「はやく、来ないかな」

 二人は人工の小川の側にあるベンチに腰かけた。ガラスの天井越しに夜空を見上げる。月も無い暗い夜だ。きっとうまくいく。互いに肩を預合い、そっと時間が来るのを待つ。

 微かな軋み音と共に風を感じた。ブラッド達が到着したらしい。

「やっとだね」

「ずっとだね」

 二人は頷いて、幸せそうに手を握り合った。


 細心の注意を払って扉を開け、その隙間にブラッドとハーツは滑り込む。大きな屋敷だからといって、何十人もの守衛を雇っているわけではない。屋敷の壁を乗り越えてこの植物園まで辿り着くことは、ブラッドには造作も無かった。

「あの双子が壁を乗り越えられるかだな」

「植物園の外に脚立があったから、それを使えばいけると思うよ」

 声を潜めながら二人は蒸し暑い温室の中を進んでいく。気を付けているがどうしても葉や枝に身体が触れてしまいがさがさと音を立てるのが気になる。

 バササッ――――

「はっ!」

 ブラッドがハーツを強引に地面に伏せさせながら、自動拳銃を抜き構える。その先には木の枝の上で放し飼いにされたインコが小首を傾げていた。

「んだよ……」

 低く姿勢を保ちながら、気を取り直して目的の場所に向かう。前にお茶会をしたテーブルが見えた。水の流れる音がする。

「あそこだな」

人口の小川にかかる小さな橋に足がかかった。

「待たせたね――!」

 ハーツが大きな葉をかき分けて広場へ出た。

 ベンチに、双子の姿はなかった。

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