天文4年(1535年)

天文4年(1535年)の年賀と『伊勢国切取次第』

天文4年(1535年)


 本年の正月は、昨年とは様相が違っていた。土岐頼芸派と土岐頼純派の対立が激しくなっており、守護所である枝広館での年賀においても緊張感が漂っている。

 そんな年賀の席において、家臣筆頭の位置にいるのは、養父長井新九郎であった。養祖父長井左衛門尉によって上意討ちされた長井長弘の代わりに家督を継ぎ、小守護代の地位に就いた長井景弘が昨年、病死している。本当に病死なのかは疑わしい。養父が暗殺したという噂も流れているが、定かでは無い。

 長井景弘が亡くなったため、養父が唯一の小守護代となり、土岐頼芸派の家臣筆頭となったのだ。

 そして、養父長井新九郎が年賀の席を取り仕切っている。わしも支配下においている東美濃の国人たちを引き連れて参加していた。

 養父の下には、わし以下東美濃国人、養父の正妻の実家である明智氏を筆頭に中美濃国人、稲葉山を中心とした養父に従う西美濃国人たちが付き従っている。唯一の小守護代長井新九郎が土岐頼芸派の中で最大勢力であることを見せ付けることとなった。


 年賀の席における主な話題は、土岐頼純派との対立についてであった。特に西美濃国人たちは、北伊勢東部どころでは無い様子である。東美濃にも土岐頼純派の国人はいるが、西美濃ほどでは無い。




「長井庄五郎に『伊勢国切取次第』を与える」


 年賀の席において、土岐頼芸様から『伊勢国切取次第』を賜った。西美濃国人たちが北伊勢東部の失地回復の余裕が無いため、わしにお鉢が回ってきたのだ。

 わしが『伊勢国切取次第』を賜ったことに不満気な西美濃国人が散見される。そんなに不満なら、自分たちで取り戻せば良かったのだ。今は土岐頼純派の国人たちと本願寺門徒たちとの争いで、それどころでな無いだろうがな。

 そもそも『伊勢国切取次第』については、事前に養父長井新九郎と話し合っていた。北伊勢東部は切り取ったところは、わしの領地に出来るが、桑名だけは占領後に引き続き自治をさせることになっている。桑名は朝廷の直轄地と言う名目であり、牡蠣を朝廷に収めることで自治を認められていた。これを覆すと朝廷の機嫌を損なうことだろう。結果として、自治をする会合衆を土岐頼芸派にとって都合の良い商人に挿げ替えることで、意見が一致したのだ。

 養父から事前に話を聞いていた西美濃国人たちは不満げな態度を出していない。不満気な態度を取る西美濃国人は、養父にも重要視されていない程度の存在なのだ。

 その後の年賀の席は、滞りなく執り行われたのであった。


 こうして、わしは『伊勢国切取次第』を手に入れた。しかし、わしの勢力だけで北伊勢東部侵攻は実際には難しい。そのため、市江島の服部党と敵対する義兄の織田弾正忠との連携が必要となる。わしが義兄と同盟関係にあるからこそ取れる手段だ。

 織田弾正忠との連携については、養父から内々に許可を貰っている。近々、織田弾正忠と書状のやり取りをする必要があるだろう。


 枝広館での土岐頼芸派の年賀が終わったものの、わしは東美濃国人や木曽氏を招いて宴を催さなければならない。1月は何だかんだで忙しいものだ。

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