貴方を満たす五臓六腑 02

 感度良好、接続上々。

 目を覚ましたハーツは、大きく伸びをしてベッドの上で起き上がった。

 罅割れた窓を通過した光が、蜘蛛の巣のような繊細な模様を白いシーツに浮かび上がらせる。それを見るのが楽しみで、光射す晴れの日がハーツは好きだった。だが心外なことに同居人は、まるでお前が蜘蛛の巣に引っかかった間抜けな虫に見えると眉を寄せる。

 昔の住人が置いていった古ぼけた木のクローゼットから制服を取り出してさっさと着込む。嫌な音を立てて軋む戸をそっと閉め、戸の表面に嵌め込まれているくすみきった鏡を頼りに軍服めいた制服の襟を整えた。最後に両腕に時計を嵌めながらハーツは階段を降りていった。

 階下はリビングキッチンになっていて、厚いカーテンが引かれた暗いリビング側は、生活が満足に行えるのか疑問を呈するほどの雑然と服や物が積まれており二階の整理整頓されたハーツの部屋とは大違いだ。だが幸いキッチン側だけは、料理を一切しない同居人の魔の手からなんとかハーツが守り通している。

「んあっ!?」

 ハーツの爪先に何かが当たった。驚いて床を見れば、タブロイド紙のタワーが、紐で括られる事もなくそこかしこで建設中だ。

「油断も隙も無い……」 

 歩くのに邪魔にならない場所へとタワーをどかしていると、もぞもぞと後ろで人の動く気配がした。ハーツはタブロイド紙を紐で纏めながら振り返りもせずに声を上げる。

「ブラッドー。これいい加減に古紙回収で出してよね。何か月分溜め込んでるの?」

「あーわりぃ」

 まったく反省を含まない謝罪。溜息をついてハーツは振り返る。リビングの中央、テレビの前に置かれたソファから長い足が突き出してぶらぶらと揺れている。端々が破れ、黄色いウレタンが見え隠れしているそれは、ハーツがこの家に転がり込んでから六年間ずっと彼の寝床となっていた。

「おはよう」

「おはよう」

 ソファの主がもぞりと上体を起こす。シャワーをしたところなのだろう、普段はざっくりと後ろに流しているダークブラウンの髪が、垂れ下がって額を覆い隠している。

「なんかしゃべるの久しぶりな」

 眠そうにも見える少し垂れた目は、乾きかけた血のような暗い赤。それを縁起が悪いと言う人もいるし、戦闘屋(バトラー)という職業にうってつけだと褒める者もいる。

「仕事、忙しい?」

「そこそこな。皆俺の戦闘屋(バトラー)復帰を待ち侘びてたのかここぞとばかりに依頼入れまくってくるからよ。いやぁお兄さん稼いじゃうぜー」

 にやりと笑うその顔は子供目に見ても整っていて、まだ幼さ六割残と言ったところのハーツにはとても真似出来るものではない。その手に摘ままれているのが合成調味料に塗れたスナック菓子であっても、何故ああも格好がつくのだろう。

「稼ぐのはいいけど、ちゃんと生活費も入れてよね。今月の家賃このままだと払えないよ」

「まじで?やべっ今週ハルアの店で飲み過ぎた……」

「家で飲んだらいいじゃない」

「違えんだよー。綺麗なおねーさんに注がれた瞬間にお酒はその価値を何倍にも高めんの。わかってねーな、ハーちゃんは」

「はいはい」

 子ども扱いされるのはいつもの事。朝食の仕度として、ハーツは買い置きしてあるバケットをスライスしながら生返事を返す。そのドライな反応にぴくりと眉を動かして、大人気無いブラッドが余計な一言を付け加えた。

「去年はハーちゃんが換装でぴーぴー泣いてなんもできなかったからなー」

「もー!なんでそういう言い方しかできないのブラッドは!!」

 ソファに寝そべってスナックを齧るブラッドに強い眼光を向けるハーツ。バケットを乱暴にオーブンへと放り込み、窓際へ歩み寄るとカーテンを乱暴に開いた。

「まぶしっ」

 ハーツの薄い背中を不服そうな目でブラッドが睨む。そう、今日の彼は早起きなのではなく只の朝帰りだ。普段ならば絶対にソファで寝入って目を覚ますことは無い。

「コーヒーいる?」

「ブラックー」

 ハーツは薬缶に注ぐ水の量を倍に増やすとコンロにかけた。地下に引いている濃縮シェールガスの炎が一瞬でその中身を沸騰させる。

「今日は?」

「適当に過ごすよ」

「……ふーん」

 せっかく模造コーヒーの添加された香りを、楽しみもせずにブラッドはずるずると音を立てて黒い液体を啜る。これなら泥水を渡しても同じなのではないだろうか。

「今日から学校か?」

「二週間前からだよ!流石にもうその台詞は言われる事無いと思ってたのに……!」

「去年はお前がぴーぴー泣いて……」

「それさっきも言ってた!気まずくなったからって何お茶を濁そうとしてるの」

 飲んでるのはコーヒーだけどな。へらっと笑うブラッドの表情がハーツの神経を逆撫でする。決めた、次は泥水とは言わないまでも麺つゆは決定事項だ。

「しょうがないじゃん――換装ってあんなに痛いと思わなかったんだ。しかもついでにやった胃の戻しがさらに大変で、胃液の適正量の分泌とか、蠕動運動の再開とか、物を食べるまでにまさか半年以上かかるなんてさ。まあ、結果的に他のパーツの換装がかわいいと思えてよかったのかもだけど」

 ハーツが不貞腐れた顔でそっぽを向く。

「はぁ――おかげでさっそく留年かぁ……もう」

 バックパックを引っ掛けるとハーツは立ち上がる。時計は八時を回る頃、そろそろ出ないと遅刻してしまう。

「あっ」

 ハーツはブラッドのシャツを無造作に剥がす。

「きゃっ、朝から大胆だねーハーちゃん」

「馬鹿言わないで。いっつも寝てる時に勝手に回してるから、話している内に忘れるところだったよ」

 ブラッドの左胸には四センチほどの金属プレートが埋まっていた。そこには小さな穴が一つ空いている。ハーツは首にかけていた鍵を引き出して、その穴にそっと差し込み回し始める。

 リューズの巻かれる音が低く響く。ブラッドは心地よい音楽を聴いているかのように目を閉じている。

 人工臓器開発の黎明期、歩行による振動からの自動巻き取り式機構が開発されるよりもさらに前に、時計から発想を得て造られた旧式も旧式の発条仕掛けの心臓。定期的に回し続けないと発条(ばね)が伸びて血流が止まってしまい、そのまま放置すると身体の動きが鈍化し最悪死に至る。終戦直後の絶望的に物資が乏しかった頃ならまだし、そんな爆弾じみたものを未だに使っている人間などブラッドぐらいしかいないのではないだろうか。脳裏に怜悧に整った顔を呆れかえらせた担当医が思い浮かぶ。

 しっかりと発条を巻き終えると、ハーツは鍵を大事そうに胸ポケットにしまった。

「じゃあ行ってきます」

「ハーちゃん。ちゃんと学校行く目的覚えてるよな?」

「……わかってるよ。借りたものはちゃんと返す。それを忘れないために僕は毎朝そのブリキの心臓の螺子を巻いているんだ」

 返事の代わりにソファの影からごついブーツに包まれた足が大きく振られる。ハーツは軋む鉄の扉を開けて外へと出た。

 微かにゴミの臭いが鼻を擽る。どうやら今日は燃えるごみの収集日だったらしい。しまった出し忘れたと今更ながら気付いたが、諦めてハーツは通学路を進む。キッチンの真横のソファでブラッドは寛いでいたが、その調理台の脇にあるブリキ缶がゴミバケツだとは、ハーツが買ってきてから三年経った現在でも気付いていないに違いない。

 視界に白いものがちらちらと舞う。学校の周囲で戦火で焼けずに残った桜が、生きることの素晴らしさを説くように満開に咲き誇り、その身を震わせ花弁を散らしている。

 象牙色の漆喰の壁に、エメラルドグリーンのタイル敷きの屋根が光を弾く。立派な校舎の周囲はいまだ崩れた家や黒い焦げ付きの残る更地も多く、嫌でもその豪奢な建物は目立つ。

 親と政府の期待を一身に浴びる未来の紳士淑女達が、軍用と学用のデザインが絶妙に交じり合った制服を優雅に着こなして校門を潜り抜けていく。戦後復興を背負う子供たちの学び舎。リリオ・デル大學付属高校。

 だが、ハーツが同じ制服を纏いこの学校に通う本当の目的は、勉学ではない。

「……よしっ!」

 大きく息を吸い、今日も少年は門をくぐる。

 探し物を見つけるために。

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