里見水軍の亡命と男子と信長の誕生

 内政と軍事に勤しみつつ、日々は過ぎていく。そんな中で、各地の情勢は刻々と変化していった。


 西美濃勢は、実淳派の一向一揆を鎮圧しつつ、寺領を押領している様だ。特に当家から兵を返還された養父長井新九郎が、押領に勤しんでいるらしい。


 そんな中、安房里見氏の当主である里見左馬頭義豊が、里見水軍の一部を引き連れ、志摩国に逃れてきた。

 里見左馬頭は、里見義尭に敗れた後に、上総国の真里谷信清の元へ一時的に身を寄せている。

 その後、里見左馬頭は、真里谷氏の領地となっていた久留里城の支城である大戸城を拠点に再起を図っていた。

 今年の4月6日に、里見左馬頭は安房国に再び入ったものの、里見義尭は北條氏綱に援軍を求める。

 北條氏綱は里見義尭の援軍要請に応じ、援軍を派遣した。

 里見左馬頭は、犬掛の地で里見義尭・正木兄弟・北條の連合軍と戦うことになり、大敗を喫してしまう。

 里見左馬頭は自害しようとしたものの、当家の忍衆を側に付けており、当家への亡命を促したため、当家へと逃れてきたのだ。

 里見左馬頭は、北條から援軍が来ると知らせを受けた段階で、負ける可能性を考えていた様で、自身の家族や家臣の家族たちを逃す準備をしていた。

 里見左馬頭方の里見水軍も一部は、安房国に残ったものの、正木水軍に反発している者が多く、大半は左馬頭に従って志摩国へ逃れてきている。その際、里見水軍の船大工や鍛冶師なども引き連れてきた様だ。

 以前から当家に亡命を促されていた里見左馬頭は、犬掛の戦いの後に、里見水軍と合流し、志摩国へと至る。


 志摩国までの経路が長島一向一揆勢に押さえられているため、里見左馬頭に直接会うことは叶わなかったが、平井宮内卿を通じて、里見左馬頭たちには、当家で客将として滞在して貰うこととなった。

 里見水軍には、当家の海軍の下請け的な仕事をしてもらうつもりだ。里見水軍が船大工や鍛冶師を連れてきてくれたのもありがたい。

 里見水軍の船大工たちに中・小型船の建造や整備を任せれば、海軍の船大工たちを大型船の建造に集中させることが出来るからだ。



 夏が近付き、わしは苗木で政務を執っていたところ、兼山から御南が産気付いたとの知らせを受ける。

 しかし、兼山と違って政務を放って御南の元へ駆け付ける訳にはいかないので、大人しく政務を続けることにした。

 その後、御南が男子を産んだとの知らせが届く。養祖父の長井新左衛門尉が亡くなってすぐに懐妊したことから、養祖父の生まれ変わりかもしれないとは思っていた。

 そのため、御南が産んだ男子には、養祖父の幼名と伝わる峰丸と名付けることにする。兼山に建てている城も鳥峰城と名付けているので、何となくだが縁起が良い様な気がした。


 同じ頃、織田弾正忠家から子が産まれたと知らせが届く。織田弾正忠の正室である土田御前が産んだため、嫡男とされ、幼名を吉法師と名付けられたそうだ。

 後の織田信長が誕生したのである。わしは、義兄であり親友である織田弾正忠の嫡男が産まれたことを祝い、使者と祝いの品を送った。



 里見左馬頭の亡命により、当家の海軍力は増している。しかし、今のところ必要としているのは、陸軍の兵なのだが。

 御南も待望の男子を出産した。養祖父長井新左衛門尉の生まれ変わりと信じたいが、養祖父の様な豪毅な人物になって欲しいが、梟雄は勘弁してもらいたい。

 日本史上の超有名人である織田信長が義甥として誕生した。織田信長の誕生が、わしの人世にどう影響するのか分からないが、楽しみではあるので、純粋に喜ぶとしよう。

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